Thoughts

September 2014

チョコレート

コンサートの企画から携わり、まだ経験の浅い音楽家達とコンサートを作り上げていく仕事をしている友人から聞いた話。

大学出たてのピアニストさんがあまりに自己陶酔しきった演奏だったので、「チョコレートを美味しく食べている自分を見せたいの?それとも、美味しいチョコレートを差し出して、お客さんに食べてもらいたいの?」という質問をしたそう。上手い例えだな〜と思って聞いていた。

私はここ数年、なかなか上手く自分を表現出来なくなってしまい、昨年までの多くのコンサートが結構苦しかった。親しい人に「弾いている本人が楽しそうでなければ、こちらも楽しめない」とまで云われ、本当に悲しかった。自分としてはわざわざそんな苦しい思いをしたいわけではなかったのだが、目指していたものに、どうしても辿り着けなくて、結果として苦しくなってしまっていたのだ。ましてや、自分だけ「美味しいチョコレートを食べている」ような演奏は絶対したくなかった。

今は本当に色々な事が見えて来て、目標はチョコレートを食べている人でもなく、チョコレートを御馳走する人でもなく、「チョコレート」になる事。出来れば、純度の高いビターがいいかな(笑)。(でも、ビターチョコの方がミルクチョコより砂糖は多いらしい...。)

そして人の好みはそれぞれ。あんこが好きな人もいれば、お煎餅がいい人もいる。人によって美味しいと感じるものや食べたいものは違うだろうけど、今は自分は「チョコレート」と信じて練習に励んでます。

今朝、ベランダのドアを開けたらふわ〜っとキンモクセイの香りが。うちの庭に木があるわけでもないのに得した気分。
車の窓を開けて走っていたら、やはりあちこちから同じようにキンモクセイの香り。

そして、お墓参りに行ったらトンボもたくさん飛んでいました。

まだまだ暑いけど、秋も本番。
頑張り時!

新しい筋肉!

Fingermuscle_resize.jpg今日、練習中に手を見たら、親指と人差し指の間に新しい筋肉を発見!
ラフマニノフは手が小さい人にはかなりハードなので、毎日の練習によく耐えてくれているな〜と、自分の手に感謝しているんだけど、こんな歳でも進化してくれているんですね。よく見てみたら、随分と手の形が変わって来ています。

前にリサイタルの時に一番前の席に座っていた友人が「小指の筋肉が凄くて、目が釘付けだった」と云うコメントを頂いた事もあります(笑)。

土曜日にずっと考えていた事。

東田さんの番組の事をお知らせした友人が感想メールに「人の視線がこわい、というのが印象的でした」というような事が書いてあって意外だったのだが、コンサートをする時に、何が一番苦手かと云うとやはり「見られる」事が今でも苦手なのだ。

それが、どうしてそんなに苦手なのか、この前一緒にコンサートをしたチェリストさんとの会話でちょっと理由が分かった気がします。
コンサートが終わった時に、彼が「一番前の子供がずっとずっと足をブラブラしていて、なかなか音楽に入り込めなかった」と云っていたので、「ピアノは横向いているから、視覚的に聴衆が気になる事はあんまりないんだよね。」と話したら、新しい発見だったようで「なるほど」と「うらやましい」というような表情で聞いていた。でも、この話をしている時に、自分が「見られる」のが苦手なのは、聴衆と向かい合っていないからなのでは、と急にひらめきました。
聴衆に向かって、一人だけ横を向いているというのは結構無防備な気がする。真っ正面だと覚悟も決まるし、視線に対抗できるような気がするのだが(笑)。
音楽に入り込んでしまえば、視線も気にはならなくなるが、最初の椅子に座って、弾き出して、音楽の方に集中出来るまでは、視線に対してとても敏感になっています。

ここでまた考えが色々と発展して、チェリストさんは自分が「見ている」事を話していたのに、自分は「見られている」事に考えが転換している事に凄く興味を持ちました。
目って考えてみたら、情報を取り込んでいるだけでなく、発信しているものもあるという、他の器官ではしていない事をしているんだという発見。目と目が合うって、実は凄い勢いで取り込みと発信のやり取りがあるのでは、と思いだしました。だから、凄くドキッとするんだと思うけど。

その事を考えていたら、超マイナーなのだが、「秘密と嘘」の映画で有名なマイク・リー監督の「Happy - Go - Lucky(ハッピー・ゴー・ラッキー)」という映画で、主人公の女の子がホームレスの人と言葉ではなく目で交わす場面があって。その究極のコミュニケーションに大感動したのを思い出しました。その一場面だけでも観る価値はあるかな...。

そんなわけで、「目」について色々と考えた一日でした(笑)。

追記:今日,イギリスの雑誌に載っていた書評に次の引用が載っていて笑ってしまった。
「短い手紙を書く時間がなかったので、長い手紙を書きました。」
                       マーク・トウェイン

私のブログもそうか...。

もの悲しい

今日ずっと考えていた事があったので、それを書こうと思っていたのだが、今、東田直樹さんのブログを読んで急遽変更。ちょっと東田さんにハマり過ぎな気がするけど(笑)。

今日の東田さんのブログは次のように書いてありました。(こういう引用って、版権はどうなっているのかしら?)


『僕は、必ず秋になると、考えることがあります。

それは『もの悲しい』という言葉の意味です。

「はっきりとした理由はないけれど、悲しい」という

気持ちは、心があるから感じる感情というよりも、

誰もが持って生まれた感性のような

気がします。

気の毒な人を見ると、助けずにはいられない

気持ちとも似ています。

人間に必要だから、備わっているものなのでしょう。』


鋭いな〜とも思うし、東田さんの心の美しさも伝わって来ます。
これを読んで、普段自分がいつも不思議に思う事をまた考えさせられました。
「感動する」という言葉はよく使われるし、自分でも「感動」する事が多いのだが,その感情が「悲しい」感情と凄く密接な関係があるような、というか、限りなく近い気がしてならない。誰でもあまり悲しい思いはしたいとは思わないとおもうんだけど、「感動」は多くの人が求めていて、だから音楽を聴いたり、芸術に触れたり、映画を観たり、本を読んだり、スポーツを見たりするんだと思うんだけど。

アメリカに住んでいた子供の頃(6、7歳くらいだったと思うが)にクリスマス時期に窓の外から人の家の中のクリスマス・ツリーや暖炉、家族が見えると何とも云えない「悲しい」気持ちになっていて、それを最近友人に話した事があったのだが、話しながら、それは実は「悲しい」んじゃなくて、「感動」してたのかな、と40年後の今になって思いました。

「感動」って、本当に何なんだろう。

ヴァロットン展

都内でのレッスンの前に丸の内でやっているヴァロットン展に行ってきました。名前も聞いた事もない画家でしたが、宣伝のポスターがとにかく魅力的でずっと行きたいと思っていました。

期待を裏切らない,素晴らしい展覧会でした。宣伝文句は違う切り口から彼を売り込んでいるが、まず、とにかく美しい。油絵ながらも独特の質感と色彩感がたまらない。水といい、シーツといい、お尻といい、どれもが感覚として伝わって来る。水の温度とか、シーツの柔らかさとかお尻のなまめかしさとか。そして、幻想的なのに、異常にリアリティーがあるので、絵の前に立つと瞬時にしていかにも自分がその世界に「いる」感覚になる。ユーモアもあって、それでいてミステリアスで、とにかく魅力的な絵がいっぱい。版画も多く,デザインの斬新さと大胆さに目を見張る。色々な感情や感覚が満たされて帰って来ました。

絵自体とは関係ない事だが、ヴァロットンが初期の作品で目立つ所に目立つ色で、そして時には大きくサインをしているのが凄く不思議で気になっていたのだが、展覧会が進むに従って、後期の作品になって来ると、どんどんサインが小さくなって、相当目を凝らして探さないと分らない程になっていたのがとても興味深い。勝手な解釈だが、作品自体に「自分」が全て注ぎ込めていれば、そこにサインする必要さえもなくなっていくものではないのかな〜と思いました。若いときはまだ自己主張しないと不安と云う事なのかな。

今,自分が音楽に関して開眼したり,発展したりしている大きなきっかけが、昨年の仏師さんとの出逢いでした。彼の仏像をお寺さんに見に行くと、今まで考えた事も無かった事だし、当たり前の事なのだが、仏像には彫った人の名前というのはどこにも書いていないのだ。(その後に行った興福寺の展覧会もそう。仏像には年代は書いてあっても彫った仏師の名前は記録に残っていない事が多い。)でも、その仏像に向かってたくさんの人が手を合わせていて、そしてお祈りをしていました。私はその背後にいらっしゃる仏師さんの事を思いながら、その光景を見ていたのだが、これこそが究極の芸術の形なのだ、と思いました。全ては仏像で完成している。誰が彫ったという事はもう重要ではない。

ヴァットロンも全ては「絵」で完成されていると実感出来たから、どんどんサインが小さくなっていたんじゃないかと、勝手におもっている。

自分も音楽で完結できるようにしたい。

ヴァロットン展、三菱一号館美術館で9月23日まで開催です。

紺色

ここ一年くらい、やけに紺色に執着しているのだが、テレビで「紺色は直感の色」というような事を云っていて、面白いな〜と思って見ていた。

%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0Visual_resize.jpg先日、一年以上前にしたレコーディングの音源調整をするために、レコーでイングをして下さった録音技師さんに会いに行ってきました。
色々な理由でこんなに遅くなってしまったのだが...。音質的な事での意思の疎通が徹底していなかった事が理由で、イメージしていたものとは違うものとなっていた音源。一般的にはとてもいいものだとは思うのだが、自分の求めていた音ではなかった...。

それでも、時間を置いて聴けば自分の印象も変わるかもしれないと思い、最初は数カ月毎に、そして、今回1年以上振りに聴いてみました。それでも、やはり最初の直感的な印象は変わりませんでした。

録音技師さんのIさんは大分前にコンサートのライブ録音をして下さった事があり、その時のCDの音質があまりにも素晴らしいので、それ以来お願いをしている次第。
結論としては今回の音源は結局使えない事になってしまったのだが、録音の事について色々と教えて頂けてとても勉強になったし、とても興味深かった。一番驚いたのが、録音機器の電源って3日前位から入れるらしい。確かに凄い機器をホールに運び入れていたが、機器の隅々まで電気を行き渡らせるためなのかしら...?
以前に録って頂いた素晴らしいCDも実は色々と仕掛けがあった事を聞いてびっくり。自分の好みにあまりにも一致していたのには理由がありました(笑)。

それにしても、最近自分に起こっている事で「あの直感は間違っていたかな〜」と思った事でも,時間が経つと「間違ってなかったかも」と思う事が多い。もちろん違う時もあるけど、直感をないがしろにするのも良くない気はする。見極め方が難しい...。


何かの形

昨日今日と、生徒のレッスンがあまり入っていなかったのでほぼ一日中練習の2日間でした。

今、目指しているものに迷いがないので、試行錯誤が無い分だけ、練習時間が短縮されるかと思いきや、意外とそうでもない。目指しているものが遠くにあるので、やはり一歩一歩ステップを踏まないと辿り着かない...。道は真っすぐだが、道が長い。おまけに坂道(笑)。

それにしても、練習は面白いもので、どんなに体調が良くても、いい練習が出来ないときもあれば、あまり乗り気じゃない時に案外色々とはかどったりするときもある。

昨日は久しぶりに、たっぷりと練習時間が取れると思い、朝からとっても張り切っていたのだが、一日終わってみると、まとまりのない練習で「貴重な一日を無駄にしてしまった。。。」と残念に思っていた。しかし、今日の練習が打って変わってはかどる、はかどる。昨日やっていた作業が本当に無駄ではなかったと実感出来ました。

惰性や慣習でする練習は無駄が多いような気がするが、一応考えた上で時間を注いだ練習は全て何かの形で身についているはず。

アスリートのように

今日も東田直樹さんの事を色々と思ったり、考えたり。

昨日のドキュメンタリー番組が放映された後の彼のブログに、次のような事が書いてありました。

『僕が自力ポインティングできるように
なるまでには、たくさんの努力が
必要でした。
それは、才能や偶然というものではなく、
一流のアスリートと同じように、孤独で
コツコツとした練習の積み重ねによる
結果です。
僕は、障害を乗り越えたわけではなく
新しいコミュニケーション方法を身につけた
のだと考えています。
道を切り開かなければ、誰にもわかって
もらえなかったのは、障害があること以上に
辛かったです。』

この言葉を読んで、自分の音楽もそうなような気がして、とても心に響きました。
なぜ自分がここまで音楽に時間を注ぐのか、練習も執拗にするのか。結局、言葉で伝え切れないものを、音楽と云うコミュニケーション・ツールで伝えようとしているのだと思いました。

大分前に若いピアニストさんの演奏を聴いた時に「何が云いたいのかも分らないし、伝えようと云う気持ちさえも全然感じなかった。」と友人に云ったら、「そういうの無くてもいいんじゃない?」と云われて、結構ショックを受けた事があった。「じゃ、何のために弾くんだろう?」と。今となっては、ピアノや音楽の持っている意味なんて人それぞれに違うから、そこまでショックは受けないと思うが、自分にとっては、今まさにどんな手段よりも自分の奥底にあるものを伝えるために音楽をやっているのだと思えるようになって来た。

私のピアノもぎこちないし、なかなかクラシックで求められる完璧な形で音楽を届ける事が出来なくて、「私、弾き続けてていいのだろうか」、とよく思うのだが、それでもいいのかもしれない、と昨日の東田さんの番組とブログからとてつもない勇気をもらいました。本当に、「ありがとう」っていう気持ちです。

昨日ブログで書いた東田直樹さんの「君が僕の息子に教えてくれた事」のドキュメンタリー。
最初から最後までウルウル。自閉症を持っている側も、彼らを取り囲む家族を含めた人達の側も、相手と繋がりたい、理解したい、愛したい、喜ばせたいという思いがジンジンと伝わって来て、泣きっぱなし。
戦争や環境破壊もしちゃう生き物だけど、人間ってこんなにも愛情深いんだな〜とつくづく感動しました。

生き生きと

少し前になるが、夏の終わりに生徒さんの一人がIPDピアノコンサートで今年も弾く事になったので、聴きに行って来ました。IPDは日本障害者ピアノ指導者研究会の略で、ホールでのコンサートは今年で2回目。戸塚に新しく出来た「さくらプラザホール」でのコンサートでした。

IPD2014_resize.jpg私の生徒さんのダウン症のMちゃんは今回「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜空の星を」を弾きました。クラシックの曲も弾いているのだが、今回はMちゃんの希望でこの2曲。リハーサルで弾き終わった時に、跳ねるようにしてステージ横に入って、その後も笑いが止まらないので、「そんなに楽しかったの?」と訊いたら「緊張しているの。」という答え。緊張って色々な形があるけれど、周りを和ませるこの緊張は羨ましいな、と思う。(以前にお母様からMちゃんは今までの一生に、一度も怒った事がないと聞いてびっくりした事がある。なので、それ以来、何かキレそうなときはMちゃんの顔を思い出して、ぐっとこらえるようにしています。。。笑)

昨年もこのコンサートに出させて頂いたのだが、昨年に比べて、少し大人になったせいか、最初緊張していて、随分と堅くなっていた。昨年は無邪気に弾いていたのだが。でも、後半は大分乗って来て、いつものMちゃんらしい、元気な演奏になっていました。そして弾き終わった後のインタビューでも、「みんなが美味しくスキヤキが食べれるように弾きました」と何とも不意を付いたコメントだったのだが、「上を向いて歩こう」はアメリカで「スキヤキ」という曲名で売り出されて大ヒットしていたから、大笑いしてしまった。機転が利いてるな〜...。
前にも、レッスンの後に「お昼を外に食べに行く」というので、「どこに行くの?」と訊いたら「イタリアにピザ食べに行くの。」と何とも洒落た答え。Mちゃん、私よりも人間出来てるし、ユーモアのセンスがある...。

昨年も聴かせて頂いたこのIPDのコンサート。一人一人のピアノに向かう姿勢が本当に素敵でした。そして、ご家族のサポートのお陰だと思うが、子供は特に、障害を持っていても制限を感じないのが凄かった。車いすに乗っておられた小学生の女の子に「ピアノの他に好きな事は何ですか?」の問いに「テニスです!」。もう一人の脳性麻痺の車いすの女の子も、小説を書くのが好きという事で「どういうお話ですか?」と訊くと「天使と一緒に冒険するお話です」ととっても明るい声で答えていました。障害を持ちながらも一人一人が明るく、生き生きとしていて、本当にたくさんの元気を頂きました。

(余談だが、最近の車いすって、かっこいい!色がシックだったり、車輪にライトが付いていたり。子供の心をくすぐるような工夫が色々とされているのですね。)

追記になるが、このIPDのコンサートの話を友人にしたら、彼女がたまたまテレビで見たという、自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリー番組の話をしてくれました。今回のコンサートでも大勢の自閉症の方が出ていましたが、ダウン症と違って、なかなかコミュニケーションが取りづらい障害なような気がします。それが、この東田さんが自閉症ながら、ことばを持っている事で、その自閉症の謎を色々と解き明かしてくれているようです。彼が、全ての自閉症のアンバサダーではないけれど、大きな革命を起こしている事は確からしい。ブログも書いているのだが、それがめちゃくちゃ本質を付いていて鋭い。その言葉がまた簡潔で詩的で、心に染み入る。自閉症ではなくても全ての人に共通する、心の葛藤や生きていく上での様々な疑問や矛盾が純粋な心で書かれています。

間近で申しわけないが、友人が話していたドキュメンタリー「君が僕の息子に教えてくれた事」が13日(土)、15:05〜16:04、NHKで再放送されるそうです。

手応え

ずっとアメリカ旅行のブログを書いて来たが、実生活は10月のコンサートに向けて猛練習中。この1年半程の修行の成果がどれ位、出てくれるのか...。

%E5%BC%BE%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%84Rachmaninoff_resize.jpg先日、友人のMちゃんとお互いのコンサートで弾くプログラムの弾き合いをしました。今度のコンサートは自分も相当気合いが入っているので、夏休みに入る前から、売れっ子で超忙しいMちゃんに日にちを取ってもらっていました。

Mちゃんは「展覧会の絵」とラヴェルの「ラ・ヴァルス(ソロ版)」の超大プログラム。展覧会の絵も大変なのだが、「ラ・ヴァルス」は2台ピアノでやっても大変なのにソロなんて凄過ぎ!!!いつも、感心しちゃうのだが、とにかく完成度が高く、どこまで自分が自分を引き上げないといけないかを見せて来るので、本当に刺激になります。今回は完成度だけでなく、音楽も深みも増していて、一観客として本当に楽しませてもらいました。

一方の私だが。。。
実に修行していただけあって、もう幻なのではないかと思っていた、私にとっての音楽の本質が確かにそこにあるように実感出来ました。しかし、演奏としてはあまりにボロボロで落ち込む/呆れるより、笑ってしまう程だったので、あと一ヶ月はとにかく完成度をあげる事にも気を向けないとと思っています。

4月のイギリスでのコンサートの後に色々な人から「演奏が随分変わった」「今までで一番楽しめた」とかかなりいいコメントをたくさん頂いたのだが、一緒に演奏したチェリストさんがあまりに素晴らしかったので、彼のお陰で音楽レブルが相当引き上げられていたように感じていた私としては、あまり自分の音楽がそこまで良くなっていたとはまだ思えなかった。
しかし、それでも確かに自分の中でこの一年で色々と変わった事は多く、さらに一緒に演奏したチェリストさんのお陰で次のレベルにまで引き上げてもらったような気はしました。

Midori%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E5%BC%BE%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%84_resize.jpg帰って来てからも、そのチェリストさんの音楽的な深さを思ったり、考えたりしながら自分の音楽追求を続けて、そして、音楽家ではないけど、自分の世界を確立している人との出逢いややりとりを通して、本当にここ数週間色々な要素が集結して、自分の中で確信が持てるものが出て来た気がしていました。

でも、勘違いも多い私なので今回はあまり喜び過ぎないように、ひかえ〜めにしていたのだが、今回の弾き合いで久しぶりに聴いてくれたMちゃんの反応も良かったので、あとはとにかくコンサートまで気を引き締めて、ここで満足しないで最後まで諦めずに完成度を上げて練習しなくてはと思っています。

10月16日、12:30からセントレ・ホールでの30分のランチタイム・コンサートですが興味のある方はぜひいらして下さい!

スーパームーン

SuperMoon2014_resize.jpg美しい...。

アメリカの夏:バースデー

BirthdayCake_resize.jpg夏休み旅行の事、まだまだ書きたい事がいっぱいあるのだが、もう9月なので、今日が最後(笑)。

今年はニューヨークにいる間にお誕生日を迎えました。あちこちに住んでいる友人達からお祝いメールが届いて、本当に嬉しかった。

BirthdayBlueHillresize.jpgニューヨークではずっと従妹達のところに滞在していたのだが、お誕生日の夜は予約が何ヶ月か待ちのBlue Hillという素敵なレストランに招待してくれました。ニューヨークに行く前に既に予約を取っていてくれたそう。本当に感謝。食事も雰囲気も全てが素敵だったけど、やはり何と云ってもお祝いしてくれるその気持ちが嬉しい。従妹とは全然タイプが違うし、感じ方や考え方とかも随分違うのだが、それがまた面白くて視野が広がったり、物事を違う角度から見れたりして本当につくづく楽しい。

この世界に生まれて、色々な人と出逢うけれども、それがずっと繋がったり、一回きりだったり。以前は頂いたご縁は何が何でも大切にしなきゃいけない、と思ってしがみついていたように思うけど、最近は一回きりの出逢いもあるし、続かないご縁もあるんだろうな、と思えるようになりました。その中で、ずっとお付き合いが続いたり、本当に深い絆や友情になったりするのは逆に凄く稀な事なのかな、とも思うようになりました。そういうご縁こそを大切に大切にしなきゃいけないな〜としみじみ思うこの頃です...。

アメリカの夏:ニューヨーク:好奇心

今回のニューヨーク滞在中はあまり多くの友人達に会う事は出来なかったが、ひさ〜しぶりに会えた友人が一人。JayBook_resize.jpg私がまだ十代の頃にあるプロジェクトで日本に来て、うちに滞在したカメラマンさん。いつもタイミングがなかなか合わなくて、この30年間でその後に会えたのは今回を含めて2回。実に15年に一回くらいの割合でしか会えていない(笑)。それでも、何かとても深い所でつながっている気がします。

今回も13年振り。もともと銀行だったところが自宅兼ギャラリーで、とてつもない建物に住んでいる。セミナーもそこでやっているという事で、色々と説明しながら案内してくれました。

写真の道に進む人に「この道は本当に孤独な道で道しるべも何もないから自分で道を探すしかない。でも、良い作品が出来た時に本当に幸せがある。」と云うそう。音楽も同じだな〜と思う。

そして、女優さんを撮っていた時にその女優さんが俳優として一番大切な事は何だったって云ったと思う?と訊かれて内心すぐに「愛」と思っちゃったのだが、答えは「好奇心」だったそう。「写真も同じだよ」と云っていた。音楽はどうかな〜...。好奇心も大切だけど、私にとっては一番大切な事ではないような気がする。

巨大な家(アンディー・ウオーホールのファクトリーより大きい気が...!)を案内してくれた後に、外に食事に出掛けたのだが、Jay_resize.jpgやはりカメラを持っていて、何かを見付けると興奮して写真を撮っていた。本当に少年のように駆け寄って、急に生き生きしだすから驚いた。80歳を超えても、自分が一生仕事にして来た事にワクワク出来るって云うのは本当に素晴らしい。

              
              戸締まりも大変!→

アメリカの夏:ニューヨーク:生活の一部

メトロポリアン・ミュージアムに通って、凄く目についたのが子供の多さ。夏休み、という事もあったと思うが、とても小さな子供が多かったのに驚いた。子供が自由に展示物の中を泳いでいて、目に止まるものがあると、親がそこに歩み寄って色々と懇切丁寧に説明したり、気付いた事に目を向けるようにしたり。MetKids_resize.jpg子供達も無理矢理見せられている感が無く、自分の興味のあるものの前に行くと、本当に興味津々で見入っていました。

今回会ったアメリカ人の友人にその話をしたら、やはり子供が小さいうちからしょっ中、メトロポリアン・ミュージアムには連れて行っていたよう。とにかく時間を短く、見たいものを探させて、そして、最後にエジプト展示場の池にお願いごとをするためにコインを投げ入れると云うような、楽しみを作ってあげる事が大事と云っていた。今では大人になったその子供はやはりメトロポリアン・ミュージアムが大好きでよく行くそう。

ミュージアムに行った帰りに立ち寄った近くの素敵なブティックの店員さんも、私が持っていたミュージアム・ショップの紙袋を見ると「メットに行って来たの?」と訊かれ、「僕もお昼休みによく行くんだ。あそこは美しいものがたくさんあって、本当に楽しいよね!」と云っていた。

本当に超一流の世界的名品が共有されて、生活の一部になっているニューヨークは凄いと思う。

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