Writings

海老原みほ リサイタル「愛の七変化」

  • October 10th, 2011 トッパンホール (東京)

プログラム・ノート - 海老原みほ

愛の七変化
作曲家によって音楽に反映される「愛」の形は実に様々。一途な愛、誘惑的な愛、神聖な愛。愛し方も違えば、同じ作曲家でも対象物や人生の色々な時期によっても表現されるものが大きく変わる。ピュアなモーツァルト、情熱的なベートーベン、素朴で優しいシューベルト、そしてスーパースターでありながら信仰深い両極面を持ったリスト。人それぞれ、愛それぞれをどうぞお楽しみ下さい。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756〜1791)

『ああ、ママに言うわ』による12の変奏曲ハ長調K.265 (キラキラ星変奏曲)
童謡『きらきら星』の旋律を変奏した曲として有名だが、もともとは当時フランスで流行していた恋の歌『ああ、ママに言うわ』 (Ah! vous dirai-je, maman) による変奏曲である。
若い女性が母親に恋の悩みを打ち明ける歌詞となっている。
ああ、ママに言うわ
何で私が悩んでいるのかを
優しい目をしたシルヴァンドル

そんな彼と出会ってから

私の心はいつもこう言うの
「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」

あの日、木立の中で

彼は花束を作ってくれた

花束で私の仕事の杖を飾ってくれた

こんなこと言ったの
「きれいな金髪だね

君はどんな花よりきれいだよ

僕はどんな恋人より優しいよ」

私は真っ赤になった、悔しいけど

ため息ひとつで私の気持ちはばれちゃった

抜け目のないつれなさが

私の弱みに付け込んだの

ああ!お母さん、私踏み外しちゃった

彼の腕に飛び込んじゃった

それまで私の支えは

仕事の杖と犬だけだったのに

恋が私をだめにしようと

犬も杖もどこかにやった

ねえ!恋が心をくすぐると

こんなに甘い気持ちがするんだね!
曲想からもっと純粋な恋の悩みと思いきや、意外と情熱的な詩の内容である。「キラキラ星」として有名な旋律の主題で始まり、変奏曲は全部で12曲。透明感のある愛らしい作品。
なおよくある誤解だが、モーツァルトが作曲したのはこのメロディによる変奏曲であり、メロディ自体はあくまでもフランスの流行歌である。
この流行歌を聴くチャンスがあったのはモーツァルトがフランスに滞在していた1778年と考えられたためにこの年に書かれたものと推測されたが、後に自筆譜の研究をしたウルフガング・プラスは1781〜1782年に作曲されたものと推察している。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (1756〜1791)

ロマンス 変イ長調 K.V.Anh.205
1802年に出版されたが、実際にモーツァルトが作曲したかどうかが疑問視されている。モーツァルトがピアノと木管のために書いたスケッチを誰かがピアノ小品として完成させたというのが有力説。実際に転調の仕方が唐突なのと、小節の割り切り方が不自然なのがモーツァルトらしくないが、それでも叙情的でありながら、軽快な小品となっている。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770〜1827)

ピアノ・ソナタ第23番へ短調Op.57 「熱情」
ベートーヴェンの全作品中においても、燃えるような激しい感情と寸分の隙もない音楽的構成の一致から、最高傑作の中のひとつに数えられており、最も重要な作品のひとつとされる。
しかし、作曲された当時はその唐突さと暗さはなかなか受け入れられず、演奏の難度の高さに匹敵する格別な美しさがないと評されて、ベートーベンが生きている間に公の場で演奏される事はなかった。
創作活動中期の1804年から1806年に作曲され、F. v. ブルンスヴィック(Franz von Brunsvik)伯爵に献呈された。交響曲第3番「エロイカ」やオペラ「フィデリオ」、ヴァイオリン協奏曲もこの時期に書かれており、交響曲第五番「運命」の着想もこのときと重なっている。
なお、「熱情」という通称は、ベートーヴェン自身がつけたものではなく、後にハンブルクの出版商クランツがピアノ連弾用の編曲版の出版に際してつけたものであるが、この曲の雰囲気を的確に表しており、今日まで世界中でそのまま通用している。3楽章構成で2楽章が緩やかなテンポの緩除楽章になっているが、全曲を通して緊張感が途切れる事はなく、ベートーベンのとてつもない情熱が感じられる。この「熱情」にしても「運命」にしても「歓喜の歌」にしても、とにかく音楽の中に含まれているエネルギーが凄い。マーラーが「音楽は世界を内包しなければならない」と云ったそうだが、ベートーベンの音楽はそれをも越えて宇宙さえもが内包しているように感じる。時には一方的とも感じるこの感情表現のパワーの凄さ故に、なかなか女性との愛にも恵まれなかったのでは、と思わざるおえない...。

フランツ・ペーター・シューベルト (1797〜1828)

12のドイツ舞曲 D.790
これらの舞曲は全て3拍子で、ワルツやレントラーに通じるものがあるが、実際に踊るための無邪気な舞曲というよりは、夢の中を漂っているような内面世界を表現している珠玉の作品集。 1823年の4月、シューベルトの健康状態が悪化し、入院せざるおえなくなり、5月には神の癒しを求める詩を書いているが、そんな時期にこの曲は作曲された。そんな背景からか、遠い日の楽しかった思い出をひも解いているかのようなノスタルジックな趣のある曲集となっている。 全12曲からなるが、休みなく次の曲へと移っていく。面白い事に舞曲なのに、1曲を除いて全ての曲がp (弱い音) またはpp (とても弱い音) で始まり、最後の曲は旅をした末に辿り着いた家のような安堵感のある物静かな終わり方である。
前回のリサイタルで演奏したブラームスのワルツ集との共通点が多々あるが、実はこの曲集を私たちが今楽しめるのもブラームスのおかげ。シューベルトの生前は日の目を見る事の無かったこの曲をブラームス自身が編曲し、そして1860年代中期に出版した。

フランツ・リスト (1811〜1886)

忘れられたワルツ 第1番
1881年から1885年に書けて作曲された全4曲からなるワルツ集であるが、今日演奏するのは1曲目。4分程の短い曲ながら、憂いと遊び心が共存し、リストらしい花火のような華やかさも垣間見られる、盛りだくさん一曲。これは個人的な印象だが、シューベルトの舞曲集と共通したノスタルジーがあるように思う。シューベルトの舞曲集の素朴さに比べると、リストのワルツはさすがに洗練されていて派手ではあるが、どこか遠い過去のの栄華を思い返しているような哀愁がある。

フランツ・リスト

愛の夢 (3つの夜想曲) 第2番、第3番
「愛の夢」は「3つの夜想曲」という副題が付いているとおり3曲からなっている曲集である。皆が思い起こすのはこの3曲あるうちの第3番。もともとはソプラノのための独唱歌曲として書かれた作品であるが、リスト39歳の1850年にピアノ独奏曲として作曲され、同年「愛の夢-3つのノクターン」として出版された。今回は第2番と第3番だけの演奏ですが、この曲集の構成の参考になるので第1番についても明記しました。
第1番 変イ長調「至高の愛」/ No.1 As dur
ドイツの詩人ヨハン・ルートヴィヒ・ウーラント (1787-1862) の詩による独唱歌曲 (S307) として、1850年に初稿が完成し、同年出版される。(第二稿は1854年に完成している) 地上の喜びを喜んで捨て、殉教者となるという内容の詩。

第2番 ホ長調「私は死んだ」/ No.2 E dur
第1番と同様にウーラントの詩による独唱歌曲 (S308) として、1846年に完成し1850年に出版。(ピアノ編曲版も1850年に作曲・出版。)
官能的な愛をうたったもので、詩の大意は次のようなもの。

「私は愛の喜びの眼前で死んだのだ。
 彼女の両腕の中に葬られ、
 彼女の口づけで目覚め、
 彼女の瞳の中に天を見た。」

第3番 変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」/ No.3 As dur
リストの作品の中でも最もポピュラーな小品の一つである。
ドイツの詩人ヘルマン・フェルディナント・フライリヒラート (1810-1876) の詩による独唱歌曲 (S298) として、1843年末頃に作曲され、その初版は1847年に出版される。第二稿は1850年に完成し、同年出版。
「おお、愛しうる限り愛せ O lieb, so lang du lieben kannst!」から始まる詩は、恋愛のことではなく、人間愛をうたったもの。

「あなたがお墓の前で嘆き悲しむその時は来る。
 だから、愛しうる限り愛しなさい。
 自分に心を開く者がいれば、その者の為に尽くし、
 どんな時も悲しませてはならない。
 そして口のきき方に気をつけなさい、
 悪い言葉はすぐに口から出てしまう。
 『神よ、それは誤解なのです!』と言っても、
 その者は嘆いて立ち去ってしまうだろう」

フランツ・リスト

巡礼の年第2年「イタリア」より 第7曲:ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」
この曲はリストがイタリア・ルネサンスの先駆者となった詩人ダンテ・アリギエーリ (1265-1321) の書いた一大叙事詩『神曲』からのインスピレーションを受けて書いたもので、今の形として完成したのは1849年。「神曲」は地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から構成されており、ダンテ自身が古代ローマの詩人ヴェルギリウスに導かれて地獄と煉獄を、そしてダンテが愛したベアトリーチェに導かれて天国をめぐり、歴史上の人物の死後の姿に出会うという物語である。

題名の「ダンテを読んで」は文豪ヴィクトル・ユゴーの詩集『内なる声 (1836年)』の中の詩「ダンテを読んで」から取ったもの。
この詩が「神曲」の地獄篇を凝縮したものとなっている。
「詩人が描く地獄は、彼自身の人生である。
それは亡霊の追跡より逃げまどう影である。
踏み込むことをたじろがせる未知の森
錯乱して、切り開かれた道をはずれて暗中模索する。
道の不具合な交差によって塞がった暗黒の旅。
疑わしい岸や、とてつもない深みの螺旋。
忌まわしい循環が常に先にある。
影の中には、地獄がおぼろげに、だが、活き活きと蠢いている。
勾配は、ぼんやりとした靄の中に失われる。
どの圏の底にも呻き声が築かれる。
そうして、かすかな物音とともに移ろってゆくのを眼にするだろう。
陰鬱な夜の虚ろな歯軋り。
幻影は、夢は、空想はそこにある。
苦悩が辛辣さの源となった眼差し。
抱き合ったままの恋人たちの愛は悲しげで、相変わらず燃えるように熱い。

一陣の風の中を心の痛手が通り抜ける。
片隅には復讐と飢餓と冒涜の姉妹。
侵食された頭蓋の上に寄り添ってしゃがみ、
貧弱な微笑に蒼ざめた悲惨さ。
自ら培った野心に慢心。
けがらわしい放蕩におぞましい吝嗇。
鉛のマントはすべて魂で覆われているということもあるだろう。
より遠方には怠惰と恐怖と背信とが、
売り渡すための鍵を示して、毒を試す。
もっとさらに低いところ、深淵の底には、
耐え忍んできた憎悪に歪む仮面がある。
そう、まさしく、そこに人生がある。霊感を授けられた詩人よ。
そうして、靄のかかった彼の道は障害物で塞がっている。
しかし、その狭き道より何一つ見失わないために、
貴方は常に我々に示すだろう。右手に立って。
天分は静寂の真向かいに、光輝に満ちた両の目に。
清澄たるヴェルギリウスは言う。さあ、続けよう、と。」

「悪魔の音程」と呼ばれる増4度の連続で曲が始まり、「一切の望みは捨てよ 汝ら われをくぐる者」と地獄の門に記されているようにいかにも地獄への階段を下りていくようなオープニングとなっている。曲の途中で地獄とは対照的な甘美は旋律が何度も現れるが、実在した人物、フランチェスカ・ダ・リミニの挿話で「神曲」の中でも最も有名な言葉「不幸な時には幸せな時代を思い出す事が一番辛い」が思い起こされる。最後には愛を象徴する存在として登場するベアトリーチェによって天国へと導かれるが、悪に対する愛の圧倒的な勝利を感じずにはいられない。ベアトリーチェは実際にダンテが幼少の頃に出逢い、心惹かれた少女の名であり、彼女をモデルにした実在論と「久遠の女性」としてキリスト教神学を象徴させたとする象徴論が対立しているが、実在論を信じたい。実際のベアトリーチェ・ポルティナリとは9歳の時と18歳の時の2回しか会っていないらしいが、彼女が他の人と結婚し、24歳で他界した後も印象は強く、ダンテの一生の創作のミューズとなったようである。

今回のコンサートは「愛」がテーマとなっていましたが、「音楽」と「言葉」がとても密接に関わり合っていました。
詩人達の人生を通して生まれて来た言葉、そしてそれにインスピレーションを受けて、作曲家達自身の人生をも内包する音楽が存在するのは「愛」の限りないエネルギーとパワーがあってこそ。愛こそが全てを良いものにし、全てを克服する力となり、この世界を動かす原動力と信じたい。