Thoughts

September 2012

知るという事

色々とコンサートの予定が入り始めて、にわかに忙しくなりそうだが、まだプログラムや楽譜が手元にないのでその前に出来るだけ、外から多くのものを吸収するように心掛けている毎日です。

先週、俳優座の「かもめ」を観に行った時に、次回公演の「いのちの渚」のプレイベントとしての「低線量・内部被爆と福島の子供たち」という講演会のチラシがプログラムに挟み込んであったので、先日行ってきました。前半は俳優座劇団員による劇、そして後半は原発反対を掲げている「フクロウの会」代表の方が講師としてお話をして下さいました。

原子力については人それぞれに意見を持っていて、今はとてもセンシティブな問題だと思っています。
放射能に関しても、震災後にメディアを通してあまりに多くの情報が飛びかっていて混乱していただけでなく、当時は精神的にも情報や知識を吸収し切れる状態でなかったと痛感している。なので、原子力を賛成,反対するかは別として、機会があれば出来るだけ自分の意見を持てるように知識は取り入れたいと思っているので、この俳優座の講演会はとてもいいチャンスでした。

劇はとても分かりやすい上に、重い、怖い内容をユーモアを交えて作り上げて下さっていたので、今までおぼれげにしか分からなかった事が随分と整理出来ました。講師のお話では、震災直後の福島の様子や、福島の子供たちを守るためにどのような活動をして来たかなど、全く知らなかった事をたくさん聞く事が出来ました。偏った見方を一方的に押し付けるような感じもなかったので、色々と考えるきっかけを頂いたと感謝しています。

復興や原発の事はいつも心の隅にありながら、なかなか音楽家として自分に出来る事が見えないでいるのだが、今回の俳優座の講演/公演は芸術の分野で出来る事を見せて下さっていて、凄いな〜、と羨ましく思いながら帰って来ました。

悲喜劇

チェーホフの「かもめ」がジャンル的に「喜劇」に入る事がどうにも気になって、色々と考えたり、調べたり。

実際に劇を観ている時は、どっぷり浸かってしまっていたのですっかり「重さ」や「深さ」に身を任せてしまったのだが、数日たった今、冷静に考えてみると、人間や人生の滑稽さや皮肉がエッセンスとして心に残っているので、これは喜劇でも全然ありなのではないかと思えて来た。色々と調べていたら、初演の時の演出家が重い、暗い演出をしようとしたのに対して、チェーホフが「これはコメディーなんだから!」と大激突した記録が残っているらしい。

確かに何場面か台詞の切り替えがあまりに唐突な時があって、感情的に付いていけない所があったのだが、意外と軽い演出だったら切り替えがスムースなのかも、と思ったり。おまけに、軽い流れで持っていったら最後の悲劇ももっとインパクトのあるものになるのかも、と思ったり。

なので、今までこの「かもめ」を軽い演出でしたプロダクションはないかと調べてみたら,実はいくつかあるらしい。この「かもめ」のロシア語からの英訳は1998年から2004年の間だけでも出版されたものが24もあるらしく、それだけ解釈が広いという事なのだと思うのだが、それなら演出もいくらでも広がりそう。過去に海外で公演された軽いバージョンの批評もいくつか見付けたのだが、意外だったのがつい先月鳥取で笑えるバージョンをやっている劇団があったらしい。鳥取というのがまた面白い...。いつかぜひユーモアを前面に出したものも観てみたいな〜。
名作の懐は限りなく深い。

チェーホフ

ここ数日、一月に大感激した俳優座の事を何故か思い出し、色々と調べてみたらちょうどチェーホフの「かもめ」をやっているのを発見。急遽行く事にしました。

%E3%81%8B%E3%82%82%E3%82%81_resize.jpgチェーホフはロンドンでもしょっ中上演しているのだが、あまり評判のいいものに出逢えず,今まで避けて通っていた作家でした。いつか観たいな〜とは思っていたが。なので、今回、初めてチェーホフが観れると思い、ちょっとワクワク。

俳優座の稽古場での公演とあって、席数も少なく、平舞台な上に席が一列目だったので、俳優達がとっても近い。ライブの醍醐味を存分に味わえました。

チェーホフがこんなにも共感出来る作家だったのか、ととにかく感動。作家の思考の仕方、ものを作り出す苦しみや葛藤、喜び、名声や評価に対しての憧れ、虚栄心、軽蔑、が色々な人物を通して表現されていて,本当に素晴らしい。今まで持っていた、チェーホフの「重い,長い」というマイナスイメージが一気に吹き飛びました。「重い」という事は「深い」という事であり、あそこまでの深みに辿り着くには時間も必要なのだから、「長い」とも全く感じない。

チェーホフの作家としての素晴らしさは別として、ストーリーはというととにかくとにかく悲しい。終わってから本当に無性に悲しくなってしまいました。皆があまりに報われない一途な愛に心を痛めていて...。一番純粋なはずの「作家」が唯一フラフラしているのが気になるが。

それにしても、俳優座って本当に素晴らしい!前回の「カラマーゾフ兄弟」も大感激だったが、今回の「かもめ」もとにかく自然体なのが凄い。演劇特有の型が全くない。国も時代も違う劇をあんなにも自然に表現出来て、そして受け取る方も自然に受け入れられるって本当に凄い。型を感じさせない俳優座の型というのがある気がする。

チェーホフに感動し、俳優座に感激。本当にいい時間を頂きました。

追記:この「かもめ」。とにかく暗いし,悲しくなっちゃったのだが、今ちょうど練習しているロシアの作曲家のムソルグスキーの「展覧会の絵」と共通するところが多い。手を付ける前は明るいイメージの曲だったが、練習してみると「なんでこんなに暗い曲ばかりなんだろう」とその影の部分が際立って来ている。面白い事に、色々と調べていたら「かもめ」のジャンルは「喜劇」に属すると英語のサイトに書いてあった。チェーホフが手紙に「喜劇を書いている」というのがその理由らしいが、書き上がった後もこれは撤回していないらしい。まぁ、確かに見事に誰の愛も報われないと云う意味では喜劇になるのかな〜...。深過ぎる...。

金魚

%E9%87%91%E9%AD%9A%EF%BC%91_resize.jpgこちらは実際の展覧会。
今、フェルメール展もやっているが、最近は何か刺激の強いものを求めているせいか、もう少し強烈な展覧会に行きたくて日本橋の三井ホールで開催されている金魚をアートにしている「アートアクエリアム」へ。
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日本橋にぴったりの催し物。三越前の駅を降りてからの照明の雰囲気がもう既に重厚感たっぷり(笑)。あまり降りない駅なので、まずその雰囲気の良さにうっとり。

%E9%87%91%E9%AD%9A%EF%BC%94_resize.jpg会場はと云うと、とてつもない人でごった返していました。人がの多い所は極力避けたい人だが、何となくお祭りの賑わいの感じがして、これはこれでいいのかもと思ったり。

そして、肝心の金魚アート。とにかくきれい。色々と難しく考えずに本当に楽しめました。水族館も大好きだが、それに音楽や光や水槽の形や配置によってアート化させているので、不思議な感動がありました。(行く前に色々とインターネットで調べていたら、これは金魚に対しての虐待としか思えない、というコメントを見て色々と考えてしまったのだが、金魚達はみんな元気に泳いでいたので、少しほっとしました。)

京都に行った時に店先やお寺の隅にカメの中の金魚と水草の色合いに感動する事が多かったのだが、その金魚をここまでのアートに仕立てあげているというのがとにかく凄い。斬新でいながら、日本的な発想で本当に素晴らしかったです。粋な日本の美意識を堪能出来た大満足の展覧会でした。

(9月末まで開催しているので、興味ある方は是非観にいらして下さい!)

プロムナード

「展覧会の絵」。弾けば弾く程、ムソルグスキーの感受性の豊かさに唸らされている。
今まで聴いただけでは気付かなかった発見が多々あってつくづく面白い。

今,特に興味を持っているのが、絵と絵の間に挿入されているプロムナード部分。絵を見終わった後の余韻が残ったまま歩いているんだろうな〜とか、ここはきっと太陽光がサンサンと入る大きな吹き抜けの廊下なんだろうな〜とか、次の絵に向かって歩いている時に、先にある絵がちょこっとだけ目の隅に入ったんだろうな〜とか、弾きながら美術館を歩いている感覚に陥ります。日本の美術館は部屋の内装や壁の色が極力ニュートラルにしてあるが、外国の美術館は部屋の壁や天井に装飾や彫刻がしてあったり、壁の色が赤とか緑だったりもするので、絵と絵の間を歩いている時も何か体全体が刺激されているように思う。その感覚をムソルグスキーが見事に音楽にしていて本当に素晴らしい。主役の絵と同じくらいに、それぞれのプロムナードもそれぞれに感じれるように演奏出来るようにしたいですね。

展覧会

「展覧会の絵」。さすがに練習すればする程、じわじわと難しさが分かって来ました(笑)。それにしても、音数は意外と少ないのにスケールがやたらと大きい。さすが、ロシア人。ピアノがわんわん鳴って気持ちがいい。

BEAT%20TAKESHI1_resize.jpg展覧会といえば、もう終わってしまったのだが、東京オペラシティー アートギャラリーでやっていたビートたけしの「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」を観て来ました。フランスでやっていた展覧会を東京に持って来たものらしい。絵も上手くて(上手いというのか?)びっくりだが、発想とか想像力がずば抜けていると云うか奇想天外で、ここにも天才振りを存分に発揮していました。意外だったのが、全ての作品がとにかくカラフル。そして面白いだけでなく楽しい。この人の世界はこんなにも色に溢れているんだな〜と感動しました。

BEAT%20TAKESHI2_resize.jpgオブジェやインスタレーションには題名が付いていたが,絵に関しては全てがタイトル無し。題名が無いだけで、こんなにも縛られずに楽しめるものなのか、と今までに味わった事の無い開放感がありました。ビートたけしさんがインタビュ−で、「深く考えないでとにかく楽しんで欲しい。意味を考えようとしないで欲しい。意味なんて無いんだから』と仰っていて本当に潔いな〜なんて思っていたが、題名が無いという事で、頭を通さずに心で直接的に感じる事が出来たように思う。

最近,音楽に関しても思うのだが、言葉で色々と考え過ぎのような気がする。イギリスの大学に行って最初にショッキングだった事は、音を通してだけではなく、皆が自分の表現したいものを全て言葉にして説明出来る事だった。「言葉」がとても重要視されているお国柄もあると思うが。私も随分とそれは訓練されて出来るようになったと思うが、最近は逆に弾いている時に言葉をつかさどる脳の部分が働き過ぎているように感じている。もっと純粋に感じる事だけに徹して弾けるようになりたいな〜と思う。

想像力

もう9月。久しぶりに雨も降り、まだまだ暑いながらやはり夏が終わりに近づいている気配。

この夏は日本でのんびりと。春が異常に忙しかったのと、体調を崩しまくっていたので、とにかく生活と健康を立て直すのに専念しました。家や書類の整理から始まり、溜まりに溜めていたメールや手紙の返事、貸して頂いた本やDVD,CDを聞いて、やっと秋から再スタート出来そうです。

暑いながら、A君のチェロ・リサイタルのお陰でピアノも張り切っています。8月は前から弾きたいと思っていた「展覧会の絵」を練習し始めました。時間的に長い(35分程)曲なので、なかなか手を付けられずにいたが、本気で練習をしだしたら思っていたより譜読みはそんなに大変ではなく、意外でした。弾き込みはこれからなので、これからが大変だと思うが、曲自体は分かり易いし、和声的には難解ではないの暗譜もし易い。ムソルグスキー自身、短期間で書いただけあって、感覚に訴えるところが大きい。それだから入り込み易いのかしら。

ムソルグスキーが展覧会で観た絵を曲にしているのだが、題名も付いているのでとても音楽的に想像しやすい。歳を重ねて、色々と指の柔軟性が無くなったり、無意識の攻めのエネルギーが減っている代わりに想像力がとにかくたくましくなっている気がします(笑)。学生時代の最大の悩みの一つが演奏家としての想像力が無さ過ぎるのではないかだったが、今では苦しんで探さなくても、あらゆるイメージが沸くようになって楽しい。音楽が直接、自分の心や思い、経験や記憶と一致するようになって来ているからだと思う。

それにしても、邦題「小人」と付いている曲は英語だと「Gnome」となっていて、これはよくアメリカやヨーロッパの庭に置いてある赤い帽子をかぶっていて白ヒゲのある、ほのぼのとしたイメージのあの小人です。ムソルグスキーはロシア人なので英語の訳も合っているのか分からないが、それにしても、曲自体は相当不機嫌な人相の悪そうな小人の感じです。ムソルグスキーが実際に観た展覧会の絵は現在残っていないので実際はどんなだったか分からないのだが、この世の中に恨みたっぷりの怖い感じの小人を想像しちゃっています。

元の絵が残っていないだけに、自分で一曲一曲想像出来るのは逆にとても楽しい。おまけに絵ではなく、音楽を通しての感じ方になるので、時間的、空間的な3次元の想像になるので想像力もどんどん幅が広がっています。広がり過ぎかも。。。