Thoughts

January 2009

地味な作業

練習というのは面白いもので、その日どれくらい良い練習が出来るかというのはピアノの前に座るまで分からない事が多い。やる気満々なのに、大したいい練習にならない日もあれば、とてつもなく疲れているのに、やけに練習がはかどる時もある。

今はコンサート前なので、出来るだけ生徒達のレッスンはまとめて、練習だけをする日にちを週に2日(運がいい時は3日)取るようにしている。今週は火曜日がその一日で、朝から「今日は〜の練習」と、とても張り切っていた。身体も元気な方だったと思ったのだが、なかなかやりたいと思っていた事が上手く身に付かず、充実感のない練習になってしまった。それでも、相当集中していたようで、9時に始めた練習だったが、気づいたら2時になっていた(笑)。その後も休憩を取りながら練習していたが、相変わらず地味〜な作業で一日が終わってしまった。

そして、今日(木曜日)も一日練習の日。水曜日は一日朝から外に出てしまっていたので、本当に久しぶりに全くピアノに触らなかった。しかし、昨晩からもう既に今日の練習モードに入っていて、ブラームスをどういう風に弾くかを色々と考えながらの就寝。そして朝も目覚めた時から、ブラームスが頭の中で鳴っていた(笑)。

よくピアノの前に座っていない時に、音楽的な解決を見いだしたりするが、昨晩から色々と考えていたお陰で、今日の練習はやけにはかどった。次から次へとやりたい事が形になるだけでなく、そこからさらに違うものも見えて来て、今日は大きなブレイクがあった。「左手をちゃんと弾く」という”超”基礎的な事なのだが(笑)、色々と苦労していた所がまとめて魔法のように弾けるようになり、相当満足感のある練習となった。

張り切っていた火曜日の練習ははかどっていないように見えたのに、今日は相当大きく前進した実感がある。火曜日の練習は今日の準備段階のようなものだったんですね。本当に音楽作りというのは、地道な作業の積み重ねだな〜と思う。

センス

昨日観たイギリスのロック・ミュージックのドキュメンタリーで、いかにも反社会派バンドの「The Smiths」というバンドがいつもプロコフィエフの音楽を使ってステージに登場していたと解説していて、その映像が映し出された。私も大好きなプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」でした。なんてセンスがいいんだろう(笑)。

なので、今日は小沢征爾指揮、ボストン交響楽団のこの「ロミオとジュリエット」のお気に入りCDを聴きながら夕食のクラム・チャウダーを作りました(笑)。

何時間も

イギリスのロックミュージック・シーンのドキュメーンタリー番組をテレビでやっていた。以前に日経の日曜版の綴じ込み紙に、各国のストレスの発散方法のアンケートを取ったものが載っていたが、アメリカ、日本の第一位が確か「お酒を飲む」や「買い物をする」だったのに対してイギリスの第一位が「音楽を聴く」だったのがとても印象に残っている。イギリス人にとって音楽は本当に生活の一部で、あらゆる音楽が共存している所が羨ましい。

今日、印象に残ったのは「オアシス」が駆け出しだった頃の話。ライブの30分を埋めるのに自作曲が足りず、ビートルズのカバー曲をいれていたそう。毎週、練習スタジオに週5日通って練習していたそうだが、隣のスタジオで練習していたバンドの人のインタビューによると、そのビートルズの歌の歌詞の言葉がちゃんと歌えるまで、執拗に一つの言葉に何時間も掛ける事があったそう。

自分はよく「なんで、こんな一つの音にこんなに時間掛けなきやいけないの〜!!!」と、思い描いている音が出せない時に思う事があるが、この話を聞いて、少し安心しました(笑)。学生時代に画家の友人の大学内の作業場に遊びに行った時も、「一つの色を作り出すために、何時間もパレットの上でひたすら絵の具を混ぜている奴もいるよ。」と話してくれたのも励みになってはいるが...(笑)。

一つの言葉に何時間も費やしていた「オアシス」の話を聞いて、自分の心にあるものを、人の心にまで届くようにするのは、本当に容易な事ではないのだと再確認しました。辛抱強く練習しなくては!

追記:インフォーメーション・ページにコンサート情報がアップされました。
ご興味のある方はぜひいらして下さい!

歴史的瞬間

アメリカ大統領の就任式というのを初めて最初から最後まで観た。
式典は日本時間で1時半から始まったのだが、1時頃からBBCでは、それぞれの席に着く著名人を映し出していた。そして、最後に一人、新オバマ大統領の登場。登場からして、大感激。この一人の人間にどれほどの希望と期待が掛かっているのだろう...。

アリーサ・フランクリンの歌、チェリストのヨーヨーマを交えたアンサンブル、詩の朗読などなど。ヨーヨーマのアンサンブルの曲がスターウォーズの作曲等をしているジョン・ウィリアムスの曲だったそうだが、私も大好きな「Simple Gifts」というコープランドの作曲した歌のテーマを変奏したもの。かわいい曲でした(笑)。

そして、いよいよリンカーンも使ったといわれる聖書に手を載せての宣誓。生で観ていたので、私はオバマ大統領が言葉につまづいたのかと思っていたが、今朝のニュースで真相が分かりました。先唱をしていた人が言葉を間違えたそうで、オバマ大統領はそれをわざと最後まで言い切らない事で、先唱の人にその間違いを気づかせたそう。その時にこぼれたオバマ大統領の笑みがまた本当に素敵でした。

宣誓に続いたオバマ大統領の演説は今の時代の深刻さを訴え、全ての人が団結してそれに立ち向かわなてはいけない事を強調したもの。守れそうもない約束や、嘘っぽい夢物語を語っていなかったのが良かった。

大統領の演説の前後にはキリスト教の牧師による演説(一人は演説、一人はお祈りのようなものでした)。就任式全体のクリスチャン色が色濃くて驚いたが、人間よりも大きな存在の前で謙遜に正しい道を歩めるように祈るという姿勢は、宗教がなんであろうと、そしてどの国であろうと、指導者には持って欲しい。

宣誓の時にはフルネームの「バラク・フセイン・オバマ」を使い、アフリカには今も祖母がいる。本当にこの地球を一つと考える指導者となって欲しい。


悟り

Moon_resize.jpg先日お会いしたKさんからメールが。お会いした時に話に上がった、「悟り」について書いて下さっていました。

「修行しているお坊さんは全員、生きている間に悟りに辿り着くのだろうか?」と私はずっと疑問に思っていました。Kさんと仏教の話になった時に、この疑問をぶつけてみたら、「生きている間に悟りにたどり着くのは不可能なんじゃないか」という答えが帰って来て、目からうろこでした。妙に納得したのと同時に、何かとても気が楽になりました。日々、音楽のある域(音楽上の悟り)まで達したいと頑張っているが、生きているうちにそこに辿り着かないのではないかという不安感みたいなものをいつも背負っていたような気がします。それが、辿り着かないのが当たり前と、思ったら、今まで持っていた気負いみたいなものが無くなりました。辿り着く、着かないにこだわらず、とにかく一日一日自分に出来る最大限の事をすればいいのではないかと、いう考えに変わりました。

メールにはKさんが読まれた道元さんの本の事が色々と書かれていましたが、最後にとても素敵な言葉が書いてあって、メールを開いた夜遅くに独りで静かに感動していました。道元さんの言葉として、次の言葉が記されていました。

「さとりを言葉にすることは
できません。たとえて申すなら、それは夜空に輝く一点も欠けたところ
のない月が、そっと心の内に宿るようなものです」

絶対評価

昨日のブログと少し関連していると思うが、人の評価と自分の評価の違いについて、つくづく良く考えさせられる。

先日、電話で話したTともその話題になった。お互いにとっても尊敬しているFさんはコンサートをしょっ中しているので、同じ曲を続けて何回か聴く機会があり、その評価の話になった。Tが云っていたのは『Fさんが「昨日より今日の方がよかった!」と凄く上機嫌だった』そうだが、Tとしては前日の方が音楽的にずっと良かったそう。結局、この両日は弾いた本人と聴いていたTの評価が逆になってしまったのだが、『Fさんが「上手く弾けた!」と満足そうにしていた演奏を僕も「素晴らしい!」と思った事もある』というので、「結局全てのバージョンがあるんだよね」、という事になった(笑)。

ピアノは特に独りで進歩していかなくてはいけない楽器なので、いつも自己評価する事が必要だが、これがなかなか難しい。絶対的な尺度というものが自分の中に存在するはずだが、それが見えなくなったり、勘違いだったりもするので、本当に困ってしまう。このぶれない絶対評価をしっかりさせたい。

何が良くて、何が悪い

新聞の雑誌に載っていた落語家、柳家三三のインタビュー記事を読んだが、つくづく共感する事が多かった。

15年間弟子入りした師匠からはひとつも落語を教えてもらえなかったそうだが、一度だけ差し向かいで兄弟子に教わった落語を聞いてくれた時の話が書いてあった。
しゃべってみろといわれ、最初から始めたが...。
「ご隠居さんこんちは」「誰かと思ったら八っつあんかい」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「それだ。もう一回」
「ご隠居さんこんちは」
「やっぱり違う」


それだけで一時間。何がいいのか悪いのかさっぱりわからぬままおしまいだったそう。
これは、私自身とロンドン時代の先生との数年間の関係を凝縮しているような気がして胸が痛む。

アカデミー時代についていたW先生はとにかく音楽が素晴らしく、今聴いても魅了されてしまいます。しかし、今思えば、W先生の音楽は自分の音楽とは系統は同じでも、やはり全然違うもので、それを一心に追いかけてしまったがために自分の音楽が見えなくなってしまったような気もします。自分の音楽ではないので、やはり先生が良いと思うものも100%把握し切れる訳がありません。自信満々にレッスンに曲を持っていっても、先生は全然不満足という事もあれば、自分では全然良くなかったと思った演奏をやたらと褒めてくれる時もあって、いつもこのギャップをどうにか無くしたいものだといつも悩んでいた。何が良くて、何が悪いのかが分かっていない訳です。

そんな先生を2度だけ唸らせた事があって、今でもとても印象に残っています。一回は試験前に他の生徒さんとの弾き合いのクラスで弾いた時の事。ベートーベンのソナタ第31番Op.110を弾いたのだが、最初の音から相当感激してくれたらしく、今でもその褒め言葉が楽譜に書き残されていて、見る度に弾き終わったときの光景を思い出します。先生、驚きの表情と共に無言でした(笑)。しかし、翌日の試験(先生も試験管)では、そこまでいい演奏ではなかったらしく、「今日も良かったけど、昨日は特別だったね」といわれました。自分では全然違いが分からなかったので、何がそこまで凄かったのか今でも分からないのが残念(笑)。

もう一回はブラームスのラプソディーを弾いた時の事。「自分も音楽的な事を色々と盗ませてもらうよ」と先生にいわれ、相当嬉しかったのを覚えている。今まで習って来た事をいつも念頭においているが、このブラームスは、先生の音楽や音質音色を全く意識して弾いている訳ではなく、自然と自分のものになっている感がある。先生から受け継いだものの蓄積と自分の音楽が上手く融合した数少ない演奏だったのではないかと思っています。

今の課題は、とにかく今まで追いかけて来た先生の音楽ではなく、自分の音楽を見つける事。練習が今、軌道に乗っていて、この「自分の音楽」が段々とクリアになって来ているような気がしているが、「どうかこれが勘違いではありませんように!」と祈っています。

近い存在

Trees_resize.jpg久しぶりに爆笑問題の「日本の教養」の話題。
先週から2週連続で「ゴリラ博士」と呼ばれている山極壽一氏との対談。霊長類社会生態学の教授らしいが、ゴリラの生態を研究する事によって、逆に人間の特異性も知っていくらしい。私はよく子供と接していて「人って本来こういう特性があったんだよね〜」と思う事が多々あるが、それに似ている学問のような気がする(笑)。

結局人間とゴリラの相違点を見つけていく訳だが,とっても興味深かった。

まずは、「ゴリラは笑う」という事にびっくり。おまけに面白い事に笑うのは子供の時だけらしい。楽しそうに大笑いしている子ゴリラの映像が映って、つられて大笑いしてしまった。しかし、あんなに笑う子供のゴリラも大人になると,遊ぶ事がなくなって笑わなくなるらしい。大人になっても笑うのは人間の大きな特徴だそうだ。(自分は大人になっても笑う事が多いが,以前は大人になり切れない子供だからなのかな〜と思っていた。しかし、この番組を見て、実は凄く進化した人間なのかな〜とも考えられる...笑)

次に感激したのが、「ゴリラは鼻歌を歌う」という事。これは、独りでいる時と集団で食事している時などに歌ったりするらしい。野生のゴリラが鼻歌を歌っている映像が映っていたが、面白すぎる。

他にも色々とあったが、自分の中でもう一つ印象に残っているのが「ゴリラの見つめ合い行動」。それも、顔と顔がくっついちゃうくらいに、顔を近づけての見つめ合い。これは威嚇のため、と最初思われていたらしいが、研究が進むにつれ、言葉のないゴリラが自分の意志を伝えて、相手に何かを知らせたり、何かをしてもらうために誘導するためにも使うらしい。人間の場合は「恋愛」の時と「母親と子供」の間で行われる行動らしいが、私はこれを良く生徒としています(笑)。特に小さい子が言葉も発せずに顔をどんどん近づけて目を見つめ合って来る時があって、いつも不思議に思っていたが、なんとなく答えが見付かったような気がします(笑)。

それにしても、ゴリラのさまざまな映像が映し出されていたが、歩き方から木の登り方から何から何まで本当に面白くて食い入るように見てしまった。この番組の撮影は京都市動物園だったようだが、今無性に動物園に行きたくなっている(笑)。

サポート

%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%A8_resize.jpgいつもいつも、音楽的なサポートをして下さっているKさんとMさんとの会食。銀座にある素敵な懐石料理屋に。ビルの中に田舎の一軒家をそのまま移したそうだが、通された個室はお茶室で、間口の小さな入り口も初体験。室内もとっても渋くて、侘び寂びの良さを体感させて頂きました。

Kさんの奥様はロンドンの学生時代からコンサートを聴きに来て下さり、いつも応援して下さっていましたが、ある時からKさんがバトンタッチをして、コンサートを企画して下さるようになりました。そしてKさんと共にその企画だけでなく、音楽活動が広がるように色々と応援して下さるMさんも本当に自分の音楽を支えて下さっている方。このホームページもMさんの提案やデザイナーさんの紹介で立ち上がったもの。本当に感謝の一言につきます。

そんなお二人との会食も音楽の話だけでなく、旅や絵画、宗教の話と実に多彩。昨日は特に仏教の話で大盛り上がり。地球の始まり(46億年前)とお釈迦様の予言が同じだった、という話に大感激!帰って来て調べてみたら少しズレがありましたが...(笑)。

K%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpgこんなに和やかに一緒にお話し出来る中で,自分の音楽を応援して下さる方がいるというのは本当に幸せです。利益の損得とは関係なしに次のコンサートの企画も考えて下さって本当に感謝です。しばらく,日本では大きなリサイタルをしていなかったので実現出来れば本当に嬉しい。お二人にお会いして、プレッシャーから出るものではなく、自然に「一生懸命頑張ろう!」という気持ちが沸き立ちます。ますは3月のコンサート。本当に音楽は一歩一歩が大事と思っています。

←私の音楽の守護神のKさん

誠実さ

BBCでブッシュ大統領の最後の記者会見というのをライブでやっていた。今まで、ブッシュ大統領の映像が出るとチャンネルを変えたものだが、この記者会見には驚いた。初めて、「人」としてのブッシュさんを見たような気がする。流暢に話す事もなく、結構詰まったり、考えたりしながら記者一人一人の質問に答えていたが、表情も感情も豊かで、初めて彼の心から来る言葉を聞いているようで、初めて好感が持てた。30分以上の長い会見だったが、見入ってしまった。就任していた8年間では見えなかった彼の人となりを見たような気がして、今まで持っていた偏見を反省。申しわけない気持ちで見ていました。メディアを通して下す、人の判断は本当に危険だな〜と思う。

鎌倉に遊びに来てくれたT
Tomoaki_resize.jpgMちゃんとの弾き合いで俄然、練習内容が充実。本当に音楽仲間がいる事で自分の音楽が支えられている事を実感します。

そんな音楽仲間の一人、オーストラリアに住んでいるピアニストのTも相当自分の日々の進歩に携わっている。暮れに久しぶりに電話で話したが、彼自身が経験している事でも、自分が何となく思っていた事だったりするので、自分の中の思いや考えがまとまって、違う道でありながらも進歩を共にしている感がある。

昨日のメールではウィーンでおこなったリサイタルの事が書いてあったが、自分でも思い当たる事ばかりで笑ってしまった。「リサイタル前、準備があまりに調子良くて、最初に決めていた目標の山に向かってズンズン登り始めたら、目標が見えなくなってしまったが、それでも調子がいいからそのまま進んだら、自分では全然登ろうと思っていなかった違う山の頂上に辿り着いていた!」と書いてあった。私はこれを20年間やってしまったような気がします(笑)。全然見当違いの山を一生懸命登っていた気がするが、やっと昨年頃から自分の山がまた見えて来ました。自分の山がやっと再発見(若い頃はしっかり見定めていた山があった)出来たので後は登るのみ。この「自分の山」と思っているものが勘違いでない事を信じて...。


練習

%E5%BC%BE%E3%81%8D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B_resize.jpg年末からお正月に掛けては練習三昧。いつもそうだが、生徒のレッスンのない春と夏のお休みにはいつも海外に出てしまうので、実はこの冬休みが一番家で落ち着いて練習出来る時期。それなのに...。

先日、Mちゃんと3月のリサイタルに向けての2回目の弾き合わせをしました。12月にするはずだったのが、色々な事情でずれ込んでしまったので、予定よりも曲をもう一曲増やす事にしました。今回はプログラムの残りの新曲、スカルラッティのソナタ2曲、モーツアルトのキラキラ星変奏曲、そしてショパンのスケルツォ。
 
 年末年始は相当の練習時間を注ぎ込んでいたが、自分で録音したのは弾き合わせの2日前。「なぜもっと早くに録音しないのだ!」と毎回思うのだが、練習している時点でなかなか辿り着きたい所に辿り着いていないと、全然録音する気にならないのです。しかし、人に聴いてもらうからには、そうも云っていられないので最終的には嫌々ながらする事に(笑)。

 録音してやはりショッキングな事が多く...(笑)。スカルラッティとショパンはあまりにもあっさりと表面をかすっている印象だったので、もう少しじっくりと弾き込む事に。一番困ってしまったのがモーツアルトの変奏曲で、あまりのつまらなさに自分でも愕然。生徒達のレッスンも始まっているが、残りの一日半をかけて、寸暇を惜しんで必死の修正。

そして、冷たい雨の日に弾き合わせ。「進歩は振り子のよう」と云われた事があるが、正にそれを体験してしまいました。振り子が今度は反対側に振り過ぎてしまいました。

 モーツアルトに関しては「色々と盛りだくさんすぎて聴く方は混乱しちゃうかも」といわれ、「逆に曲が本来持っている変奏のキャラクターの違いがかき消されているから、そんなにいじくらなくてもいいかもね」というコメント。不自然にならずに変奏を生かすアイディアを色々と提案してくれました。スカルラッティとショパンに関しては「いつもとは違って随分と落ち着いた演奏だね」と云われ、「2日前にレコーディングしたら勢いしかなかったら、今日はそれを狙っていた」といったものの、帰り道の電車の中で録音を聴いて、またもや愕然(笑)。あまりの緊張感のなさにびっくり。落ち着きどころかダレにダレまくっていて何とも締まりのない内容でした。

Mちゃんの様々なコメント、それから彼女の演奏や自分のレコーディングの事を考えて、今日は大きく練習を修正。急に「コンサートで弾くための練習」がどういうものかを思い出したかのようにエンジンが掛かった。
 音の立ち上がりから、流れや勢いに対しての緊張感が全くなかった事を痛感。このお正月、いかに中身の薄い練習をしていたかを反省。しかし、今気づいただけでも本当に良かったと思っている。あの怠惰な練習があったから、逆に今すぐ切り替えが利くのだが...。
 
 それにしても、Mちゃんの存在に本当に感謝。しばらく大きなコンサートをしていなかったので、自分の演奏スタイルを忘れていたが、彼女のお陰で思い出した。
今日はほぼ一日中練習していたが、やっといい練習をしたという実感がある。これでやっと3月のコンサートに向けての軌道に乗れそうです。

                              料理本の数々
Cooking%20books_resize.jpg昨日は毎年恒例になっている従兄妹達との新年会。そして私にとっては唯一、年に一回思いっきり料理の腕をふるう日でもあります(笑)。
 ロンドン時代はしょっ中、ディナー・パーティーをしては新しいお料理に挑戦していたが、日本ではなかなかそういう余裕もなく...。しかし、イギリス時代の友人達の間では料理上手と思われていたので、いまだにお誕生日やクリマスには豪華なお料理の本をプレゼントされる事が多い(笑)。なので、この年一回の新年会はこれらの本を活用出来る絶好のチャンス。

とはいっても、お正月という事も手伝ってなかなか材料を全て揃えるのは大変。本は結局ヒントを得るために、色々と抜粋して使って、自分の好きな物を加えたり、引いたり、と臨機応変に。

%E6%96%B0%E5%B9%B4%E4%BC%9A_resize.jpg今年のメインはブイヤベース。実は暮れにお歳暮でとてつもなく大きな「浜焼きの鯛」というものを頂いたのだが、身が少しパサパサしていたので、どうにか美味しく出来ないものかと考えて、白ワインと香味野菜を加えたスープにした所、自分では今ひとつだったのだが、評判が良かったので、もう少し頑張って、新年会にはブイヤベースを作る事にしました。鮭、アサリ、海老や貝柱等の他に、頂いたおせちに入っていた伊勢エビと鯛(笑)を入れたら見た目も超豪華に。味も白ワインを甘めのものに、そしてレモンやサフランを加えたら前回よりもずっと美味しく出来ました。

料理も音楽もそうだが、やはり何事も前回よりも今回、今回よりも次回、と常に進歩はしたいものです。

一年

公式サイトが立ち上がってから一年。そして、このブログを書き始めてから一年。コンサートで音楽を通しての自己表現をする回数が少ないので、違う形で自分の思いを伝える事の出来るこのブログを発見出来たのは本当に嬉しい。書きたい事が多くて、昨年載せ損なったものもいっぱいあるのだが、読み返すと、つくづく色々な人に支えられてこそ、人生が豊かになっているんだな〜と感慨深くなります。本当に自分に与えられた全ての出会いに心から感謝です。

新年

明けましておめでとうございます!

どうぞ今年も宜しくお願い致します。

皆様にとって、幸多き一年となりますように!