Thoughts

October 2009

生中継

Roppongi%20Moon_resize.jpg昨日の大荒れの天気とは打って変わって今日は素晴らしい快晴。そして夜には月と金星が仲良く、くっきりと一緒に見えていました。

先日テレビで、月面着陸の際の生中継に関してのドキュメンタリーをしていた。今見ている月に人がいる事が生でテレビで見れていたなんて、なんて素敵なことだったんだろう。今日、生徒のレッスンからの帰り道に月を見ながら、実際に今あの月に人がいたら、なんて思ったら何だかいいようもなくわくわくしてしまった。

しかし、そのドキュメンタリーで最後にいっていたのは、何回も月面着陸をしているうちに、人々の関心は薄れ、最後にはアメリカのどのテレビ局も月面中継の代わりにくだらないドラマ(とはインタビューされた人のコメントだが)を流すようになってしまったらしい。本当に残念な話だ...。

しかし、また月面探検の可能性が出て来ているらしいので、そのうちに生で月に人がいる映像が観れるかもしれない。月に異常に魅かれている私としてはとっても楽しみ。

集中力

練習で気力を使い過ぎているせいか、ブログを書く意欲がなかなか湧きません(笑)。

先週の金曜日に今回初の全プログラム通し弾き。春のリサイタル準備を教訓に今回はなるべく、曲の通し練習を避け、細かい練習に徹底していたが、いいように成果が出ているように思う。しかし、縦の集中力が横の集中力に勝っていた事は確かなので、これからバランス良く練習しようとは思う。

それにしても、今やっている練習は集中力を相当使っているようで、一日が終わるとどっと疲れが...。練習している時も、3時間の時点で急にスイッチが切れたかのように急に能の働きが止まってしまうようで、何の練習をしているのか急に分からなくなる瞬間がある。それ以後は意識がもうろうとしてしまっているので、潔く休みます(笑)。練習する気は満々なのだが...。なので、最近は練習を細かく分割。以前は続けて4〜5時間練習したりしていたが、今思うと全然集中力が足りなかったように思う。手と身体を動かす「運動の練習」になってしまっていた。

内田光子さんが確か、練習で集中出来るのは45分が限度と云っていたように覚えているが、3時間でもまだ集中力が続くというのは集中の度合いがまだまだ足りないと云う事なんでしょうね...(笑)。

一日練習

今日は一日練習日。

大分前の事になるが、ロシア人の先生のマスタークラスの通訳をしていた時に練習時間の話になった事があった。もちろん毎日練習する事は当たり前だが、「一日中弾く日を作る事も大切」と云っていたのが印象に残っている。当時、そのレッスンを受けていた子は中学生だったが、すでに学校を休んで、こういう日を週に何日か作っていたらしい。学校のバックアップもあったから可能だったが、当時「この子はピアニストになれなかったらどうなってしまうんだろう?」と余計な心配を内心していた。しかし、ちゃんとその子は数年後に大きな国際コンクールで優勝し、しばし時の人に。テレビでニュースを見た時は本当に驚きよりも「本当に良かった!」といった感じでした(笑)。子供時代と引き換えに手に入れたものは本当に大きかった。

全然レベルが違うが(笑)、今コンサート前なので他の日はギュウギュウに予定を詰めてまでしても、週に2日出来れば3日は練習のためだけに空けておくようにしている。一日中弾いている訳ではないが、とにかく練習が最優先。そして、余計な事しないし、考えない。

今日は特にいい練習が出来たように思ったが、6時間程練習した時点で大きな閃きが。
こういう時にこそ、一日練習の価値があると実感する。やはり長時間練習しないと辿り着かないものも絶対にあるように思う。

今日の閃きで明日の練習が楽しみ♥

フーガ

先日、今度のコンサートプログラムの最初の曲、スカルラッティの事で調べたい事があり、インターネットで探していたら「猫のフーガ」というものを見付けた。曲が聴けるサイトやこの曲に関するコメントが色々と見付かって面白かったが、一同に「猫とは思えない重く、暗い曲」と書いてあった。確かに猫とは到底思えない(笑)。

これに関連して思い出したのだが、あまりクラシックにそこまで馴染みのない方に「フーガってなんなの?」と云われ、凄くハッとしました。小学生の頃からフーガを勉強させられて、当たり前のように何も疑問に思わずに弾いて来たが、確かにフーガと云うのはよーく考えると不思議なもの。

フーガは数学的に、ある一定の法則に従って厳密に作られている。感情や思いとは全く関係ないとさえ思ってしまう構築美はもともと音楽が数学や天文学などの学問と同じ位置にあった由縁だと思うが、他の芸術にはない独特の位置を占めているように思う。

バッハ等は徹底して最初から最後までフーガの法則に従って曲が構築されているが、クラシック後期、ロマン派に入って来ると大きなフーガの後は意外とメロディーラインがくっきりと聞こえるようなシンプルな作りになっているように思う。苦難の末の楽園のような。綿密に構築されたものは緊張感がどんどん増すがために、辿り着く所にはとてつもない解放が待っている事になる。(一番分かりやすいのはベートーベンの第九)
今回のコンサートの最後の曲、フランクのフーガもまさにそう。なかなか辿り着くまでが大変なのだが(笑)。

スカルラッティから始った調べものだったが、辿り着いたのはフランクでした。

Happy!

コンサート準備でトラブルがあり、気分的に一気にブルーになっていた所にニューヨークに住んでいる従妹から楽しいYouTubeのビデオ「ピアノの階段」が届きました。
ヨーロッパの発想はさすがだな〜と思う。大人になっても遊び心を忘れない...。


そして、それにくっついていた別のビデオを見て、超ハッピーに!
こんなにもビデオ一つで気分が変わるものなんですね。
満面笑みでまた張り切ってピアノに向かえました(笑)。
Happy Wedding!
うちの教会では無理かな〜...。

壊して、壊して

昨日、久しぶりにビデオに録ってもらっていた映画を観ました。
ミンゲラ監督の「Breaking and Entering」ー 邦題は「壊れゆく世界の中で」。ロンドンが舞台だったが、「人間」というものを深く描いていて本当に深々と感動しました。色々な意味で感動したのだが、一人の人間としての可能性や不完全さ、そして人と人とがどこまで向き合えるのか、その可能性もリアルに描いていて、本当に色々な意味で人間関係に希望を持ちました。

よく日本の結婚式で取り挙げられるサンテグジュペリ(星の王子様の作家)の言葉「愛とは、お互いに向き合う事ではなく お互いに同じ方向を見つめる事である」。私はいつもこれに疑問を持っていて、どうしてもそうとは思えなかったが、まさにこの映画は、サンテグジュペリの言葉をくつがえしてくれた。自分といかに向き合うか、そして人と向き合うか、そしてその先にある凄い可能性を描いていてくれていたので、本当に嬉しくなりました。

「何かが壊されたり、壊れた時には、すぐに直そうと思ってはいけないのかもしれない。その時はどんどんと壊さないといけないのかもしれない」と主人公がいう台詞があった。台詞はここで終わってしまうのだが、映画の題名や話の内容とも繋がって、実はどんどん壊してこそ、その先の一歩を踏み出せる事を暗示している、と云う風に取りました。ぶつかって、ぶつかって、壁にぶち当たっているようにもがいていたとしても、逃げ出しさえしなければ、先には確かに何か道が開かれる。そこまで、人との繋がりを追求する人間が他にもいると思えるだけで、孤立感がなくなりました。

この『何かが壊されたり〜』という言葉を考えていたら、自分の今のピアノにも繋がってきました。今はとにかく今まで積み上げて来たものを壊して壊して、ゼロの状態にするために練習しているようなもの。特に何年も弾き込んであった曲は自然ともう形は出来てしまっているので、一つ一つの音を分解して、再び作り上げているような作業をしている(笑)。ちょっとでも気を抜くと、あっという間に意図していない昔の弾き方に戻ってしまうので、異常に集中力を使っているように思う。練習中はそんなに感じないのだが、練習の後、10分くらい経つととてつもない疲れがドーッと出るので、生徒のレッスンに行く電車の中では自分でもビックリする位深ーい眠りに入っちゃっています(笑)。とにかく、こんなに練習時に集中出来るのは感謝な事です。目指している演奏に近づいているからだと思いたい。

追伸:「壊れゆく世界の中で」は音楽も素敵。不思議な気分になります。
上記のリンクからオフィシャルサイトに行くとメニューの右横にサウンドトラックがあり、順次聞けるようになっています。

陽気な年寄り

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今朝は教会に。朝8:00の御ミサだったで、夜型の私としては、相当辛い時間だが、お説教が素晴らしく、朝早くから感動していました(笑)。

今日のお話は「知恵」ついて。
フィリピンの神父様は英語を交えてお話しして下さるので、言葉の微妙なニュアンスや意味の違い等においても考えさせられる事が多い。英語の「Intellegent(頭が良い、利口)」と「Wise (知恵がある、賢い)」の違い。(今、書きながら思ったが、既に「知恵」という字は「知る恵み」と書くんですね...。)

色々と心に残った言葉があったが、いくつか抜粋。(少し使っていた言葉が違うかもしれないが...。)

『「頭のいい人は結果だけを見て喜ぶが、知恵のある人はその結果に辿り着くまでのプロセスに喜びを見いだす」

他人に対しての評価も「その人が何が出来たかを見るのではなく、その人がベストを尽くしたかを見る」

「陽気な年寄りになりたかったら、毎日何かを学びなさい。そして、一日の終わりに今日は何を新しく学んだか、振り返りなさい。これを今からはじめなさい。(これは、神父様自身が若い頃にどなたかに云われた言葉らしい)」』

最後の「陽気な年寄り〜〜〜」に関しては、自分も希望が持てるような気がします(笑)。音楽をやっていると本当に毎日何かしら、学ぶ事がある。目の前には楽譜とピアノしかないが、毎日発見があり、そしてその気になれば、進歩もある。今、調子がいいのでちゃんと練習すれば、確実にそれが次の日には成果となって表れてくれる。しかし逆に意識的に「ここをもっと良くしよう」という気がないままにただ単に弾き込みだけの練習をしていると、次の日は何も「変化」がなく前日と同じ状態でしか弾けない。つくづく向上心がいかに大切かを実感している毎日です(笑)。

音楽の凄い所は一生掛かっても、到達点がないと云う事。進歩する気があれば、いくらでも前に進める。それほどに、クラシック音楽は奥が深い。大変な事でもあるが、一生退屈する事がありません(笑)。

秋本番

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そして、木曜日の台風の日。とてつもない風が前日から吹いていたのと、キンモクセイも咲き出したばかりだったからだと思うが、鎌倉中キンモクセイの香りがしていました。家の庭にはキンモクセイは一本もないのだが、玄関を開けた瞬間から強烈ないい香りが。本当に幸せな気分になります。

実はキンモクセイはあまり外国では今まで出逢った事がないので、自分の中では日本独特の香りと思ってしまっています。春の到来を知らせてくれる梅の香りと同様、秋の到来を知らせてくれるキンモクセイの香りは本当に大好きです。

いよいよ秋本番。リサイタルに向けて多いに張り切っています。

びっくり!!!!!!

JZ%20Brat_resize.jpg芸術の秋にふさわしく、イベントがいっぱい。この10日間は特にクレイジーで、これでも、泣く泣く諦めたものもいくつか...。

クラシックのコンサートが基本的に多いが、日曜日は珍しく、ジャズ。親しくしているN君がライブに出ると聞いていたので、渋谷にあるJZ Bratまで。

高校時代の文化祭で長髪を結んでサックスを吹くN君は、もう既にジャズマンの雰囲気を醸し出していたらしい。ジャズの名門Bに留学して、スイスのモントレー・ジャズ・フェスティバルにも出ていたと聞いていたので、相当上手いんだろうな〜と思っていたが、私が最初に会った頃にはもう既に、「ジャズは趣味」と言い切っていて自分でIT関係の会社を立ち上げ、バリバリと仕事をしていたので、あまり彼のジャズについては深く話した事がなかった。

10年来のお付き合いになるN君に会うのは年に1〜2回。会う度に「全然サックスは吹いていない」というので「そうか、残念...。」と思っていたが、6月に会った時に初めて「今度秋にやるかもしれない」と云っていたので、とっても楽しみにしていた。

そして、日曜日。3人で行ったのだが、私はN君のサックスを見る/聴くのは初めて。他の3人は彼が高校生以来のライブという事だったらしい。

と・に・か・く驚いた!!!あまりの上手さとかっこ良さに!カッコ良すぎ!!!こんなにも凄い才能を持っていたとは!!!おまけにサックスだけでなくフルート含め3つくらい楽器を吹きこなしていた。耳が異常にいいんだと思うが、とにかく歌や他の楽器との音の合わせ方が飛び抜けて上手いし、センスはいいし、リズム感もノリもずば抜けていた。

あんなに凄いのに、全然自慢する事もなく、「音楽は趣味の方が気が楽」と云えるくらいクール。何だか、その余裕がとっても羨ましくなってしまった。

普段のN君とあまりに違うステージ上のN君に大興奮だった日曜日。よ〜く聞いてみたら、2〜3ヶ月に一回はライブをやっているとの事。本当にこれからの楽しみが出来ました。

それにしても、ライブには10人程がステージにいたが、今回つくづく「ジャズマンってなんてカッコいいんだろう!」なんて思ってしまった。全員が全員何ともカッコいい。クラシックはまた違うかっこ良さがあるけど、あのクールなかっこ良さはなかなかないですね...。

いい音

%E5%A4%A9%E7%A9%BA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg今日は恩師のコンサートを聴きに六本木まで、
34階にある、壁は全てガラス張りの天空のホール。見晴らしが素晴らしい。

今回は弦楽アンサンブルとピアノのサロン的なプログラムでしたが、その中にはラフマニノフの究極のロマンチックな曲の一つである、パガニーニの主題による変奏曲の18番も。ちょうどこの曲を演奏中に舞台の後ろの窓越しに二羽の鳥が戯れ合いながら飛んでいくのが見えました。(その後にも先にも鳥は一羽も飛んでいなかったのに!)おまけにちょうどその34階の高さを保ったままずっと横切って!美しいラフマニノフの音楽の調べにまるで乗っているようでした。あまりにも出来過ぎの光景に大感激。こういう思いがけない素敵なハプニングが日常の中にもあるんですね。

久しぶりに聴くW先生の音は本当に素晴らしく、「ピアノはこういう音がするから私はどの楽器よりもピアノが好きだったんだ!」と再確認しました。とにかく音が「いい」。美しいともまた違うんですね...。もちろん音はきれいなのだが、それだけではない耳にも身体にも、心にも魂にも「いい」音。聴いていて、本当に満たされました。むくむくと益々、リサイタルに向けてのやる気が出て来ました。

辿り着いても...。

%E6%AA%9C%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg一昨日、ヴァイオリン・デュオと弦楽アンサンブルのコンサートを聴きに真鶴まで。
なぜまた真鶴まで行ったかというと。。。

実は2年程前にCD制作をしようと思い、レコーディングはしたものの、初めてだった事もあり、色々と納得いかなかった事が...。結局、録り直しをする事に。

レコーディングをしようと決めた時に最初に録音技師さんに「響きはどうにでもなるので、とにかく好きなピアノを探して下さい」と云われました。2年前もあちこちのホールを調べては、試弾させて下さるところには出向き、やっとの思いで見付けましたが、直感で決めてしまったピアノは長時間のレコーディングには不向きでした。最初の2〜3時間で録っていたテイクは良かったのですが、時間が立つにつれ、ピアノ全体のバランスが崩れていってしまいました。もちろん、調律の方は付きっきりでしたが、微調整するには限界があると云う事を知らなかった。

なので、それ以来、時間に余裕がある時にはピアノ探しをしています。そんな中、知り合いの方が「真鶴のホールにいいピアノがあるよ」と教えて下さったので5月にホールに行ってみました。お寺が建てた総檜のホール。その名も「檜チャリティーコンサートホール」。檜は香りが素晴らしいだけでなく、見た目も美しい。本当にこんな所によくぞこんな凄いものを建てたな〜なんて妙に感心してしまった。おまけに置いてある楽器にも凄いこだわりが。中古のSteinwayを買って、中身を全部新しくしたという懲りよう。Boesendofer や他にマニアックなブランドの味のあるピアノも置いてありました。

1時間程弾かせて頂いた後に、住職さんとお話させて頂いたが、やはり素人さんは逆に鋭い。上手い下手は、音の美しさ、そして心に響くか響かないかでの評価。結構厳しいご意見やお話を色々と聞かせて下さいましたが、云っている事は的を得ていて、とても楽しかった。住職さんも私の事は気に入って下さったようで、「9月に素晴らしいピアニストが来るからぜひ聴きにいらっしゃい!」と誘って下さいました。

と云う訳で、今回のコンサートに行く事になりました。(前置きが長くなってすみません。。。笑)

数ヶ月振りに訪れたホールだったが、やはり香りが素晴らしい。入り口に入った途端に良い香りが。。。

演奏の方だが、とにかくバイオリンもピアノも音がずば抜けて美しい。おまけにピアニストに関しては、今自分が目指しているものを完成させた形で見せてくれているようでした。しかし、自分が目指しているものを追い求めているうちにハマってはいけないと思っていて注意している「罠」も同時に存在していた。終止、どのようにしたらこの「罠」を回避出来るのだろうか、と考えさせられたコンサートとなりました。

目指しているものまで辿り着くのでさえ大変なのに、辿り着いたとしても尚も心配が。本当にいい演奏までの道のりは長い。。。