Thoughts

February 2009

勢い

昨日、また友人(今回はSちゃん)にコンサートプログラムを聴いてもらう事に。ちょうど、一週間後にサロン・コンサートがあるので全プログラムをシュミレーション。歌曲も2曲あるので伴奏のみ(笑)も含めての1時間強。

最近は自分でもまめに録音するようにしているが、やはり一人でも観客がいると演奏が全然変わってしまう(笑)。この「変わる事」に慣れるために、コンサート前に出来るだけ人前で弾く場を設けるのだが...。

スカルラッティ、モーツァルト、モーツァルト歌曲2曲、ブラームス、そしてショパン。
録音を聴き直して、意外とモーツァルトが良い方向に進んでいてちょっと安心。まだまだやる事はいっぱいあるが...。

今回の通し弾きで驚いたのが、ブラームスとショパン。独りの練習では出ていなかった勢いが想像以上に出て来て、演奏としては良かったものの、内心振り回された感じに(笑)。特にブラームスは16曲のワルツを続けて弾くのだが、流れがやけにスムースにいったがために相乗効果で曲が進むに連れて、曲の中のエネルギーがどんどん大きくなっていた。自分でもそのエネルギーの大きさに怖くなってしまったりもしたが、曲の本質が見えた気がするので、これからはとにかくこの勢いも自分のものにするのが課題。

ショパンも、午前中に部分練習している時に大きな発見があり、午後に通して弾いた時の効果が想像以上に大きくて、これにもビックリ(笑)。良い効果にはなっていたので、これからは全体像をもっとはっきりと持てるようにするのが課題。

最初のコンサートまであと一週間。あと一頑張り!

意図

今日もまた友人のMにリサイタル・プログラムの数曲を聴いてもらう事に。ベートーベンの月光ソナタと小品2曲。合計25分足らずのプログラム。

先週、あまりに予想外の事が色々と起きてしまったので、準備万端の状態からはほど遠く、相当気が重かったが、色々な状況で弾く事も勉強になるので、今日は強行突破する事にしました。

弾き終わった後に相当自己嫌悪に陥ってしまったが、それでもMはアドバイスと共に色々といい所を見付けては、コメントしてくれました。「よくゴミの中から、いいものを拾い集めてくれるね〜。」なんて苦笑いしながら聞いていました(笑)。

しかし、面白いもので、あんなに自分の中で何もかもがしっくり行っていない感じだった演奏も、帰り道すがらレコーディングを聴いてみたら、意外と伝えたい事、意図している事が音に出ている事が多かったので、驚きがありました。今、音楽的に進んでいる道が間違っていない事が確認出来たのは確か。まだまだ弾き込みが足りず、それも音に出てしまっていたが、方向性は間違っていなかったのでこのまま後は猛突進するのみ。今日の演奏は50点くらいしか自分にあげられないが、逆に勇気づけられたのも確か。今の時点では「頑張らなきゃ!」というのと「楽しみ!」がちょうど50/50です。

静かに

%E3%81%91%E3%82%84%E3%81%8D%E5%9D%82%EF%BC%86%E6%9C%88_resize.jpg心がざわざわしていても月は相変わらず静かに光り輝いてくれている。今日の月は格別にきれいでした。

前半

今日は3月末のリサイタルのプログラム前半を録音。スカルラッティ、モーツァルト、そしてベートーベン。40分弱の前半。

今回のプログラムは新曲が多く、先月に録音した時は「剥き出し」の音が相当耳障りだったが、今日の録音では大分音がまろやかになっていた。曲が大分身体に馴染んで来てくれているので、「鍛錬」されてきた音になっているのだと思う。

その反面、音楽的内容に関しては「いい加減どうにかならないものだろうか」とあきれてしまった(笑)。やはりモーツァルトが難しい...。色々と表情を付けている所が嫌みに聴こえ、淡々と弾いている所は何ともつまらない、というダブルパンチ(笑)。

こうなったら想像力を豊かにするあらゆる手段を使わなくては....!

食欲

先日、アメリカのABCニュースで、既に実証されていると思っていた事を取り上げていた。
空腹時の方が脳が活発に働いて集中出来るというものだったが、これは常識なのでは(笑)?食事をすると消化するために、体中の血液が胃の方に回るためだか何だかだったように思ったが...。

これを聞いて、逆もあるのではないかとも思い出した。毎回そうなのだが、コンサートが近くなって、練習にとても集中出来るようになってくると全くと云っていい程、食に興味がなくなる。おまけにあまりお腹もすかない(笑)。さすがに、何時間も練習すると疲れるので、体力のために一生懸命スタミナが付きそうなものを食べるようにしているが、食べるのさえも面倒くさいと思ってしまう事すらある(笑)。これは私だけだろうか...?

この話をロンドンのW先生にしたら、「僕はさすがに9時間練習したら、お腹ぺこぺこになるけどね」と全然違う所にビックリしてしまうようなコメントが返って来た(笑)。
あんなに何でもバリバリ弾ける先生も、今でも「9時間」.....。まだまだ私は修業が足りない(笑)。

ストレス・フリー

今日は暖房器具の工事の人が朝9時過ぎに来ました。
「金曜日の朝、9時過ぎに伺います」とガス屋さんにいわれ、実際にその時間に現れてくれるのは、ヨーロッパに住んでいた人から見ると驚異です(笑)。指定した時間に現れるだけでなく、てきぱきと仕事をして行ってくれるのも何とも嬉しい。

イギリスは「金曜日の午前中」と約束して家で待機していていも、その日のうちに来てくれればラッキーです。最悪なのは、一日待ったあげくに、夜電話が来て、「今日はもう行けないから、明日行く。」と云われる事。それもやっと来てくれても「道具がない」と云って、またさらに別日を指定されたりします。水道、電気、ガスなど、家の修理はいつも憂鬱の原因でした。

街の建築現場や工事現場を見ていても、日本程まじめにきちんと仕事している国も珍しいような気がします。(アジアの他の国を知らないので、これはアジアの特徴なのだろうか?)
一生懸命に仕事している姿は見ていて本当に気持ちがいいし、かっこいい。おまけにゴミも全然散乱していない(笑)。イギリスやヨーロッパは「工事中」で何ヶ月も放置されている場所があちこちに。道路の真ん中に大きな穴が掘られたまま、ほっとかれている事もしばしば。ゴミも建築材も置きっぱなし(笑)。おまけに仕事している人がいても何ともやる気がなさそう...。

クラシック音楽をやっていると、信仰をベースにした文化を持っているヨーロッパにくらべ、日本の生活の中での文化浸透度を物足りないと感じる事もあるが、生活そのものに関しては、日本程住みやすい国はないように思う。「生活」に関してのストレスがこれ程ない国も珍しいのではないだろうか。

流れ

River%20Wye_resize.jpg「日本は話の流れで話が進むから楽だよね〜。」と、オーストラリアにいる友人のTが日本に一時帰国していた友人に云われたそう。私はこの話を聞いて、相当色々な事が解決しました(笑)。

3人まではぎりぎりOKなのだが、4人以上の集まりで、自分が何かをいうと、完全にその場の空気を止めてしまっている感がある。「自分は流れに乗るどころか、ダムを造ってその流れを完全に止めちゃっている感じがするよ」とTに云ったら、「Mihoちゃんはきっと向かい合っちゃうんだね。あれは、みんな平行(並行)移動しているんだよ」といわれ、「なるほど!」と妙に納得した。流れに乗れずに、せき止めるか、川岸にたたずんでいるかのどっちかになってしまうので、人と会うときはなるべく少人数編成にしている(笑)。

理想は一対一で向き合う事だが、これは相手もさぞかし大変だと思う。向かい合っていれば、言葉を交わさなくてもいいのだが、沈黙を居心地良いと思う人も日本は少ないのでは...?「私は分かち合いたいんだよね」と音楽仲間達と話している時にいったら「素晴らしいね〜(笑)」とかわされてしまったが、相手を深く知るよりも、時間や空間を共有する方に価値が置かれている事を残念に感じるのは私だけだろうか...?

しかし、相手を知るというのも、言葉を交わす事でどれだけ出来るのだろうかという疑問もある。言葉はいっぱい交わしているのに、全然心が通じていない事もあれば、全く言葉を交わしていないのに、気持ちが伝わっている事もある。

気持ちが通じているのかさえも考えなくていいように、人は「話の流れ」に乗れるようになったのだろうか...。

一生懸命

先日、友人のTとの電話でまた色々と考えさせれる事が。

演奏のスケール感からこの話になったと思ったが、ピアノの巨匠「ホロヴィッツ」が今では有名なピアニストM.ペライアに『若い時はとにかく「一生懸命」弾かないといけない。一生懸命にならないと弾けない大曲もいっぱい弾かないといけない。そうしないと、歳を取って、エネルギーがなくなったら何も残らない演奏になってしまう』というアドバイスをしたそうだ。

自分の知っているホロヴィッツはいつも楽々と弾いている印象があるので、これは意外な言葉だったが、本当に日々、自分よりも大きな曲に向かっていかない事には、どんどん自分のスケールが小さくなって行くのが目に見えている。

そして、大曲に挑む時だけでなく、やはり小曲を弾く時でも一生懸命弾かなくては、と今日の練習で実感しました(笑)。今、曲が結構形になって来ているので、音楽が自然に流れるように、いかに脱力するかが練習の大きな部分を占めているが、脱力が「楽をする事」になりかねない事を発見。脱力して,音楽が自由に流れるようになっても、気は抜かないようにしなくては!

読めなくて

Napoleon%20Dynamite_resize.jpg不思議〜な映画を観ました(笑)。生徒さんが冬休みにいくつかDVDを貸してくれたのだが、その中の一つ、「バス男」(原題「Napoleon Dynamite」)という2004年のアメリカ映画。全米でたった6館で始まった公開が口コミで驚異的ヒットになり、ついには1000館以上に広がったらしい。(ちなみに邦題の「バス男」は日本でヒットした「電車男」に便乗して促販目的で付けれたらしいが全く関係ない。おまけに日本では未公開。)

観ながら、ファッション含め、相当前の映画と思い込んでいたが、途中でネットチャットの話が出て来たので、DVDの箱を確認したら結構最近の映画なのに驚いた。最初は「全然ついていけないかも...。」と思っていたが、話があまりにも読めないので、結局最後まで観てしまった(笑)。見続けてしまったもう一つの要素は、主人公の目がほとんどといっていいほど画面に映らないこと。いつも伏し目がちの上に大きな眼鏡を掛けているので、全く主人公の心情も読めない(笑)。いかに目が多くを語るのを頼りにしているか、そしてその目を観たい欲求がいかに大きいかを実感した(笑)。

このDVDは生徒さんのお母様が「どうかしら...?」といいながら差し出して下さったが、側にいた生徒のE君はぼそっと「みほ先生はあんまり好きじゃないと思う」と云っていたので、どんな映画か興味津々だった。声を出して笑ってしまったシーンもいくつかあって結構面白かったが、さすがに好きな映画の一つには入らないかも...。E君、よく私の事を分かっていらっしゃる(笑)。