Thoughts

January 2014

思いやり

                             釜石の朝焼け
%E9%87%9C%E7%9F%B3%E2%80%9914_resize.jpg一年一ヶ月振りでまた釜石に行ってきました。
一年に一回は行きたいと思うのだが、なかなか仕事の調整が付かず、一年を過ぎてしまいました。今回の活動は三日間。イベント等もなかったので、仮設住宅の集会所でみなさんが集まれる場を提供する「お茶っ子サロン」の主催のお手伝いが主な内容。手芸やゲームをしたり、お茶を飲んだり、新聞を読んだり、と皆さんが思い思いに自由に過ごすのだが、「何かをしながら」自然と話が出来る場を提供している。傾聴、心のケアが目的となっている。

仮設にいらっしゃる方は,一人一人がそれぞれに深い傷や大きな悲しみを背負っているのだが、今回は本当に「時間による癒し」を感じる事が出来ました。どんな人でも負った傷というものは消えないものだと思うが、やはり時間が経つと、それは生々しいものではなくなり、最初の頃は血が出たり,膿みが出たりしたものがかさぶたが出来るように、今回の皆さんのお話やお話する様子を見ると、あの地震との「距離」を少しだけ感じる事が出来ました。一緒に手芸をした優しそうなおばあちゃんが「あなたと同じくらいの娘がいたのよ。流されちゃったけど...。」とそれはそれは悲しそうな目をしていらしたし、小学生の女の子がトランプしながら「おじいちゃんはいるけど、おばあちゃんは流されちゃった」と話してくれると、心の中では本当に悲しくなってしまうのだが、皆さんの雰囲気が前とは比べ物にならないくらい良くなっているのを感じて「人って凄い力を持っている!」と、本当に勇気づけられました。

最後の日は、いつもお世話になっている釜石カトリック教会内での活動で、こちらもいらした方と卓球をしたり、お茶を飲んだり。そして、今回,初めて少しだけ,ピアノを弾きました。音楽は直に心に訴えかける力があるだけに、逆に私は自分の周りで大きな傷を負った時に音楽を聴けなくなってしまったという友人が何人かいるので、被災地でピアノを弾くのは本当に気を付けたいと思っていた。今回,釜石に行くのは5回目だが2回目位からいつも子供が好きそうなアニメの歌や唱歌の楽譜だけは持って行っていたが、今まで機会がなく...。
今回はちょっとリクエストがあったので、いらしていた方にお訊きしてから、静かにBGMとして弾いていました。シューベルトやバッハ、ドビュシーを何曲か弾きましたがやはり「月の光」は好評でした(笑)。あれは、やっぱり名曲なんだろうな...。
その後に、いらしていた方と一緒に唱歌を。びっくりしたのが、こちらのピアノと自由にハモって下さっていて聞いた事もない素敵なメロディーラインを作っていました。お母様と家で時々歌っているという事だったが、「ここに来るとインスピレーションが湧いて上手く歌える。家では全然だめだけど」と云っていた。

とにかく、被災地にいると色々と見たり,聞いたり、感じたり、思ったり、考えたり、と本当に濃い時間を過ごします。自分は自分の気持ちのために行くのだけど、ベースキャンプの方が、「被災地に来なくても、媒体を通してこっちの事を見たり聞いたりして心を痛める人がいる。それも祈りだと思うんだよね」と仰っていた。

集会所でのお茶をする場所提供の心のケアも「本当はもっとたくさんの人に来て欲しいけど...。でも、引きこもっている事で平和な人もいるからね。」とシスターがマリア様のような笑顔と声で話して下さったのもとても印象に残っています。

ボランティア・ベースキャンプのスタッフ、ボランティアでいらしていた方達、そして被災された方々自身がお互いを本当に心から思いやっている事が本当にひしひしと感じられる数日間でした。

ついに

昨年の春からずっと悩んできた事があり、この数カ月意識的に人前で弾く事を避けて自分と自分の音楽と向き合って来たが、ついに今日その答えがやって来た。本当に嬉しい。これでしばらく迷いなく突き進めるような気がします。次の迷いが出て来るまで...。

11日のコンサートまで余計な邪念が入らないように相当心を守って来たせいか、逆に今心がとてつもなく無防備になっている気がする。やたらと感動したり、悲しくなったり、感情のアップダウンがかなり激しい。

コンサート当日にいかに心をオープンにするかが勝負だが、当日のリハーサルで合唱団がオーストリアのコンクールでグランプリを取った時の映像を流した時に舞台袖でウルウルしてしまい、「感動してる場合じゃないよ!」と思っていたのに,本番のオープニングで同じ映像が流れると、またまたウルウルしてしまい,ほとほと自分に呆れてしまった。


そして、先日は朝にテレビでやっていたルーブル美術館の特集の中でのカラヴァッジオ作の「聖母の死」の絵で、全然主人公でない後ろの方で嘆き悲しんでいるおじいさんの顔にウルウル、齋藤陽道さんの写真展でうるうる、そして極め付きに夜中テレビでやっていた鵜住居地区の防災センター取り壊しのドキュメンタリー「最後の場所がなるとき」でウルウルどころではない状態に。一日のうちに何度泣いているの?って思ってしまった。

でも、こんな状態だからこそ今日の待ち望んでいた答えが出たような気がします。この数カ月間は本当に無駄ではなかった。


片思い

%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0_resize.jpg昨日テレビの「日曜美術館」で紹介されていた、齋藤陽道さんの「宝箱」という写真展に行って来ました。
番組内で紹介された写真も素晴らしかったが,何よりも齋藤さんのコメントに感動してしまったので、早速行く事に...。

青山のワタリゥム美術館での写真展。三階に渡っての大掛かりなものだったが、一つ一つの写真が本当に美しく,何と云ってものびのびとしているので、見ていて心が解放される感覚がある。
それぞれの階に本人のコメントが書いてあるのだが、それがまた素晴らしい。写真撮影禁止だったので何となくしか覚えていないのだが「人や世界との境界線を無くしたい。」と云ったような言葉があり,正に写真がそれを証明していると感じました。

そして、この展示会をすぐにでも見たいと思った一番のきっかけが「音楽」に関係した写真を多く撮っておられるという事。聴覚障害を持つ齋藤さんにとって「音楽は永遠の片思い」というコメントが書いてあり、そして「だから逆に、そこに宇宙が広がる」というような事を番組内で云っていました。

最近,「音楽」という事が「音」とどれくらいに関係があるんだろうかと良く考えさせられる。同じピアノを弾いても全然違う音がする。物理的には同じ音しか出ないはずなのに...。どんなに大きな音を弾いても、それが心に届かない時もあれば、どんなに小さな音を弾いても直に心に響く時がある。今回の合唱のコンサートも、10年近く前にに弾いた時にはホールの大きさに負けないように相当気負って弾いたのを覚えているが、今回はあえて気負わずに無理せずに弾いても音が届くかどうかを見てみたい,という思いがあった。今の所、「音がよく聴こえなかった」というコメントはまだ聞いていないので音の大きさの問題ではないような気もする。

そして一番大きな問題の「感動」という事に関して,本当に人は何が聴こえているんだろう?と、よく考えさせられる。以前にアメリカの友人と巨匠ミケランジェリの話をしている時に「あの人のコンサートは耳が聴こえない人でも感動するような気がする」と意見が一致したのをとてもよく覚えている。

齋藤陽道さんの「音楽」を撮った写真からは「静かな音楽」がちゃんと聴こえる。齋藤さんにとって「音楽は永遠の片思い」とコメントしていたが、もう既に両思いになっている気がする。

ピアノを弾いている自分は実はまだまだ片思いの気がしないでもない...。

拍子感・リズム感・テンポ感

%EF%BC%91%E6%9C%88%E8%8A%B12_resize.jpg昨日のコンサートが何とか無事に終わってとてもホッとしている。不思議なご縁で今回合唱の伴奏をする事になったのだが、色々な意味でとてつもなく大きなプレッシャーが...。話題の合唱団だったという事と,久しぶりの大ホールという事もあり相当気が張っていました。

中学、高校の合唱といえど、日本やオーストリアのコンクールでバンバン賞を取っているだけあって、最初のリハーサルに行った時にあまりに素晴らしくて、圧倒されてしまった。おまけにそれは指揮者による「緻密な」音楽作りによるもので、伴奏をすると自分のアバウトさが露骨に出てしまいました。録音を聞いてつくづく拍子が刻めていないのをそこで初めて気づいたと云う情けない状況。流れや勢いを追う自分の音楽がすっかり裏目に出てしまっていた。とにかく「きちんと弾く」が今回の課題でした。拍子を刻む事がこんなに大変な事なのかと,自分でもあきれてしまった(笑)。基本中の基本なはずなんだけど...。

面白いのが一ヶ月程前にずっと一緒に弾きたいと思っていたチェリストと一緒に小さなコンサートをする機会があり、拍どころか、小節線にさえも縛られないその自由な音楽にびっくり。テンポ感があるのに完全に自由なんて本当に羨ましい限り。「自分の音楽はなんて縛られていたんだろう!」と思いながら、いかに自由になれるかが課題となっていました。

なので、この一ヶ月の間に振り子が端から端まで振り切った感じ。拍をきちんと刻む事、そして完全に自由になる事の両方を勉強する事となりました。身につけなきゃいけない事がまだまだいっぱい...。

ほのぼの

今日,生徒のレッスンに行く途中の花屋さんの近くで素敵な薔薇の花束を持ったおじさんが本当に嬉しそうにその花束を見ながら,信号待ちをしていました。(失礼かもしれないけど)全然カッコいい感じのおじさんではなかったけど、その何とも嬉しそうな顔にこちらまでほのぼのとしてしまいました。その花束を「あげる」という気持ちが嬉しいのか、その花束を受け取った人の喜ぶ姿を想像しているのか...。カッコイイおじさんではなかったけど、凄く素敵に見えました。

今年の目標

毎日寒いが、おかげで空気が澄んでいるので,本当に星空がきれい。嬉しい。

今日テレビで写真家、野町和嘉さんのインタビュー番組をやっていました。色々な写真を撮っておられるが、どの写真も人間の根源的な本質を見せつけられているようで見入ってしまいました。世界は、そして人間は本当に美しい。
そして、様々な宗教の「祈り」の写真があったのだが、本当に心打たれました。自分の信仰心、祈りはあまりにも浅い、と...。

昨年、仏師さんとの出逢いがあり、自分の信仰や音楽をとても考えさせられるきっかけとなりました。その方の何事に対しても真っ正面から(人に対しても、仏像に対しても、自然に対しても)静かにそして深く向き合う姿勢にとても感動しています。
自分の音楽にも自分の信仰にもちょっと行き詰まった感がある今だけに、宗教や携わっている分野が違うからこそ、違う角度から色々な事が見えて来て,多くのヒントを頂いている気がします。

今日の野町さんの写真の中の人々の「祈り」の姿の中にも答えがあるように感じました。

なので、今年の目標は「祈り」を深くする事、に。音楽に対して、人に対して,生きている事自体が祈りになるように...。

追記:野町和嘉さんの展覧会はローマで5月までやっているそう。
行けるかな〜...。

2014年

新しい年になりました。

全ての人に平和と平安がおとずれますように...。