Thoughts

June 2011

3ヶ月

震災から3ヶ月。
12日に近くの鶴岡八幡宮でまた東北大震災のための祈りの祭事、法要がありました。今回は八幡宮と奈良の東大寺の合同祈式。夕方の6:30から2時間強。神道のお祈りは15分もなかったと思うが、東大寺のお経は1時間近くに及んでいたように思う。%E5%85%AB%E5%B9%A1x%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA_resize.jpg最初は一つの字をえ〜んえんと延ばして、とてつもなくゆ〜っくりと始まり、だんだんとテンポが速くなって行って、やっと云っている事が解釈出来るくらいの速さに。最後は速過ぎて全然聞き取れなくなるくらいに。おまけに、途中で札みたいな物を投げたり、10人近いお坊さんがそれぞれ勝手にお経を唱えながら、大きな蛇腹になっているもの(お経が書いてあるのだと思うが)をセンスのようにぱらぱらと凄いスピードで開いたり、閉じたり。物珍しい事をいっぱいやっていたので、一種のパフォーマンスを見ているようでした。日本人の私でも興味津々。今回のお祈りは大災害の時に捧げるものだそうで、前回は何百年か前に唱えられたそう。ちょっと客観的にこの光景を見てしまっていたのだが、実際に地震について触れるお祈りを捧げる時に、それまでリズミカルにお経の波のように聞こえていた言葉が途切れだした時がありました。「?」と不思議に思っていたら、その内、鼻をすする音も交じって来ました。姿は見えない位置に立っていないので、何とも言えないが、住職さんも感極まってしまったのだと思います。
全国のあらゆる人の思いが、少しでも早く復興を実現する活力となりますように...。

思い

Gitlis%20Program_resize.jpg今日はバイオリニストのイヴリー・ギトリスさんのコンサートに行って来ました。
80歳を越えた今も精力的に演奏活動をおこなっており、今回は特に震災のためのチャリティー・コンサート、そして被災地での慰問コンサートのために来日しました。

ギトリスさんだけでなく、バイオリニストの木野雅之さん、ピアノの岩崎淑さん、大鼓奏者の大倉正之助さん、そして弦楽アンサンブルと盛りだくさん。プログラムはその場でアナウンスしながらの即興的な感じで、いかにもギトリスさんらしいコンサートでした。圧巻だったのはバッハのバイオリン協奏曲。1回目に弾いたのが気に入らなかったようで、二回弾いたのだが、2回目は大倉さんの大鼓も交えての演奏。最初は違和感を少し感じつつも、徐々に大倉さんの方が音楽を逆に見抜いている感じがして(バッハは予定に入っていなかったようで、その場での即興演奏だったらしいが)他の演奏者が逆に伴奏しているように感じて来た程。クラシック音楽は音階の音がリズムと一緒になって音楽の流れやクライマックスを作るのだが、大鼓奏者はそれをかけ声と鼓の強弱だけで作っているのがよく分かりました。ギトリスさんも空気を読むという事においてはずば抜けていると思うのだが、今日は何だか大倉さんに軍配が上がってしまった気がしてしまいました。ギトリスさんも感心し切っていたよう(笑)。

Gitlis%20%E4%BC%9A%E5%A0%B4_resize.jpgそれにしても、今回のコンサートではプログラムにも被災地への訪問、慰問演奏の模様が書いてあったり、会場に写真が置いてあったり。コンサート内で「色々話したいけど、感情的になっているから後で話す。」と何回もいいながらも結局最後まで地震の事については一言も話さなかった。こんな凄い巨匠と一緒にしてはいけないのかもしれないが、勝手にニューヨークのリサイタルで話をしたら弾けなくなってしまった自分と重なって、救われた思いがしました。(実際は全然違うのかもしれないけど...。)

プログラムの後援のところにイスラエル大使館とカトリック渋谷教会が名前を連ねていました。ユダヤ人のギトリスさんを迎えてのイスラエル大使からのメッセージが書いてあり、そして被災地ではカトリック石巻教会の受け入れがあったお陰で慰問演奏が可能になった事が書いてありました。宗教を越えて、国境を越えて、本当にみなが今とにかく助け合ってこの災難を乗り越えよう、という思いがひしひしと伝わって来ます。政治家も見習って欲しい...。

怒り心頭

あまりブログにはネガティブな事は書かないようにしているのだが、今日は申しわけないがどうしても書かずにはおれません。。。

こんな時期に内閣不信任決議案。。。
そんなことをやっている場合ではないでしょう!!!
昨日テレビで映像を見る度に気分が悪くなっていたが、今日は会う人ごとにこの話題になり、怒りがふつふつと湧いて来てなかなかおさまらない。「国民が、国民が」と云っているのがあまりにも今の日本全体の心を踏みにじっている勘違いで、「この人達をどうにかして〜〜〜!」と叫びたくなっちゃいます。見え透いた権力/派閥争いも今までは呆れて見るばかりだったが、こんな非常事態にやられるとあまりに無神経過ぎて怒りと共に悲しくなってしまいます。

今日は庭の木を切りに来た植木屋さんともこの話になり、熱くなってしまいました。植木屋さんも「昨日、魚屋と買いに来ていたお客さんも怒ってこの話をしていたよ〜!」と云っていたし、今日はスポーツクラブでも皆同じように信じられない思いで、この事に怒りを示していた。今日届いたメールの中にもみんな怒りコメントが。

植木屋さんに「よっぽど昨日国会まで行って抗議デモしに行こうかと思った」と話し、「次にこんな事があったら声掛けますから一緒に来て下さい!」と云ったら「仲間みんな連れて行きますよ!」と云ってくれた。政治家の周りにも同じように怒っている人がいっぱいいるはずだが、これはやはり数で示さないと政治家も目が覚めないのではないだろうか。中近東もデモがあちこちで起きているが、日本はなかなか思いはあっても行動が起きない。被災者の方は生活自体が精一杯だろうから、代弁者となって私たちに出来る事はあるはず。こういう時にインターネットを通してネットワークを作れる方法を知っておくべきだった。。。今まで政治に無関心過ぎた自分も腹立たしい。

ニューヨークでのリサイタル Ⅲ:同情

今回ニューヨークに行って良かった事の一つが、いかにアメリカの人が日本の事を心配してくれているか、というのを実感出来た事でした。友人や知り合いの方はもちろん、街中で何気なく話し始めた人でも、私が日本から来たばかりだと云うと、その同情の仕方が凄かった。本当に悲しそうに眉間にしわを寄せて自分に起こった事のように心配してくれていました。

26日のリサイタルの数日前にマンハッタン郊外の病院で小さなコンサートをしましたが、聴衆のほとんどの人は車いすで本当に具合が悪そうで自分の方が大変だろうに「日本のために祈っているよ」という言葉をたくさん頂きました。

そして日曜日に行ったカトリック教会での御ミサ中にも共同祈願で日本のためにお祈りを捧げて下さっていました。

本当にこんなにも日本に同情し、祈って下さっている事に感謝でした。逆に、日本の人はハリケーン・カトリーナの時にここまでアメリカに同情したのだろうか、と考えさせられてしまいましたが...。