Thoughts

January 2011

不思議な事

昨日のブログで日々の中の小さな感動について書いたが、日常生活の中には不思議な事も多々あるものです。

%E3%82%86%E3%81%9A%EF%BC%92_resize.jpg久しぶりに家の庭掃除をしていた時の事。窓の周りの柵に細いながらもツタが幾重にも絡まっていました。枯れた葉っぱがたわわに着いていたので、ドライフラワーのようで何となくそれも素敵だな〜と思っていたのでそのままにしていましたが春も近づいて来るので取る事にしました。柵を壊さないように丁寧にツタを一つ一つ解きながら取って行ったのですが、たくさんの葉っぱとツタを取って行くうちに何だか奥の方に黄色いものが見えて来ました。『?』と思いながらツタを全部取り去ると、真っ黄色の「ゆず」のようなものがちょこんと窓辺に乗っかっていました。表からは全く見えていなかっただけに本当に不思議。%E3%82%86%E3%81%9A%EF%BC%93_resize.jpg窓は目の高さよりも高い位置にあり、おまけに最初はツタと葉っぱで全く見えていなかったのだから、どう考えても誰かがそこにそれを置いたとしか思えない。おまけにそのゆず(?)が本当に見事なまでに傷一つないきれいな形なので何だかどこかの誰かからプレゼントされた気分になってしまいました。その日に庭仕事していなかったら完全にしわしわになっていただろうから、凄いタイミングだと思う。 
一旦は家の中に持ち込んだものの、何だか、だんだんとお供えされたもののような気もして来たので、元あった場所に戻しておきました。
それにしても、未だにこの謎が解けない。でも、解けないままがいいのかも...。

ほのぼの

毎日とっても寒い。寒いのは嫌いだが、空気が澄み切っているので毎晩星がとってもきれい。日常の中にも、小さな感動はいくらでも存在していている。

先日、生徒のレッスンに行くバスの中での出来事。
バスに乗ると、小さなセーラー服姿の女の子が一番前の席に座っていましたが、私が後ろの方に座ると私の真後ろの席に移動して来て何やらごそごそとしだしました。バスの中は私たち二人だけだったので「なんでわざわざ移って来たんだろう?」なんて思っていたが、しばらくすると、小さな声で何かを云っている様子。良く聞くと本を朗読しているよう。「これじゃ〜せっかくの男前が台無しだ〜」という情緒たっぷりの声が。床屋にたてがみを切りに行ったライオンの話でした。「チョキ、チョキ、チョキ、チョキ。」ライオンが寝ている間に床屋が失敗してどんどんライオンのたてがみを切っていってしまう話らしい。かわいい声で、困ってしまっている床屋さんやライオンになり切っていて、それはそれは楽しい時間でした。最後の肝心のおちがバスのエンジン音で聞こえなかったのが心残りだが...(涙)。

楽しかったな〜なんてほのぼのとした気持ちになっていたら、
「ある所に泣き虫のこぶたくんがいました」と次の話がはじまりました(笑)!
ここで目的地に着いてしまったのだが、後ろ髪を引かれる思いでした。

寒い毎日だけど、こんなちょっとした事で心があたたまります。

元気

溜めてしまったAからの手紙
Letters%20from%20A_resize.jpg練習を始め、色々な事が軌道に乗って来ていて身体も心もとっても元気。
元気になって来た今となっては、つくづく去年の夏頃から元気がなかったんだな〜と思う。ブログも滞りがちになって、色々な人から「元気なの?」と心配されたが、自分ではあまり実感がなく「書く余裕がないだけだよ」と答えていたが、ブログも元気のバロメータの一つになっているんですね(笑)。

元気がなくて、滞っていたものの一つが手紙書き。意外とまめな方ではあると思うが、気付かないうちに膨大な数の手紙が溜っていた。クリスマス・カードは一応出したものの、逆に長い手紙を頂いていた人には返事を書けず仕舞いでした。

Letter%20to%20A_resize.jpgやっと心の余裕も出て来たので、手紙も書けるようになって来ました。

ず〜っと気になっていたスコットランドの友人からの手紙。夏から合計で3通。おまけに一通がA4裏表4〜5枚という長編。返事を書いていないにも関わらず、毎回冒頭に「ずっと手紙書いていなくてごめんね」と書いてあって...。

やっとこちらもちゃんとした返事が書けて、とっても気分がいい。人とのコミュニケーションも上手く回りだして来て心の中の風通しが良くなって来ている気がします。
                             返事も当然長い(笑)。

余計な事

前回のブログを読むと、何だか曖昧過ぎて怪しい感じかも、と心配になって来たのでもう少し詳しく書く事にしました(笑)。

弾いている時の肉体的な快感と書いてしまったがこれは気持ちがいい、とか心地がいいという事ではなく、楽に音楽の流れに任せて自然体で身体が動けているかどうかを指している。テクニック的な難しさから指を必死に動かそうとするあまり腕や肘、手首に負担が掛かったり(腱鞘炎の原因にもなる)、思い入れが強くて肩や顔に力が入ってしまったりするので、それをいかに脱力して「楽」に弾くかを追求してしまっていたのです。

そして、もう一つの落とし穴だったのが、自分の思いの限りを表現している時や自己実現が出来ていると思っている時に生じる快感。これは発散であったり、充実感/満足感であったりするのだが、これも見当違いな事でした。

音楽の本質が見えて来た今となっては、それは本当に余計な事で音楽とは関係ないところに存在しているものでした。こんなに長い間勘違いしてしまっていた自分が恐ろしい...。

謙遜

毎日規則正しく練習出来ているせいか、日々進歩があり、どんどんとコンサート準備がはかどっている。新年になってからフォーカス出来るようになって心も身体も調子がいい。

「謙遜」という事を意識して音楽に向かうようにしていたら、どんどんと音楽の本質が見えて来ました。いかに今まで自分の感情が音楽そのものの邪魔をしていたかがつくづく分かる。イギリス時代の先生の影響でピアノを弾く時の肉体的な快感というか安定感を追求してしまっていたように思うが、今は全く自分の感情や身体の感覚さえもを削ぎ落としに落として音楽を純粋に追い求めているので、肉体的な快感は全くなくても精神的な快感が相当ある。やっと音楽に辿り着いている気がして、凄く嬉しい。

音楽自体が持っているパワーは自分の感情なんかをはるかに越えているので、音楽に内在している凄い発信力を感じてる。こちらも相当気合いと集中力がいるので、夜になるとくたくたになるのだが、練習から元気をもらっている事も確か。調子のいい今のうちにどんどん前に進まなくては!

舞踏会の手帖

「舞踏会の手帖」というとっても素敵な映画を観に行きました。1937年制作のフランス映画。白黒映画はあまり興味がないのだが、「イタリアのコモ湖が舞台だよ」と云われ、いそいそと出掛けて行きました。

(内容を知りたくない人は以下は読まないで下さいね)

透明

前回のブログで「謙遜」と「透明」というのを課題にしていると書いたが、この「透明」という言葉がさらに発展している。

「自分を透明にする」というのはとても曖昧なようだが、自分の中では感覚として音楽に対しての自分の立ち位置というのが定まった気がします。透明な時と透明でない時が良く分かるようになったので、自分で修正出来るようになっているのが大きな進歩です。おまけに「自分を透明にする」という事を目指していたら、音までもが透明になる瞬間があって、実は私はそういう音を目指していたんだったという事を再発見している。中学生くらいの時(自分がまだ純粋だった頃という事だろうか!)にはそれが自分にとっての最大の目標だったのを思い出しました。勿論、今となってはそれだけでは足りなかったという事がよく分かるのだが、自分にとっては大切な「透明度」をすっかり忘れていた事に気付きました。(いい音が必ずしも透明とは限らないのがまぎらわしい。)原点に戻った感があるが、とにかく今練習が楽しい。今まで自分で作っている音楽のはずなのに「ちょ〜っと違うんだよね〜」といつも何だか違和感が残ってしまっていたのだが、やっと今、自分の作っている音楽がしっくり来ている実感がある。

大分前に知り合いの方がある料理研究家の話をして下さった時に、「その方は野菜を茹でていると、野菜が一番美味しい瞬間が分かるんだよ。野菜が透明になる瞬間があるらしい」と云っていたが、私もいつも料理をしている時にこの事は感じていた。ずっとお鍋の側で茹でている人参を見ていれば、透明になる瞬間は素人でも分かる。

自分は今音楽を作っている側だから、こうして色々と考えたりして試行錯誤でこの「透明」を探さないといけないのだが、聴いている方としては感覚的にこの音の違いが分かるはずだと信じて、今一生懸命練習に励んでいます。

謙遜と透明

Christmas%20wreath_resize.jpgキリスト教の暦ではクリスマスは12月25日に始まり1月6日に終わる事になっている。なので、クリスマスの飾りも昨日まで飾ってありました。今回は生徒達のコンサートがあったので、相当気合いの入った飾り付けだったが、片付けながら、「良く頑張ったな〜」と自分の頭を撫でてやりたい思いでした(笑)。どうりで忙しかった訳だ...。

クリスマスとお正月も過ぎて、やっと何だか精神的にも落ち着いて来ています。 クリスマス・カード書きやプレゼント、年賀状、と人との触れ合いが楽しい時期のはずなのに、それが妙にプレッシャーになってしまった昨年暮れだったが、今年はもっと心の余裕を持ちながらその季節を迎えたいものです。

新年になってからは練習も大分軌道に乗り、久しぶりに本格的に音楽を追究出来る心構えになってきました。昨年の暮れに色々と自分の中に新しい風が入るきっかけとなる言葉が二つあり、今はその二つを軸に練習に励んでいます。一つは「謙遜」。これは音楽に対してではなく、全体的な事で私自身の中でバランスが悪いのではないか、と指摘された事でしたが、実生活での自分の動向をどのように変えたら良いのかあまり分からなかったので、一先ず音楽の中で理解しようと思った所、すぐに自分の音楽の中での「傲慢さ」を発見する事が出来ました。いかに音楽の前で謙遜であるべきか。自分でも今まで気を付けていた事だが、自分の感情や心を差し出す事が謙遜と誤解していた事に気付きました。

そして、これと同時進行で大きく共感出来た言葉が「自分が透明になる事」。「透明」という言葉は自分の中からは出て来なかった言葉のように思う。いつも自分をなくす事、(エゴをなくすという事だったと思うが)を考えていたように思うが、それでは「自分」をどう表現したらいいのか、という事と相反していてなかなかそのバランスが取れなかったように思う。しかし、自分が透明であれば、音楽も自分も共存出来るという事で、これも自分にとってはとても大きな発見でした。

自分がどれだけ謙遜で透明になれるかが今の課題です。

お正月色々

新年になって心新たに。ブログをぜひまた軌道に乗せたい。

お正月の間にテレビでは色々と特別番組が。その中からいくつかピックアップ。
まずは「将棋番組」。延々とやっていたが、将棋を知らなくても「ピープル・ウオッチング」として相当面白い。「ダブル脳内将棋(二人一組で将棋盤なしで脳内で対決)」というのをやっていたが、あまりの緊張感に全然何が起こっているのか分からないのにどんどん引き込まれてしまった(笑)。究極の音楽体験もそうだと思うのだが、実際の音とは関係ない所で引き込まれる演奏家はいるように思う。以前アメリカ人の友人とピアノの巨匠ミケランジェリの話をしていた時に「彼の演奏は耳が聴こえない人でも感動するような気がする」と話した事があるが、今回見た脳内将棋も感動がありました(笑)。人が何かに究極的に集中する姿に感動しているのかな〜...。


番組変わって『文楽』。これは昔から不思議な芸術だな〜と思っていて、今でもテレビで見る度に「観察」してしまう。まず、人形を動かしている人は思いっきり派手な着物で顔も見せているのに、その後ろには何人も黒子がいるのがとっても不思議。なぜ人形を動かしている人も黒子ではないのだろうか?私からすれば、やはり人形よりもどうしても人間の方に目が行ってしまう。あの黒子も姿を消しているつもりなんだろうが、背景に色が付いているんだから余計に目立っている気がしないでもない。、黒子もわざと目立つようにしているのだろうか...などなど色々な事を考えてしまって全然人形の方に集中出来ません(笑)。
しかし、最近になって人形師の技に注目するようになった。人形と一体となって完全に自分も感情移入して顔の仕草も表情も変わる方もいれば、完全に人形を見据えて客観的な立ち位置で動かしている人形師もいて面白い。自分はピアノ前で、どうしたいんだろうか、と考えさせられる。

最後にトロントの大学で開かれた討論会。イギリス元首相のトニー・ブレアと有名なイギリスの作家/ジャーナリストのクリストファー・ヒッチンズの二人の対決。議題は「宗教は世界にとって有益かそうでないか?」。ブレア前首相はカトリック信者という事で宗教を擁護する答弁だったが、相手のジャーナリストは無神論者。私のヨーロッパの友人達の多くが無神論者なのだが、本当に愛情深く、道徳的にも秀でているし、時々私の知っているクリスチャンよりもよっぽど隣人に対しての情に深いな〜と思う時もあるので、どのような考えのもとに無神論者になんだろうかといつも興味があった。このヒッチンズさんは一例に過ぎないのだろうが、相当説得力があったのと、やはり私なんかが想像するよりも遥かに「人間が本来持っているであろう善の可能性」それから「人間が本来持っているはずであろうお互いに対する人間愛」を信じているような印象を受けた。面白い事にこの討論会の前と後に投票をおこなっていて、人の考えがどのように変わるかが分かるようになっていた。結果は多くの人がヒッチンズさんの意見に傾いた圧勝だったが、信仰を持っている私としても多いに賛同したい事はあった。無神論者になる訳ではないが彼の考えから学ぶ事は多かった。

テレビの話題ばかりになったが、ピアノももちろんちゃんと練習しています(笑)。
今自分のピアノも相当大改革している最中だが、外からも色々取り入れたい時期でもあるような気がします。今年は絶対にいい演奏が出来るように頑張ります!

新年

明けましておめでとうございます!
皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。

昨年はブログが滞りがちになってしまいました。
色々な事が上手く回らなくなってしまったせいだが、新しい年になって新しい形で自分の生活も軌道に乗せられるように頑張りたいと思っています。

どうぞ今年も宜しくお願い致します!