Thoughts

April 2010

印象

前回のブログで書いた「力ずく演奏」は他人事ではない。自分では音や音楽に出来る限りの心配りをしていても実際に出て来る物が予想に反する事が随分と多い。

11月に久しぶりに日本でおこなったリサイタルのコメントに「音が大き過ぎたのでは?」というものがありました。自分の音楽を支えて下さっている方二人からのコメントだったが、意外だったのがコンサートの全プログラムを通して音が大きかったように感じたらしい。

音というのは座っている場所やその人自身の体や心の状態も関係して来るのだが、「音量の問題ではない気がする」と、そのお二人が仰ったように「大きすぎる印象」を与えてしまったという事である。私も実はここ最近、ピアノ・リサイタルを聴きに行くと結構「うるさい」とまで感じてしまう演奏が多いように思う。

楽器をフルに鳴らせるというのは、それはそれで素晴らしい事なのだが幅が足りないと云うことなのだろう。自分は高校生だった時に、発表会で完璧に弾けたと思って意気揚々と観客席で聴いていた母の所に戻ったら「音が小さかった」とひと言だけ云ってその日はもう口もきいてくれないくらいに不機嫌になってしまったという経験があったので、それ以来音の大きさに対してはずっとコンプレックスを持っていた。音の大きさに対しては人並み以上に気にするようになっていたように思うし、いかに大きな音を出せるかが自分の中で目標になっていたように思うがその使い方が上手くいっていないのだろう。

大きな音というのは絶対に必要なのだが、その大きな音に説得力がなければ全く意味がない。ロンドンに住んでいた時に学生のコンクールを友人と聴きに行ったのだが、遅れて行ったのでピアノのふたの真ん前の席しか空いていませんでした。小さなサロンだったのでピアノからの距離は1mもなかったように思う。それなのに、一人の学生が思いっきり激しいベートーベンのソナタ(熱情?)をガンガンに弾いていたのに目の前で爆睡してしまいました(笑)。コンサートで寝る事が滅多にない私なのに!友人に「あんなに大きな音で弾いていたのによく寝れるね〜」とあきれるどころか感心されてしまったのだが、音楽を通り越して、ただの騒音(騒がしい音)になっていたのだと思う。

人が感じる音の大きさというのはまさにその人の「印象」なのだが、その印象もやはり「大きすぎる」と思わせないようにするにはどうすればいいのかも考えなくては、と思っている。「音が大きすぎる」とコメントがあったその場で違う方は「ちょうど良かった」と云う方もいるのでなかなか難しいのだが、しかしこれからの演奏を考える上での要素となっている。

コメントは色々と参考になるので、100%それを取り入れる訳ではないが、やはりもっといい演奏をするためには欠かせないものと思っています。
専門的なご意見も勉強になりますが、やはりコンサートを聴きに来て頂いた方からは、演奏がどうのこうのより、その方がどのように感じたかを云って頂けた時が一番嬉しい。
ちなみに昨年のリサイタルで本当に素敵なコメントを色々と頂いたのですが、一番嬉しかったのは「みほさんの演奏を聴いていると好きな人の所に心が飛んで行く」というものでした。この言葉には私も感激でした。

色々な方から頂いた、たくさんの言葉で今日もピアノに向かっています(笑)。

0.00%

今日やっと春らしい天気になって少し気分も明るくなりました(笑)。

相変わらず色々と音楽的に考えさせられる毎日ですが、先日電車で見た広告が今色々と思っている事と妙に一致しました。

ポスターには大きく「0.00%」数字。ノン・アルコール・ビールの宣伝でした。なみなみとコップに注がれたビールはとっても美味しそう。芳醇な泡もたっぷり、ガラスのコップも汗をかいていていかにもビール好きだったら飲みたくなりそうな写真です。

この宣伝を見て、最近の自分の演奏もこれに近い物になっていたのでは、という風に思って来ました。ピアノを弾いている年数も長くなっているので、コンサートに向けての準備も自分のペースみたいなものが分かって来ているし、音楽的に何がしたいか、するべきなのかも以前よりは自分の中で明確になって来ていたように思うが、逆に考えると惰性とは思いたくないがコツみたいな物をつかんでいるような気になっていたように思う。「コンサートで演奏をするための音楽」になっていたのではないか。。。もちろん自分は毎回一生懸命のつもりだし、コンサートのためにはいつも全力投球なのだが、0.00%のビールのようになんとなく見た目、香りやのどごし、(ピアノだと聞いた耳(?)、音楽の雰囲気や印象)は本物のようだが、実は肝心のアルコール(音楽だったら魂)が入っていなかったのではないか。。。

自分はあまりお酒が飲めないのであまり分からないのだが、ビールが好きな人というのは味や香りが好きというより、飲んだ時の「気分」が好きだから飲むのではないのだろうか?

音楽もただ単に「耳に心地いいから」とか「コンサートの雰囲気が好きだから」という理由で人は聴きたいのだとは思えない。ビールがただ美味しいだけでなく、アルコールが体内に入って化学反応を起こして自分の気分を根本的に変えてくれるのと同じように、音楽もその時の心になんらかの化学反応を起こす力が潜んでいると信じている。自分の演奏はそれを追求し足りていなかった。0.00%とは思いたくないが、よく考えてみると音楽に魂が入っているかそうでないかに関しては30%とか50%はないように思う。0か100のような気がする。今まではそれが一曲の中で0になったり100にたま〜に一瞬だけなっていたりしていたのだと思うが、これを常に100に出来るようにするのが今の目標となっている。 

何だか、「魂」と書いてしまうととてもおおげさに聞こえるが、結果はとても静かで地味な物です(笑)。自然と同じようにあるがままでありながら、生きているという大きなエネルギーが内在していて、そしてまさに一瞬一瞬に全てが含まれているような。。。

曖昧過ぎるでしょうか(笑)?今日、調べ物をしていてまた素晴らしいレコーディングに行き当たりました。言葉よりもこの演奏が全てを物語っています(笑)。S.チェルカスキーの白鳥です。彼のこの曲のレコーディングは2バージョン持っていて、今まで大好きでもう何百回と聴いているのだが何回聴いても聴き飽きないし、毎回感動します。そして、さらに今日は彼の若い頃の演奏を発見して、またまた驚きつつ感動。5回連続で聴いてしまいました(笑)。本当に素晴らしい。。。(ため息....)夢のよう。。。

追記:レコーディングが古く音質が悪いので、聴く時は音量を小さめにして聴いた方が良いかも。。。素晴らしい演奏は音量を小さくして聴くとさらに美しさが際立つので面白い。ちょっと皮肉ってしまうと今主流の力ずく演奏は音量を小さくすると何も残りません(笑)。


勘違いな自己実現

前回のブログを書いて自分の中でも色々と考えがまとまったり、発見があったり。
その中でなぜ最近落ち込んでいたかの原因の一つが分かったような気がします。

今の練習で追求している事は「感動」する音楽を探し出す事。音楽の中にそれが必ず存在しているから凄いのだが、これはあくまでも「自分」が感動するかしないか。ここ数年の自分の演奏を振り返ると、練習どきに「自分」が感動するかよりも、「こう弾くと感動するように思う」と客観視していたところがあったように思う。今、思えばこれが大きな勘違いで聴いている人も感動するのか曖昧な上に自分も実は本当には感動していない。これが、今回の大きな発見でした。

最近の落ち込みの原因の一つは「自分の心を思いっきり使い切っている実感がない」という事だった。ピアノで自分の心を思いっきり使い果たせる状況を作っていたにも関わらず、何か違う物を追いかけてしまっていました。コンサートと云う場があっても結局、自分の全てを出し切る「自己実現」は100%出来ていなかったのでは、と気付きました。


自分が弾いていて感動をする(これは上手いからとかきれいだからとかという意味ではなく、純粋に音楽に心が動くという意味)という事はきっと自分が完全にその音楽に入ってしまった時に起こるのではないだろうか?

落ち込みの原因が一つ分かって、改善策に今取り組んでいる最中です。
ピアノが良い方向に進みそうだけど、どうなのかな〜...。

色々と...

なかなか春になってくれないせいか、精神的に少し引きこもりがちになっているような気がしないでもない...。昨年から引き続き色々と考えさせられている事が発展していて、大きな発見が色々とある。発見があるのは嬉しい事だが、発見したもの自体が落ち込みの原因になっている事もあったりして、複雑な思い。

ネガティブな発見は書いてもあまり気持ちよくないので、ポジティブな発見を少し。

今年に入って自分の演奏の事で落ち込む事が多く、「自分が演奏している意味が本当にあるのか」と考えさせられている。今までは音楽を通して「これが伝えたい!」という思いが強くて演奏していたが、その思いを伝えきれる演奏を全然出来ていないのではないかと悩んでしまっている。音楽のいいところは人と比べなくてもそれぞれの個性が尊重される所だが、私が演奏している意味が自分にとってもあるのか分からなくなってしまった。

こんな風に色々と思っている事をヨーロッパやアメリカに住んでいる友人達にメールや電話で話しているので、本当に親身になって色々と助言してくれて、支えてくれています。

イタリア人の友人。音楽的な事だけではなく人生の転機の時期でもあると思っているので、今までの自分を振り返り、そしてこれからどうするべきなのか、を色々と悩んでいる事を話したら、古代ギリシアの詩人Pindaroの言葉を教えてくれました。”"O my soul, do not desire the immortal life, but exhaust the field of possible '「我が魂よ。永遠の命を求めるのではなく、自分の全ての可能性を使い果たせよ」というような内容です。「怖がらないで、やりたい事をやってみて。」という事が云いたかったのだと思うが、今ひとつまだ何をしたいのかはっきりしていなかったので何となくまだもやもやとしていました。

昨日はベルギーに住んでいる友人からのメール。彼もピアニストなので同じようなような悩みを何回か経験しているらしい(笑)。彼が「素晴らしいピアニストはいくらでもいるんだから、自分は弾いている意味があるのだろうか?」と自分の先生に話した所、「私たちは音楽と云う大きな大河の一部で一人一人がその流れを作り出しているんだ」と云われたそうです。また「僕たちにとっては音楽はもう魂の一部なんだから選択はもう出来ないんだよ」とも書いてありました。本当にこのメールには勇気づけられました。

そして、先日、たまたまイースターのお祝いを云おうと思ってイギリスの友人の所にスカイプ電話を掛けた所、日本からイギリス留学しているチェリストのA君も遊びに来ていました。A君はまだ10代ながらも既に精神は音楽家。最近受けに行った講習会の話をしてくれたが、それが実に今の自分にとってはつくづく考えさせられる事だった。ある教授がとにかく素晴らしくて感激していたのだが、彼に云われたのが「何がしたいの?」という事だったらしい。これは単純な事なようだが、実は一番難しい。自分が目の前の楽譜を見て、何がしたいかはっきりしたらこれは演奏が80%出来上がったようなもの。しかし、この「何がしたい」というのが意外とくせもので、意外と分からないのだ。おまけに周りに魅力的に上手に弾く人がいるとそれになびいてしまうし、「こう弾くと音楽的に聴こえる」とか「こう弾くと美しい」というコツみたいなものは長年弾いていると自然とやってしまうのであまり追求せずに曲が出来上がったような錯覚に陥りやすい。

A君が話していてもう一つ心に残って色々と考えていたのが、「バッハは自分が弾いている時は難しくてそう云う事がないんだけど、誰かが弾いているのが聴こえて来ると気持ちがいい」という言葉と「バッハをどう弾いたら人を感動させられるのかが難しい」という言葉。

これらを色々と考えているうちに考えがまとまって来ました。まず「自分は何をしたいのか」という事だがやはり自分自身が感動する音楽をしたい。A君がいっていた「気持ちがいい」というのは音楽家にとっては「感動」なんだと自分なりに解釈している。人が何で感動するのかは分かる訳ではないので、まずは自分が感動するものを音楽から探しださなくてはならない。音楽的に弾いたり、きれいに弾く事も必要だが、実はそれだけでは「感動」はしない。この作業が意外と大変。一個一個の音から感動する要素を探さなくてはいけないので、本当に地道な作業。しかし、辛抱強く探せば見付かるのだから音楽って本当に凄いな〜と思ってしまう。

私の大学時代を知っている友人が「えびちゃんはブラームスの最初の一音を作り出すのに3週間掛ける人なんだよね〜」とよくからかうのだが(笑)、今思うとあれは自分でも感動する音を探し出していたんだな〜と納得がいく。ブラームスだけはきっと感動出来る音が自分の中で見付かると信じていたから探し求めていたように思う。

よく仏師が木の中に既に存在している仏像を「掘り出す」というが、その感覚に似ているような気がする。作曲家の武満徹さんも「宇宙に既に存在している音を取り出して曲にしている」いうような事をいっていたが、魂が感動(感じて動く)している時に仏像が見えたり、曲が聴こえたりするのではないのだろうか。

私も自分の演奏に意味はあるかは分からないが、楽譜を目前にしてピアノで音を探して追求すれば感動はする。今はとりあえず自分の中の感動を追求していこうと思う。先に何があるのかは今の所見えていないが、自分自身の魂が感動する音楽を演奏出来れば、それはそれで価値があるかもしれない。

どこまでも

Concert%20Flowers_resize.jpgコンサートをする際にやはり演奏者としてはぜひとも来て頂きたい、という気持ちがあります。日本だと遠慮がちにお知らせするが、来てもらいたい気持ちはとても大きいし、来て頂けないと相当がっかりします(笑)。日々心血注いでコンサートに向かうので、見栄や自慢ではない、上手く云えない違う気持ちなのだが。。。

そんな事をいつもコンサートの時に思うので、友人や知り合いのコンサートにはなるべく行くようにしたいと思っている。いつも(自分の練習含め)音楽と関わっているので、純粋に音楽を聴きたいという気持ちは意外と少ないのだが、やはり仲間として応援したいという気持ちや、どんな風に演奏が変わって来ているのか、その進化に興味を持って行く場合が多い。もちろん、自分の勉強になるというのも理由の一つ。

今週はこの事で色々と考えさせれました。フットワークは軽い方だが、さすがに自分のコンサートがある一週間前は人のコンサートに行くのは控えるようにしている。様々な理由があるが、単純に体調管理と云う面でも大事を取っている所がある。

しかし、今週は火曜日の本番前に関わらず日曜日に春海までコンサートを聴きに行きました。いつもコンサート前に弾き合いをしているMちゃんの第一生命ホールでの大きなコンサート。売れっ子のMちゃんは日本全国津々浦々でコンサートをしているので、聴く機会は色々とあるのだが、今回は相当思い入れがあり「自分が夢に描いていた事がやっと実現出来る!」という話をしていたし、私が2日後にコンサートがある事を知っていても来て欲しそうだったので、体調が良ければ行こうと思っていた。

そして、28日当日、体調はとても良かったし、自分の練習も早起きして順調に終わり、そして天気も良かったので(雨だと濡れて体調を崩す心配も出て来る...) 行く事に決めました。

行って本当に良かった(笑)。とにかくMCからソロ演奏、後半のアンサンブル演奏と素晴らしいステージを見せて頂きました。本当に今までの集大成のようでただただ感心するばかり。新たなエネルギーをもらって、自分の30日の火曜日のコンサートに臨めました。

そして今日もまた知り合いの方のコンサート。ロンドン時代にとてもお世話になった大家さんの歌のジョイント・コンサート。さいたま県の児玉という場所。数カ月前に話を聞いた時にインターネットで検索したらとても遠いので一時は行くのは諦めていたのだが、一ヶ月程前にチラシを送って下さったのでやはり行く事にしました。大家さんのAさんは日本人だがイギリスにもう数十年住んでいて、今でも私がロンドンでコンサートをすると必ず来て下さいます。今までの感謝の思いもあって今日は頑張って行こう、という気持ちになりました。

それにしても遠かった.......。午後2時からのコンサートなのに家を出たのは8時30分!!!途中で1時間半に一本しかない電車の乗り継ぎがあったのでこんなに朝早い時間になってしまった...(笑)。それなのに...!最初の肝心の乗り換えの電車が20分遅れて、その次の乗り換えの特急に乗れない事が判明。Kodama%20Station_resize.jpg車掌さんに相談したら「新幹線に乗れば、次の乗り換えに間に合います」と云われ、急遽新幹線に乗る事に。新幹線に乗らずに済むために朝早く出たのだが、裏目に出てしまった。

しかし、新幹線に乗ったおかげで最終的には児玉駅まで時間内に到着出来たので一安心。あとは駅から地図に書いてある徒歩15分と云う文化会館まで歩けば良かったのだが...。これがまた歩けども歩けどもなかなか辿り着かない...。結局は30分以上掛かってしまったと思うのだが、それまでの電車の疲れと歩いても辿り着かないと云う疲れが一気に出て来て、途中で本当に足が進まなくなってしまった。

%E3%82%AB%E3%83%84%E4%B8%BC_resize.jpg途中で「カツ丼」という無味乾燥な看板があり、お店の周りの植木もきれいに刈り込んであるし、人もぞくぞく入って行っていたので大丈夫だろうと思い、吸い込まれるように入ってしまった。ラーメンやチャーハンなど色々とあったが、思わずカツ丼を頼んでしまった。カツ丼なんて今までの人生で頼んだ事ないと思うんだけど...(笑)。よっぽど疲れていたんだと思う。それにしても、この食堂にいる人達が何とも素朴で温かな感じで感動してしまった。調理場が目前にあるのだが、カツ丼を食べている間の20〜30分に様々な人情劇を見せてもらいました(笑)。もくもくと調理している(手はきびきびと動いているのだが)温和そうなおじさん、笑顔が温かで「ありがとうございました」の言葉に本当に心がこもっているおばちゃん達、お客さんのおじさんが知り合いのおばさんが入って来て色々と話していたかと思うと、自分のお勘定を払う時にそのおばさん達の分もひっそりと払って行ったり...。そして、実はカツ丼もと〜っても美味しかった!なんかあのお店は本当に真心がいっぱい詰まっていたな〜...。

Kodama%20hall_resize.jpg元気をもらってやっとコンサート会場に着きました。何もない所にぽつんと建っていた文化会館だったが中がとても素敵に造ってあってびっくり。そしてピアノも素晴らしいのが置いてあってダブルびっくり。こういう所が日本の凄い所だな〜と思ってしまいます。

大家さんのAさんは3年振りだったが相変わらず若々しくてとってもお元気そう。そしてAさんの家で当時一緒に住んでいたMさんとも会えたので遠路はるばる行った甲斐がありました。

「コンサートに行こう!」という気持ちにさせられるのは本当に様々な理由があると思うが、今日はいつも本当に良くして下さるAさんの心に感謝しての小旅行となりました(笑)。

追記:帰りは文化会館から児玉駅までMさんが車で送ってくれたが、「これを全部歩いたの〜!!!?」と相当同情してくれました(笑)。

花と香りに包まれて

3月30日のコンサートはゲスト出演と云う事で久しぶりに私はコンサート運営の方には全く携わっていませんでした。なので、会場がどんな風になっているか知らなかったので、当日行ってみてびっくり。本当に「花と香りのコンサート」にふさわしく、会場には花と香りが溢れていました(笑)。

自分が主催に関わっているとどうしてもカラーが決まってしまうので、今回はとても新鮮な気持ちでコンサートに向かえました。好み的にどうしても「重い、深い、長い」曲を選んでしまうリサイタルとは違って、今回は本当にヴァイオリンの名曲集の伴奏とあって私も大きな気負いがなく、(ハプニングは付き物ですが...)共演者の方達とも終止楽しく過ごせたので、とってもいい時間となりました。

本当にたくさんの方に来て頂けてとてもいいコンサートになりました。本当に有難うございました。