Thoughts

June 2014

別のもの

昨日のフォト・セッション前に、前日に弾く曲を全部録音しました。ここ数週間の開眼がどれくらい反映されているか、結構期待していたのだが...。

聴いてみてちょっとガッカリ。以前とは明らかな違いはあるものの、やはりそれだけでは全然足りなかった。ブラームスだけが相当に良くなっていたのだが、ドビュッシーやラフマニノフは逆に欠如しているものが多くなってしまった。シューベルトはまあまあの進歩といった所(笑)。自然な音楽を目指していても、だからといって自然体で弾いてはいけないのだ。(自然体で弾いていいのは、天才だけなのだ。)味も色気も何もないドビュッシーとラフマニノフになっていた。まだまだやらなきゃいけない事がいっぱい...。

それでも、やはり大きな進歩があった事は確かで、さらに昨日の齋藤さんとの会話の中でまた大きな答えを一つ頂きました。
「どういう時にシャッターを切るんですか?」という質問に対しての答えの中で「感情はそこに無いのは確かです。」さらに「喜怒哀楽ではないもっと別のものです」と仰っていて最初「えっ?」と思ったのだが、よくよく考えてみると自分が良いと思った時の演奏の時は確かに(表面的な?)感情が無い事に気付きました。まさにブラームスを弾いている時がそう。そして、前日の録音したドビュッシーやラフマニノフの事を考えてみたら、感情が逆に邪魔していて曲の本質から反れていました。感情がないというと、誤解を生みやすいのだが...。機械的に弾いているわけでもないし、冷静とも違うのだが、なかなか言葉で説明するのは難しい。

しかし、この頂いた言葉でまた見えて来たものがとてつもなく大きい。今日の練習は余計な「感情」を無くすように、と頑張っていました。具体的に目指すものが言葉にされるのはとっても嬉しい。

魔法

%E9%BD%8B%E8%97%A4%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg今日の体験はなかなか言葉にするのが難しい...。

1月のブログにも書いている写真家の齋藤陽道さん。テレビで見た齋藤さんのインタビューに感激して、写真展示会を観に行ったらまたまた感動して...。詳細はブログを読んで頂くと分るのだが、耳が聞こえないながらも音楽に興味を持っていらして、「音楽」の写真をたくさん撮っていらっしゃいます。

そして、今日はその齋藤さんにホールでの写真を撮って頂く機会に恵まれました。音が聞こえなくても、音楽は必ず何かの形で感じられるはずと信じてはいるのだが、何も伝わらなかったらどうしよう、という不安が無かったわけでもない。やはり相当にいい演奏をしなくては何も伝わらないだろうし、気合いや気迫もコンサート並みにしなければいけないと思い、この2週間、結構本格的な練習をしていました(笑)。

私は手話が出来ないので、全てが筆談。無駄な社交辞令が無い分だけ、会って数分でとてつもなく核心をついた会話になって少々たじたじ。このブログで音楽的な事に触れるのはもったいないので別のブログに書くが、相当に今の自分に必要な答えをたくさん頂いたような気がします。

私も相当気合い(気負い?)を入れていたので、最初なかなか上手く音楽に入り込めなくて、今まで開眼して来たものはどこへやら、って感じの音楽に...。おまけにそんなにしょっ中シャッターを切っているわけではないのだが、齋藤さんの気迫に押されっぱなし。あの集中力とぶれのなさが本当に羨ましい...。自分も自分の音楽がぶれないようにと必死で対抗していたように思う。2時間もしたら、二人とも疲れきっちゃったのだが、今振り返るとお互いの集中力のバトルだったように思う(笑)。

撮っている時の気迫と容赦ない撮り方とは裏腹に、言葉を書く時の速さはゆっくりとしていて、一つ一つの言葉を思慮深く選んでいらっしゃるのがとても印象的でした。

%E7%AD%86%E8%AB%87_resize.jpgそして、写真。ちょっとだけだが、途中でカメラのスクリーンで見せて頂いたものが超ビックリ。今ここで撮っているものとは思えないくらいに素晴らしいものでした。不思議な写真もあって、私が目を丸くして感激していたら「魔法」とそれこそ本当に素敵な笑顔で仰っていました。

声でのコミュニケーションを取っていないので、何だかちょっと夢の中のような時間だった感じもするのだが、とてつもなく特別な時間を過ごしたのは確か。どんな写真が出来るか、とっても楽しみ!

←撮影中の凄い気迫から一転してこのかわいいポーズでまたまたびっくり(笑)。

軽く

Blue%20Mini_resize.jpg去年イタリアで見掛けて「かわいい!」と思っていた車を日本でも見るようになって、最近車にやけに目が行くようになっている。
ブログが「重い」との感想もあるので、今日はレッスンに向かう途中で見掛けたかわいい車をご紹介(笑)。正面がとってもかわいいのだが、プレートのナンバーを消す高度なテクニックが出来ないので、横からの一枚。

もっとも遠いもの

音楽の真実に近づくためにあらゆる芸術からそのヒントや答えとなるものを探していたのだが、最近自分なりの真実が見え始めているので、今まで自分の周りに置いていた好きな写真集や本から、今辿り着いている答えと一致しているのかどうかを読み返したりしている。同じ本なのに、全く新しい視点から見れるのと同時に、自分の心に響く深さが全く以前と違う。

昨日、以前ブログでも紹介した舟越桂さんの「個人はみな絶滅危惧種という存在」と云う本を読み返していたのだが、その中の一節。

『もっとも遠いものとは自分かもしれない。』

本当にそうだった、と心に染み入る。外の世界から答えを見つけ出そうと、とてつもない長い旅に出てしまっていたが、やっと「自分」に戻って来ました。今、これを書きながら思ったのだが「青い鳥」と同じだ...。結局、みな同じような事をしているのか〜...。

まだまだ

未だに毎日進歩があって突き進んでいる感じ。前日の状態でも十分ハッピーと思っているのに,尚も次の日に新たな発見があったりする。でも、先日忙しくて一日ピアノに触らない日があったら、あっという間に後退、というか今何をどの方向で追求していたのかを体が忘れてしまっていた。本当に油断は禁物。

先日,久しぶりにとても深い話の出来る友人達と会った際に「大人になると、自分がどういうものが好きなのかが分らなくなって来る」という話をして色々と考えさせられました。頭で好きというのと心で,体で感じる好きの違い。昔の「体で感じた好き」を取り戻すと,色々と人生変わって来るそう。

それと関連して来るのだが、音楽的な迷走をしてからというもの、自分の「好きな音楽」を探していたように思う。でも、今辿り着いている所は、その「好き」とか「嫌い」とか美しい、とか心地よいとは全く関係のない「これが自分」という音楽との「一致」を凄く感じれるようになってきました。「こういう音楽が好き」というよりも、自分は昔々、この「一致」する感覚が好きだったんだった、というのを今思い出しています。

来た、来た、来た〜!!

ついに、ついに。
昨年の春からの修行が最終段階に入っています(笑)。
ロンドンでのコンサートで得たものが最終的なヒントになって、日本に帰って来てからの音楽的な開眼が凄い勢いで起きている。この数週間、あまりの忙しさに毎日の練習時間が本当に少なかったのだが、次から次へと見付からなかった答えが現れてくれて、今まで(20年以上!)探し求めて来たものにようやく辿り着きそうな勢い。

大学2年目にあるとき突然に自分の音楽世界にアクセス出来なくなってしまったのが、ついについに再びアクセス出来る鍵を見付けたのだ。生きている間にこの鍵がもう見付からないんじゃないかと不安に思っていたのだが...。これで、やっと私は自分を表現しきれる気がしています。本当に本当に嬉しい。

やっと一段落

June%201st%2C2014Flowers_resize.jpgイギリスのコンサートからなだれ込むように忙しかったこの6週間。あらゆる事が重なりに重なって、息つく暇も無かった。
最後の山が生徒達のコンサート(発表会という言葉にどうにも抵抗が....。)だったのだが、それが先日無事に終わってやっと一段落。よく体が持ってくれたな〜と思う。

生徒達のコンサートも久しぶりのホールでの会で、みんなそれぞれに個性豊かに弾いてくれました。色々と準備は大変だったが、終わった時の緊張した後の達成感のある笑顔と喜んでいるご家族の様子を見ると,大変だった事もあっという間に忘れてしまいます。自慢になるが、生徒達のご家族同士がとても仲がいい。今回初めて参加のご家族にもみんな声を掛けてくれていたらしい。お互いに成長振りを見守ったり喜んだり、励まし合ったり。なので、緊張感はあるが、とてもいい雰囲気なような気がします。今回も本当に色々な方に助けられて、とてもいいコンサートになりました。