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Happy 2018!

新しい年となりました。
世界平和を本当に切実に願うばかりです。
みなさまにとって良い年、そしてみなが世界を平和へと向かう年に心からお祈りしております。

小学校の先生

アメリカに住んでいた時の小学校4年生(になるはずだった)先生は今年で96歳。ここ数年は一年に一回会いに行く約束をしていて、先週も一週間ほどアメリカに行って来ました。
96歳ながら、頭はとてもはっきりしていて、記憶力がずば抜けている。私が前年に会いに行った日付まで覚えていて、話していると自分の方がよっぽど記憶が曖昧なのを、思い知らされます。

ニューヨークに飛び、電車で4時間、先生の住んでいるボストンへ。午前中に会いに行き、お昼を一緒に食べて、先生が疲れたら失礼するつもりが、ここ2年くらいは夕食まで一緒にするという感じで一日、たっぷりと時間を共にするのが恒例になっている。去年暮れの選挙や新大統領、ご家族のことや昔の先生が学生時代だった時の話など、毎年発見もあり、本当に楽しく時間が過ぎて行く。

この先生と会う2日前にはニューヨークで2年生の時の先生とランチをして、本当に小さい時にいかに良い先生たちに恵まれていたかを再認識。初めてこの先生がイタリア系アメリカ人ということを知り、この歳になってもまだまだ発見があって本当に楽しい。お父様が家具職人でケネディー家の家具を作られていた事や小さい時は毎週ラジオで家族でオペラを聴いていらしたことなど、驚きの連続でした。「次に来た時には一緒にオペラに行きましょう!」と誘ってくださり、本当にまた楽しみが増えました。

それにしても、大人になってから出会う人というのは、何となく自分で選んでいたり、きっかけを作ったりしているように思いがちだが、子供の時の出会いを考えると決してそうではなく、本当に「頂いた」ご縁なのだな〜と実感します。

飛行機に乗らないと会えないのが残念だが、遠い国で先生方のような人間的に素晴らしく、心から尊敬できる素敵な人たちに小さい時に出逢えていたことは本当にラッキーだったと思っています。

6年

2017%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%88%E9%A1%98%E7%A5%AD_resize.jpg東日本大震災から6年。
今年の鎌倉での東日本大震災追悼・復興祈願祭は鶴岡八幡宮でおこなわれました。
神道、仏教、キリスト教の合同祈願。
お祈りが届きますように。。。

喜び

昨年は色々な事を考え過ぎて、うちにうちに閉じこもりがちだったので、ブログを初め、心新たに発信力を強めたいと思っています。

今年の抱負と云うか、目標を『喜び』にしようと思っている。これは楽しく、とかハッピーにというより、常日頃の心構えのような気がします。聖書に「いつも喜んでいなさい」と「いつも感謝しなさい」という言葉があるのだが、全ての事に感謝をする心があれば、そこには喜びが付いて来るように思えて来ました。生きている事だけにでも感謝出来る心があれば、一日一日に喜びは満ちているのではないかしら。。。
「喜び」は目標だけど、するべき事は常に「感謝」の心を持つという事ですね。

Happy New Year!

世界中が平和に向かって助け合い、豊かな一年を迎えられますように!

あまりに久し振り!

あまりに久し振りのブログに自分でもびっくりです。最後に書いたのが4月だったとは。
書きたい事はいつもあるし、書こうとも思ったりもするのだが、それよりも、書く事を阻止していた力が大きく働いていたような気がします。ちょっと、今気持ちがまた切り替わったという事でしょうか。。。

その気持ちの変化を書き出そうとすると、考え込み過ぎてアップ出来ないブログになってしまうので、少し軽くサラッと書けるものから再開です(笑)。

IMG_1019_resize.jpg夏にイギリスのウェールズでコンサートをする機会がありました。以前にフランスで一緒に演奏させて頂いたブリッジ・カルテットとの再共演。8月に一週間程の室内楽の夏期講習があり、コーチングとコンサートをするために行ってきました。Gregynog(グレギノグ)という歴史ある場所での一週間。最初のオリエンテーションで私があてがわれた部屋にゴーストが出ると云われ、すぐに部屋を換えてもらったけれど、広大なガーデンや森があるのに虫も鳥も鳴いていないし、トイレが部屋にないので、夜中にトイレまでのなが〜い廊下を歩かなくてはいけないのだけど、まるで映画《シャイニング》の一シーンのようで、かなり怖かったです(笑)。

Bridge%20concert_resize.jpgそれでも、建物内には4台のグランドピアノ、300人は収容出来るホールやライブラリーがあり、音楽的にも文化的にも本当に充実した時間を過ごせました。毎晩、30分程のコンサートがあり、そのうちの2つに私も参加。一番の目玉はシューマンの五重奏曲。35分の大曲で、ブリッジ・カルテットにとっても私にとっても初めての曲。ウェールズに行く直前にロンドンでもリハーサルをし、ウェールズでも二回リハーサル。ブリッジ・カルテットは20年近く一緒に演奏しているもの同士なので信頼関係が出来ているが、その中に私も入れてもらえるのは本当に光栄。本番の演奏でもその信頼関係が生きて、安全路線に逃げ込む事なく、皆が思いっきりよく弾いていたので、かなりはじけた演奏になった気がします。シューマンには珍しく、音が意外と少ないのにエンターテインメント性の高い曲なので、聴衆も盛り上がって、かなりお得感がありました(笑)。ブリッジ・カルテットと弾くのは本当に楽しく、私にとっては本当にいいコンサートでした。

ブログは久し振りだったけれど、一つ一つのこういう機会や時間が積み重なって、さらに音楽が豊かになっていく事を願って、今も精進しています。

祈って

ベルギーでのテロや九州での地震。心が痛む事が続いています。
亡くなられた方々のご冥福、残されたご家族、親しい方々の心の平安、そして被災されている方々に一日も早く日常が戻られる事を祈っています。

色々なイベント

3%3A13%E5%BF%83%E3%82%92%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AB_resize.jpg震災から5年。週末はあちこちで支援/応援イベントがおこなわれていた事と思います。
鎌倉市でも市役所の大きな駐車場で「心をひとつに」の支援イベントがありました。私が行っている教会が震災直後に「復興プロジェクト」を立ち上げ、被災地へのボランティア・ツアー、被災地の野菜や特産物などの販売をおこなったりと、今でも活動を続けているが、今回もこのイベントに参加し、私も午前中はお手伝いをさせて頂きました。%E5%BF%83%E3%82%92%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AB2_resize.jpg被災地からの漁師さんや現地の方がいらしているブースも多く、皆さんのとても張り切っている様子にとても勇気づけられ、外国の方もからも「日本のために祈っているからね」と云ってくれる人がいて、本当にたくさんの元気を頂きました。

%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%BC%9A_resize.jpg午後は毎年行っている「かんがるーの会」のイベントに都内まで。震災遺児のための支援を10年間は続ける事を掲げている会ですが、こちらもたくさんの方がいらしていました。前半は「あしなが育英会」の東北事務局の所長さんの講演会、後半がマリンバのコンサートでした。講演会をなさった所長さんのお話が素晴らしく、本当に子供たち一人一人に心を傾けていらっしゃるのがひしひしと伝わって来ました。とても印象に残っているのが、子供が話す時に「気持ちと身体で向き合う」と仰った言葉でした。やはり「身体で向き合う」というのは子供は特にそうだが、大人同士でもとても大切な事だと思う。

もちろん忘れている訳でないし、いつも心には留めて祈ってはいるのだが、なかなか日々の生活に追われていると、じっくりと被災地の事を「考える」事はなかなかないので、ここ数日、とても貴重な時間が持てた事は感謝です。

5年

11%3A3%3A16_resize.jpg東日本大震災から5年。
今日も鎌倉では神道・仏教・キリスト教の合同追悼・復興祈願祭がおこなわれました。
今年は私が毎週日曜日に行っている雪ノ下カトリック教会でおこなわれましたが、教会に入り切れない方がたくさんいました。5年が経って、鎌倉では震災前と変わらない、いつもの日常がありますが、これだけ多くの人が今も祈りを共にしようという思いで集まるのは、いかにあの震災が人々にとって大きな悲しみだったかを物語っているのではないでしょうか。14:46前まで入り口で雅楽が鳴り、14:46には教会の鐘の音が鳴らされ、教会内でそれぞれの宗教のお祈りが捧げられた後、ご焼香の時には教会内にお経が響き渡っていました。本当にたくさんの鎌倉の人が心を一つにして祈りを捧げました。
その祈りがどうかどうか聞き届けられますように...。

自分の原点

またまた久しぶりのブログ。凄く深いレベルで考えたり、思ったりしているのでなかなかそれがまとまらなかったのだが、それがようやく形になって見えて来ている気がします。

6月のリサイタルをきっかけに音楽やピアノに関して、アメリカでの夏の旅行がきっかけで自分の価値観や人生観に関して、そしてこれと云ったきっかけはないけれども日々の生活の中から信仰に関して、人間の原点(結局は自分という事なんだろうけれど)というかコアがこういうものなのかな、と自分なりの答えがクリアになりつつあります。

長くなりそうなので、また次回に...(笑)。

どんどん大きく、どんどん小さく

リサイタルまでの2ヶ月近い山ごもり生活の反動で、ここ一ヶ月は外に出掛ける事も多く、新しい出逢いや体験がいっぱい。

最近親しくなったレバノン人が「明日になれば」というドキュメンタリー映画をプロデュースした関係で、渋谷のupLinkでの上映会に行きました。レバノンといえば、戦争のイメージしかなかったが、この映画は今現在活躍中のあらゆる分野のアーティストを取り上げていて、本当にこんなにモダンでエネルギッシュでオープンな文化が花開いている事に感動しました。ミュージシャンやダンサー、画家、詩人等を取り上げていたが一番感動したのは建築家Bernard Khouryでした。本当に見たこともない、思いつきもしない、美しい建物群に大感動。いつかぜひレバノンに行ってみたくなりました。

先週末は昔からとても大切にしている方の結婚式が鎌倉の鶴岡八幡宮であり、初めて舞殿に上がりました。親しみのある八幡様での神道の結婚式。とっても素敵でした。花嫁さんが中国の方で、中国の事も色々と知るきっかけとなって、とても幸せなだけでなく、楽しい興味深い時間でした。

そして、先週は初めて韓国に行きました。体操を本格的にやっているイギリスの友人の息子さんが韓国で開催されている大学対抗の世界大会「ユニヴァシアード」の選手に選ばれたので、応援に行ってきました。韓国も初めて、体操を見るのも初めて。正味2日の強行スケジュールで観光は全然出来なかったが、感動がいっぱいの2日間でした。何でもそうだが、テレビで見るのと生で見るのは全然違う。特に男子の体操は迫力とスピード感が凄い。

そんな訳で、色々と世界が広がっていてとても楽しい。また、世界が広がっていけばいく程、世界が小さく感じるというのもとても面白い。内なる世界も、外に向かう世界もどんどん大きく、どんどん小さくなって欲しい。


それにしても、ここ数日の日本といい、ヨーロッパといい、イランといい、何か間違った怖い方向にどんどん進んでいるような気がする...。

本来の自分

気持ちが凄くフラットな気がするけれど、それでも日々の生活の中に感動はあったりするので、これが本来の自分なのかな〜とも思ったりする。今までがハイ過ぎたのかな(笑)。

何に

最近、ずっと音楽とは関係ないようなブログが続いていたように思うが...。しかし,日々の練習に全て感じたものは反映している筈なので無関係なようでいて、自分としては全てが同一線上にあると思っています。

面白いもので、ピアノの方はというと、今6月に向けてコンサートの準備を始めているのだが、今までとは全然感覚的に違うものを感じている。昨年の劇的なめまぐるしい変化とは違って、ツルッと何かが抜け落ちて、スポッとハマっている感じがする。これが本物だといいのだけど。。。

少し前までは、音楽的な試行錯誤を他の演奏者の演奏からヒントを得ようとしたり、音楽の真実への糸口にしようと一生懸命にコンサートに通ったり、レコーディングを聞いたりしていたのだが、最近は音楽ではないものからの方が自分の求めている答えが見付かるのでは、と思うようになって来ました。最近、ブログが音楽とは違うジャンルのものが多かったのもそのせいの気がします。

時々、ピアノの練習を通して、自分は何を探しているんだろう?と思ったりする。音が弾けるようになった後も執拗に練習しているのは何かを探し求めているからなんだと思うのだが。
結局、ピアノや音楽はその手段であって、もっと人間として根本的なものを探っているように思う。

先日、渋谷の松濤美術館でやっていた、ロベール・クートラスの展覧会に行ってきました。
全然展覧会に行くような時間的な余裕も無いのに、どうしても行きたかった理由があって。NHKの「日曜美術館」で紹介されていたのだが、このクートラスさんがとても才能があり、個展を開いたり、画廊とも何回か契約を結びながら、結局人のために売れる絵を描くのが耐えられなくなって、画廊とも決別し、貧困の中、どこで発表するでもない孤独な創造活動を続けたと云うのを見て、どうしても見に行きたくなってしまった。
人に見せるでもない、お金になる(生活のため)でもない、その創作しなくては生きていけないのはどうしてなのだろうか、とクートラスさんに限らず、よく思う事である。
やはり以前に「日曜美術館」で紹介されていた、華道家の中川幸夫さんがあまりに破格で、華道界から破門されても尚、自分の作風を変えず、極貧の中で創作し続けたというのがどうしても心から離れない。

そして、昨年、イギリス人の友人が教えてくれたニューヨークのアメリカ人の女性の写真家の話も本当に考えさせられる。生涯、一度も写真を発表する事の無かったVivian Maier(ヴィヴィアン・マイアー)。亡くなった後にアパートに残っていた膨大な量の写真が競売にかけられ、それを買い取った人がその写真家の名前を世に知らせる事を使命とし、ドキュメンタリーにもなって話題になっていたらしいが、本当にその写真が素晴らしい。

最終的には絵にしても、写真にしても、華道にしても、それは人にも喜びを与えるものにはなるのだが、「何に」かき立てられて絵を描いたり、写真を撮ったり、花を生けたりするのだろう...。答えはないのだろうけど、この孤独な道を歩んだ人達の作品を見て救われるところがある。

4年

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3月11日を前に

3月11日を前に周りで様々なイベントやコンサートが行われています。
今日は2本立て。
いつも行っている教会が震災直後から立ち上げている「カトリック雪ノ下教会震災復興支援プロジェクト=雪プロ」が鎌倉市の「心をひとつに」というイベントに出店するというので、行ってきました。今では馴染み深くなった被災地のあちこちの様々な名産品が売られていたり、ステージでの歌に合わせてみんなが盛り上がっていたりで、とにかく参加している皆さんの凄いパワーを感じる事が出来ました。我が教会の「雪プロ」も被災地の野菜や和菓子と共に会津野菜を使った具沢山みそ汁を売っていて、心が込もっていてとっても美味しかったです!

%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%BC%9A%EF%BC%92_resize.jpgそして午後は昨年も行かせて頂いた、「かんがるーの会」のコンサートに。
「かんがるーの会」は以前に一緒にコンサートをさせて頂いたヴァイオリンの方のお母様が発起人となり、10年計画で被災された子供たちを支援すると云う活動をなさっています。
今回は被災地で心のケアをなさっている先生の講演と、後半はご自身も被災されたクラリネット奏者を含めた4人でのアンサンブルのコンサートでした。最初の発起人の小林さんのご挨拶にしても、講演をなさった先生にしても、クラリネットの方にしても、今も被災された方達、子供たちの心に寄り添っていらっしゃるのがひしひしと伝わって来て,あの当時の悲しみを思い出すと共に、本当にこんな素晴らしい活動をなさっている事に感動致します。

講演の先生がしきりに仰っていた事「自分に出来る事をやる。無理はしない。無理すると返って厄介な事になる。」

もうすぐ3月11日。あの日の事を「心」で思い出し、色々な思いが交錯しています...。

キャッチボール

最近、音楽とは関係ないブログばかりになってしまっている気がするが。。。

%E6%9D%B1%E7%94%B0%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg未だにとても興味を持っていて、ブログも楽しみしている東田直樹さんだが、「あるがままに自閉症です」という本は本当に目からうろこの事だけでなく、妙に納得する事も多くあり、とても興味深かった。東田さんのブログを読むと自分にも思い当たる事が多々あるのだが、「あるがままに自閉症です」の中で妙に共感しながら、笑ってしまったのが「キャッチボール」について書いたものでした。「小学校低学年の頃は、ボールを取ったり投げたりする意味が分からなかった」と書いてあり、私もいつも思っていた事でした。「僕は、キャッチボールをしている間も、転がっているボールの上に腰掛けては休みました。芝生の上にあるボールはソフトボールなのにそれが大きな石に見えたからです」と云う発想は無かったが(笑)、キャッチボールっていつも不思議なものだな〜と思っていました。あれはスポーツというよりも何かコミュニケーションの手段のような気がする。うちに来ていた生徒さんとレッスンの後に時々一緒にキャッチボールをする事があったのだが、意味もなく楽しく、いつもほのぼのとした気持ちになっていたのを思い出します。

外国だとあまりのんびりとしたキャッチボール風景というのは見る事がなく、子供のピッチングをお父さん/お母さんが特訓というような本気モードが多いので、結構子供は楽しいというよりも必死。日本のキャッチボールはいい文化だな〜と思う。

花を持って

後藤健二さんのニュース。同じくらいの年齢のせいか、友人や知人で直接的に関係のある方が何人かいらして、本当に人ごとでは無くなっていたこの数週間。
心が重く、そして色々とまた考えさせられています。

月曜日のレッスンに行く途中、とてつもなく美しい富士山を見て、逆になぜか悲しくなってしまったけれども。。。

今日はやはりレッスンに行く途中で。花屋さん近くの歩道で、ピンクのダウンのジャケットを着た3歳くらいの小さな女の子が3本程のオレンジのバラの花束を持った手を天高く伸ばしながら、満面の笑みで嬉しそうにゆっくりとクルクルと回っていました。お母さんは優しい声で「あんまりまわると目が回るよ」とやはり笑顔で見守っていましたが、あまりに可愛くて一気に暗くなっていた心に光が満ち溢れた感じでした。

この世界に落胆しながらも、また希望を持てる一瞬でした。

%E6%95%99%E4%BC%9A%E2%80%99%EF%BC%91%EF%BC%95_resize.jpg祈りに思いと心を込めて...。

真剣勝負

先日、自分が色々と迷いを持っている人間関係について友人と話していたら、「みほさんはいつも真剣勝負だから」と云われ、何か妙に納得してしまった。友達にしても仕事関係にしても、ちょっとした知り合いでも、どんな付き合いでも、軽く流すという事がなかなか出来ないので、勝手に傷ついたり、頭に来たり、がっかりしたりするので始末が悪い。相手も大変だと思う。

ここ数週間、友人や知り合いのコンサートに行く事も多く、行く度に色々な思いにかられて、かなり気持ち的に振り回されている気がするのだが、何だかコンサートを聴いている事も真剣勝負な気がして来た。純粋にただただ感動出来る時はいいんだけど、考えたり、思ったり、分析したり、悩んだり。人間関係もそうだが、もうちょっと気軽に楽しめないものかな〜と思うようになって来ました(笑)。

昨年に衝撃的な事がいくつか起こり、今までの自分の目標にしていたものやエネルギーの方向性があまりにもあちこちに飛散してしまったので、大げさかもしれないけど、逆に今はこれを利用してとにかく「自分自身」を決めつけないで宇宙の営みにオープンになろうと思っているところ(笑)。新しい方向性や可能性のヒントとなる何かが降って来ないかなと、待っているんだけどなかなか降って来ませんね...。残念ながら。

目的や目標がはっきりしていない時はどうしても生活が雑になりがちなので、今はとにかく一日一日を大切に生きるように心掛けています。

クリスマス=愛

Christmas%20hearts_resize.jpgMerry Christmas with LOVE!

もうすぐクリスマス

先日テレビで、世界のあらゆる国でのクリスマスの祝い方のドキュメンタリーがあってとても面白かった。こんなにデジタル化が進んでいても、子供達にサンタさんの夢を持たせるように色々な工夫がされているのもとても微笑ましい。どこの国だったか忘れてしまったが、夜、子供たちが外で待っていると、サンタさんが5、6階建て程のビルの屋上に現れる場面があったが、その時に男の子が「とんで!とんで!」と云うので笑ってしまった。何語かの訳だったので「飛んで!」なのか「跳んで」だったのかは分からないが、疑いのない興奮の仕方に凄いな〜と感心してしまった。

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サンタさんと同様、現実を知る事も大事だが、大人になっても心の中にはいつも夢やファンタジーを持ち続ける事も大切だと思う。

鎌倉色々

秋になってから、鎌倉でのイベントが盛りだくさん。

%E5%86%86%E8%A6%9A%E5%AF%BA%EF%BC%91_resize.jpg鎌倉らしいと云えば、お寺でのコンサートでしょうか。
先月は覚園寺さん、先週末は円覚寺でのコンサートに行って来ました。
覚園寺さんは前にコンサートをさせて頂いた事もあり、とってもお世話になっているお寺さんですが、何年かぶりのコンサート企画だそうでとても楽しみでした。お寺さんは鎌倉に遊びに来てくれる友人を案内したりするのでたまに行きますが、コンサートのある「三蔵」という別棟は本当に久しぶりに訪れました。こんな素敵なところでコンサートさせて頂いたんだな、と再確認してしまいました。お客さんとしては初めてでしたが、鳥の鳴き声が素敵な効果音になって、とても心穏やかな時間を過ごす事が出来ました。

%E5%86%86%E8%A6%9A%E5%AF%BA%EF%BC%92_resize.jpg先週末の円覚寺さんは畳の広い部屋で、まさに立派な仏様の前でのヴィオラとハープのコンサートでした。昨年初めて聴きに行ったヴィオラの川本嘉子さんに感動して今回行く事にしたのだが、ハープの吉野直子さんがまたとっても素晴らしくて大感激のコンサートでした。吉野さん、バッハのパルティータを編曲無しに装飾音や長いトリルまで入れて弾いちゃっていました(笑)。驚きの連続!それも余裕しゃくしゃくで弾く姿が美しい!見習う事がとにかくいっぱいでした!

%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA_resize.jpgそして、円覚寺さんでのコンサートの翌日は長谷寺でお知り合いの仏師さんの仏像教室の展示会に行ってきました。生徒さんの作品も素晴らしく、その作品と一緒に書いてある感想がとても興味深かった。とても印象に残っているのが(言葉はそのままではないが)「こだわりすぎて、胸が貧弱になってしまった」というコメント。考えてみると木は彫り過ぎてもだめだし、足りなくてもいけないのが顕著に出てしまう。自分も練習をしているとこだわり過ぎて、全然違う方向に行っちゃったりするので、とても心に響いた言葉でした。(前にレコーディングの準備をする時にあまりにのめり込み過ぎて迷子になってしまった事があり、数カ月前に録音したものを聴いてみたら、時間を掛けて仕込みに仕込んだよりもずっといい音楽がそこにあって愕然とした事があった。こだわりもほどほどにしないといけないとはつくづく思うのだが、自分でなかなか潔く踏ん切りがつかないところが自分の弱点のような気がする。)
先生の仏師さんは前にもブログに書いたが、とにかく素敵な方で男女問わずに「素晴らしい人ですね」というコメントがあちこちから聞こえて来ます。先日の11月のコンサートにも来て頂いたようで、私としてはとても不本意な形になってしまったので申しわけない気持ちがあったのだが、話しているうちに仏師さんの笑顔に本当に癒されました。何も云わなくても笑顔だけで、人を癒せるって本当に凄いと思う。

というわけで、鎌倉の良さを色々と満喫。心が大分元気になって来ました。

日常の中で

想像をはるかに越えるハプニングでも、次の日はやって来るもので、日々の日常の中で心がだんだんと落ち着いて来ました。
日常の中にふと思いがけない事や言葉に出逢ったりすると心が癒されます。

今日の5歳の生徒さんのレッスンノートに「ハッピーすぎる」とかわいい字で書いてあって、こちらも何とも云えないハッピーな気分になりました(笑)。

そして、夜自転車で走っていたら、不思議な三日月が。月のまわりに薄くもやがかかっていて、三日月なのに丸く光が囲んでいました。昨日、横浜でやっているムーミンの原作/絵を描いているトーベ・ヤンソンの展覧会に誘ってくれた友人に「今、ムーミン谷に出て来そうな月が出ているよ。」とメールを打ったら、「本当だ!」と即答メールが来ました。
瞬時に色々な意味でつながった感があって、妙に嬉くなりました。

友人がフェースブックにアップしていた、アフリカ、ウガンダの耳が聞こえない15歳の少年の動画。聴覚障害のための学校はもちろん、コミュニケーションを取るツールがないままに今まで過ごして来たが、そこに手話を教えてくれる人がやって来て、手話のクラスを開催する。15年間一度も人と会話をした事のない少年が初めて人と、そして世界とつながるのを目の当たりにして、本当に感動します。(読み書きもなければ、手話もないでは本当にコミュニケーション手段が全くない聴覚障害の人々。アフリカのサハラ以南の国々では珍しくない話らしい。このクラスに来たのは9歳の少年から80歳の女性まで。自分の気持ちを80年間伝えられなかった彼女も手話に出逢ってどんな思いだろう。)

人とつながる、人と思いを交わすというのは人間にとっての根源的な幸せにつながるような気がします。

感謝

11%3A16Flowers_resize.jpg大きなコンサートが終わると心が無防備な上に精神的に何となく不安定なので、あまり今の時点では色々と冷静に考えられない状態ではあるのだが、どうにも日曜日のコンサートはトワイライト・ゾーンに迷い込んでしまったような実際に起こったとは思えない不思議な時間となりました。

全身全霊を掛けて前日まで二人で作って来たコンサートだっただけに、思い出すと泣きたくなるような、笑っちゃうような...。杉谷さんのお客様に対しての責任感と、まさにお客様の思いに支えられ、後半、そしてアンコール、と最後まで辿り着きました。命をかけて音楽を貫き通す、というのを目の当たりにしたコンサートとなりました。

皆様から色々とご心配を頂いていますが、お陰さまで順調に回復にしているようです。
本当に皆様のご心配とご支援を心より感謝しております。本当にありがとうございました。

もの悲しい

今日ずっと考えていた事があったので、それを書こうと思っていたのだが、今、東田直樹さんのブログを読んで急遽変更。ちょっと東田さんにハマり過ぎな気がするけど(笑)。

今日の東田さんのブログは次のように書いてありました。(こういう引用って、版権はどうなっているのかしら?)


『僕は、必ず秋になると、考えることがあります。

それは『もの悲しい』という言葉の意味です。

「はっきりとした理由はないけれど、悲しい」という

気持ちは、心があるから感じる感情というよりも、

誰もが持って生まれた感性のような

気がします。

気の毒な人を見ると、助けずにはいられない

気持ちとも似ています。

人間に必要だから、備わっているものなのでしょう。』


鋭いな〜とも思うし、東田さんの心の美しさも伝わって来ます。
これを読んで、普段自分がいつも不思議に思う事をまた考えさせられました。
「感動する」という言葉はよく使われるし、自分でも「感動」する事が多いのだが,その感情が「悲しい」感情と凄く密接な関係があるような、というか、限りなく近い気がしてならない。誰でもあまり悲しい思いはしたいとは思わないとおもうんだけど、「感動」は多くの人が求めていて、だから音楽を聴いたり、芸術に触れたり、映画を観たり、本を読んだり、スポーツを見たりするんだと思うんだけど。

アメリカに住んでいた子供の頃(6、7歳くらいだったと思うが)にクリスマス時期に窓の外から人の家の中のクリスマス・ツリーや暖炉、家族が見えると何とも云えない「悲しい」気持ちになっていて、それを最近友人に話した事があったのだが、話しながら、それは実は「悲しい」んじゃなくて、「感動」してたのかな、と40年後の今になって思いました。

「感動」って、本当に何なんだろう。

昨日ブログで書いた東田直樹さんの「君が僕の息子に教えてくれた事」のドキュメンタリー。
最初から最後までウルウル。自閉症を持っている側も、彼らを取り囲む家族を含めた人達の側も、相手と繋がりたい、理解したい、愛したい、喜ばせたいという思いがジンジンと伝わって来て、泣きっぱなし。
戦争や環境破壊もしちゃう生き物だけど、人間ってこんなにも愛情深いんだな〜とつくづく感動しました。

生き生きと

少し前になるが、夏の終わりに生徒さんの一人がIPDピアノコンサートで今年も弾く事になったので、聴きに行って来ました。IPDは日本障害者ピアノ指導者研究会の略で、ホールでのコンサートは今年で2回目。戸塚に新しく出来た「さくらプラザホール」でのコンサートでした。

IPD2014_resize.jpg私の生徒さんのダウン症のMちゃんは今回「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜空の星を」を弾きました。クラシックの曲も弾いているのだが、今回はMちゃんの希望でこの2曲。リハーサルで弾き終わった時に、跳ねるようにしてステージ横に入って、その後も笑いが止まらないので、「そんなに楽しかったの?」と訊いたら「緊張しているの。」という答え。緊張って色々な形があるけれど、周りを和ませるこの緊張は羨ましいな、と思う。(以前にお母様からMちゃんは今までの一生に、一度も怒った事がないと聞いてびっくりした事がある。なので、それ以来、何かキレそうなときはMちゃんの顔を思い出して、ぐっとこらえるようにしています。。。笑)

昨年もこのコンサートに出させて頂いたのだが、昨年に比べて、少し大人になったせいか、最初緊張していて、随分と堅くなっていた。昨年は無邪気に弾いていたのだが。でも、後半は大分乗って来て、いつものMちゃんらしい、元気な演奏になっていました。そして弾き終わった後のインタビューでも、「みんなが美味しくスキヤキが食べれるように弾きました」と何とも不意を付いたコメントだったのだが、「上を向いて歩こう」はアメリカで「スキヤキ」という曲名で売り出されて大ヒットしていたから、大笑いしてしまった。機転が利いてるな〜...。
前にも、レッスンの後に「お昼を外に食べに行く」というので、「どこに行くの?」と訊いたら「イタリアにピザ食べに行くの。」と何とも洒落た答え。Mちゃん、私よりも人間出来てるし、ユーモアのセンスがある...。

昨年も聴かせて頂いたこのIPDのコンサート。一人一人のピアノに向かう姿勢が本当に素敵でした。そして、ご家族のサポートのお陰だと思うが、子供は特に、障害を持っていても制限を感じないのが凄かった。車いすに乗っておられた小学生の女の子に「ピアノの他に好きな事は何ですか?」の問いに「テニスです!」。もう一人の脳性麻痺の車いすの女の子も、小説を書くのが好きという事で「どういうお話ですか?」と訊くと「天使と一緒に冒険するお話です」ととっても明るい声で答えていました。障害を持ちながらも一人一人が明るく、生き生きとしていて、本当にたくさんの元気を頂きました。

(余談だが、最近の車いすって、かっこいい!色がシックだったり、車輪にライトが付いていたり。子供の心をくすぐるような工夫が色々とされているのですね。)

追記になるが、このIPDのコンサートの話を友人にしたら、彼女がたまたまテレビで見たという、自閉症の東田直樹さんのドキュメンタリー番組の話をしてくれました。今回のコンサートでも大勢の自閉症の方が出ていましたが、ダウン症と違って、なかなかコミュニケーションが取りづらい障害なような気がします。それが、この東田さんが自閉症ながら、ことばを持っている事で、その自閉症の謎を色々と解き明かしてくれているようです。彼が、全ての自閉症のアンバサダーではないけれど、大きな革命を起こしている事は確からしい。ブログも書いているのだが、それがめちゃくちゃ本質を付いていて鋭い。その言葉がまた簡潔で詩的で、心に染み入る。自閉症ではなくても全ての人に共通する、心の葛藤や生きていく上での様々な疑問や矛盾が純粋な心で書かれています。

間近で申しわけないが、友人が話していたドキュメンタリー「君が僕の息子に教えてくれた事」が13日(土)、15:05〜16:04、NHKで再放送されるそうです。

太刀を抜け

数年前の友人との会話。
私: 「ピアノ弾くのは大好きだけど、人前で弾くのはあまり好きじゃないんだよね。」
友人:「じゃ、なんでコンサートするの?」
私: 「上手くなりたいから」(一回のコンサートは練習の何十時間にも匹敵する)
友人:「なんで上手くなりたいの?」
私: 「人を感動させたいから」

矛盾しているこの自分の答えに凄く驚きました。

そして、今になってこのやり取りから当時、自分が凄く間違った道に進んじゃったのが見えています。
まず、人を感動させようと思って作った音楽なんかに人は感動しないのだ。もうここからして大きな勘違い。サービス精神はいいのだが、聴いてくれる人の事に思いが行き過ぎて、音楽から遠く遠くに離れてしまった。音楽とだけ向き合うべきなのに。自分の思いや感情はさておき、とにかく音楽だけが存在しなくてはいけないのだ。やっとそれが見えて来て、まだ完全な形にはなっていないが少しずつ出来つつある手応えがある。そして、自分でもそれが本当の音楽と思えるようになってきたら、人を感動させたい、という傲慢な思いではなく、共有したいとは思うようになって来た。
「人前で」っていうのも何だかその時の心境を映し出しているような気がする。「人前で弾く」というのは好きではなくても、「コンサート」というものは当時でも好きだったように思う。

%E7%82%B9%E6%BB%B4%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg秋に30分の短いプログラムだが、久しぶりにソロのコンサートがあります。昨日、やっとプログラムも最終的に決めたので、後は練習のみ。この一年半の修業の成果、出てくれるのかな〜。。。とちょっと弱気にもなったりするのだが、最近勇気づけてくれている詩があります。

太刀を抜け
太刀を抜け
今、太刀を抜け
生命の奥座敷に
据えてあるはず

岩崎航さんの五行詩。
今こそなのだ。
ここまでの覚悟を決める勇気が本当に欲しい。


。。。

今日の月は有難かった。
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当たり前

先日、お皿洗いをしながら音楽の事を色々と考えていたら、何だかこの色々と考えている事が急にバカらしくなって、空しくなって、そして何だか無性に悲しくなってしまった。あんなに色々と開眼して見えていた筈なのに、録音してみたものを聴いてみたらそれほどの進歩も無い事にがっかりして、「私一人でなにやっているんだろう?」と思ってしまった。一人で喜んだり、興奮したり、沈んだり。今色々と読み返している本は画家だったり、彫刻家だったり、小説家の本で、苦悩している事や創作者としてどうあるべきか、などとても共感する事が多いのだが、クラシック音楽に携わっている自分にとってこれは正しい道なのかを疑問に思い始めてしまった。何も無い所から何かを生み出すのとは根本的な何かが違うのかもしれない。先に完成された音楽があるのだから、自分は勝手に事をややこしてくしてしまっているのではないかと...。

真実(それも何なのか曖昧でたまらない)を追求する事が急に嫌になって、もう何も考えない方がいいのかとも思い出したのだが...。でも、やはりよくよく考えてみたら、バッハやベートーベン、ブラームスのような巨人達の音楽を自分が何も考えなかったり、追求せずに演奏してしまったら、本当に浅はかな独りよがりの音楽になってしまう事にも気付きました。偉大な作曲家達の曲を弾かせて頂いているわけだから、これくらい悩んで当たり前だと思えるようになって来ました。

別のもの

昨日のフォト・セッション前に、前日に弾く曲を全部録音しました。ここ数週間の開眼がどれくらい反映されているか、結構期待していたのだが...。

聴いてみてちょっとガッカリ。以前とは明らかな違いはあるものの、やはりそれだけでは全然足りなかった。ブラームスだけが相当に良くなっていたのだが、ドビュッシーやラフマニノフは逆に欠如しているものが多くなってしまった。シューベルトはまあまあの進歩といった所(笑)。自然な音楽を目指していても、だからといって自然体で弾いてはいけないのだ。(自然体で弾いていいのは、天才だけなのだ。)味も色気も何もないドビュッシーとラフマニノフになっていた。まだまだやらなきゃいけない事がいっぱい...。

それでも、やはり大きな進歩があった事は確かで、さらに昨日の齋藤さんとの会話の中でまた大きな答えを一つ頂きました。
「どういう時にシャッターを切るんですか?」という質問に対しての答えの中で「感情はそこに無いのは確かです。」さらに「喜怒哀楽ではないもっと別のものです」と仰っていて最初「えっ?」と思ったのだが、よくよく考えてみると自分が良いと思った時の演奏の時は確かに(表面的な?)感情が無い事に気付きました。まさにブラームスを弾いている時がそう。そして、前日の録音したドビュッシーやラフマニノフの事を考えてみたら、感情が逆に邪魔していて曲の本質から反れていました。感情がないというと、誤解を生みやすいのだが...。機械的に弾いているわけでもないし、冷静とも違うのだが、なかなか言葉で説明するのは難しい。

しかし、この頂いた言葉でまた見えて来たものがとてつもなく大きい。今日の練習は余計な「感情」を無くすように、と頑張っていました。具体的に目指すものが言葉にされるのはとっても嬉しい。

もっとも遠いもの

音楽の真実に近づくためにあらゆる芸術からそのヒントや答えとなるものを探していたのだが、最近自分なりの真実が見え始めているので、今まで自分の周りに置いていた好きな写真集や本から、今辿り着いている答えと一致しているのかどうかを読み返したりしている。同じ本なのに、全く新しい視点から見れるのと同時に、自分の心に響く深さが全く以前と違う。

昨日、以前ブログでも紹介した舟越桂さんの「個人はみな絶滅危惧種という存在」と云う本を読み返していたのだが、その中の一節。

『もっとも遠いものとは自分かもしれない。』

本当にそうだった、と心に染み入る。外の世界から答えを見つけ出そうと、とてつもない長い旅に出てしまっていたが、やっと「自分」に戻って来ました。今、これを書きながら思ったのだが「青い鳥」と同じだ...。結局、みな同じような事をしているのか〜...。

闇ー光

『人生、一瞬先は闇』とはよく云ったものだ。
でも救われるのは、闇の中から見えて来る光もあるのだ。

心を一つにして

3月11日。鎌倉では今年も3宗教による合同追悼・復興祈願祭がおこなわれました。
前にも増して、大勢の方がいらしたような気がします。しかし、14:46の黙祷の時にカメラのシャッター音がカシャカシャとなっていたのが気にはなりましたが。。。それでも、やはりその場にいるということも祈りにはつながっていると信じたい...。

今年は鶴岡八幡宮でおこなわれたので、お祈りの順番も神道からはじまり、仏教、キリスト教、と続きました。神主様のお祈りの中で「神、仏の境を越えて、心を一つにして....」という言葉に本当に心を打たれました。

隣にいたどこにでもいそうな普通のおじさん。仏教のお祈りの時に共にお経を唱え、キリスト教のお祈りの時には賛美歌も歌っていました(笑)。頼もしい...。

私が行っているカトリック雪ノ下教会では「東日本大震災被災者のための祈り」というのがあります。3月11日だけでなく、時あるごとに教会でみんなでお祈りしています。以下のとおりです。

父である神よ、
全ての人に限りないいつくしみを注いで下さるあなたに、
希望と信頼をこめて祈ります。
東日本大震災によって今もなお苦しい生活を送り、
原発事故によって不安な日々を過ごす人々の心を照らし、
希望を失う事がないよう支えてください。
また、亡くなられた人々には、永遠の安らぎをお与えください。
すべての人の苦しみを担われたキリストがいつもともにいてくださることを、
わたしたちがあかしできますように。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
(日本カトリック司教協議会認可)

3月11日だけでなく、毎日このお祈りが届きますように...。

3年

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追悼・復興祈願祭

%E7%A5%88%E9%A1%98%E7%A5%AD_resize.jpg今年も3月11日に鎌倉で神道、仏教、キリスト教が合同でお祈りをする、追悼・復興祈願祭がおこなわれます。今年は鶴岡八幡宮で14:40からです。
前夜の3月10日には長谷寺で「追善法要〜鎮魂の万灯会」が17:30〜19:30までおこなわれます。

今年は特別祈願ローソクが販売されました。鎌倉宮、円覚寺僧堂、鎌倉恩寵教会で加持祈祷、祝福を受けた「祈りのローソク」が700個作られ、祈りを共にしよう、と呼びかけています。

日本だけでない、世界中の祈りが届きますように...。

かんがるーの会

%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%83%BC%E3%81%AE%E4%BC%9A_resize.jpg3月11日が近づいて来て、いろいろなイベントがあちこちでおこなわれていたり、計画されていたりしています。
先週末に「かんがるーの会」が主催したチャリティー・イベントのコンサートに行って来ました。「かんがるーの会」は一年程前に一緒にコンサートをさせて頂いたヴァイオリニストの小林正枝さんのお母様が発起人で、東日本大震災で親を亡くした東北の子供たちを支援するために立ち上げた会です。今までに370万円を越える寄附金を震災遺児にお渡ししています。大震災で父か母が死亡またや行方不明となった震災遺児は1464人、両親とも失った孤児は241人に上るそうです(2012年6月2日時点で)。この子供たちをこれから10年間支援する事を掲げて、活動しているそうです。

今回のコンサートは小川典子さんのピアノ・リサイタルでした。イギリスを拠点に活動しているピアニストですが、震災の時に日本にいらして、その時のお話等もして下さいました。世界中でコンサート活動をおこない、今もこの震災の事を忘れないように呼びかけて下さっているそうです。

もうすぐ3年。被災地はまだまだ普通の生活からは程遠いですし、まだまだ支援は必要です。私たち一人一人に出来る事は限られているけれど、「忘れない」という事で出来る事はきっとまだまだあるはずです。

思いやり

                             釜石の朝焼け
%E9%87%9C%E7%9F%B3%E2%80%9914_resize.jpg一年一ヶ月振りでまた釜石に行ってきました。
一年に一回は行きたいと思うのだが、なかなか仕事の調整が付かず、一年を過ぎてしまいました。今回の活動は三日間。イベント等もなかったので、仮設住宅の集会所でみなさんが集まれる場を提供する「お茶っ子サロン」の主催のお手伝いが主な内容。手芸やゲームをしたり、お茶を飲んだり、新聞を読んだり、と皆さんが思い思いに自由に過ごすのだが、「何かをしながら」自然と話が出来る場を提供している。傾聴、心のケアが目的となっている。

仮設にいらっしゃる方は,一人一人がそれぞれに深い傷や大きな悲しみを背負っているのだが、今回は本当に「時間による癒し」を感じる事が出来ました。どんな人でも負った傷というものは消えないものだと思うが、やはり時間が経つと、それは生々しいものではなくなり、最初の頃は血が出たり,膿みが出たりしたものがかさぶたが出来るように、今回の皆さんのお話やお話する様子を見ると、あの地震との「距離」を少しだけ感じる事が出来ました。一緒に手芸をした優しそうなおばあちゃんが「あなたと同じくらいの娘がいたのよ。流されちゃったけど...。」とそれはそれは悲しそうな目をしていらしたし、小学生の女の子がトランプしながら「おじいちゃんはいるけど、おばあちゃんは流されちゃった」と話してくれると、心の中では本当に悲しくなってしまうのだが、皆さんの雰囲気が前とは比べ物にならないくらい良くなっているのを感じて「人って凄い力を持っている!」と、本当に勇気づけられました。

最後の日は、いつもお世話になっている釜石カトリック教会内での活動で、こちらもいらした方と卓球をしたり、お茶を飲んだり。そして、今回,初めて少しだけ,ピアノを弾きました。音楽は直に心に訴えかける力があるだけに、逆に私は自分の周りで大きな傷を負った時に音楽を聴けなくなってしまったという友人が何人かいるので、被災地でピアノを弾くのは本当に気を付けたいと思っていた。今回,釜石に行くのは5回目だが2回目位からいつも子供が好きそうなアニメの歌や唱歌の楽譜だけは持って行っていたが、今まで機会がなく...。
今回はちょっとリクエストがあったので、いらしていた方にお訊きしてから、静かにBGMとして弾いていました。シューベルトやバッハ、ドビュシーを何曲か弾きましたがやはり「月の光」は好評でした(笑)。あれは、やっぱり名曲なんだろうな...。
その後に、いらしていた方と一緒に唱歌を。びっくりしたのが、こちらのピアノと自由にハモって下さっていて聞いた事もない素敵なメロディーラインを作っていました。お母様と家で時々歌っているという事だったが、「ここに来るとインスピレーションが湧いて上手く歌える。家では全然だめだけど」と云っていた。

とにかく、被災地にいると色々と見たり,聞いたり、感じたり、思ったり、考えたり、と本当に濃い時間を過ごします。自分は自分の気持ちのために行くのだけど、ベースキャンプの方が、「被災地に来なくても、媒体を通してこっちの事を見たり聞いたりして心を痛める人がいる。それも祈りだと思うんだよね」と仰っていた。

集会所でのお茶をする場所提供の心のケアも「本当はもっとたくさんの人に来て欲しいけど...。でも、引きこもっている事で平和な人もいるからね。」とシスターがマリア様のような笑顔と声で話して下さったのもとても印象に残っています。

ボランティア・ベースキャンプのスタッフ、ボランティアでいらしていた方達、そして被災された方々自身がお互いを本当に心から思いやっている事が本当にひしひしと感じられる数日間でした。

ついに

昨年の春からずっと悩んできた事があり、この数カ月意識的に人前で弾く事を避けて自分と自分の音楽と向き合って来たが、ついに今日その答えがやって来た。本当に嬉しい。これでしばらく迷いなく突き進めるような気がします。次の迷いが出て来るまで...。

11日のコンサートまで余計な邪念が入らないように相当心を守って来たせいか、逆に今心がとてつもなく無防備になっている気がする。やたらと感動したり、悲しくなったり、感情のアップダウンがかなり激しい。

コンサート当日にいかに心をオープンにするかが勝負だが、当日のリハーサルで合唱団がオーストリアのコンクールでグランプリを取った時の映像を流した時に舞台袖でウルウルしてしまい、「感動してる場合じゃないよ!」と思っていたのに,本番のオープニングで同じ映像が流れると、またまたウルウルしてしまい,ほとほと自分に呆れてしまった。


そして、先日は朝にテレビでやっていたルーブル美術館の特集の中でのカラヴァッジオ作の「聖母の死」の絵で、全然主人公でない後ろの方で嘆き悲しんでいるおじいさんの顔にウルウル、齋藤陽道さんの写真展でうるうる、そして極め付きに夜中テレビでやっていた鵜住居地区の防災センター取り壊しのドキュメンタリー「最後の場所がなるとき」でウルウルどころではない状態に。一日のうちに何度泣いているの?って思ってしまった。

でも、こんな状態だからこそ今日の待ち望んでいた答えが出たような気がします。この数カ月間は本当に無駄ではなかった。


片思い

%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%83%A0_resize.jpg昨日テレビの「日曜美術館」で紹介されていた、齋藤陽道さんの「宝箱」という写真展に行って来ました。
番組内で紹介された写真も素晴らしかったが,何よりも齋藤さんのコメントに感動してしまったので、早速行く事に...。

青山のワタリゥム美術館での写真展。三階に渡っての大掛かりなものだったが、一つ一つの写真が本当に美しく,何と云ってものびのびとしているので、見ていて心が解放される感覚がある。
それぞれの階に本人のコメントが書いてあるのだが、それがまた素晴らしい。写真撮影禁止だったので何となくしか覚えていないのだが「人や世界との境界線を無くしたい。」と云ったような言葉があり,正に写真がそれを証明していると感じました。

そして、この展示会をすぐにでも見たいと思った一番のきっかけが「音楽」に関係した写真を多く撮っておられるという事。聴覚障害を持つ齋藤さんにとって「音楽は永遠の片思い」というコメントが書いてあり、そして「だから逆に、そこに宇宙が広がる」というような事を番組内で云っていました。

最近,「音楽」という事が「音」とどれくらいに関係があるんだろうかと良く考えさせられる。同じピアノを弾いても全然違う音がする。物理的には同じ音しか出ないはずなのに...。どんなに大きな音を弾いても、それが心に届かない時もあれば、どんなに小さな音を弾いても直に心に響く時がある。今回の合唱のコンサートも、10年近く前にに弾いた時にはホールの大きさに負けないように相当気負って弾いたのを覚えているが、今回はあえて気負わずに無理せずに弾いても音が届くかどうかを見てみたい,という思いがあった。今の所、「音がよく聴こえなかった」というコメントはまだ聞いていないので音の大きさの問題ではないような気もする。

そして一番大きな問題の「感動」という事に関して,本当に人は何が聴こえているんだろう?と、よく考えさせられる。以前にアメリカの友人と巨匠ミケランジェリの話をしている時に「あの人のコンサートは耳が聴こえない人でも感動するような気がする」と意見が一致したのをとてもよく覚えている。

齋藤陽道さんの「音楽」を撮った写真からは「静かな音楽」がちゃんと聴こえる。齋藤さんにとって「音楽は永遠の片思い」とコメントしていたが、もう既に両思いになっている気がする。

ピアノを弾いている自分は実はまだまだ片思いの気がしないでもない...。

今年の目標

毎日寒いが、おかげで空気が澄んでいるので,本当に星空がきれい。嬉しい。

今日テレビで写真家、野町和嘉さんのインタビュー番組をやっていました。色々な写真を撮っておられるが、どの写真も人間の根源的な本質を見せつけられているようで見入ってしまいました。世界は、そして人間は本当に美しい。
そして、様々な宗教の「祈り」の写真があったのだが、本当に心打たれました。自分の信仰心、祈りはあまりにも浅い、と...。

昨年、仏師さんとの出逢いがあり、自分の信仰や音楽をとても考えさせられるきっかけとなりました。その方の何事に対しても真っ正面から(人に対しても、仏像に対しても、自然に対しても)静かにそして深く向き合う姿勢にとても感動しています。
自分の音楽にも自分の信仰にもちょっと行き詰まった感がある今だけに、宗教や携わっている分野が違うからこそ、違う角度から色々な事が見えて来て,多くのヒントを頂いている気がします。

今日の野町さんの写真の中の人々の「祈り」の姿の中にも答えがあるように感じました。

なので、今年の目標は「祈り」を深くする事、に。音楽に対して、人に対して,生きている事自体が祈りになるように...。

追記:野町和嘉さんの展覧会はローマで5月までやっているそう。
行けるかな〜...。

心で忘れない

今日は自分の教会での一大イベント,バザーがありました。毎年テーマがあるのだが、今年は東北支援のバザーで「つなぐ・つなげる」を掲げ、売上金は全額東北支援にまわされる事になりました。

焼きそばやお汁粉、炊き込みご飯や東北の各地からの特産物、宝市や手芸品、ゲームやくじ抽選等大賑わい。お天気が良かった事も手伝って大盛況でした。

そして今回の一番のイベントが地元鎌倉の医師、さかいクリニックの酒井先生による講演会でした。さかいクリニックさんは家から本当に5分のところにあり、まだお世話になった事はなかったのだが、前庭で色々と東北関係のイベントをおこなっていたり、ポスターが貼られているのは通りすがりに見てはいたものの、あまり気にしていませんでした。

しかし,「今回の講演会は絶対に聞いた方がいい」、と何人にも薦められたので、バザーのお手伝いも途中でほっぽり出して聞きに行ってしまいました。

本当に聞きに行って良かったです。お話をして下さった酒井先生は40代という事でしたが,見た目はさらにお若く,遠目からだと本当に20代と思ってしまう感じです。お話の内容から、その行動力と医師としての使命感、そして人を助けたいそのご意思の純粋さと謙虚さがひしひしと伝わって来ました。「僕の言葉だと伝わり切れないし,話しながら泣いてしまうのでもう講演会はしないと決めて1年が経つ」と仰っていたが、今回教会のお願いに応えて下さって講演をして下さった事に本当に感謝です。

やはり講演中は何度も涙されていましたが、聞いているこちら側としても酒井先生の言葉だからこそ、何度も心動かされたのだと思います。医療器具が足りなくて助けたいにも助けられない時に「本当に辛かったです」と涙ながらに話されたその声が今でも耳に残っています。医師として震災直後に行かれた彼にとっても3年経った今でも、その深い悲しみがあんなにも生々しくまだ残っているのだったら、実際に震災に遭われた人達はきっとその何倍もの悲しみを背負って毎日を生きているのかもしれない,という事を思い知らされました。

震災9日後に現地入りするためのいきさつや準備、そして当時の現地の状況等、本当に貴重なお話を聞く事が出来ました。悲しい内容と共に、酒井先生だけでなく、当時いかに多くの人が混乱の中、人を助けたいがために動いていたかという話も多く聞かせて頂けて、人間の素晴らしさにもまたまた感動してしまいました。

酒井先生は色々な活動をなさっていて、それにも本当に頭の下がる思いです。
「stop the 無関心」やこれからは「おせっかい」をどんどんしていく社会にしましょう、果ては「今日は鎌倉市長選挙だから投票にいきましょう!」など、笑いも取っていましたが、先生のモットーに一貫して「人に関心をもちましょう。つながりをもちましょう」という事が掲げられていて本当に素晴らしいな〜と思いました。お話も一時間近いものでしたが、何も見ずに話されていましたから、本当に信念のもとに話されていたのがとても伝わって来ました。

昨夜も大きな地震があり、私もパッと「被災地は大丈夫だろうか?」と頭で思ったりするので、震災の事を忘れている訳ではないと思うのだが、やはり心や感情で忘れている部分は大きいと実感した今日の大切な講演会でした。心から思い出すきっかけを頂けて本当に感謝な一日でした。

芸術の秋

只今ピアノの方は修行中なので、とにかく色々なものを吸収して自分の音楽をじっくりと見直しています。

秋口には俳優座でのチェーホフ作の「三人姉妹」を観劇。チェーホフの劇は昨年観たやはり俳優座の「かもめ」が初めてだったので、今回が2作目。今回も本当に素晴らしかった。演出が斬新過ぎて,最初相当分かりづらかったが,劇が進むにつれて、どんどんと台詞に引き込まれていってまわりの演出が気にならなくなりました。チェーホフの言葉の凄さにまたまた感激しました。それにしても、前回の「かもめ」といい,今回の「三人姉妹」といい、人間の素晴らしさと愚かさ,悲しさが深々と表現されていて、時代や国を越えてこんなにも心を打つものかと驚いてしまいます。特に今回の三人姉妹では,自分と全く重なる登場人物がいて、本当に切なくなりました。

その後,一緒に観劇した方からチェーホフの本をお借りして原作を読んでいるのだが、これがまたとっても面白い。戯曲は今まで読んだ事がなかったので、今回初めて読んで色々と発見があります。「ここの台詞はもっとあっさりと云う気がする」とか「ここはもっとテンポをゆっくりだろうな〜」とか「ここはもっと腹の底から」と、観劇したものとは違う解釈で登場人物が浮かび上がって来るのです。音楽の楽譜と同じで、名作はやはり人それぞれに解釈が出来て、本当に楽しい。

10月初めには、鎌倉での薪能。これは毎年の行事だが雨の事が多くてなかなか公演が実行されないのだが,今年は珍しくとってもいいお天気。場所は鎌倉宮で、境内に階段状の座席を特設しての大掛かりなものです。山に囲まれた社殿で、始まる前に祈祷やお清め、火入れの儀式をするのだが、それがとっても厳かに行なわれて本当に心が清められます。実際のお能もそんな神聖な空気の中で行なわれます。まだまだお能に関してはよく分からない事も多く,感動するところまではなかなかいかないのだが、その神聖な空気感の中にいるのがとても好きです。クラシック音楽ももともとはそう云う所から発しているので共通している所がとても多いような気がするのだが...。

映画では,友人が数カ月前に貸して下さったDVD、中国映画の「鬼が来た」をやっと観ました。この「鬼が来た」の映画のメイキングを日記のように書き記した本を数年前に雑誌の書評で見付けて買って読んだのだが、中国に興味があると知った友人に薦めたら、その友人がその本に感激してすぐにそのDVDを買って私に貸してくれたという次第。長いのでなかなか観る時間が取れなかったのだが、観てみたらあまりに面白くてまたびっくり。中国版の黒澤明映画のよう。ダイナミックで,テンポ感が良くて、とにかく面白い。ユーモアがあるのだが、実は人間の本質をもの凄くよく捉えていて,とても深い。絶対お薦めです。裏話としては、撮った白黒のフィルムは何と500万本分だったそう。いかにこだわりの映画かが分かります。(ちなみにアメリカでの興行収入が$18,944(200万円?)だけだったそう...。カンヌ映画祭ではグランプリをとっているのだがいい映画と興行収入が比例しない、究極的な例!)

そして、今イタリア文化会館でやっている小説家タブッキのイベントで彼の小説を映画化した「供述によるとベレイラは...。」を観て来ました。これも「鬼が来た」同様、最初は人間の滑稽さや愚かさをユーモアを交えながら軽やかに進んで行くのだが、ある大きな出来事によって、人間がいかに変貌していくかを描いています。人間はいい方にも悪い方にも変われてしまう。悲しい事だが、でも、だからまだ希望もあるのかもしれない。


本に関しては,先日偶然見付けた「音楽の根源にあるもの」(小泉文夫著)を読んでいるのだが、表面的なこじつけでない、説得力のある本でとっても面白い。世界中の音楽のルーツや違いを研究していてつくづく興味深い。普段から日本人の芸術や音楽に対する感じ方に何か西洋人とは根本的な違いがあるのではないかと考えていただけに、「なるほど!」と思う事が多く、答えをいっぱい見いだしている感じです。

という訳で、芸術の秋に相応しく,心の世界を広げています。
自分の音楽も、何がしたいのか、何が大切なのか、何を無くさなきゃいけないのかをじっくりと追求しています。

ユーモア

チェーホフの「かもめ」がきっかけでユーモアのについて色々と考えさせらているが、音楽の中のユーモアもかなり色々な形で含まれているように思う。クラシックは宗教や信仰と密接に関係しているので、もちろん曲によるが、ハイドンやモーツァルトなんて結構人を意図的に驚かせたり笑わせたりする要素があちこちに垣間見られる。

ベートーベンは特にそうで、「なくした小銭への怒り」という究極の面白い曲がある。ロンドン時代に一度だけ友人のMちゃんが弾いたのを聴いて一耳惚れ。面白い、というか、なくした1ペニーの小銭を一生懸命探している姿を想像すると、本当におかしくなってくる。未だにMちゃんに「あの曲また弾いて!」とお願いするのだが、「今、もう弾けない!あの曲凄く大変で,あの時は相当頑張った!」という。聴いている方はめちゃくちゃ楽しいのだが、短い曲なのに相当大変らしい。そういう理由からか、凄くいい曲なのに、コンサートでは滅多にお目に掛かれない。残念!

昔,友人のTとやはりベートーベンの最後のソナタ第32番に出て来る、延々と続く付点の付いたようなリズムについて「あれはどういうつもりなんだろうね?」という話になった。音楽的にちょっと軽いと云うか,ポップというか。さすがに弾いている方は厳格に弾くのだが、聴いている方としては真面目に聴くより、やはりノって楽しくなって来るし、楽しく聴かないと逆に滑稽に聴こえて来るような気さえする。「悲愴」や「熱情」、「テンペスト」そして宇宙の果てまでもいっちゃっているような「ハンマークラヴィア」を含む32もあるソナタ群の最後の最後に、このノリのいいリズムが出て来て、また延々と続いているのがとても不思議。友人と、「ベートーベンが本当にロックのようなノリで書いたとしたら凄いよね」という話で終わったように思う。
32曲のソナタの最後の最後でベートーベンは笑っていたのだろうか?どうだろう....。

苦しみや悲しみの多い人生。ユーモアに救われる事って本当に多いように思う。

悲喜劇

チェーホフの「かもめ」がジャンル的に「喜劇」に入る事がどうにも気になって、色々と考えたり、調べたり。

実際に劇を観ている時は、どっぷり浸かってしまっていたのですっかり「重さ」や「深さ」に身を任せてしまったのだが、数日たった今、冷静に考えてみると、人間や人生の滑稽さや皮肉がエッセンスとして心に残っているので、これは喜劇でも全然ありなのではないかと思えて来た。色々と調べていたら、初演の時の演出家が重い、暗い演出をしようとしたのに対して、チェーホフが「これはコメディーなんだから!」と大激突した記録が残っているらしい。

確かに何場面か台詞の切り替えがあまりに唐突な時があって、感情的に付いていけない所があったのだが、意外と軽い演出だったら切り替えがスムースなのかも、と思ったり。おまけに、軽い流れで持っていったら最後の悲劇ももっとインパクトのあるものになるのかも、と思ったり。

なので、今までこの「かもめ」を軽い演出でしたプロダクションはないかと調べてみたら,実はいくつかあるらしい。この「かもめ」のロシア語からの英訳は1998年から2004年の間だけでも出版されたものが24もあるらしく、それだけ解釈が広いという事なのだと思うのだが、それなら演出もいくらでも広がりそう。過去に海外で公演された軽いバージョンの批評もいくつか見付けたのだが、意外だったのがつい先月鳥取で笑えるバージョンをやっている劇団があったらしい。鳥取というのがまた面白い...。いつかぜひユーモアを前面に出したものも観てみたいな〜。
名作の懐は限りなく深い。

チェーホフ

ここ数日、一月に大感激した俳優座の事を何故か思い出し、色々と調べてみたらちょうどチェーホフの「かもめ」をやっているのを発見。急遽行く事にしました。

%E3%81%8B%E3%82%82%E3%82%81_resize.jpgチェーホフはロンドンでもしょっ中上演しているのだが、あまり評判のいいものに出逢えず,今まで避けて通っていた作家でした。いつか観たいな〜とは思っていたが。なので、今回、初めてチェーホフが観れると思い、ちょっとワクワク。

俳優座の稽古場での公演とあって、席数も少なく、平舞台な上に席が一列目だったので、俳優達がとっても近い。ライブの醍醐味を存分に味わえました。

チェーホフがこんなにも共感出来る作家だったのか、ととにかく感動。作家の思考の仕方、ものを作り出す苦しみや葛藤、喜び、名声や評価に対しての憧れ、虚栄心、軽蔑、が色々な人物を通して表現されていて,本当に素晴らしい。今まで持っていた、チェーホフの「重い,長い」というマイナスイメージが一気に吹き飛びました。「重い」という事は「深い」という事であり、あそこまでの深みに辿り着くには時間も必要なのだから、「長い」とも全く感じない。

チェーホフの作家としての素晴らしさは別として、ストーリーはというととにかくとにかく悲しい。終わってから本当に無性に悲しくなってしまいました。皆があまりに報われない一途な愛に心を痛めていて...。一番純粋なはずの「作家」が唯一フラフラしているのが気になるが。

それにしても、俳優座って本当に素晴らしい!前回の「カラマーゾフ兄弟」も大感激だったが、今回の「かもめ」もとにかく自然体なのが凄い。演劇特有の型が全くない。国も時代も違う劇をあんなにも自然に表現出来て、そして受け取る方も自然に受け入れられるって本当に凄い。型を感じさせない俳優座の型というのがある気がする。

チェーホフに感動し、俳優座に感激。本当にいい時間を頂きました。

追記:この「かもめ」。とにかく暗いし,悲しくなっちゃったのだが、今ちょうど練習しているロシアの作曲家のムソルグスキーの「展覧会の絵」と共通するところが多い。手を付ける前は明るいイメージの曲だったが、練習してみると「なんでこんなに暗い曲ばかりなんだろう」とその影の部分が際立って来ている。面白い事に、色々と調べていたら「かもめ」のジャンルは「喜劇」に属すると英語のサイトに書いてあった。チェーホフが手紙に「喜劇を書いている」というのがその理由らしいが、書き上がった後もこれは撤回していないらしい。まぁ、確かに見事に誰の愛も報われないと云う意味では喜劇になるのかな〜...。深過ぎる...。

一年

12-03-11_14-07_resize.jpg東日本大震災から一年。鎌倉の建長寺で仏教、神道,キリスト教による合同追悼・復興祈願祭が行われました。一万人を見込んでいたそうだが、実際にどれくらいの人がいらしたのだろうか。前回の鶴岡八幡宮よりははるかに多くの人が来ていたのは確か。

それぞれの宗教者が列をなして、建長寺の境内をお祈りしながら一周し、本堂に集まり、それから祈願祭が始まりました。

12-03-11_15-51.jpg午後2:46には鐘が鳴り、黙祷。あれだけの大人数が一瞬にして静かになり、とてつもない悲しみに襲われました。本当にあの一分間は日本中が心を一つにしていたように感じました。鳥の声さえも聞こえませんでした。

亡くなられた方,まだ行方の分からない方、被災された方、そして彼らを支えて働いていらっしゃる方達のために心からお祈りをお捧げ致します。

3月11日

日付が変わり,3月11日になりました。
もう少し前に書けば良かったのですが、鎌倉ではまた東日本大震災のための追悼・復興祈願祭が建長寺で行なわれます。神道・仏教・キリスト教が合同でお祈りを捧げます。
午後2時30分からです。
公式サイトはhttp://www.inorikamakura.comです。

イギリス気分

最近ブログを書く習慣からすっかり遠のいてしまっていて、なかなか書くのに気力を要するようになってしまった。新年に入る前から、今年は色々と身辺を整理して本当にピアノに集中しようと思い、まずは家の大整理から始まり、自分の生活も随分とシンプル化する事が出来てきたように思う。ホームページも色々と心機一転したいのだが、まだそこまで辿り着いていないので、そこはもう少しお待ち下さい(笑)。

実は昨年の暮れに知り合いの方に去年一年間のコンサート前の精神状態があまり良くなかった事を話したら「努力が足りないんじゃないの?」と云われ、一瞬カチンと来ながらも、よくよく考えてみたら、確かにそうかもしれないと思いだしました。一生懸命にやっている所は一生懸命なのだが、実際に自分が目指しているものに向かっての努力はしていたかと考えてみたら、そこが意外にも抜けていた事に気付きました。なので、今年は「努力の年」にする事にしました。

面白い物で、目標を定めて努力し始めて間もないが、もう既に手応えがあり自分のピアノがみるみる変わっていくのを実感している。今はコンサートがない事を良い事に、デッドラインを気にせずに自分の目指しているものを追求する時間に充てている。休んでいる訳ではないので、次回のコンサートをお楽しみに!

%E4%BF%B3%E5%84%AA%E5%BA%A7_resize.jpgそんな中、昨日俳優座で「カラマーゾフ兄妹」を観に行きました。俳優座は初めてだったのだが、六本木の真ん中に建っている古めかしい建物が不思議な雰囲気を醸し出している。初めてだったので早めに行って場所を確かめようと思ったら、待ち合わせをした友人も早く来ていたので二人で早速中へ。ロビーの奥の方にはイギリス風のパブがあり、フィッシュ・アンド・チップスがイギリスのお酢と共に出て来て何だか本当にイギリスにいるよう。天井も低く、照明も何となく暗い感じがちょっと野暮ったいのだが、とても懐かしい感じですっかりいい気分になってしまいました。

そして、肝心の劇。音楽も演出も演技も素晴らしく、ドストエフスキーもきっと喜んでいたに違いないと思う。ドストエフスキーの素晴らしさがまず伝わって来るのだが、それぞれの人物像がとても分かり易く描かれていて、複雑な心理描写や物語展開が自然にすんなりと入って来ました。

演劇は好きで日本でも若い頃から今では伝説的な野田英樹さんの「夢の遊民社」から始まり、シェークスピアや小劇場での演劇も随分と観て来たが、いつもいつも何か違和感を感じてしまい、感動どころか、共感すら出来ないでいた。なので、日本で自分で切符を買って演劇を観に行く事はしなくなってしまいました。それが、今回初めて劇に入り込めただけでなく、本当に圧倒されました。演技が自然で、音楽やダンスもロシアっぽいのに、それが全く嘘っぽくならずに、こちらが逆に本当にロシアにいるような、そしてこちらもロシア人としてこれを観ているような錯覚に陥りました。

そして、もちろん一番凄いのはドストエフスキー。人間の美しさ、醜さ、全てを見据えて、そして尚も愛すべき人間として描いている所に感動してしまいます。愛すべき人間に描いているからこそ、何だか最後はなぜかとっても悲しくなってしまったのだが。。。でも、一緒だった友人は逆に「希望を持った」と云っていたので本当に人それぞれですね(笑)。

22日までやっているそうなので、ぜひ機会があったら皆様、観にいらして下さい!

%E7%94%B0%E4%B8%AD%E7%BE%8E%E5%A4%AEresize.jpg余談だが、終演後、ロビーに俳優さん達がいらしていて、直接お話する事が出来ました。何と云っても主人公のドミートリー役の田中美央さんに感動してしまったので(というか役に感動しちゃっていたのだが)随分とあれこれと役について話し込んでしまいました。なかなかドストエフスキーについて深く話す機会もないので、このお話もとっても楽しかった。

着いた時のパブから始まり、そして演目の「カラマーゾフ兄妹」、そして最後のドストエフスキーの人物像から見る人間談義。本当に久しぶりに心が大満足した一夜となりました。

ドミートリー役の田中美央さん。→
こんなに優しそうでにこやかだが、劇中では相当荒々しい役所。このギャップにまたまた感動!

10年、そして6ヶ月

9月11日。ニューヨークのテロ事件から10年。そして東日本大震災から6ヶ月。
たくさんの方が亡くなり、そしてたくさんの方が悲しみと共に生きなくてはいけなくなってしまった二つの出来事。ニューヨークも日本も自分にとっては大切な場所なだけに本当に心が痛みます。亡くなられた方のご冥福、そして残された方が一日も早く悲しみを乗り越えられるように祈るばかりです。

空気の違い

Ravel%27s%20House%201_resize.jpg長いヨーロッパ旅行から帰って来ました。
それにしても場所によって、こんなにも空気が違うものか、と思ってしまいます。

最終的にいたロンドンは暴動が起きている真っ最中で、街中に警察官がいて本当に物々しい雰囲気。住み慣れている街とはいえ、やはり相当な緊張感だったしテレビは生中継でイギリスのあちこちにカメラを置き、今にも何かが起こるのを待っている様子でした。

そして、日本に到着したのは11日。震災から5ヶ月という事でテレビでは震災に関しての様々な特集。イギリスの現実から日本の現実に一気に引き戻された感じでした。
イギリスも日本も本当に自分にとっては大切な国。それぞれに心が痛む。。。

ボランティア活動:釜石;6月24日

朝5:00起床。出発が早いので少し早めに。まだ寝ている方もいるので静かに身支度。

6:00に最後の食事。ついこの前、食事の仕方を教わったばかりだったのに、もうここを去ってしまうのが何だか寂しい。

皆さんにお礼のご挨拶を一回りして、皆さんに見送られながら6:30に出発。他に仙台までバスで行かれる方二人と一緒に車に乗せて頂きました。

バスの出発時間の方が30分程早いので,バス停で少し最後のおしゃべり。が、二人が去った後、不覚にも車の中に荷物を一個置き忘れてしまっていた事に気付きました。急いでタクシーに乗り、ベースキャンプに戻りました。せっかく見送って下さったのに、再び戻るのはさすがに恥ずかしかったけど、「また会えて良かった。」と云ってくれて、その言葉にまた嬉しくなりました。

駅に帰る途中でタクシーの運転手さんが「さっき教会行くのに迷ったから」と
メーターを止めてしまいました。今、大変な時なのにおまけしている場合じゃないでしょう!と思ってしまったけど、どうしても折れてくれないので、おまけしてもらってしまいました。

駅に着いて、少し離れたコンビニに寄って水と新聞を。駅の方に戻ると、着いた日にタクシーに乗せてくれた運転手さんとさっき乗せてくれた運転手さんが仲良く並んでずっと手を振ってくれていました。何だか、最後の最後まで人の温かさに包まれた釜石滞在となりました。

今回、釜石に行くまで様々な不安があり、現地がどのような状態なのかが全く想像出来なかっただけに相当の覚悟を持って行きました。しかし、私が行ったベースキャンプは3月からは時間が少し経っているので生活自体に全く不自由はなく、一日の活動も無理のないように考えてくれています。

津波による惨状はやはり見ておくべきだと思います。「体感」する事によってそれはもう他人事ではなくなり、そして忘れる事がないからです。今も避難所で釜石や仙台の美しさを自慢げに話して下さったおばあちゃんの事や若いのに同級生を5人も亡くされた方、そして大槌町で一緒に作業したMさんの事をよく思い出します。時間は掛かるだろうけれど、いつかまた笑顔いっぱいで会えるように、と祈っています。

被災地では色々と悲しい面もたくさん見て来ましたが、しかしそれよりも本来の人間の素晴らしさを発見する事が出来、その印象の方がよっぽど強いです。人と人とが一緒にいる、そこに存在するもの自体が本当に素晴らしい。この素晴らしさが復興の力になるんだ、と確信を持って帰って来る事が出来ました。

たくさんの思いを持って、今は次のコンサートに向けて頑張っています。
明日からヨーロッパに行って来ます。今回は結構長旅で色々な人に会うので、東北で見て来た事、感じた事を伝えられたらいいな、と思っています。

ボランティア活動:釜石:6月24日

朝6:00起床。寝袋での雑魚寝にも慣れて来て、大分寝れるようになって来た。
昨日神父様が帰っていらして、朝御ミサをあげて下さるという事で、朝食はその後に。
6:30から二階の聖堂で御ミサ。
7:10〜朝食。お弁当のおにぎりもまた作って。
7:45ミーティング。前日は「心のケア」で避難所に行っていたために夜のミーティングに出れなかったので、作業を選ぶ事が出来ませんでした。なので、残った所に名前を書きました。大槌公民館での写真の洗浄、分類。本当は色々な活動をしてみたい、現場を見てみたいと思っていたので少し残念でしたが、違う場所が見れるので良かった、と思いました。

8:00掃除。「今日は置いてきぼりにはならないぞ!」と解散と同時に自分もダッシュ。お風呂場に一目散に向かって行きました。やっとお掃除らしいお掃除が出来て、一安心。後から考えたら、みんなやはりそれぞれ初めての時に「置いてかれてしまった。次回は置いてかれてはいけない」と思うからあんなに凄い勢いで散るのかな、と思ったり。初めて来た人はやはりちょっとびっくりだと思います。

9:20にHさんと二人でベースキャンプを出発。ボランティアセンターに登録に行かずに、直接現地へ。大槌町の凄い被害を横目にYさんから作業の事を色々と聞きました。「あの写真の作業は最初は大丈夫なんだけど、30分くらいすると精神的に相当きついです...。」と云っていました。自分も前日に若い男の人のアルバム一冊に殆ど一日掛けていたのだが、やはり色々と思いながらの作業です。髪型や服装から「この人は今何歳くらいかな〜」とかグループで写っている写真が多かったので「この人はきっといい友達がいっぱいいたんだろうな〜」とか、一人で写っている女の子の写真もあって「彼女だったのかな〜」とか。そして、やはり最後は「この人はこのアルバムを取りに来てくれるんだろうか?」とか...。

行きにコンビニに寄ったので、地元の新聞を買いました。やはり現地の新聞は視点が全然違います。まだまだ津波の影響は現在進行形です。

10:00前に作業をする大槌公民館に到着。
公民館の前に他のボランティア団体の張ったテントにきれいにした写真が並べてあったり、壁に貼ってあったり。私たちの作業は、持ち込まれた写真をきれいにして、それぞれに赤ちゃん、乳幼児、幼稚園、小学校、中学/高校、成人(20代〜50代)、60代以降、成人式、結婚式、グループ写真、風景、白黒写真に分けて探し易いようにファイルして行きます。

ボランティア活動:釜石;6月23日

%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%A1%A8_resize.jpg朝5時起床。前日に早く寝ているのと緊張しているせいで自然に目が覚めました。外は雨。

6時に食事。和食も洋食も揃った充実した朝食。食後は作業場にもって行くおにぎりを作って。

朝のミーティングの時間まで荷物の整理をしていたら、大きな地震が。津波の後を目の当たりにしているだけに、前とは違う緊張感が走る。津波警報のサイレンも鳴り、不安を仰ぐ。しかし、次第に警報も解除され、心配もなくなる。

朝のミーティングで今日の作業の確認。雨で作業変更も。神父様が最後にお祈りをして下さり、皆を送り出して下さいます。

解散後それぞれの出発時間までベース内の掃除。皆、あっと云う間に散って、てきぱきと掃除機を掛けたり、トイレの掃除をしたり、ゴミをまとめたり。。。掃除用具があっという間になくなってしまい、何だか置いてきぼりに。。。シスターに「掃除する所がないんだったら、ここら辺の物を片付けたりして」と云われ、大した事をしていないのだが、忙しく掃除をしている振りにだけなってしまったような気がしてしまいました。

8:10にベースキャンプを出発。本当は出発前に夜に避難所に行く「心のケア」の人に自分も行きたい事を伝えたかったのだが、担当の方が見当たらなかったので、断念。

YさんとKさんの車に乗せて頂きました。まずは釜石駅近くにある釜石ボランティアセンターに。他の5人と合流してここでその日のボランティアの登録をします。ワッペンを貼って頂き、保険もここで加入。

%E6%A9%8B%E9%87%8E%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%91_resize.jpgここからはKさんと二人で車で作業場の橋野小中学校まで。海沿いの道もたくさん走るので、津波の後の光景を見ながらの移動。北海道からいらしていたKさんとは色々とここに来るまでの不安や着いてから色々と思った事を共有出来て大分心が軽くなりました。

作業場の橋野小中学校は山の中にある廃校。津波跡から拾われた写真を洗浄する作業です。入った時にアルバム、写真の多さに圧倒されました。アルバムは腐食していたり、まだ湿っていたりするので、室内は空気が悪く、マスクと軍手をしての作業。

%E6%A9%8B%E9%87%8E%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%92_resize.jpgアルバムから一つ一つ写真を剥がし、砂をブラシで払い、除菌ティッシュで腐食を起こしているバクテリアを取り除き、乾かしてきれいなアルバムに入れて行きます。
作業をしている同じ場所にはまだ、これからきれいにしなくてはいけないアルバム、きれいにしたアルバムが長机にズラーッと並べられていて、作業している横で人が写真を探しに来ます。なので、作業もとても気を使います。指導して下さったYさんは「判明出来なくなってしまった物はそ〜っと捨てて下さい」と皆に説明していました。

作業は結構、皆話さずに黙々としています。
写真を一つ一つきれいにする作業をしながらも、探しに来ていらした方を見ても色々と思う事が。60代くらいのご夫婦はずっと奥様がご主人様のシャツの裾をにぎったまま一つ一つを二人でじっくりと探していました。一人でいらしたご年配の方は、校舎に飾ってあったお孫さんの写真を見付けられて、作業している私たちに「全国大会で記録を出したんだ。」ととても嬉しそうに話していました。皆、手を止めて一生懸命に耳を傾けていました。
おじいさんが帰られてから「あの子が生きているといいね」と...。

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お昼は近くの休憩所に6人で(他のボランテイア・グループも合流していたので)。水車がある場所で周りの自然が本当にきれい。山の緑が清々しく、滝もあって本当に美しい。「癒されるよね」と皆口々に。

午後も数時間作業して午後3時前に引き上げ、帰りはまたYさんとKさんと3人で。YさんとKさん、二人一緒になるとなんだか漫才をやっているみたいで、私は終止後部座席で笑っていました。二人のハイテンションも自分の笑いも何だか止まらなくなってしまうのは、この深刻な状況の反動なのかな〜...。

釜石のボランティアセンターに戻り、作業報告をして4時過ぎにベースキャンプに戻って来ました。

港に行きたいと思っていたのだが、「銭湯に早く行っておいで」と云われ、銭湯優先になってしまいました。帰って来ても、やはり港に行きたいと思い、Yさんに云ったら「じゃ、X君に車で連れってもらいな」と云って下さり、車で連れて行って下さる事になりました。(前日に歩いて行こうと思ったら、周りが全て瓦礫で人っこ一人歩いていないので、さすがにちょっと怖くなって途中で引き返してしまいました。)

瓦礫を相当見て来たが、さすがに陸に乗り上げた巨大なタンカーはショッキングです。というか、どういう風に感じているのかも分からなくなってしまいます。X君が色々な事を説明して下さったので一緒に行けて本当に感謝でした。途中で見た事もないような凄いカメラを持ち出したので、「凄いカメラだね」と驚きのあまり云ったら「俺、カメラマンなんです」と。カメラマンはどういう気持ちでこういう場所を撮るのだろう...。それにしても、ズタズタになった魚市場の目の前には緑の山々が広がり、霧が掛かっていて、海もとっても静かで荘厳な感じで美しいと思ってしまえます。起こってしまった事とこの目の前の風景のギャップが本当に悲しい。

6時15分頃にベースキャンプに戻り、お皿に夕食を取っていたら「今日、心のケアで避難所に行きたいって云ってなかったっけ?」と云われ「何時から?」と訊いたら「6時半だよ!」と云われ「え〜っ!もう間に合わないかも!」と云ったら「かき込んで行けば間に合うよ!」とあっさり云われ、5分で食べて、出掛けて行きました。


ボランティア活動:釜石:6月22日

6月22日。鎌倉も梅雨の中休みで久しぶりにくっきり晴れて、気温も朝から相当高い。

午前10時前の横須賀線に乗る予定なので、現地に持って行くタンパク質(焼豚)を買いに、いつも行っている近くのお肉屋さんに9時に行ってシャッターが開くのを待ちました。もう、待っている時点で暑くて汗がじわじわ。大量の焼豚をお願いしたら、「何に使うの?」と訊かれたので「これから被災地に持って行く」と話したら少しおまけしてくれました。「気を付けて行って来てね」と送られました。

鎌倉から東京まで1時間。東京から新幹線で新花巻まで3時間強。福島を通る時は悲しみとあらゆる思いが交錯する複雑な思いで窓から見える風景を見ていました。

新花巻からさらにJR釜石線に乗り換えるのだが、乗り換え時間が7分。すでに新幹線に3時間以上乗っているので、駅で水でも買おうと思っていたが、とんでもない。ホームが離れている上に、階段が相当ありました。駅員さんに「急いで下さ〜い!」と追い立てられ、自分と同じような大荷物を抱えた人、数人がみな荷物を階段で上り下りするのに苦戦しながら、なんとか間に合いました。

この釜石線に乗ってさらに2時間強。2両編成のかわいい電車。それにしても普通だったら数人しか乗らないだろうこの電車も、色々な人が乗っていました。あきらかにボランティアの人(大荷物で分かる)やそれぞれに作業着に身を包んだ方、それから、外国の方も乗っていました。話をし出した方はフィリピンの方で、「災害時における社会的変化について」の研究と共にボランティアにいらしたそう。前に座っていた3人の東京レスキュー隊の人達はず〜っとコピーしてある資料を読んでいましたが、その中に「基礎的フランス語」のような小冊子もあって、きっと現地でフランス人と一緒に働くんだろうな〜と想像していました。
多くの人は「遠野」という駅で降りていました。後で訊いてみた所、終点の釜石は宿泊施設が殆どないために多くのボランテイアや作業に来ている人はこの遠野から通うそうです。

%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86%EF%BC%92_resize.jpg釜石で降りるまで、電車の中で色々な人が声を掛けてくれました。「旅行で来たの?」と訊かれ「ボランティアで来ました」というと皆さん「私たちのためにわざわざ来てくれてありがとう」と云って下さいました。緊張しているせいか、その云って下さっている方の事を思うせいか、この一言にも、うるうる来てしまいます。

釜石までの電車の窓から見える風景は本当に手つかずの自然が広がっていて本当にきれいでした。この風景がいつ変わるのかと、どこから地震の被害が見えて来るのだろうか、とずっと身構えていたのだが、ついに着くまで地震の気配を感じる風景は見ませんでした。建物は何もダメージがないままに普通に建っていました。駅もそうです。駅には売店もあり、そして駅のそばにはローソンのコンビにまであって、何もない事を想定していただけにちょっと安心しました。

しかし、ベースキャンプに向かってタクシーで2〜3分も乗らないうちに、急に風景は一変します。こんなにもこの境界線ははっきりしているのか、と本当に胸が詰まります。商店街は一階部分が全部やられていて、めちゃくちゃな状態。瓦礫しか残っていない所もたくさんありました。テレビで見るのと、実際に自分の目の前にそれが延々と存在しているのでは全然感じ方が違います。体中がそれを体感してしまいます。

タクシーの運転手さんに「遠くから来てくれてありがとう。気を付けてね」と送られ、ベースキャンプの釜石カトリック教会に着きました。

電話でお話ししたIさんが迎え入れて下さり、その後はシスターが30分のオリエンテーションをして下さいました。建物内を案内して下さり、一日のタイムテーブルや食事の仕方の説明、作業の時に必ず身に付けるベストや腕章、名札等を渡して下さいました。

この時は、皆さん既に作業から帰って来た後の自由時間でした。皆、何だか我が家のように勝手が分かっていて、勝手気ままにやっている感じです。気さくに声を掛けて下さった方もいたが、こちらは急に予期していなかった疎外感を感じてしまいました。急にこれから過ごす数日間が不安になって来てしまいました...。

釜石:行くまでの不安

%E9%87%9C%E7%9F%B3%E5%B1%B1_resize.jpg6月末に行った岩手県釜石で過ごした時間の事を少し書こうと思います。

3月に地震があってからずっと被災地で何か出来る事をしたいと思いながら、なかなかどうやったら行けるのか分からずに悶々としていました。しかし、6月初めにいつも行っているカトリック教会の青年会が被災地でのボランティア募集のチラシを配っていて、これでやっと行ける糸口を見付けた、と思いました。ちょうど仕事の具合でチラシをもらった3日後に行けると思ったのだが、買い揃えなくてはいけない物があったり、中心となっている仙台のボランティアセンターには最低一週間前には登録しなくてはいけない事も分かり、その週に行くのは断念せざるをえませんでした。

仕事の関係で次に行けるのは6月の3週目。ずっと行くつもりでコンサートのための練習もとにかく繰り上げて早めに早めに詰めてするようにしていました。しかし、チラシを頂いた当初はあんなに行く事を即決出来たのに、時間が出来てしまうと、心配や不安もいっぱい出て来てしまいました。「健康ではあるけど、体力にそこまで自信がないので、ただのお荷物になってしまうのではないか?7月にコンサートがあるのに、こんな時に怪我や病気をしたら無責任なのではないか?逆にコンサートの責任を果たすために行かないのもどうなのだろうか?」などなど...。その上に実際問題として、水道、電気、ガスは通っている事が分かっていても、実際に飲食に使える水なのかどうか、下水は通っているのか、銭湯はあるが水も時間も節約しなくてはいけないのだったら、今長くなっている髪を切って行くべきなのか?まで、ありとあらゆる心配が浮上。こんな事を一日中心配して行くのを迷ってしまっていたのだが、自分にあきれて、「こんなに悩んでいるんだったら、思い切ってもう行くべき」と思い、行く事に決めました。

何事にも準備万端でいたい方なので、行くと決めてからも色々と心配はあり、結局荷物もやけに多くなってしまった。従妹が寝袋をわざわざ届けに来てくれたり、新宿の行った事のないような場所にまで、作業に使うものを買いに行ったりで、とにかく行くまで、準備(心の準備も含め)に振り回されました。自己完結が鉄則のボランティア。自己完結するのにこんなに物がいるんだ、と改めてびっくりしてしまいます。「ご飯とお味噌汁は提供、おかずになるものを持参して下さい」と書いてあったので、作業に出た時のお昼の食料等も詰め込んだ上にベースキャンプに問い合わせた時に「何か必要なものがあれば持って行きますが」とお聞きしたら「必要な物は全部あるのよね。。。強いて云えばタンパク質があまり手に入らないから、鶏肉とか。」と云われ、クールボックスで運ぶにしても生肉はさすがに怖いので(鎌倉から釜石まで電車で6時間半以上)近くのお肉屋さんの焼豚を30人分程持って行きました。

朝九時過ぎに出て、釜石のベースキャンプに着いたのは4時半過ぎ。
着いた途端に「随分、荷物多いね。」と云われました(笑)。
ベースキャンプは結局、もう既に相当充実していて、全てが普通に機能。節電、節水の気配もないので、鎌倉にいる時よりも快適なくらい。こんなだったら、あんなに心配する事も荷物も必要なかった。行く前の現地の情報がとにかく少なかった。(このブログも、これからボランティアに行こうと思っている方の参考に少しでもなれば、と思って書いています)

%E9%87%9C%E7%9F%B3%E7%93%A6%E7%A4%AB%EF%BC%91_resize.jpgしかし、ベースキャンプになっている教会の数十メートル先は瓦礫やめちゃくちゃになった家が延々と続いています。教会も浸水したそうだが、この津波との一線が大きな分かれ目となっていて本当に痛々しい。

これから東北での事を少しブログに書いていこうと思っていますが、結果を云うと、私は東北からたくさんの希望を持って帰って来ました。それは、これからの復興に対しての希望や人間の未来に対しての希望です。延々と広がる瓦礫の光景や避難所で接した方達の事を思うと本当に心が痛むのだが、それにも増して、出逢ったあらやる人の温かさ、心のきれいさに感動する事が多く、本当に人の心って素晴らしい、凄い、って今までの自分の「人間」というものを見る目が完全に変わりました。

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写真上:JR釜石線で釜石に向かう時の車窓から見える山々。自然が美しい。
写真中:ベースキャンプから歩いて1〜2分の光景。
写真下:作業にをしに行った大槌町。右奥に海が見える。左奥まで津波の爪痕が...。

祈るだけでは...。

ブログが地震関係のものばかりになってしまっているのが気になるが、やはり今回の地震は私たちがこれからどう生きるかと云う、人間としてつくづく考えさせられる出来事だったように思う。自分は音楽家である前に人間であって、どう生きるかを問われているような気がしてなりません。この地震/原発事故は自分の心に相当な衝撃を与え、生活や考え方、そして徐々に自分の音楽も変化して行っているように思う。

Tanker%20Head_resize.jpg前回のブログで「なぜ自分は生き残っているのか」と麿赤児さんが書いていた記事を載せましたが、自分が行っている教会でも神父様がお説教の中で同じような事を話していました。「なぜ、あんなに大勢の人達が亡くなったのに、自分は生きているのか?」その答えは出ないけれども、生きている自分に与えられている時間は大切に使わなくてはいけない、というような事を仰っていました。

地震があってすぐにでも現地に行きたいと思いつつ、そんな事が出来るはずはなく、その時にあった自分の選択肢はあまりに少なかった。しかし、今は色々とボランティア活動の窓口が出来た事で現地で何か出来る機会が出て来ました。

ブログにはあまり書いていないが、6月はずっと7月と10月にあるコンサートのための練習や準備、そして生徒のレッスンに忙しいながらも、どうしてもやはり現地に行きたいと思い、6月の末に4日間だけ、被災地の釜石に行ってボランティア活動をさせて頂きました。行く前はやたらと色々な不安があって、相当緊張して行ったのだが、向こうで過ごした時間は本当に充実したもので、人間の素晴らしさに感動する事が本当に多かった。津波の被害はメディアを通して見たり感じたりするよりもずっと広大で想像をはるかに越えるものでしたが、それにも増して、人々が本来持っている心のきれいさを目の当たりにしたおかげで、復興への大きな希望を持って、帰って来る事が出来ました。
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祈るために踊る

少し時間が遡るが地震のあった直後にニューヨークでリサイタルをしたものの、本当にあのコンサートはするべきだったのか、と考えさせられました。コンサートの主催側は「大変な時期だから無理しなくていいよ」と云って下さったが、自分としては様々な思いがあり、色々と考えた末に結局キャンセルせずにする事にしました。今振り返ると、自分でも混乱状態だったように思うが、何か「弾かなくてはいけない」というかき立てられる思いもあり、それに対して罪悪感さえも持っていました。

しかし先日、震災直後に載った新聞の記事を送って下さった方がいて、自分のあの当時の感情を何となく理解する事が出来て救われた思いです。

舞踏家の麿赤児さんが書いたもの(抜粋)です。


『こういうことを目の前にすると、人間、ぼけっとするしかないもんだなあと思う。いつかこういう地震が来るとは思っていた。でも、いざ来てしまうと、現実のほうが想像をはるか超えてしまっていた。

死や自然災害など、どうしようもないものに対する恐怖と折り合いをつけるために、宗教や芸術というものがある。自然に対する人間の漠然たるセンサーが感知したものを、言葉に変換することなく、そのまま出すのが踊りや音楽。踊り手は皮膚感覚で世界とダイレクトにつながっている。死ぬまで赤子でいられることが俺たちの特権なんだ。その特権と引き換えに、生贄となり、目に見えぬ何かに踊りを献上する。大げさに言えばそれも星の営みの一部なんだと思う。

つまりは純粋な鎮魂の気持ちを、自粛って方向で、ひょいって簡単に解決されちゃうのが面白くねえんだ。なぜ東北の人たちがあんなに死んでオレが生き残ったんだ、何をすればいい、わからない、っていう迷いを持ち続け、ひとりひとりが己なりのやり方を探すのが「悼む」ってことじゃないのかな。

原発を見ていると、太陽に向かって、蝋の翼で飛んでいくイカロスを思い出す。手にしてしまった便利さを手放せず、もっともっと、と破滅に至るまで欲望を肥大化させてゆく。これもまた、人間の業なのだろうか。

震災は被災地の遠くにいる人たちの胸にも深く矢を突き刺した。日本人みんなで十字架を背負ったんだ。だからこそ、心を癒す花が求められる。

オレたちは淡々と踊り続けるよ。死や自然を畏れて祈り、祈るために踊るしかないんだ。』

ニューヨークでのリサイタル Ⅲ:同情

今回ニューヨークに行って良かった事の一つが、いかにアメリカの人が日本の事を心配してくれているか、というのを実感出来た事でした。友人や知り合いの方はもちろん、街中で何気なく話し始めた人でも、私が日本から来たばかりだと云うと、その同情の仕方が凄かった。本当に悲しそうに眉間にしわを寄せて自分に起こった事のように心配してくれていました。

26日のリサイタルの数日前にマンハッタン郊外の病院で小さなコンサートをしましたが、聴衆のほとんどの人は車いすで本当に具合が悪そうで自分の方が大変だろうに「日本のために祈っているよ」という言葉をたくさん頂きました。

そして日曜日に行ったカトリック教会での御ミサ中にも共同祈願で日本のためにお祈りを捧げて下さっていました。

本当にこんなにも日本に同情し、祈って下さっている事に感謝でした。逆に、日本の人はハリケーン・カトリーナの時にここまでアメリカに同情したのだろうか、と考えさせられてしまいましたが...。

お祈りの灯

%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%AE%AE%EF%BC%91_resize.jpg先日、鎌倉宮で「東日本大震災 万灯追善供養復興祈願祭」が行なわれたので、行ってきました。これは先日参加した「子供のためのチャリティ・イベント」の際にこの祈願祭に灯すロウソクのためのブースがあったので知りました。遠くであればロウソクだけでも良かったのだが、鎌倉宮は家から歩いて15分なので行く事にしました。明るいうちから始まっていたのだが、暗くなるとその灯りの美しさに感動します。そこに込められていると思いに...。

琴の演奏が奉納され、神主さんと共にお祈りを捧げ、ロウソクが灯される。
一人のお祈りも力はあると思うが、やはり大勢の人と一緒にお祈りするというのは大きな相乗効果を生み出すように思う。多くの人とお祈りする事によって、自分の心にも大きな力と平安がもたらされました。

%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%AE%AE3_resize.jpg後から少し考えて思ったのだが、前回の鶴が岡八幡宮での祈願祭も今回の祈願祭もお宮で行なわれたもの。やはり神道が最も日本という国と密接に繋がっているように感じてしまう。仏教もキリスト教も今回の震災で色々と動きはあるのだが、何か人ごとのような気がしないでもない。(と、書いてしまったが、今回の祈願祭は鎌倉宮と長谷寺、二カ所で行なわれたもの。同時刻にロウソクが灯されるようになっていたらしい。)

私はクリスチャンだが、今回の事ではやはり宗教とは関係なく、とにかく多くの人と一緒に祈りたいという気持ちが強く、こういう場を作ってくれるのは本当に感謝な事。教会というのは残念ながら建物なので、信者ではない人がお祈りするためだけでも入って来づらいと思うのだが、オープンスペースの神社はそういう垣根の高さがないのですね。

鎌倉子どもチャリティイベント

%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpgゴールデンウィーク真っ最中。今日の鎌倉の人手は尋常でなかった。桜が咲き始めた時に、自粛ムードが強く、人も車も少なくて急に寂しくなっちゃったけど、こうも反動で出て来られると戸惑います(笑)。複雑な気分。ちょうど良い人手というのはなかなか難しい。。。

休日続きだが、インターナショナル・スクールに行っている生徒が多いのでレッスンはいつも通り。全くお休みの感じはなしだが、今回の連休中に一つだけイベントが。
昨日、鎌倉の海浜公園で行なわれた東日本大震災・鎌倉子どもチャリティイベントに参加して来ました。

Charity%20Event1_resize.jpg10日程前にいつも行っている教会で御ミサの後にこのイベントの主催者の方がこの宣伝をなさったのだが、その方の熱意がひしひしと伝わって来て、また主旨にもすぐに賛同出来たので、終わった後で直接お話を聞きに行きました。

火曜日はいつもレッスンが午後から入っているので、半日だけでもと思っていたらラッキーな事に生徒さんの方から日にちの変更のリクエストがあったので全日参加する事が出来るようになりました。

集合は朝7時(!!)。結構広い海浜公園の飾り付けから始まりました。世界各国の子ども達の書いた被災地の子ども達への励ましのカードや絵、鯉のぼり、色とりどりの旗、大きな布に描いた絵等,会場中に飾られました。意外とボランティアの数が限られていたので,結構動きっぱなしでしたが、随分と殺風景な公園が華やかになりました。そして、10時半からはフードの販売。鎌倉では有名なベルグフェルドさんのミートパイやキッシュ、日進堂さんのおかず/お菓子パン、おおくにさんのどら焼き、T-サイド(インド料理レストラン)のサモサ、北村牛肉店さんのコロッケ、フロレスタのドーナッツなど、全て寄付されたこれらのものを販売、そして完売。

他にチーズナチョスや,ソーセージやエスニックフードの売店があったり、ロミロミマッサージや,整体、人力車体験、フリーマーケット、そしてステージでは和太鼓や歌、フラダンス等のパフォーマンスもありました。上げられた収益の全てはワールド・ビジョン・ジャパンへと寄付されるそうです。

%E5%92%8C%E5%A4%AA%E9%BC%93%E3%80%80%EF%BC%91_resize.jpg地震以来、どうしても寄付やお祈り以外に何か自分の身体を使って出来る事はないのだろうか、と思い続けて来たがやっとそれが一つ実現出来て、本当に良かった。私の隣で一緒に販売をしていた高校生の男の子に「今日は家族と一緒に来たの?」と訊いたら「いや,一人で来ました。」と云っていた。近所に貼ってあったチラシを見てボランティアに。ロミロミのマッサージをして下さった方も、仲良くなった他のボランティアのアーティストの人達も相当遠くから来ていてびっくり。朝7時集合で私も久しぶりに5時半に起きたが、その人達は4時起きと云っていた...。

このイベントの実行委員会の熱意と実行力にはとにかく脱帽。たくさんの人が何かしたい、けれど何をしたらいいのか分からないのをまとめて下さって、それが形となって被災地に届くのは本当にこちらも感謝。今回のイベントは特に子どもに絞っていたので、とても明確で本当に共感出来ました。みんなの思いが被災された子ども達に届きますように...。

希望

今日という一日。

千駄ヶ谷にある津田ホールまで、恩師のW先生とロシアのピアニストの2台ピアノのコンサートに行ってきました。
 以前にピアニストの友人のMちゃんと2台ピアノやピアノ連弾の話になった時に、「あれは聴いている方は本当に楽しいのかな〜??」という事を論じた事があった。弾いている方としては何とも云えない楽しさがあるのだが、聴衆として聴いたコンサートとなるとあまりいい印象がない。ロンドンで何回か聴いたラベック姉妹は別として、内輪で先に楽しんじゃっている気がして聴衆は置いてけぼりにされるケースが多いような気がしていた。Mちゃんも「演奏者が楽しんでいるのを楽しむ感じだよね。音楽を楽しむというより...。」という意見で一致していた。それが、それが。。。。。

今日の2台ピアノのコンサート。本当に本当に素晴らしかった!!!アレンスキーとラフマニノフの二人のロシア人作曲家の超ウルトラC難度のプログラムだったがすみずみまで息も音質も音楽的にも合っていて圧巻。音のバランス作りがまた素晴らしい!その完成度の高さにただただびっくり。なんでこんなに違うんだろうとコンサート中ずーっと考えていたのだが、もちろん才能の凄さもあるのだが、音楽に対しての真剣さがとにかく違ったのだと思う。「楽しむ」という事に全く浸らない、というか全くそこに行こうともしない。ひたすらに音楽を追究していて全く甘さがない。その隙のなさ、音楽追究の深さに聴いている方は本当に純粋に音楽に入り込めた。特にラフマニノフの組曲は難曲なので、その難曲を弾き切る事ばかりに満足してしまう演奏が多いような気がするが、今日は初めて、その曲自体の素晴らしさがひしひしと伝わって来て大感激。第二番の組曲が有名でこちらばかり演奏される事が多いが、今日弾いていらした第一番も素晴らしく,私はこちらの方が断然好き。3曲目の「涙」には本当に涙してしまった。お二人の繊細な音作り,音楽作りに本当に感動しました。そして第4曲が「復活祭」。鐘の音が高らかに響くスケールの大きな曲。

クリスチャンにとって「復活祭」はクリスマスよりも大事な祝日。そして、これが実は今です。イエス様が十字架にかけられて,死に打ち勝って復活した事を祝う時なのです。

コンサートでたくさんの英気を頂いて,音楽の素晴らしさに心がいっぱいになったその足で教会に向かいました。

今晩は復活徹夜祭でした。死んだイエス様が復活なさって世界にその光が広がる事を象徴して、光の祭儀というのが行なわれました。教会の大きなお御堂は真っ暗にされ、イエス様の光を象徴する大きなロウソクの火を神父様が持ち、その一つのロウソクから信者さん一人一人のロウソクに火が受け継がれて行きます。毎年この祭儀には感動します。クリスチャンでなくても世界は本当に人と人とが関わり合いを持つ事によって一人一人の中に火(愛)が灯り,その火が受け継がれて繋がっているのではないかと実感出来ます。

この徹夜祭でも、この一週間の聖週間の間もたびたび被災された方、亡くなられた方のためにお祈りが捧げられました。今日のロウソクの火のように何かの形で皆が繋がりを持つ事によって一日も早く日本全体が元気になれればいいなと思います。

私は音楽家でありクリスチャンであるけれども、今日はこの両方面からたくさんの希望を持つ事が出来た、とてもいい日でした。

一ヶ月

Hachiman%20Prayer_resize.jpg地震から一ヶ月。
地震にしては長かったとはいえ、3分の出来事でこんなにも人の世界は一変してしまうのですね。

今日は家のすぐ近くにある鶴が岡八幡宮で「東日本大震災追善供養復興祈願祭」がありました。鎌倉の各宗派の僧侶、神職、司祭、牧師が集結し,舞殿で祈祷を行ないました。
 
昔から親しくして下さっているお寺の住職さん、そして教会でいつもお会いしている神父様がお祈りを捧げていたので、とても心に近いお祈りとなりました。

最初は八幡宮(神道)の宮司さん,次に仏教の住職さん、次にカトリック教会の神父様、最後にプロテスタントの牧師さんがそれそれにお祈りを捧げていましたが、私の後ろにいらしたおじさんが宮司さんのお祈り、前にいらしたおばさんが仏教のお祈り、そして自分はキリスト教のお祈りをそれぞれに唱えていました。

宗教は違っても心が一つで,本当にみなの思いが伝わるように、と願うばかりです。
日本の全ての人が一日も早く,心に平安を持って生活出来るようになりますように...。

深い言葉

今日、教会で聞いた言葉。

『「愛している」という事をどうやって残して行けるのか?どうやって伝えたらいいのか?』

クリスチャンとして愛に生きる事が人生の目的だが、確かに具体的にどうすればいいのだろうかとつくづく考えさせられた。日々の生活ももちろんそうだが、音楽家として本当に「愛」を伝え、そしてそれが人の心に残るものとなっているのだろうか?神父様のお話の中でのほんの一文だったが心に深く刻まれた言葉でした。

ほのぼの

毎日とっても寒い。寒いのは嫌いだが、空気が澄み切っているので毎晩星がとってもきれい。日常の中にも、小さな感動はいくらでも存在していている。

先日、生徒のレッスンに行くバスの中での出来事。
バスに乗ると、小さなセーラー服姿の女の子が一番前の席に座っていましたが、私が後ろの方に座ると私の真後ろの席に移動して来て何やらごそごそとしだしました。バスの中は私たち二人だけだったので「なんでわざわざ移って来たんだろう?」なんて思っていたが、しばらくすると、小さな声で何かを云っている様子。良く聞くと本を朗読しているよう。「これじゃ〜せっかくの男前が台無しだ〜」という情緒たっぷりの声が。床屋にたてがみを切りに行ったライオンの話でした。「チョキ、チョキ、チョキ、チョキ。」ライオンが寝ている間に床屋が失敗してどんどんライオンのたてがみを切っていってしまう話らしい。かわいい声で、困ってしまっている床屋さんやライオンになり切っていて、それはそれは楽しい時間でした。最後の肝心のおちがバスのエンジン音で聞こえなかったのが心残りだが...(涙)。

楽しかったな〜なんてほのぼのとした気持ちになっていたら、
「ある所に泣き虫のこぶたくんがいました」と次の話がはじまりました(笑)!
ここで目的地に着いてしまったのだが、後ろ髪を引かれる思いでした。

寒い毎日だけど、こんなちょっとした事で心があたたまります。

元気

溜めてしまったAからの手紙
Letters%20from%20A_resize.jpg練習を始め、色々な事が軌道に乗って来ていて身体も心もとっても元気。
元気になって来た今となっては、つくづく去年の夏頃から元気がなかったんだな〜と思う。ブログも滞りがちになって、色々な人から「元気なの?」と心配されたが、自分ではあまり実感がなく「書く余裕がないだけだよ」と答えていたが、ブログも元気のバロメータの一つになっているんですね(笑)。

元気がなくて、滞っていたものの一つが手紙書き。意外とまめな方ではあると思うが、気付かないうちに膨大な数の手紙が溜っていた。クリスマス・カードは一応出したものの、逆に長い手紙を頂いていた人には返事を書けず仕舞いでした。

Letter%20to%20A_resize.jpgやっと心の余裕も出て来たので、手紙も書けるようになって来ました。

ず〜っと気になっていたスコットランドの友人からの手紙。夏から合計で3通。おまけに一通がA4裏表4〜5枚という長編。返事を書いていないにも関わらず、毎回冒頭に「ずっと手紙書いていなくてごめんね」と書いてあって...。

やっとこちらもちゃんとした返事が書けて、とっても気分がいい。人とのコミュニケーションも上手く回りだして来て心の中の風通しが良くなって来ている気がします。
                             返事も当然長い(笑)。

「私」

%E8%A6%9A%E5%9C%92%E5%AF%BA_resize.jpg色々な事で忙しくしているせいで統一感のない生活が続いている。
12月には生徒達のコンサート、福祉施設での子供とお母さん達のためのクリスマス・コンサートがあったり、来年のリサイタルのための練習も本格化しているので何となく頭の中がごちゃごちゃしている。

そんな中、昨日は近くのお寺、覚園寺(かくおんじ)さんまで。住職さんが昔からのお知り合いという事もあり、今回面白いイベントにお誘い下さいました。

10年程前から顔と漢字が彫られたお守りを関係のある明王院さんというお寺で売るようになったのだそうだが、今回は10周年という事でその種類も大幅に増えて、500種のお守りの展示会となっています。作家のMさんもそこで作業していらっしゃるので、お話しする事もできます。
お守りは自分で選んでもいいし、おみくじのように引く事も出来ます。私はもちろんおみくじのように引きました(笑)。今の自分にとって必要な一文字を頂けるようにお祈りしてから。。。

頂いた漢字は「序」。意味は「はじまり」に関連するものが多く、今一つピンと来なかったのだが、Mさんが漢和辞典で調べて下さると、漢字の成り立ちは「まだれ」が部屋、囲いを表し、「予」は音を表すそう。音とつながったのはやはり嬉しい。顔が結構しかめっ面なのが気になるが...。「はじまり」という意味があるから、まだまだ厳しい道が控えているという事だろうか(笑)。

色々な顔のお守りを見ていて私が一番気に入ったのは「私」というものでした。顔が二つ並んでくっついていてその両方の顔がとっても嬉しそうでかわいい。森本さんに「どうして顔が二つなんですか?」とお訊きしたら『あれは「私が二人いる」とか「二重人格」という意味ではなく、どこどこ(どこか忘れてしまった...)の言葉で「私」というのは「イン・ラケジ」と表現するのだけど、これは「あなたの中に私がいる。私の中にあなたがいる。全ての人の中に私とあなたが存在している。だから私たちはみんな一緒」という意味があるんだそう。これを初めて聞いて感動した日に彫ったんです』と教えて下さいました。なんて素敵な文化なんでしょう。どこの言葉だったか今度また聞いておかなくては(笑)!

それにしても、この覚園寺さんに来て、頭がすっきり。自然の美しさと静けさにすっかり癒されました。忙しい時にこそこういう時間を持ちたいものです。なかなか難しいけど...(笑)。

追記;いつも終了間近で申しわけないが、このお守りの展示会は11月30日までです。
興味のある方はぜひ!覚園寺さんの紅葉もとってもきれいです!
企画サイト:千の人,千の思い

偶然?

チリ鉱山に閉じ込められていた33人が全員無事に救出され、本当に良かった。最後に助け出されたリーダー的存在のウルスアさんが引き上げられた瞬間が何度も放映されたが、毎回感動する(笑)。あんなに深い地下に救助隊員が6人も送り込まれて、鉱員全員が助けられても何となく心が落ち着かなかったがその6人も無事に引き上げられたらしいので、本当に良かった。久しぶりのいいニュースに心が湧きました。

さて、最近、色々と人との触れ合いや人としてのあり方について考えさせられる事が多い。それが、最終的にその人の人生を物語るものとなり、そして私に関しては、音楽そのものに反映されるのだと思っている。音楽は最終的に作り出すものでなく、その人のそのものを語るものだと思う。

%E7%9F%B3%E7%89%9F%E7%A4%BC%E9%81%93%E5%AD%90_resize.jpg先日テレビでトルコのノーベル賞作家オルハン・パムクさんが来日した際のドキュメンタリーをやっていたが、彼の哲学を色々と聞いているうちにピンと来るものがありました。今まさに読んでいる本の作家、石牟礼道子さんの事を思い出したのだが、数分後にはその石牟礼さんとの対談となっていました。石牟礼さんは水俣病との関わりを通して、今私たちが進んでいる文明の行く末に対する疑問を投げかけている。(友人が貸してくれた本「言霊」にも今もなおも続く水俣病の問題が書かれていて相当ショックを受けました。)そして後半にはパムクさんの大江健三郎さんとの対談。一番興味を持ったのは大江さんの発言で(言葉がうろ覚えで申しわけないが)「想像力はいかに人と自分を重ね合わせられるかという事で最も重要」というような事を云っていた。人の痛みや悲しみ、喜びをいかに自分と重ね合わせられるか。その想像力を読み手に呼び起こすのが作家の役目という事も云っていたと思うが、これは実生活の中でも私たちが日々心得ていなくてはいけない心構えなのではないだろうか。

音楽ももちろんそうで、作曲家と自分を重ね合わせる事もそうだが、日々の生活の中で他人と自分を重ね合わせる心のひだがなければ音楽の中だけで作り上げた世界は虚構に過ぎないのではないか。
年を取れば取る程に音楽がその人の人生そのものを反映しているように感じて来ている。自分がどう生きるか=どう人と関わりを持つかに色々と迷いを持っている今日この頃なので真実と思える自分の進むべき道を見付けたい。

久しぶり

12月に入ってから毎日があっという間に過ぎてしまっています。リサイタルも終わり、2ヶ月引きこもっていた反動で(いつもそうなのだが)とてつもない数の人と会っています。人と会うのはとても楽しく,世界も広がりますがあんなに練習していたピアノから遠ざかっていて、我ながら反省しています。ここ数日、連日で3時間は取れるようになって来たので、心と身体のバランスを取り戻しつつあります。

クリスマスカード書きは夜帰って来るのがどんなに遅くなっても、必ずするようにしていたので、ここ数日は相当の睡眠不足。おまけに来週からアメリカに行くので年賀状書きも行く前にしなくてはいけない事に気付き、今は年賀状書きを...。なかなかブログまで辿り着きませんでした。リサイタルに関してはまだまだ書きたい事があったのだが...。また余裕が出て来たら追って書く事にします。

今日は久しぶりに星がとってもきれいでした。冬の夜というのは静けさが夏よりも深いような気がします。周りの美しさに気付いて立ち止まって感動出来るのはやっと少し心に余裕が出来たからでしょうか...。

天と地

Christmas%20Tree%20%E4%B8%B8%E3%81%AE%E5%86%85_resize.jpgコンサートの準備をしている間に季節は秋を通り過ぎてすっかり冬になってしまったのですね。今日、久しぶりにレッスンの帰りにブラブラとウィンドウ・ショッピングをしていたらすっかりクリスマスになっていたのでびっくりしてしまいました(笑)。

リサイタルが終わって、ここ数日事後処理に追われていますが、気分的には晴れ晴れ。本当にプレッシャーもなくなって、別に何を考えるともなく外を歩いているだけで、自然と笑みが湧いて来る。本当に心が軽くなったんだな〜と実感しています。生徒のレッスンに行く足取りも軽い(笑)。

演奏のための苦労と云うのをあまり来て下さるお客様に見せてはいけないと思っているので、リサイタル前はブログを書くのを控えていたが、これから少し今回のリサイタルまでの準備の裏話を書こうと思っています。

街の優しさ

%E5%87%BA%E7%99%BA_resize.jpgついにこの日が来てしまった...。

鎌倉での生活の中で一番密接に関わっていたC家。一足先にお父様のDと息子のE君がニューヨークに行っていたが、今日はついにお母様のHさんと娘のHちゃんが飛び立つ日でした。

もうここ数ヶ月覚悟していたので、心の準備は出来ている自信はあったのに...。

朝はやはり大船駅でお見送り。成田まで行こうと思っていたが、「あまりにも寂しすぎるから...」と云われ、成田エキスプレスに乗るホームまで。今回のお見送りは女性が多かったせいか、涙涙のお別れに。

朝の早い電車だったので、その後の一日はいつものように練習したり、ジムに行ったり。
練習の時はさすがに音楽に集中しているせいかあまり気になっていなかったが、ふと気付くと思いはHさん達に。ジムでラテンのステップを踏みながらふと、「今日、ハッピーデリ(Cさんがいつも行っていたお惣菜屋さん)に行ったら会えるかな〜」なんて思うと「もういないんだよ!」と自分に言い聞かせて...。なのに、また1時間後くらいに自転車に乗りながら「紀伊国屋(C家の家の近く)に行ったら、いるかな〜」なんてまた思って、「だから、いないんだって!」とまた言い聞かせて。またC家と同じ車を見ると「あっ、Cさんかも!」なんてぬか喜びしたり...。一日中自分の感情に振り回されっぱなし。

恋人でもないのに、こんなにも自分の心の大きな部分を占めていたんだと、つくづく実感。やはり、家族4人全員というのがきつかった。家族のそれぞれ一人一人にとっても愛着があったので、生活の中での喪失感はとてつもなく大きい。

よく歌詞で「街が色あせて見えた」なんて歌っているが、本当に自転車でいつも走っている町並みが全然変わって見えていた。私には「色あせた」というより「街の優しさ」が消えてしまったよう...。

結局、寂しさまぎれに「ハッピーデリ」に行ってお惣菜を買って、Hちゃん達が無事にニューヨークに着くようにお祈りしながら食べました(笑)。

好青年

                           六本木の焼き鳥屋さんへ
%E5%8D%97%E8%9B%AE%E4%BA%AD_resize.jpg先日、以前に教えていた生徒さんがイタリアから旅行で日本に来ていました。日本には4日間しか滞在しないタイトなスケジュールだったが、二ヶ月も前に連絡を下さり、一緒にディナーをする事になりました。

イタリア人のお父様にイギリス人のお母様。息子二人の男の子達を教えていたのは二人がまだ小学生の時。今回は6年振りの再会だったが、その成長振りには本当に目を見張りました。高校生の弟と今度大学生になるお兄さん。自分の意見をしっかり持っていて、それを積極的に伝える事が出来る。考え方もとてもグローバルで、何よりも人生や物事や全ての人に対して、とてもポジティブな感じが素晴らしい。家族も6年前に別れた時と同じように(というよりもさらに!)仲が良くて、きっと家族を何よりも大切にしているんだろうな〜というのを実感しました。

男の子は二人ともイタリアに帰ってからはピアノを辞めてしまったらしいが、数年前にお兄さんのA君が急にピアノを弾きたくなって再びレッスンを始めたらしい。この一年は受験勉強が相当大変だったらしいが、気分転換に随分弾いていた、と云っていました。音楽を職業にするとなると、それこそ楽しいだけでは済まされない事が多くなって来るので相当の覚悟が必要になって来るが、純粋に音楽やピアノを生きている上での楽しみに出来れば、本当に人生が豊かになるはず。

好青年に成長した二人、そして特にピアノが人生の一部になっているA君を見て、とっても嬉しくなりました。

意識/無意識 2 (ゴールドベルク)

最近自分の中で、この「意識/無意識」について考えさせられている。先日の舞踏を観ても、人によっての無意識のレベルの違いを目の当たりにしたのだが、自分一人の中でも無意識は色々なレベルで存在しているのでは、と考えている。

大きなコンサートの前に、(自分ではそんなに自覚していなくても)やはり緊張状態にあるために起こるのだと思うが、寝ている時に、脳が睡眠と覚醒の間にいる時がある。うまく説明出来ないのだが、身体は寝ている実感があるし、脳もくっきりと目覚めている訳ではないが感覚的に「起きている」感じがするのである。エジソンがよく眠りに入る瞬間に閃いた、と読んだ事があるが、この状態なのかな、とも思っている。

そして、最近興味深い事があって、これも様々な意識/無意識がある事を実感した一つ。

秋のリサイタルの本格的な準備に入る前にどうしてもバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を手中にしたかった。なので、ここ数週間はこのバッハと格闘している。30変奏もあって、50ページ近い大曲なだけでなく、難曲なので今まで何度も挑戦しては途中でギブアップしていたが、ようやく全ての「譜読み」は出来るようになりました(笑)。「譜読み」というのは演奏とはほど遠いので自慢出来る事では全然ないのだが、とりあえず曲の全貌が見える最初のステップは踏み出せたという事で自分にとってはアチーブメントです(笑)。

やっと全曲を知る事によってとても面白い発見が。今回は第1変奏曲から順番に練習していたのだが、弾いている感覚というのは第29変奏まで同じような感じでした。バッハは大好きだし、弾いていて和声の変化等、本当に美しいと思うのだが、あまりに「完璧」過ぎて無機質な感じがしないでもない。それが、第30変奏でがらっと変わる。弾いている時の感覚が他の29変奏とは全く違う。何だかやっと心の休まる「人間味」のある音楽となっているのです。

この事を、リサイタルでお世話になっているOさんとのメールでのやり取りで書いたら、やはり聴いている人もそのような感覚になると聞いて感激。実際にそれまで、規則に従って発展していた変奏がこの最後の最後で例外的に当時流行していた歌遊び「クオドリベット」の変奏曲となっている。それまでは人間の手には及ばない宇宙の法則に従っていたものが急に通俗的になるような気がします。バッハは人間の内に存在する様々な意識/無意識を自由自在に駆使していたのだと、つくづく感動。

普段の生活の中では体感出来ない色々な意識のレベルを音楽を通して実感出来るというのは本当に素晴らしい。それが、弾いている方も聴いている方も実感出来るのだから、それを可能にしている作曲家に本当に感謝です。

意識/無意識 Ⅰ (とりふね舞踏舎)

%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81%B5%E3%81%AD%E8%88%9E%E8%B8%8F%E8%88%8E_resize.jpg土曜日に知り合いの方が踊っている「とりふね舞踏舎」の公演を観に大磯まで。

舞踏というのはいつも思うのだが、これといったストーリーがあるわけではなく、なんとなく目の前に広がっている世界をなるべく感覚のみで受け止めるようなもののような気がする。何が起こっているのか分からないと、どうしても頭で色々考えて理解しようとしてしまうのが、そうするとどんどん主旨から離れていってしまう。意外と自分の感受性が試される場だと思っている。

今回は「とりふね舞踏舎」の稽古場での公演。大磯から10分程の山の中だったが、道の途中途中に、チラシが貼ってあると共に下に手書きで「あっち→」という指示のある道しるべが。どんどんと山奥に入っていくので、この不思議なチラシと手書きの「あっち」に導かれて妖怪の里にでも引き込まれて行くようでした(笑)。

会場は外に大きな四角いテントが設置されたようなもので山の斜面を上手に使っていた。地面は前日に降った大雨でまだ水たまりがあちこちにあったり、蚊取り線香の煙がもうもうとしていたりで、相当ワイルドな雰囲気(笑)。公演が始まる7時はまだ陽が沈んでいなかったので、蝉やヒグラシ、それからカラスの鳴き声などが猛烈な勢いで聞こえていたが、暗くなってしばらくすると全くの無音になって自然の時間の流れが直に実感出来る素晴らしい場所でした。

舞踏の感想を書くのは非常に難しい(笑)。やはり言葉にしてしまうと何だかこじつけのような気もするし、全然見当違いになってきそうな気も。

しかし、白塗りの舞踏家が数人舞台上にいる時に思ったのはそれぞれ踊っていらっしゃる方の意識の深さの違い。完全に違う世界に行ってしまっている方とまだまだ色々と頭で考えたり辿り着くべき世界よりも、この世俗にまだ踏みとどまっているような感じの方が同じ舞台で一緒に踊っていると、その違いが一目瞭然であった。

[今回のブログは長いので、続きはまた明日...。]

大切な時間

今晩はC一家とのディナー。

ブログにもたびたび登場のC家とは知り合って10年になるが、ついにC家もアメリカに引っ越す事になりました。とっても寂しい...。

生徒にはそれぞれ思い入れがあって、毎週30分なり一時間なりを過ごしていると本当に一人一人が自分の心の大きな部分を占めて行く。一対一で過ごす時間の上、毎週なので、ピアノに対しての思いだけでなく、感情的な浮き沈みや成長して行く過程が良く見える。

HちゃんもE君も学校の帰りにレッスンをしていた事もあり、レッスン前に一緒におやつを食べて色々な話をしてくれていました。Hちゃんが初めてジェットコースターに乗った時にどういうものか知らなかったから凄く怖かったと云う話から学校のダンスパーティの話まで、いつも素直でかわいいHちゃんの話を聞くとこっちまで幸せな気分に。そして、元気のない時や反抗期の時には心配したり...。E君はバスケの最新情報を教えてくれたり、レッスンが終わってから一緒にキャッチボールしたり。

C家はHちゃんとE君の二人がレッスンに来ていただけでなく、教会も一緒と云う事もあり、多い時は週に三〜四回も会っていた時期もあった。プライベートでも会う事が多かったので、本当にたくさんの時間を一緒に過ごしました。

pooh2_resize.jpgこれからも会う機会はきっとあると思うが、やはり生活の中での関係では無くなるので、今日最後に引っ張りだこのC家に揃って会えた事には本当に感謝。今晩のディナーは私にとっては本当に大切な時間でした。


Hちゃんがまだ小さい時にくれたプーさん。→
私が感激して「かわいい!」だの「嬉しい!」だのと感想だけ云って、「ありがとう!」というのを忘れていたら、Hちゃんが『何か頂いた時は「ありがとう」って云うんだよ』と教えてくれました(笑)。おかげで今では絶対云い忘れません(笑)。

イギリス旅行記:小さな前進 Ⅲ(心の真理)

しつこいようだが、またさらに一昨々日の続き(笑)。

日本に帰国後にさらに自分の反省点を浮き彫りにしたテレビの番組を見ました。

白隠禅僧が生涯を通して描いたダルマ像を取り上げた番組だったが人生を歩んで行く上での発展が絵に表現されていてとても面白かった。一番興味をひいたのは、若い頃には描かれていなかった「心」という字が絵の一部として描かれている事。解説の中で、「彼は一生、心の真理を追究し続けた」と云っていたが、まさに自分が今回最後の最後でおろそかにしていた事だったと思います。

このブログを書くのに、百隠の事をちょっとネットで調べてみたが、五百年に一人の名僧だったらしい。悟りを開いても、尚も修行を続ける重要性を説いたらしいが、本人は36回も悟りを開いたと書いてあって思わず笑ってしまった。この一生で一回ですら悟りを開けなさそうなのに...(笑)。

コンサートの準備や練習自体をおろそかにしていた訳ではないが、内容に問題があった。いつでも「真理」を追求し続ける事を忘れないようにしなくては。

イギリス旅行記:小さな前進 Ⅱ ( 旅を続けろ)

Hereford%20fields_resize.jpg昨日書いたブログの続きになるが、日本に帰ってからコンピューターの前に座ると、以前に書き記したメモにはっとしました。書類がごちゃごちゃしていながらも、すぐに目に付く所にあって、今回のコンサートの反省点を言い当てていてびっくりしました。何から書き写したのかさえも覚えていないが、今後同じ過ちを繰り返さないようにしたい。(日本語と英語と両方を書き留めていたが、英語の方が原文の気がします。)

「何をするにも旅を続けて、行き先に満足するな。どこかで満足したら、それで終わりだ。
可能性は現状より大きい」

"Whatever you do,always travel
but never agree to arrive anywhere.
The minute you think you've got it
then you're gone.
Because it's always bigger than whatever you have."

静かに

%E3%81%91%E3%82%84%E3%81%8D%E5%9D%82%EF%BC%86%E6%9C%88_resize.jpg心がざわざわしていても月は相変わらず静かに光り輝いてくれている。今日の月は格別にきれいでした。

流れ

River%20Wye_resize.jpg「日本は話の流れで話が進むから楽だよね〜。」と、オーストラリアにいる友人のTが日本に一時帰国していた友人に云われたそう。私はこの話を聞いて、相当色々な事が解決しました(笑)。

3人まではぎりぎりOKなのだが、4人以上の集まりで、自分が何かをいうと、完全にその場の空気を止めてしまっている感がある。「自分は流れに乗るどころか、ダムを造ってその流れを完全に止めちゃっている感じがするよ」とTに云ったら、「Mihoちゃんはきっと向かい合っちゃうんだね。あれは、みんな平行(並行)移動しているんだよ」といわれ、「なるほど!」と妙に納得した。流れに乗れずに、せき止めるか、川岸にたたずんでいるかのどっちかになってしまうので、人と会うときはなるべく少人数編成にしている(笑)。

理想は一対一で向き合う事だが、これは相手もさぞかし大変だと思う。向かい合っていれば、言葉を交わさなくてもいいのだが、沈黙を居心地良いと思う人も日本は少ないのでは...?「私は分かち合いたいんだよね」と音楽仲間達と話している時にいったら「素晴らしいね〜(笑)」とかわされてしまったが、相手を深く知るよりも、時間や空間を共有する方に価値が置かれている事を残念に感じるのは私だけだろうか...?

しかし、相手を知るというのも、言葉を交わす事でどれだけ出来るのだろうかという疑問もある。言葉はいっぱい交わしているのに、全然心が通じていない事もあれば、全く言葉を交わしていないのに、気持ちが伝わっている事もある。

気持ちが通じているのかさえも考えなくていいように、人は「話の流れ」に乗れるようになったのだろうか...。

悟り

Moon_resize.jpg先日お会いしたKさんからメールが。お会いした時に話に上がった、「悟り」について書いて下さっていました。

「修行しているお坊さんは全員、生きている間に悟りに辿り着くのだろうか?」と私はずっと疑問に思っていました。Kさんと仏教の話になった時に、この疑問をぶつけてみたら、「生きている間に悟りにたどり着くのは不可能なんじゃないか」という答えが帰って来て、目からうろこでした。妙に納得したのと同時に、何かとても気が楽になりました。日々、音楽のある域(音楽上の悟り)まで達したいと頑張っているが、生きているうちにそこに辿り着かないのではないかという不安感みたいなものをいつも背負っていたような気がします。それが、辿り着かないのが当たり前と、思ったら、今まで持っていた気負いみたいなものが無くなりました。辿り着く、着かないにこだわらず、とにかく一日一日自分に出来る最大限の事をすればいいのではないかと、いう考えに変わりました。

メールにはKさんが読まれた道元さんの本の事が色々と書かれていましたが、最後にとても素敵な言葉が書いてあって、メールを開いた夜遅くに独りで静かに感動していました。道元さんの言葉として、次の言葉が記されていました。

「さとりを言葉にすることは
できません。たとえて申すなら、それは夜空に輝く一点も欠けたところ
のない月が、そっと心の内に宿るようなものです」

一年

公式サイトが立ち上がってから一年。そして、このブログを書き始めてから一年。コンサートで音楽を通しての自己表現をする回数が少ないので、違う形で自分の思いを伝える事の出来るこのブログを発見出来たのは本当に嬉しい。書きたい事が多くて、昨年載せ損なったものもいっぱいあるのだが、読み返すと、つくづく色々な人に支えられてこそ、人生が豊かになっているんだな〜と感慨深くなります。本当に自分に与えられた全ての出会いに心から感謝です。

偶然

今日は会いたいと思っていた人と、会いたいと思われていた(笑)人の両方に偶然会った珍しい日。ある事で落ち込んでいた自分が、会って話をしたいと思っていた人に偶然会った事で心を少し軽くしてもらったかと思えば、「最近色々とあって、エビさんに会いたくなって今日、メールしようと思っていた!」と私に会った事を目を丸くしてまでも驚いて喜んでくれていた友人がいる。メールや電話もいいけれど、やはり目の前にその人がいる威力には到底適わない。今日の二つの偶然に心から感謝。

子供の笑顔

今日は昨日のブログで書いた「クワイア・ボーイズ」の最終回。音楽がどうのうこうのという事さえも越えて感動してしまった。有名な人が確か云った言葉でもあったように思うが、「この世の中に子供の笑顔に勝るものはない」というのを本当に実感。子供が笑顔であり続ける環境を作るのは本当に大人の責任であるべき、と思わざる得ない。

思い

夏のヨーロッパ旅行のブログをずっと書き続けて来たが、秋を通り越して、冬になりそうなので今日で終わりにします(笑)。

今回、イタリアからロンドンに飛行機で着いた時に窓の外を見ながら、しみじみと思った事がありました。

神秘な存在

%E6%B5%B7%EF%BC%92_resize.jpg一週間振りのブログ。色々とあった一週間でしたが、やっとまた書く余裕が出て来ました。実は先週の土曜日の夜にブログを書いている最中にハプニングがあり...。なので、下記のブログも書き初めが「昨日ブログに書いた〜」でした(笑)。今日からまたいつものペースで書いていこうと思っています。


先週ブログに書いた節子・クロソフスカ・ド・ローラの随筆集「見る美 聞く美 思う美」から。節子さんが学生時代に使った教材のプリントから森田たまさんの随筆を抜粋して次の箇所を載せていらっしゃいました。

 『・・・・・"育ての愛" - 子弟の愛情というものは、一つの神秘な存在である。それは、一人の先生と一人の個人的な交渉に過ぎないようでいて、やがてそれはひろく社会の中へ流れ出して行く愛情である。・・・・子弟の愛情は親子の愛情と一脈のつながりを持っている。だが親はわが子を社会へ送り出した後、断ち切れぬ肉親の絆に、望みをおく事ができるけれども、子弟の間に残るものは、ただ、目に見えぬ魂の継承と、ある場合、仕事の継承があるばかりである。まことにこの世の中で、子弟の愛情ほど厳しいものはなく、またそれほどに純粋なものはないといっても過言ではないだろう。』

平安

%E9%8E%8C%E5%80%89%E9%A7%85%E6%9C%88_resize.jpg生徒のレッスンから帰って来て、駅から出ると、満月が。その美しさにハッとするだけでなく、出迎えてくれている感覚があって安心感さえ生まれます。

カトリックの信仰から来ているのか、自分でも不確かですが、美しいもの中に神様の愛を感じます。自分の身辺もそうだが、世界中で苦難に立たされている人達が平安のうちに過ごせますように...と祈りながら帰って来ました。

心はどこに?

                             楽譜を買いに銀座に
Wako2_resize.jpg生徒のレッスンの帰りの電車の中で、竹内薫さんという科学作家/科学博士の書いた「脳の不思議」という雑誌の記事を読みました。とても面白く、分かりやすく書いてあったので本当に楽しく読めました。色々と発見があったのだが、その中の一つに、人間は手先が非常に発達していて、手から得た情報で使う脳の領域がとても大きいというものがありました。おまけに指一本一本にそれぞれ対応する脳の割当があるのです。私はピアノを弾く時に、他の指に比べて人差し指があまり云う事を聞いてくれないのだが、脳の「人差し指」部分がうまく働いてくれていないのだろうか、と考えたり(笑)。
 そして、私が一番興味を持ったのが、心は「脳」にあるのだろうかという疑問。(この記事は、赤瀬川原平さん、画家/作家が書いていた。)私もこれはいつも考えている事。

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