Thoughts

May 2010

中国

突然ですが、明日から(今日から?)数日間中国に行って来ます。なのでブログもメールもしばらく滞ります...。内容は帰ってからのお楽しみ...(笑)。

背後にあるもの

今、音楽に関しての発見が毎日のようにあるので、書きたいものは山ほどあるのだが、忙しくてなかなかブログを書けないのがとっても残念。

しかし、今日特に心に響いた言葉に出逢ったので、その感動を忘れないうちに書き留めたいと思い、ブログを書いています。

近所に住んでいらして親しくしているMさんが生け花の花展に招待して下さいました。前にもご招待下さり、生け花の世界を私に紹介して下さった方です。今回はある流派のものだけだったので統一感のあるお花展でとても興味深かったです。

お花がメインの生け花の作品ばかりの中、Kさんは「葉」5枚だけでの勝負で本当に感服しました。削ぎ落としに落とした、勇気のある作品で究極のマイナス美でした。

そして、会場内に展示と共に書いてあった家元さんの言葉。
『目に映るものはただ色や形にすぎない。しかし、人が感動するのは目に見えない背後にある真(まこと)の姿である』

これはまさに音楽に云える事だと思う。特にクラシック音楽なんて世界で何千人(万人?)と同じ曲を弾いているのに、本当に感動する音楽を作っている人達というのは悲しい程に少ない。「真」を見いださない限り、「美しさ」だけでは感動は生まれない。
音楽の背後にある『真』の姿。自分なりに探し求め続けなくては、とつくづく思う。

距離感

季節が良くなって来るのと共に力がモリモリと湧いて来ています(笑)。つくづく冬が苦手なんだな〜と我ながら思う。

6月のコンサート準備に励んでいる毎日。練習もとても調子がいいので全然苦にならないが、新曲が多いのと弾き方が変わったりしているので、やたらと練習に時間がかかる。進歩があるのはいいが、他の生活面にしわ寄せが来ているような気がしないでもない。

この一年色々と考えてきた末に、段々と進むべき道筋も見えて来て、出来る事からやり始めているが、そのお陰で色々と発見がある。

その中で見えて来た大きな発見が音楽との距離感。これがなかなか難しくて20年近く悩んで来た事だと思うが、ここへ来てこの答えが出始めているような気がします。
完全に自分を音楽の中に投入したいと思いながらも、演奏者としては客観的な視点も必要である。この二つをどう同居させるかが自分にとっては最大の悩みだったように思います。

それが、少し前のブログにも書いたように「自分が感動する音、音楽をとにかく追求する」という練習を続けているうちに、答えが見えて来ました。「感動」している時というのは完全に自分が音楽の中に入り込めた時なのだが、その感動している自分を「見極める」という作業は客観視している自分なのである。なので、意図はしていなかったのだが、完全に自己投入している自分と客観視している自分が同時に同居できる状態が可能なのだと確信している。 

中学、高校の頃は自分の世界の中だけで音楽を作っていたので、この事が自然と出来ていたように思うが、大学に入ると外の大きな世界に魅せられて自分の音楽は大きく揺らいでしまったのだと思う。今は外の世界を知っていながら、自分の世界を再発見している感じです。やっと自覚を持った自分の音楽が作り出せそう。

追記:遅ればせながらコンサート情報をインフォメーションページにアップしました。
ご興味なる方はぜひいらして下さい!

上向き

自分の気持ちが上に向いて来て、「やっと抜け出せて来た!」と少しほっとしていたのだが、さらにさらに元気になって来た感があります。

ピアノも迷いがなくなり、練習も締まって来て、自分で弾いていても充実感が出て来ました。

そして、昨日は久しぶりに小学校からの大親友Kさんと久しぶりに会って、さらに心が軽くなって、とっても気分が晴れやかです。たまにしか会えないKさんだが、自分の人生にいなくてはならない人です。ここ一年、あらゆる事について考えては悩んでいて、ずーっと会いたいと思っていたのだが、なかなかチャンスがなく...。でも、久しぶりに会って、心が軽くなったばかりでなく、この一年悩んで来た事を完全にひっくり返してしまうような彼女のひと言で、とてつもないパワーをもらった気がします。
 
人が人に与えられる力って本当に凄いな〜と実感してしまいます。彼女の存在そのものに心から感謝。

トンネルの向こう

やっと抜けました(笑)。長いトンネルを抜けて久しぶりに心が解放された感じです。

気持ちが落ち込んだり、重くなったりしている時というのは一つだけの事が原因ではなく色々な事が重なってしまう事によって起きてしまうのだと思うが、抜け道も同じようにあらゆる事が相乗効果となって気持ちが解放されるのだと思う。

ここ数日、やっと晴天が一日だけでなく連続して素晴らしい快晴となっているのも、もちろん一つの要因。一日だけの晴天とは違って、空気も軽く、光も眩しい。

一つは6月に予定しているコンサートの曲目がやっと全曲、手のうちに入って来たという事。
今回はオーボエとのコンサートだが、一時間プログラムが二つ。ほぼ全曲が新曲なのでこの一ヶ月近くは譜読みがメインの練習。新曲というのは一日二日で出来上がるものではなくじわじわと自分のものになっていくので、ここ一ヶ月は自分のものになっていないものを大量に抱えていた状態。不完全な1時間半分の曲を抱えているのは気分的に相当もやもやします。
 先週、今週とオーボエとのリハーサルがあり、一応全曲を合わせました。初めての曲が多いだけに長時間のリハーサルとなったが、全ての曲の方向性が決まったので、相当自分の中での整理が出来ました。そして、今日は久しぶりの一日練習。今回のコンサートで弾くソロ曲もやっと暗譜をして、弾き込みを始められるところまで来ました。という事で、6月のコンサートの全体像がやっと見えて、もやもやしていたのもすっきり。

最後の決定打となったのが、今ロンドンから来日しているピアノの先生との会話。色々と考えたり、思ったりしている事よりも、今ピアノが弾けるという事に本当に感謝しなくてはという気持ちになりました。

今日、たまたまラジオを付けていたら、書道家の方(武田層雲さんだったと思う)のインタビューをしていたが、彼は何事にも感動すると云う話をしていました。自分も相当の感動屋だと思っているが、この人は比ではなかった(笑)。朝起きた瞬間の布団の感触から、床に足を置いた時の感触、顔を洗う時には水の素晴らしさ等などに感動するらしい。本当に日々の生活の中にもあらゆる感動は存在しているんだ、とはっとしました。

色々と考えたり、思ったりする事も必要だとは思うが、今はそれももう一区切り付けて、とにかく今出来る事、今自分のいる状況に感謝して頑張ろう、と今日の夕方頃(笑)にはっきりとポジティブに思えるようになりました。

バランス

音の大きさという問題は一人でもなかなか難しいのに、アンサンブルとなるとさらにややこしい。演奏者はホールの大きさや響きを考えた上で相当調整はするのだが、やはり本番前には客席で誰かに聴いてもらって意見を云って頂く事が多い。

先日、おこなったヴァイオリンとのコンサートでは、調律師の方がリハーサルを聴いて下さっていらしたのでピアノのふたの開け具合や音量などの感想をお聴きして本番にのぞみました。

そして、実際のコンサート。印象や好みによって感想も本当に様々(笑)。「ヴァイオリンとのバランスが良かった。ピアノがあんまり出過ぎるとげんなりしちゃうのよね〜。」や「ヴァイオリンの音が浮き立って聴こえて良かった。」という意見もあれば、『ベートーベンは「ヴァイオリン・ソナタ」じゃなくて「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」なんだから、ピアノがもっと対等でも良かったんじゃない?」』や「ピアノが伴奏に徹していて物足りなかった」というご感想も。

全ての人を満足させるとことはもちろん出来ないのだが、色々な意見を胸に色々と考えさせられます。

人の感想や意見というのは本当に貴重です。どうでも良い演奏だったら意見も感想も云って下さらないのだろうと考えているので、時間を取って聴いて下さっている人の感想は良いにしても悪いにしても大切にしています。

前回のブログで書いた発表会で弾いた時の母の言葉やその時の情景は今では自分の財産です。子供ながらにショックだったし相当傷つきましたが、それ以来私は日本にしろ、海外にしろ、大きな会場で弾いても一度も「音が小さい」とは人に云われた事がない(笑)。口もきいてくれないくらいに不機嫌になってしまった母の態度も相当なインパクトと影響力はあったと思っているが、高校生の時に云われたその言葉には本当に今では感謝している。