Thoughts

May 2013

本気の意味

「本気」話題でしつこいのだがついに答えが出た(笑)!
私なりの答えだが。

今日も「本気」で練習していたがちょっとでも気が緩むと歌いたくなったり、きれいな音を出そうと気が違う所にいったりして、「本気」モードからずれてしまう。それでも、相当「本気」が身に付いて来た感がある。

そして、今日ついに「本気」とは何かの答えが出たのだ。
辞書等を引いてもぴったりいくものがなかったし、先日ピアニストの友人とこの話をしても「本当に気を入れて弾くと...」と言い換えられたりして、「ちょっと違うんだよね〜...。」と思っていたのだが。本当に気を入れて弾くという事は今までもやっていたし、気を入れ過ぎて空回りする事もしばしば。辞書では「真面目に取り組む」とか「真剣に」とか書いてあったがこれも今までやって来た事ではある。

しかし、今の自分にとっての「本気」の意味は「本来の気」という事に気が付きました。(中国人に訊いてみたい気もする...。)自分が本来持っている気をあるがままに音に還元するという事を今しているのだと分かりました。
これが相当上手くいっている時というのは自分さえもが消えている感覚がある。

ついに「自分」と思える音が出て来たのではないかと思っている。

現在=3秒

昨日、夜中にやっていた指揮者カラヤンのドキュメンタリーで特に興味深かったのがカラヤンが科学者とのコラボで「現在」という事を解析していくという場面。楽器奏者に色々な器具を付けて調べていくのだが、どういう風に結果に辿り着いたのかは詳しくは説明してくれなかったが、人にとっての「現在」は3秒だそう。瞬間的なものではなく3秒もの間を「現在」と感じるのが面白い。

最近のマイブームが「本気」だが、この「現在=3秒」を聞いてとても納得がいく。ピアノだけでなく、本気で何かに向かうという事が何かと云うのをずっと考えているのだが、この「現在」にいかに自分の全てを投じる事ができるかということなのだと思う。ピアノの事でいえば、長い、スケールの大きな曲が好きなだけに、自分の「本気」が長さや大きさに薄められていたように思う。今は現在の3秒に全てを投じる感覚を思い出している感じで練習している。(子供の頃の方が構成やスケール感なんて考えずに弾いていたので、瞬間瞬間に自分の全てを凝縮して弾いていたように思う。)

「本気」も色々な形がある事も発見。最初は殺気すら感じるアグレッシブなものばかりになっていて、自分でも相当押しの強い怖い音楽になっていた感があったが、最近はそればかりでない柔らかい、優しい「本気」モードも見えて来ました。

相当曖昧な文章になってしまった。
読んでいる人は分かるのかしら...(笑)。

「本気」になった時の音楽でもう一つの発見は、申しわけないが丸っきりお客さんというのを意識していないという事。メッセージ性やいかに美しい音を、とか、感動させたいとか、いかに分かりやすく、伝わるように、というのも全く考えなくなってしまった。

作曲家さえも今は消えている。今までの身に付いた知識や感覚を信頼して、自分と「音」しか存在しない音楽。しばらくはこれで試行錯誤してみようと思う。

本気

ニューヨークでのコンサートをきっかけに色々と発見があったり、会った人達との会話の中で考えさせられたり、インスピレーションを受けたり、と本当に収穫の多い旅でした。

コンサートに関しての直接的な大きな発見の一つ。前日に調律に関してのハプニングがきっかけで、変な不安に苛まれて珍しく前夜に眠れなくなってしまったのだが、その時に前に知り合いの方から頂いた「腹をくくる」と云う言葉を意識的に実践して心を落ち着かせようとして気付いた事がありました。今、自分が目指している演奏では腹はくくれないのだ。腹の中を全てさらけ出す演奏をしようと思ったら、腹をくくってはそれが出来なくなってしまう事に気付きました。そこで、この不安も緊張ももう受け入れるしかないんだと云う事に腹をくくりました(笑)。

もう一つ、今の自分の演奏(というか練習)に大きな影響を与えている言葉。全然音楽とは関係のない話をしていた時だったのだが、「みほちゃん、本気じゃないでしょ?」と云われました。私は最初は「気持ちは凄くあるんだけどな〜」と反論したのだが...。しかし、よ〜く考えてみると「気持ちが凄くある」のと、「本気」は全然違う事に気付きました。そして、色々と自分の他の事にも当てはめていくと恐ろしい事が見えて来ました。
自分の音楽ももしかしたら...???ピアノに関してはいつでも全力投球だし、一音でも多く良いものにするために一生懸命だし、練習は何をするよりも最優先だし、真剣に音楽とは向き合っているのだが、「本気」かどうかと問うてみたら、意外な事にこれがいつの間にか落ちていたような気がして来ました。

小さい時はいつでも本気を出さなきゃ難しい曲は弾けるようにはならないので、意識しなくても本気は出していたように思うが、いつの頃からか、「音楽の自然な流れ」だの「いかに脱力して弾くか」とか「音色やフレーズの美しさ」や「楽しく弾かなきゃ」という雑念にその「本気」が埋もれてしまっていたという事に気付いて来ました。

ここ最近、自分の演奏がどうにも下手になっていく気がして、どうしようかと困っていたのだが、ここに来て一番大切な事が見付かった気がします。

この「本気」でここ数日練習しているが、出て来ている音楽が全く違う。「これこそが自分の音楽だった」と思えるようになって来ました。
「本気」と思うだけで、なぜこうも出て来る音楽は違うのだろうか?「本気」って何だろう、と不思議でもあります(笑)。