Thoughts

October 2015

感覚

色々と考えている事を言葉にするのがなかなか難しいのだが、今の一番の関心事が「感覚」。
全てはそこに尽きて来るような気がする。覚えている感じ、というのは生きて来て身に付く感覚もあると思うのだが、一人一人の魂が既に持っている感覚もあるような気がします。

大分前にコンクールでショパンのノクターンを弾いた幼稚園生がいたのだが、自然体で情緒豊かな深い音楽がにじみ出ていて大感激した事があった。その時、「幼稚園でノクターンを弾ける筈がない」という意見が大多数で、とても残念に思ったのだが、これをとても信頼しているピアニストの友人に話したら、「そんな事はないよね。歳とは関係なく、魂が覚えているんだよね。」と云ってくれて、救われた事があった。

私も今に来て、音楽との繋がりが感覚的に戻って来ているような...。若い時の音楽に執着しないように開き直ったつもりではいたけれども、皮肉な事にもっとさかのぼっているような気がします(笑)。

自分の原点

またまた久しぶりのブログ。凄く深いレベルで考えたり、思ったりしているのでなかなかそれがまとまらなかったのだが、それがようやく形になって見えて来ている気がします。

6月のリサイタルをきっかけに音楽やピアノに関して、アメリカでの夏の旅行がきっかけで自分の価値観や人生観に関して、そしてこれと云ったきっかけはないけれども日々の生活の中から信仰に関して、人間の原点(結局は自分という事なんだろうけれど)というかコアがこういうものなのかな、と自分なりの答えがクリアになりつつあります。

長くなりそうなので、また次回に...(笑)。

調子が良い

さすがお月見の季節。月が欠け始めた今も見とれてしまいます。そういえば、先日の中秋の名月、あまりに美しくて、オオカミが月に向かって遠吠えする気持ちにつくづく共感してしまった。あんなに美しいと、見ているだけではおさまらず、こちらとしても何か自己表現しないと気が済まない気持ちになってしまいました。


ピアノの方はというと。。。
今、何かとても大きなものを掴みかけている気がします。出来るだけ今は色々と感じたり、思ったりしている事を言葉に還元せずに、音楽に直に繋がろうとしているので、曖昧なブログになってしまいますが、感触はとてもいいです。

先日、友人に「今、とてもピアノの調子がいい」というのを話したら「調子が良いってどういう事をいうの?」と訊かれ、ハッとしました。確かに「調子がいい」というのは感覚的なもので、実際に「良い」方向に進んでいるかは怪しいのかもしれない。しかし、とにかく「これだ!」という道を進んで行くとどんどんと音楽が広がっていったり、今まで見えてなかった事が見えるようになったり、「真実」に近づいているような気がするのが「調子が良い」という状態なのだと思う。遠回りだったり、行き止まりだったりもするのだが、どこかに進んでいる事は確かなので、とことん突き進むしかありません(笑)。