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千差万別

もう3月になってしまいました。。。
ここ数週間、色々なコンサートに行く機会があり、本当にクラシック音楽といえど、表現方法は千差万別なんだな〜とつくづく感じています。こんなにも選択肢があるのだな〜とも思う。結局、表現したいものも、表現の形も、その人一人一人が選択して磨き上げて来たものであって、そこには好みはあるかもしれないけど、良し悪しはないのでは、とも思えるようになって来ました。少しは歳と共に丸くなって来たということかしら(笑)。

その中でも、毎年とっても楽しみにしているコンサートがある。ブログにも何回か登場しているイタリアのコンクールで20年以上前にお会いした安田正昭さん。本当に素晴らしいピアニストさんで、毎回感動してしまいます。
そして、また今年も大きな期待と共に会場に足を運んでしまったにも関わらず、その期待以上のものを頂いて来ました。
なぜにこの人はこんなにも素晴らしい音楽を作れるのかしら、という驚きすらあります。ベートーベンに始まり、シューマン、そして後半がメシアンの大曲。プログラム運びも素晴らしく、徐々に徐々に音楽の奥へ奥へと道案内をしてくれます。前回のリサイタルの時に、隣に座っていた方がお友達に「全然飽きないのよね。」と言っていたのが聞こえて来たのだが、本当に音楽が明確に見えて来るので、飽きることがない。ベートーベンはベートーベン、そしてシューマンはシューマンとそれぞれの作曲家がくっきりと見えて来るのも凄い。そして、ピアノの魅力を最大限に聴かせてくれるのもピアニストとしてはとってもに嬉しい。ピアノが本当に喜んでいるんだろうな〜と思えて来る(最近行った世界的にも有名なピアニストのリサイタルでは、「そんなにピアノをいじめないで〜!」と辛くなってしまうほど、打鍵の跳ね返りが聞こえるくらいにピアノを叩いていた人もいたけど。。。)。
 たまたま個人的な繋がりがあったからコンサートに行くようになったのだが、こんなにも素晴らしいピアノ/音楽を生で聴けるのはラッキーとしか思えません。
「音楽は素晴らしい!まだまだ、ピアノ、これからも頑張りたい!!」と思わせてくれる本当に素晴らしいコンサートでした。

何?

昨日は1日に3つのコンサートをする予定になっている友人Mさんが家に来て、そのリサイタルプログラムを弾いてくれました。バッハからシューベルト、ベートーベン、ムソルグスキー、ショパンと本当に盛りだくさん。レパートリーもそうだが、音楽表現もとても幅広く、何十年と彼女の演奏を聴いているにも関わらず、また新たな面をたくさん発見できました。いつ聴いてもMさんの音楽のフレージングの美しさとセンスの良さには唸らされます。

演奏のつくづく面白いところは(特にピアノがそうなりがちだと思うのだが)自分で一生懸命にやればやるほど、自分で何をしているのかが見えなくなってしまって迷宮入りしてしまう事が逆に多くなってしまう気がします。なので、ちょっと人に聴いてもらって、感想を言ってもらうと自分でも気付かなかったことにハッとしたり、違う視点からものが見えるようになれる事があったりします。良かれと思ってやっている事が逆に裏目に出たり、逆にあまり思い入れをしていないところが良く伝わっていたり。どうしても演奏者と聴き手の感じ方の違いはあるので、人に聴いてもらうというのは本当に大切だなと思っています。彼女も私が言った感想で新たな発見が色々とあったようで、「鋭いね〜」「素晴らしい耳!」と褒めてくれました(笑)。

今回の演奏プログラムでも話は大いに盛り上がったのだが、彼女が関わっている仕事でアメリカの作曲家ジョン・ケージの「4”33」という曲の話題になりました。これはピアノの前に座り、ストップウオッチで4分33秒を図りながら、全く音を一つも弾かない、3楽章からなる曲です。ギャグの対象になりがちな曲だし、実際に弾こうと思った事が一度もないので、あまり深く考えた事がなかったのだが、昨日色々と話しているうちにかなり気になりだしてしまいました。昨日はMさんの今度のコンサートで弾くことだけでなく、色々と話すことも多く、長い長い1日になり、夜も遅かったのだが、彼女が帰ってからも、ジョン・ケージのこの曲についての記事をネットで検索して読み漁り、インタビューまでもをいくつか見てしまいました。この曲だけでなく、ジョン・ケージの姿勢に考えさせられているのだと思うのだが、『「4”33」は何なの?』という思いよりも、では、「私はバッハやブラームスを弾いて何をやっているの?」というところにまで発展してしまい、今日は考えがぐるぐる回ってしまいました。こんなに考えさせられるだけでも、この曲は本当に凄いな〜と思ってしまうようになりました。本当に音楽って何だろう。。。

(素朴な疑問だけど、なぜ「4"31」でもなく「4"40」でもなかったんだろう。3楽章あるというのも衝撃だったな〜。。。)

森林浴

昨日、恩師のリサイタルがあり、浜離宮ホールへ。オール北欧プログラムで、デンマークはC.ニールセン、フィンランドはシベリウス、そしてフィンランドの血を引く先生ご自身の作曲された曲、ノルウェーはグリーグを取り上げた渋いプログラムでした。一曲も馴染みのない前半でしたが、一つ一つの音を本当に丁寧に真摯に作り上げていらっしゃる先生のピアノに本当に背筋の伸びる思いで聞き入っていました。ピアノに対する姿勢や生き方までもを問い正された気がして、もっともっとやはりピアノに真剣に向き合わないといけない、とつくづく思わされました。

そして、後半のグリーグの「抒情小品集」。とにかく次から次へと北欧の美しい情景が見えるだけでなく、空気感や色や匂いまでもが感じられる素晴らしい演奏でした。大分前にロシアの有名ピアニストPさんのオール「抒情小品集」プログラムを聴きに行ったことがあるのだが、その時は何てつまらない曲集なんだろう、と思って帰ってきました。きれいなメロディーが並んでいるだけで、最初は何となく気持ちよく聞いていたのだが、10分もすると飽きてしまい、2時間近いコンサートが本当に苦痛となってしまいました。そして、つい最近、偶然なのだが、この作品集が好きな友人が「いつか弾いてほしい」とCDをくれたのだが、やはりあまり面白いとは思えませんでした。

しかし、今回の先生の演奏を聞いて、初めて、この曲の素晴らしさが分かりました。本当に一つ一つの作品は全く違う「抒情性」を持っており、作品ごとにこちらの感じるものも違うので、全く飽きることがありませんでした。昨日は東京は雨で、空もどんよりと黄色い色をしていましたが、グリーグが始まると、一気に透明感のある済んだ空気の中の真っ青な空と緑と深い青い水の情景の中にいるようで、本当に森林浴をしている気分になってしまいました。
何も映像がないのに、音だけでこれだけの情景を作り出せる先生は本当に凄いな〜と感激しました。こんなに素晴らしい先生にずっと習っていたことが本当に感謝で、これからも先生のように真摯にピアノと向き合い、精進しなくては、と思わせて頂けた素晴らしいコンサートでした。

1000人に1人

急に寒くなってしまい、再び鎌倉は金木犀の香りが強くなって来ました(笑)。あの金木犀は気温に反応して香りを出すのかしら?

芸術の秋というだけに、コンサートに行く機会がとても多い。同じクラシック音楽といえども、演奏スタイルは千差万別で、色々と芸術脳が刺激されています。

そんな中、先日サントリーホールのブルーローズで本当に素晴らしいコンサートを聴くチャンスがありました。ロンドンを拠点に活動しているヴァイオリニスト、Rose Hsein(ローズ・シェン)。2年前に友人のピアニストが一緒にコンサートをした時に譜めくりをする機会があって、初めてローズちゃんの演奏を聴いたときに大感動し(2年前のブログにも登場)、また聴けるのを心待ちにしていました。
今回がオフィシャルな日本でのデビューリサイタルでしたが、「音楽とはこんなにも魅力的で面白くて楽しい!」と思わせる素晴らしい演奏でした。情熱的でありながら、それがオーバー過ぎず押し付けがましくない。20代にも関わらず、知性と感性のバランス、品格、そしてリスクを恐れない器の大きさが20世紀初頭の巨匠たちを彷彿とさせる。2年前の初々しさは無くなってしまったが、スケールが大きくなり、華も出て来て、本当に前とはまた違う感動がありました。
後から聞いた話だが、ローズちゃんの先生はロンドンのギルドホール音楽院の教授を30年以上勤めている方だが『千人に一人の才能』と語っているそう。
納得。


6月のコンサート延期

6月に葉山でのコンサートが予定されていたのだが、チラシが出来上がるのが遅く、こちらのウエブサイトでお知らせするのが遅くなっているうちに、主催者の都合で延期となってしまいました。
すでにお知らせしてしまった方、そしてチラシをお渡ししてしまった方がいらっしゃるので、こちらで6月25日は中止となった事をお知らせ致します。

リスケジュールという事なので、また日にちが決まり次第、こちらで告知いたします。

音楽の渦

外に発信、と思いながらも、モタモタしているうちに3月になってしまいました。
1月、2月は周りが少し不安定だったので、自分の気持ちや精神をアップしてくれる事に出来るだけ足を運んで、エネルギー・チャージしていました。
そのお陰で、随分と心情的にも精神的にも変化があったように思います。


%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%90%88%E5%94%B1%E7%A5%AD_resize.jpgそして、昨日それを実践出来るとてもいい機会がありました。
以前にS女学院の合唱の記念コンサートで伴奏をさせて頂いたのですが、今回また声を掛けて頂き、福島県の郡山市での全国合唱祭で、S女学院の卒業生で結成されている合唱団の伴奏をする事になりました。郡山市は合唱の聖地と云われるくらいにコンクールでもバンバン賞を取るらしいのですが、そこに招待されるというのはとても栄誉な事だそう。

2000人のホールはほぼ満席。考えてみたら、今まで弾いた舞台では一番大きなホールでした。そして、ピアノも音響も本当に素晴らしかった。あんなに大きなホールなのに舞台上で自分の弾いている音がよく聞こえるだけでなく、途中で他の合唱団の演奏を聴きに行った3階でも音が膨張したりする事なく、間近で聴いているようで驚きでした。あれはどういう事かしら...?弾いても、聴いても素晴らしいホールでした。

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そして、一緒に弾かせて頂いた曲も、リハーサルではなかなか上手くいかなったところも本番ではバシッと決まり、羨ましいな、とさえ思いました。

最後の全体合唱は圧巻で、ピアノの左には舞台に8団体の合唱団員300人、そして右には観客席の2000人近くに囲まれての「故郷」の大合唱。自分がピアノを弾いているんだか分からない程に音楽の渦に巻き込まれているようで、あんなに大きなホールが一つになっている一体感を味わえた事が本当に幸せでした。

音楽の力は本当に素晴らしい!


冬の旅

今更ながらだが、シューベルトの「冬の旅」の素晴らしさを再認識。

「冬の旅」は全24曲の歌曲集で80分程の大曲。今まで弾く事も、全曲をコンサートで聴く事もなかったのだが、近々コンサートでのピアノ・パートの譜めくりをする事になり、先週リハーサルで初めて全曲をじっくりと生で間近で聴いて「なんて素晴らしい曲なの〜!」と大感激してしまいました。

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そして、よく考えてみると、これから実際にこの曲を演奏する機会はないかもしれないと思い、今回の譜めくりを機会にちょっとだけでも勉強しようと思いました。
早速楽譜を手に入れて、そして20年程前にロンドンでの恩師が出版した際に頂いた、歌の一語一語が対訳で書いてある本を横に置きながら、練習し始めました。

一回聴いただけでも大感激だったが、練習すればする程、本当に素晴らしい曲。(有名な「菩提樹」が意外と難しい。。。)また、詩がとにかく素敵。
若者が失恋し、冬の季節に旅に出る、という一連の詩。甘ったる過ぎない、情の深い言葉が本当に心を打ちます。暗く、テンポの遅い曲想が多いのだが、詩の根底には燃えるような情熱が息づいていて、「若者」の詩だな〜と実感。若い時にしか味わわない、あまりにもパワフルな絶望感を思い出しました。失恋ではないが、20代の時に「この世の終わり」と自分が思ってしまうまでの出来事を経験したので共感が出来る事がいっぱい。時代や国や性別は違えど、やはり名曲は普遍的だな〜と実感。こういう曲が存在している事自体に本当に感謝です。

クラシックの真髄

今日は本当にいいものを聴き/観ました。

%E5%AE%89%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%98%AD%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg20年程前にイタリアのコンクールで一緒になった安田正昭さんのリサイタルが上野の東京文化会館でありました。(それにしても、やはり文化会館の小ホールは雰囲気があっていいですね。)ブログにも書いたが、数年前に音楽情報誌で安田さんのリサイタルの広告を見付けて聴きに行ったら、あまりに素晴らしくて大感激。最後に弾かれた「展覧会の絵」は圧巻で、あのただでさえ高い小ホールの天井が吹き飛んで天を仰いでいるかのような演奏でした。

なので、今回もまた偶然に見付けた広告でいそいそと出掛けて行きました。素晴らしいのは分かっているのにまたもやぶっ飛びました(笑)。超自然体なのに淡々と凄い事をやってくれているのだ。情熱的で、思慮深く、詩的にして知的な演奏。甘さや自己陶酔が全くないのに温かみがある。人間に本来備わっている全ての要素が最大限に無理無く音楽を通して聞こえて来る。
コマーシャリズムに侵されたコンサートが多い中、こんなにもクラシック音楽と真剣勝負をしているコンサートは少ないように思う。これこそがクラシックの素晴らしさなのだ!と思わせるリサイタルでした。「飽きないよね」と隣に座っていた人が云っていたが、本当にそうで、奇抜ではないのに、即興に近い完全に自由な演奏で、次に何が来るのかが全然予測がつかない。それなのに音楽がちゃんと見えて、分かりやすい。弾く姿も美しく、色々と動き回って弾く人は何なんだろう、という気にまでなって来てしまいました。

終わってからの皆さんとのご挨拶もとても真摯で、一人一人と堅い、厚い握手をされていました。見た目が柔らかいだけに、その情熱的な演奏には驚かさられるのだが、音楽家として、人間としての良い所取りで本当に羨ましい限り。

しょっ中、リサイタルをする方ではないが本当に純粋にクラシックの素晴らしさを体験したい方はぜひ安田さんのコンサートをチェックして下さい!

水晶玉のような

文化の日にふさわしく、今日はサントリー・ホールでの恩師のリサイタル。
ハイドン、ベートーベン、ウェーベルン、シューマン、と堅いプログラムでしたが、素晴らしいコンサートでした。一点のくもりのない、水晶玉のような魂にしか出せないような、透明でピュアな音、そして真っすぐな音楽は先生の生き方や音楽に向き合う姿勢を映し出していて、本当に背筋を正される思いです。

アンコールにブラームスの間奏曲を弾いて下さったのだが、それはそれは繊細で深い素晴らしいものでした。思えば、私がブラームスを好きになり、いつかはいいブラームスを弾きたいと小さい時に思ったきっかけは、先生がレッスン中に弾いて下さったブラームスでした。

自分の6月のリサイタルの数週間前に先生に全プログラムの通し練習を聴いて頂いたのだが、「音楽が小さすぎる」「深さが足りない」「激しさが足りない」とたくさんのダメ出しを頂きました。その後、ピアノに向かうと、なるほどまだまだ出来る事がたくさんあって、自分なりにリサイタルまで、音楽を大きく、深さ、激しさを最大限に出来るように精一杯頑張りましたが、今日の先生の演奏を聴くと、本当にまだまだまだまだまだまだ追求しなきゃいけない、もっともっと真剣に向き合わなきゃいけない、と思わされたと共に、こんなに素晴らしい先生に何年もレッスンして頂けた事に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

明日からまた心新たに精進!

感覚

色々と考えている事を言葉にするのがなかなか難しいのだが、今の一番の関心事が「感覚」。
全てはそこに尽きて来るような気がする。覚えている感じ、というのは生きて来て身に付く感覚もあると思うのだが、一人一人の魂が既に持っている感覚もあるような気がします。

大分前にコンクールでショパンのノクターンを弾いた幼稚園生がいたのだが、自然体で情緒豊かな深い音楽がにじみ出ていて大感激した事があった。その時、「幼稚園でノクターンを弾ける筈がない」という意見が大多数で、とても残念に思ったのだが、これをとても信頼しているピアニストの友人に話したら、「そんな事はないよね。歳とは関係なく、魂が覚えているんだよね。」と云ってくれて、救われた事があった。

私も今に来て、音楽との繋がりが感覚的に戻って来ているような...。若い時の音楽に執着しないように開き直ったつもりではいたけれども、皮肉な事にもっとさかのぼっているような気がします(笑)。

調子が良い

さすがお月見の季節。月が欠け始めた今も見とれてしまいます。そういえば、先日の中秋の名月、あまりに美しくて、オオカミが月に向かって遠吠えする気持ちにつくづく共感してしまった。あんなに美しいと、見ているだけではおさまらず、こちらとしても何か自己表現しないと気が済まない気持ちになってしまいました。


ピアノの方はというと。。。
今、何かとても大きなものを掴みかけている気がします。出来るだけ今は色々と感じたり、思ったりしている事を言葉に還元せずに、音楽に直に繋がろうとしているので、曖昧なブログになってしまいますが、感触はとてもいいです。

先日、友人に「今、とてもピアノの調子がいい」というのを話したら「調子が良いってどういう事をいうの?」と訊かれ、ハッとしました。確かに「調子がいい」というのは感覚的なもので、実際に「良い」方向に進んでいるかは怪しいのかもしれない。しかし、とにかく「これだ!」という道を進んで行くとどんどんと音楽が広がっていったり、今まで見えてなかった事が見えるようになったり、「真実」に近づいているような気がするのが「調子が良い」という状態なのだと思う。遠回りだったり、行き止まりだったりもするのだが、どこかに進んでいる事は確かなので、とことん突き進むしかありません(笑)。

清々しい気分

M%E5%85%88%E7%94%9F_resize.jpg芸術の秋にふさわしく、コンサートに行く事が多い。
今日はオーボエのNさんのオール・モーツアルトのリサイタル。ピアノとのデュオや弦楽器とのアンサンブルだったが、それはそれは充実した内容でした。
音楽作りがとても丁寧で、聴いていてとにかく気持ちがいい、心地いい。数年振りにMさんの演奏を聴いたが、音楽が雑になる事無く、アンサンブルも派手さを追いかけず、音楽に対する誠実さが伝わって来て、音楽的センスも素晴らしい。
共演者との息もぴったりだし、とにかく付け焼き刃でない、念入りに丁寧に(でも、だからこそ音楽が延び延びとしていて自由!)作り上げたリサイタルで、本当に清々しい気分でホールを後にしました。

最近、色々な人のコンサートに行くので、演奏だけではないところでも色々と思う事が。演奏中のMさんもピアニストのSさんもとにかく品があって、見ていても気持ちがいい。楽器や音楽に対しての身体の使い方もそうだが、楽譜をめくる仕草一つでもその人の品格が出るな〜と思う。
都内ではなく、こんな近い逗子でこんないいコンサートを聴けたのはとっても得をした気分。

魂の活性化

                               美しい二人!
Midori%26Rose_resize.jpg久しぶりのブログになってしまいました。アメリカの事も色々書きたかったし、帰って来てからも色々と刺激を受ける事が多くて、書きたい事はいっぱいあるのだが...。

最近のピアノ/音楽の追求傾向としては、出来る限り自分の感じる事や思う事を、感じるままに思うままに、言葉にしたくないという事もあって、それもブログを書かない原因の一つにはなってしまっているのだが、今日はそれでも、書きたい気持ちの方が大きくなりました。

今日は友人のMちゃんがイギリス在住のヴァイオリニストとのコンサートがあったので、三鷹まで。ヴァイオリニストのローズ・シェンさんは弱冠21歳。事前にMちゃんから「凄い!」と聞いていたのだが、本当に素晴らしかった!楽器を完全に弾きこなしているからだと思うのだが、ただただ聞こえて来るのはヴァイオリンの音色ではなく、「音楽」。これこそが「音楽」なんだという事を思い出させてくれて、本当に嬉しくなりました。Mちゃんの貫禄あるピアノとのコラボレーションで本当に聴き応えのある素晴らしいコンサートでした。

おまけだが、終わった後にイギリスから付いて来たローズちゃんの先生とお話をする機会があったのだが、ローズちゃんとは違って「音楽」が聞こえて来る演奏家は本当に少ないと嘆いたら、それは今に始まった事ではなく、ヨアヒム(ブラームスと同時代のヴァイオリニスト)もそれを嘆いていた、という話やモーツァルトがロンドンやウィーンの観衆をどのように思っていたかの辛辣な感想など、初めてお会いしたのに、それはそれは内容の濃い15分を一緒に過ごす事が出来ました。

魂が活性化された、とても充実した土曜日の午後になりました!

リサイタル終了

flowers2_resize.jpg昨日のリサイタルにたくさんの方にいらして頂き,本当にとても感謝しております。
本当にありがとうございました。

トップページのリニューアル

6月のリサイタルのチラシを今、皆さんにお送りしているところですが、今回のチラシのメインの写真は昨年に齋藤陽道さんに撮って頂いた写真を使わせて頂いています。昨年のフォト・セッションの写真は本当に素敵なものばかりだったのですが、なかなか人に見せる機会もなく、とても残念に思っていました。なので、こうしてリサイタルをする事になり、そしてデザイナーのHさんがインパクトがありながらも温かみのある素敵なチラシに仕上げて下さった事をとても嬉しく思っています。

そして、それに合わせて、こちらのホームページのトップページも齋藤さんの写真でリニューアルしました。「静寂の中から音楽が聴こえて来るような」のイメージに近づけるためにこの2ヶ月程デザイナーさんとやり取りをしながら作ってきました。音はないけれど、私が理想とする静かなる音楽が聴こえて来るような気がして、デザイナーのSさん、そして齋藤さんに大感謝です。

音楽をビジュアル化して下さるたくさんの方につくづく支えられているな〜と感謝の気持ちでいっぱいです。

エッジが立つ

先日、テレビで観たうどん名人の番組。美味しいうどんは「エッジが立っている」と云っていたが、実際にその方の打ったうどんは茹でると、本当に一目瞭然に4つの角のエッジが尖っているくらいに立っていてびっくりした。

今、自分が目指している音楽にも凄く共通しているところがあって、とにかく音が立つように、と思って練習している。きつい音とか強い音とはまた違う「エッジのある」音。それによって音楽の輪郭がはっきりして、立体感が出るのだと思うけど、今まで音が柔らかすぎる傾向にあったように思うので、ちょっと気が緩むとすぐにぼやけた音/音楽になってしまう。
気持ちもいつも「エッジが立って」いなくては、と思う。

6月14日(日)ピアノリサイタル

6月のピアノリサイタルのチラシが出来上がり、公に宣伝する事が出来るようになりました。久しぶりのリサイタルですが、ここ一年程の修業の成果がやっと見え始めているので、とても張り切っています!
インフォーメション・ページに詳細を載せていますので、聴きにいらして頂けたら幸いです!

本物

Flowers%201_resize.jpg鎌倉の桜も満開近くになって来ました。(ちなみに今メイン通りの段葛は工事中で桜並木はありません...。寂しい。)

ここ最近、ピアノの変わり様が本物になって来たのではと確信に近いものを持ち始めていて、ごちゃごちゃと言葉にするのも勿体なくなって来た。とにかく今まで、言葉で考え過ぎていた事に気付き、音楽はやはり言葉を介さないものであったと実感している。ちょっと前に凄く面白い感覚に陥った事があって、曲を弾き終わった後に「私は誰?」を通り越して「私は何?」という状態になっていた。「言葉を話す人間」というのを忘れていた感じである。

Flowers%202_resize.jpg本物ではないかと思える要素がいくつかあるのだが、一つは自分とは関係なく、音楽が独り立ちしているように感じるようになって来た事。そして、「私はこういう風に弾きかったのか!」と本来の自分の姿を発見する事がある。感情や思いや考えではなく、自らを分けた「自分」がそこにあると思える音楽がでて来ました。嘘や偽りが一つもない、上手い下手とは別の次元の音楽が確かにあった。

今、6月のリサイタルに向けての準備に入っているが、練習がとても充実している。過信しないよう、道をそれないように、気を引き締めなくては!

年末だけど

Christmas%20cards%2014_resize.jpgクリスマスに追われていると思ったら今度はお正月の準備でバタバタの毎日。
ハプニングのあったコンサートを引きずって、なかなか気持ちの切り替えが出来ない中、それも忙しい合間を縫っての練習はしばらくあまりいいものではなかったが、ここ数日やっと意思を持ってピアノに向かうようにしていたら、思いがけないところから大きな閃きがありました。

毎日長時間ピアノに向かっていると実際のピアノの音は慣れ過ぎて聴かなく(聴けなく?)なっているのかもしれない。それがここ最近、忙し過ぎるのと、なかなかやる気が出ないので、練習時間が極端に少なくなっていたのだが、ある時久しぶりに大きな曲を練習し出したら、自分の音がうるさい、というか、あまりにも大きすぎると感じたのだ。バリバリ弾いている時期ではないので筋肉もマックスではないし、いつもよりは音は出ていなかったのだと思うが、耳が逆に慣れではない「本当の音」を聞いたように感じました。そこから色々と考えも発展して、音もそうだけど、音楽の大きさというのが「先ず」存在していて、それに自分を合わせていけばいいだけの事ではないのかと、思えるようになりました。いつの日からか、「音楽の大きさは自分次第」と思い込んじゃっていたのだが、音楽は作るものではなく、在るべきもの、という自分の信念とも相反していたし、そもそも自分で何かをしようとすればする程、どんどんと音楽がぎこちないものになっていくのが本当に悩みでした。やっと、そのぎこちなさや音楽的な不自然さから抜け出す答えを見付けたような気がします。

今年は本当に映画でも小説でも「そんなのあり得ないよ」というようなハプニング続きで、精神的にも心情的にもやけに振り回された一年だったけど、こんな年末の忙しない時期に、思いがけずまた大きな発見が今年最後にあったのは嬉しい。音楽の道は大変だけど、他では得られない喜びも多いし、大きい。本当にこの一年も音楽に携われた事、ピアノを弾いていられる事に感謝です。

リラ・ホール

%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg今日は16日のコンサートのためのホールでのリハーサル。
今回は藤沢にあるリラ・ホール。友人たちがよく利用しているので何回も聴きに行った事はあったが、弾くのは初めて。ホールはシックなのだが、温かみがあってとても雰囲気が良い。

ピアノも私好みの少し厚みのある音でとても弾きやすい。それから、結構重要なのだが、椅子も3つ違うものを出して来て下さって、自分に合った堅さのものを選べたのはとても有難かった。でも、何よりも驚いたのが、一緒に弾いているヴァイオリンの音が本当に良く聞こえる。あんなに聞こえるのは逆に何とも不思議。(観客が入るとまた違ってはくるけど...。)とにかく合わせやすい。こうも色々と条件が良いのはとても珍しい(笑)。

今回一緒に弾かせて頂くヴァイオリニストの杉谷さんの音楽は本当に優しくて魅力的。今主流になっている花火を浴びせるような音楽とは違って、本当に心静かに耳を傾けて聴くような素敵な音楽です。

弱冠、チケットがまだあるようなので、ご興味ある方はぜひ聴きにいらして下さい!

引き分け

Oct.16th%20Centre%20Hall_resize.jpg木曜日のコンサート。たくさんの方に来て頂いて本当に感謝しております。
ありがとうございました。

ランチタイムの短い30分のコンサートといえども、ソロに関しては一年半の修行を掛けた勝負だったんだけど...。

引き分けという事にしておこうかな(笑)。


今回頂いたコメントの中に「祈りのような」と云って下さった方が二人いました。最初自分ではあまりピンと来なかったのだが、1月のブログにも書いた今年の初めにテレビで観た写真家の野町和嘉さんのドキュメンタリーに感激して、ピアノを含め、自分のする事全てが「祈り」のようになりたいと思っていたので、それはとても嬉しい言葉でした。

練習の時は特に「祈り」という事を意識していたわけではなかったのだが、修行して見つけた道がそこに向かっていたのはとても良かったと思う。それだけでも修行は無駄ではなかったかな。

これからの課題はこの手に入れた音楽を「コンサート」という形に慣らしていく事ですね。
まだまだ精進。

追記:そうそう。コンサート翌日にスーパーで7歳くらいの男の子がお母さんに「今日、お母さん、何か頑張った事ある?」とかわいい質問をしていた。私は心の中で「私が今日、一日頑張った事。落ち込み過ぎないように頑張った。」と心の中でその子に答えていた。ちなみにそのお母さんは「ぎっくり腰で腰が痛いのに耐えて頑張った」と云っていた。大人ってちょっとかわいそう(笑)。

チョコレート

コンサートの企画から携わり、まだ経験の浅い音楽家達とコンサートを作り上げていく仕事をしている友人から聞いた話。

大学出たてのピアニストさんがあまりに自己陶酔しきった演奏だったので、「チョコレートを美味しく食べている自分を見せたいの?それとも、美味しいチョコレートを差し出して、お客さんに食べてもらいたいの?」という質問をしたそう。上手い例えだな〜と思って聞いていた。

私はここ数年、なかなか上手く自分を表現出来なくなってしまい、昨年までの多くのコンサートが結構苦しかった。親しい人に「弾いている本人が楽しそうでなければ、こちらも楽しめない」とまで云われ、本当に悲しかった。自分としてはわざわざそんな苦しい思いをしたいわけではなかったのだが、目指していたものに、どうしても辿り着けなくて、結果として苦しくなってしまっていたのだ。ましてや、自分だけ「美味しいチョコレートを食べている」ような演奏は絶対したくなかった。

今は本当に色々な事が見えて来て、目標はチョコレートを食べている人でもなく、チョコレートを御馳走する人でもなく、「チョコレート」になる事。出来れば、純度の高いビターがいいかな(笑)。(でも、ビターチョコの方がミルクチョコより砂糖は多いらしい...。)

そして人の好みはそれぞれ。あんこが好きな人もいれば、お煎餅がいい人もいる。人によって美味しいと感じるものや食べたいものは違うだろうけど、今は自分は「チョコレート」と信じて練習に励んでます。

紺色

ここ一年くらい、やけに紺色に執着しているのだが、テレビで「紺色は直感の色」というような事を云っていて、面白いな〜と思って見ていた。

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色々な理由でこんなに遅くなってしまったのだが...。音質的な事での意思の疎通が徹底していなかった事が理由で、イメージしていたものとは違うものとなっていた音源。一般的にはとてもいいものだとは思うのだが、自分の求めていた音ではなかった...。

それでも、時間を置いて聴けば自分の印象も変わるかもしれないと思い、最初は数カ月毎に、そして、今回1年以上振りに聴いてみました。それでも、やはり最初の直感的な印象は変わりませんでした。

録音技師さんのIさんは大分前にコンサートのライブ録音をして下さった事があり、その時のCDの音質があまりにも素晴らしいので、それ以来お願いをしている次第。
結論としては今回の音源は結局使えない事になってしまったのだが、録音の事について色々と教えて頂けてとても勉強になったし、とても興味深かった。一番驚いたのが、録音機器の電源って3日前位から入れるらしい。確かに凄い機器をホールに運び入れていたが、機器の隅々まで電気を行き渡らせるためなのかしら...?
以前に録って頂いた素晴らしいCDも実は色々と仕掛けがあった事を聞いてびっくり。自分の好みにあまりにも一致していたのには理由がありました(笑)。

それにしても、最近自分に起こっている事で「あの直感は間違っていたかな〜」と思った事でも,時間が経つと「間違ってなかったかも」と思う事が多い。もちろん違う時もあるけど、直感をないがしろにするのも良くない気はする。見極め方が難しい...。


何かの形

昨日今日と、生徒のレッスンがあまり入っていなかったのでほぼ一日中練習の2日間でした。

今、目指しているものに迷いがないので、試行錯誤が無い分だけ、練習時間が短縮されるかと思いきや、意外とそうでもない。目指しているものが遠くにあるので、やはり一歩一歩ステップを踏まないと辿り着かない...。道は真っすぐだが、道が長い。おまけに坂道(笑)。

それにしても、練習は面白いもので、どんなに体調が良くても、いい練習が出来ないときもあれば、あまり乗り気じゃない時に案外色々とはかどったりするときもある。

昨日は久しぶりに、たっぷりと練習時間が取れると思い、朝からとっても張り切っていたのだが、一日終わってみると、まとまりのない練習で「貴重な一日を無駄にしてしまった。。。」と残念に思っていた。しかし、今日の練習が打って変わってはかどる、はかどる。昨日やっていた作業が本当に無駄ではなかったと実感出来ました。

惰性や慣習でする練習は無駄が多いような気がするが、一応考えた上で時間を注いだ練習は全て何かの形で身についているはず。

フランスの香り

%E6%88%B8%E5%AE%A4%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg先日、戸室玄さんのランチタイムコンサートを聴きに行って来ました。
戸室さんはフランスにずっと住んでいらして,今度ロンドンに留学するそうだが、そのフランスの雰囲気がもの凄く漂っていて、まず出て来た時にもう既に違う世界に連れて行ってくれてしまいます(笑)。シンプルな黒のスーツと白いシャツなのに、センスが際立っていてとにかく素敵。「フランスの貴公子」と司会の方が云っていらしたけど、まさにぴったりの形容。あれは、本人の生まれながらに持っている品格も出ているんだろうな〜。

演奏もとても深みのある丁寧な音楽作りで、私も本当に身が引き締まる思いでした。「今」の自分とは対極にある音楽のような気がするが、ベートーベンの音の深さや色気のあるリストは本当に楽しませて頂きました。私自身、リストを弾いているといつも「罪な男だな〜」と思うのだが、爽やかな戸室さんもリストを弾いている時は戸室さん自身が「罪な男だな〜」と思ってしまいました(笑)。お客さん、みんなう〜っとりしていたように思う。

色々と素敵なのだが、やはり何と云っても音楽に対する誠実で真っすぐな姿勢が感じられた事が一番の魅力です。これから演奏する機会が増えても、その姿勢はいつまでも変わらないで欲しいな、とつくづく思ってしまいました。


勝手に

最近、自分はどれくらい本当に自分の音を聞いているんだろうか?という事に焦点を当ていて練習しているのだが、昨日の練習中にどうにか耳と手だけが直結してくれないものか、とつくづく思ってしまった。脳からの指令や邪念が多過ぎて音楽の邪魔をしている事に気付きました。目から入って来る情報さえも邪魔な気がして来て目を閉じて弾く試みもするのだが、ラフマニノフは相当手が跳ぶのでまだまだ勇気が持てなくて、目を閉じたり開いたりで逆に気が散ってしまった。

それが、昨夜寝る前にまた画家の有元利夫さんの本を読んでいたら、その中に右手を痛めた時の話が書いてあってとてもハッとさせられました。右手を痛めたので、左手で色々な事をするようにしていたのだが、意外にも色々と本人も驚くくらいに左手が動いてくれたらしい。しかし、2つ出来なかった事があって、その一つが絵を「描く」事だった。「それまで、自分で大いに脳を使用していたつもりだったのに、そうではないらしい。脳みそはせいぜい部分的な指令ぐらいしか出来なようです。それらの判断たちを総合しつつ展開させ、絵にして行くのはもっぱら,僕の場合、右手のようです。」と書いてありました。

自分も昔、弾きながら手が勝手にフレーズを作ったりして、それが結構良かったりするので「今の、なかなかいいじゃん」なんて思ったりする事もあったのだが、それが最近めっきりなくなってしまっていた。何か、いつも予想のつく展開で、自分で面白くないな〜なんて思ったりして。なので、今日は「手」を信頼して、脳(心?)からの思いや指令を一切排除して手に「全て」を任せようと練習していました。今日は練習が1時間程しか取れなかったのでまだまだ不十分だが、手応えがあって驚く程体のあちこちの力が抜けて音楽が自然に流れていたように思う。これから、ちょっと楽しみ。

まだまだ

未だに毎日進歩があって突き進んでいる感じ。前日の状態でも十分ハッピーと思っているのに,尚も次の日に新たな発見があったりする。でも、先日忙しくて一日ピアノに触らない日があったら、あっという間に後退、というか今何をどの方向で追求していたのかを体が忘れてしまっていた。本当に油断は禁物。

先日,久しぶりにとても深い話の出来る友人達と会った際に「大人になると、自分がどういうものが好きなのかが分らなくなって来る」という話をして色々と考えさせられました。頭で好きというのと心で,体で感じる好きの違い。昔の「体で感じた好き」を取り戻すと,色々と人生変わって来るそう。

それと関連して来るのだが、音楽的な迷走をしてからというもの、自分の「好きな音楽」を探していたように思う。でも、今辿り着いている所は、その「好き」とか「嫌い」とか美しい、とか心地よいとは全く関係のない「これが自分」という音楽との「一致」を凄く感じれるようになってきました。「こういう音楽が好き」というよりも、自分は昔々、この「一致」する感覚が好きだったんだった、というのを今思い出しています。

人それぞれ

音楽にどう反応するかは本当に人それぞれである。精神が不安定な時には音楽もマイナス効果があったりするので、音楽家としては色々な人がいる事を謙虚に受け止めなくては、と思っている。

20代の頃に三島由紀夫の小説を読んだ方がいいと思い、いくつか読んではみたものの、文章が私には堅過ぎてあまり好きにはなれなかったし、今では何も内容も覚えていないのだが、「小説家の休暇」という本の中でとても印象に残っていた箇所があり、ずっと頭の片隅にあって考えさせられている事がある。この「小説家の休暇」は日記形式で書かれており、文学、絵画、音楽に関しての芸術論が満載で三島由紀夫の書き物の中では唯一興味を持てた本なのだが,音楽に関しての事が数行だけ書かれていて、それが20代の私にとっては相当衝撃的だった。

ちょっと抜粋して書かせて頂くと:


「・・・音楽というものは、人間精神の暗黒の深淵のふちのところで、戯れているもののように私には思われる。こういう恐ろしい戯れを生活の愉楽にかぞえ、音楽堂や美しい客間で、音楽に耳を傾けている人達を見ると、私はそういう人達の豪胆さに驚かずにはいられない。こんな危険なものは、生活に接触させてはならないのだ。・・・」


そして、面白い事に数日後の日記に「書き足りない事があった」と、また音楽の事に触れている:


「・・・たとえば人間精神の深淵のふちで、戯れていると云えば、すぐれた悲劇もそうである。すぐれた小説もそうである。なぜ音楽だけが私に不安と危険を感じさせるかといえば、私には音という無形態に対する異様な恐怖心がある。・・・」


自分にとって音楽がある生活が当たり前だっただけに、これを読んだときはかなりショッキングだった。三島由紀夫は「強さ」のイメージが先行してしまうが、とてつもなく繊細だったのではないだろうか,と思ったり...。でも、「ここまで思う人もいるんだ」と、いう事が目からうろこでした。

ちょうどこの本を読んだ頃に実生活でも音楽全般が嫌いという人に出逢ったり、私自身もその後に精神的な暗黒時代に音楽を聴いて超ネガティブリアクションを起こした事があるので、音楽に関してはやはり気をつけなくてはいけない面もあるように思う。

音楽に毎日触れる事によって大きな喜びを得ている自分だが、全ての人がそうではない事も自覚しなくてはいけないと思っている。

拍子感・リズム感・テンポ感

%EF%BC%91%E6%9C%88%E8%8A%B12_resize.jpg昨日のコンサートが何とか無事に終わってとてもホッとしている。不思議なご縁で今回合唱の伴奏をする事になったのだが、色々な意味でとてつもなく大きなプレッシャーが...。話題の合唱団だったという事と,久しぶりの大ホールという事もあり相当気が張っていました。

中学、高校の合唱といえど、日本やオーストリアのコンクールでバンバン賞を取っているだけあって、最初のリハーサルに行った時にあまりに素晴らしくて、圧倒されてしまった。おまけにそれは指揮者による「緻密な」音楽作りによるもので、伴奏をすると自分のアバウトさが露骨に出てしまいました。録音を聞いてつくづく拍子が刻めていないのをそこで初めて気づいたと云う情けない状況。流れや勢いを追う自分の音楽がすっかり裏目に出てしまっていた。とにかく「きちんと弾く」が今回の課題でした。拍子を刻む事がこんなに大変な事なのかと,自分でもあきれてしまった(笑)。基本中の基本なはずなんだけど...。

面白いのが一ヶ月程前にずっと一緒に弾きたいと思っていたチェリストと一緒に小さなコンサートをする機会があり、拍どころか、小節線にさえも縛られないその自由な音楽にびっくり。テンポ感があるのに完全に自由なんて本当に羨ましい限り。「自分の音楽はなんて縛られていたんだろう!」と思いながら、いかに自由になれるかが課題となっていました。

なので、この一ヶ月の間に振り子が端から端まで振り切った感じ。拍をきちんと刻む事、そして完全に自由になる事の両方を勉強する事となりました。身につけなきゃいけない事がまだまだいっぱい...。

言葉にするのも勿体ない

今日は鎌倉芸術館でのコンサートに行って来ました。チェロのミーシャ・マイスキー。世界的に有名なチェリストをこんなにご近所で聴けるのは何とも贅沢。数年前に茅ヶ崎でバッハの無伴奏を聴きに行って感動したので,今回のコンサート・チケットは私としては珍しく早々と取ってあったのだが、超満員でまずびっくり。正統派の音楽家でこんなにもお客さんが入るのはやはりとても嬉しい。

そして,コンサートだが...。
あまりに素晴らしくて,その感動を言葉にするのでさえもがもったいない...。

どうしたら、あんなに心も魂も深く入り込みながら、自己陶酔する事なく、音楽を見失わずに演奏出来るんだろうか...?

必然

久しぶりのブログです。
何となく心身ともに元気がなかったので、なかなかブログを書けないでいたのだが夏休みにヨーロッパで会って来た友人達にたくさんの元気を貰って随分と気持ちがリフレッシュ出来ました。

今日は生徒さんの一人が『I.P.D.横浜支部ピアノコンサート』で弾かせて頂いたので横浜の大倉山まで聴きに行きました。「I.P.D.」とは「日本障害者ピアノ指導者研究会」の略。出演者が全員、障害を持たれた方達です。子供から大人まで、皆さん本当に難曲を弾きこなしていらして、本当に色々と考えさせられました。共通しているのは、とにかく皆さんがピアノが好きと云うことだけでなく、本当に「生き甲斐」となっているのではないか、と思わされました。

Rilke2_resize.jpg今、ちょうどイギリスで買って来た詩人リルケの「若き詩人への手紙」という本を読んでいるのだが、リルケが若い詩人に書いた最初の手紙にすでに「何が一番大切かと云えば、自分はその一行を書かなくてはならないのか、という必然性を感じるか、という事」、というような事が書いてあります。
今日のコンサートで聴かせて頂いた障害者の一人一人からはピアノは本当に弾かなくてはならない、という必然性を感じました。

また単純な事だが、テレビの「24時間テレビ」で88kmのマラソンを完走した芸人さんの「体を張って人を笑わせたい」、その裏の思いを映し出す映像があり、本当に感動しました。

自分のピアノで自分の中で悶々と悩んでいるよりも、出来る事をとにかく頑張ろうと何回も思い知らされた一日でした。


本気の意味

「本気」話題でしつこいのだがついに答えが出た(笑)!
私なりの答えだが。

今日も「本気」で練習していたがちょっとでも気が緩むと歌いたくなったり、きれいな音を出そうと気が違う所にいったりして、「本気」モードからずれてしまう。それでも、相当「本気」が身に付いて来た感がある。

そして、今日ついに「本気」とは何かの答えが出たのだ。
辞書等を引いてもぴったりいくものがなかったし、先日ピアニストの友人とこの話をしても「本当に気を入れて弾くと...」と言い換えられたりして、「ちょっと違うんだよね〜...。」と思っていたのだが。本当に気を入れて弾くという事は今までもやっていたし、気を入れ過ぎて空回りする事もしばしば。辞書では「真面目に取り組む」とか「真剣に」とか書いてあったがこれも今までやって来た事ではある。

しかし、今の自分にとっての「本気」の意味は「本来の気」という事に気が付きました。(中国人に訊いてみたい気もする...。)自分が本来持っている気をあるがままに音に還元するという事を今しているのだと分かりました。
これが相当上手くいっている時というのは自分さえもが消えている感覚がある。

ついに「自分」と思える音が出て来たのではないかと思っている。

現在=3秒

昨日、夜中にやっていた指揮者カラヤンのドキュメンタリーで特に興味深かったのがカラヤンが科学者とのコラボで「現在」という事を解析していくという場面。楽器奏者に色々な器具を付けて調べていくのだが、どういう風に結果に辿り着いたのかは詳しくは説明してくれなかったが、人にとっての「現在」は3秒だそう。瞬間的なものではなく3秒もの間を「現在」と感じるのが面白い。

最近のマイブームが「本気」だが、この「現在=3秒」を聞いてとても納得がいく。ピアノだけでなく、本気で何かに向かうという事が何かと云うのをずっと考えているのだが、この「現在」にいかに自分の全てを投じる事ができるかということなのだと思う。ピアノの事でいえば、長い、スケールの大きな曲が好きなだけに、自分の「本気」が長さや大きさに薄められていたように思う。今は現在の3秒に全てを投じる感覚を思い出している感じで練習している。(子供の頃の方が構成やスケール感なんて考えずに弾いていたので、瞬間瞬間に自分の全てを凝縮して弾いていたように思う。)

「本気」も色々な形がある事も発見。最初は殺気すら感じるアグレッシブなものばかりになっていて、自分でも相当押しの強い怖い音楽になっていた感があったが、最近はそればかりでない柔らかい、優しい「本気」モードも見えて来ました。

相当曖昧な文章になってしまった。
読んでいる人は分かるのかしら...(笑)。

「本気」になった時の音楽でもう一つの発見は、申しわけないが丸っきりお客さんというのを意識していないという事。メッセージ性やいかに美しい音を、とか、感動させたいとか、いかに分かりやすく、伝わるように、というのも全く考えなくなってしまった。

作曲家さえも今は消えている。今までの身に付いた知識や感覚を信頼して、自分と「音」しか存在しない音楽。しばらくはこれで試行錯誤してみようと思う。

本気

ニューヨークでのコンサートをきっかけに色々と発見があったり、会った人達との会話の中で考えさせられたり、インスピレーションを受けたり、と本当に収穫の多い旅でした。

コンサートに関しての直接的な大きな発見の一つ。前日に調律に関してのハプニングがきっかけで、変な不安に苛まれて珍しく前夜に眠れなくなってしまったのだが、その時に前に知り合いの方から頂いた「腹をくくる」と云う言葉を意識的に実践して心を落ち着かせようとして気付いた事がありました。今、自分が目指している演奏では腹はくくれないのだ。腹の中を全てさらけ出す演奏をしようと思ったら、腹をくくってはそれが出来なくなってしまう事に気付きました。そこで、この不安も緊張ももう受け入れるしかないんだと云う事に腹をくくりました(笑)。

もう一つ、今の自分の演奏(というか練習)に大きな影響を与えている言葉。全然音楽とは関係のない話をしていた時だったのだが、「みほちゃん、本気じゃないでしょ?」と云われました。私は最初は「気持ちは凄くあるんだけどな〜」と反論したのだが...。しかし、よ〜く考えてみると「気持ちが凄くある」のと、「本気」は全然違う事に気付きました。そして、色々と自分の他の事にも当てはめていくと恐ろしい事が見えて来ました。
自分の音楽ももしかしたら...???ピアノに関してはいつでも全力投球だし、一音でも多く良いものにするために一生懸命だし、練習は何をするよりも最優先だし、真剣に音楽とは向き合っているのだが、「本気」かどうかと問うてみたら、意外な事にこれがいつの間にか落ちていたような気がして来ました。

小さい時はいつでも本気を出さなきゃ難しい曲は弾けるようにはならないので、意識しなくても本気は出していたように思うが、いつの頃からか、「音楽の自然な流れ」だの「いかに脱力して弾くか」とか「音色やフレーズの美しさ」や「楽しく弾かなきゃ」という雑念にその「本気」が埋もれてしまっていたという事に気付いて来ました。

ここ最近、自分の演奏がどうにも下手になっていく気がして、どうしようかと困っていたのだが、ここに来て一番大切な事が見付かった気がします。

この「本気」でここ数日練習しているが、出て来ている音楽が全く違う。「これこそが自分の音楽だった」と思えるようになって来ました。
「本気」と思うだけで、なぜこうも出て来る音楽は違うのだろうか?「本気」って何だろう、と不思議でもあります(笑)。

たどたどしいながら

                          「キエフの門」のスケール感?
Grand%20Central_resize.jpgニューヨークから無事に帰って来ました。今回は相当窮屈なスケジュールで何となく忙しない感じだったが、コンサートは久しぶりに自分に合格点を出せるものとなって、今は気分も晴れ晴れ。色々と細かい所では気になる事も多々あるが、一時間半のコンサートを通して自分を表現し切れた感があるのは嬉しい。「展覧会の絵」のスケールの大きさまで自分を持っていく事が出来て、理想にかなり近い形になって来ました。スケール感は身に付いたのでいつかまたプログラムに乗せる時にはもう少し余裕を持って弾けるように思う。

それにしても、新曲をプログロムに乗せるのは本当に大変。年と共に脳と体/手に新しい音楽がなかなか染み込んでくれない。

%E8%88%9F%E8%B6%8A%E6%A1%82%E6%9C%AC_resize.jpgしかし、先日偶然に出逢った彫刻家の舟越桂さんの「個人はみな絶滅危惧種という存在」という本に救われる言葉がいくつもありました。

『「地図を持たずに外国の知らない街をおもしろいもの、気に入る店を探して歩くようにデッサンする。見つけるのは大変だし、レベルもバラつくが、新鮮なものに出会える。」』

『「巧詐は拙誠にしかず」
ーたくみにあざむくより
つたなくても誠意をもってなす方がすばらしい。』

巧く弾こうと思わずに自分の音楽を誠実に探すと云うのは道も不確かな上にお手本もないので、レベルのばらつきが甚だしい。自分の演奏を最近レコーディングすると自分でも思いも着かなかったいいものが出来ている時とアマチュアでももう少しはましに弾けるでしょう、と思う程に下手だったりして自信を無くす事もあったので、舟越さんの言葉は本当に心に染み入る。
いつかはこのつたなさも無くなってくれるのだろうか...?

展覧会の絵

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今回は30分のコンサートで「展覧会の絵」全曲。

うuuuuuu~~~~~、大曲....。
やりたい事ははっきりしているのだが、全曲としての曲の大きさに負けてしまった...。
ニューヨークでのコンサートまでに自分をもっともっと大きくしなくては!!!

一番難しい所

昨日のヒッグス粒子を探す番組について今日も色々と思い出しては考えていました。

このヒッグス粒子、どこにあるのか消去法で場所を特定するらしいのだが、一番探すのが難しいところに存在するらしい。これも面白いな〜と思う。

音楽の真理も見付かってしまえば、「ああ、そうか」と思えるのだが、見付かるまでが本当に一苦労。美しいもの、面白いもの、音楽的なもの、感情や心に訴えるものを音楽の中に見付けるのはそんなに大変な事ではないが、真理となると別次元の所に存在していて、なかなか姿を現してくれない。

真理はそう簡単には見付からない...。

真理を求めて

いつも科学関係のドキュメンタリーを見てビックリするのは理論が先に提唱されて、それをもとに何十年と掛けてあらゆる人がそれを証明しようとするその順序である。
今日も「ヒッグス粒子」を探す番組をテレビで観たが、存在するかも分からないものにとてつもない数の人達がとてつもない時間(提唱されてから50年以上経っているらしい!)とお金を掛けているのにつくづく驚いてしまう。このヒッグス粒子に関しては、スイスの地下に作られているとてつもない実験装置の話を聞いて以来興味を持っていたが、昨年ついに出たその実験結果は「ヒッグス粒子とは断定出来ないが、何かの粒子は見付かった」というものらしい。つくづく気持ちがすっきりしない...。科学者たちは大興奮のようだったが...。

次元は違うがこの科学者たちの探求が音楽の中の心理を追求するプロセスと共通するものが多いように思う。とにかくあらゆる角度から音楽の核心に近づこうとするのだが、その核心があるのかさえも分からないのに、ある事を信じて探し求める。あれも違う、これも違うと消去法で核心に近づくのも似ている。そして、真理は意外な所から出て来たりもする。おまけに一つの真理を見付けても、次の真理への探求が始まる。どの世界も真理への道は遠いな〜〜〜と実感する今日この頃です(笑)。

記憶

大学時代の友人Kちゃんのリサイタルを聴きにオペラシティーに行ってきました。
Kちゃんは毎年1月に定期的にリサイタルをしており、テーマに沿った大きなプログラミングにはいつも驚かされています。今回は幻想曲中心のプログラムでシューベルトの「さすらい人幻想曲」、バラキレフの「東洋的幻想曲イスラメイ」も入った、またまたびっくりするようなプログラム。チラシを頂いた時点でそのチャレンジ精神ににもう脱帽です。

プログラムの中にはショパンの幻想ポロネーズも入っていました。この曲の中で重音のトリルが出て来るのだが、これが異常に上手くて超びっくり。一般的にはゆっくりと弾き始めて徐々にテンポを上げていく人が多いが、Kちゃんは最初からフルスピードで今まで聴いた事のないくらいに粒の揃ったきれいな重音トリルを弾いていました。
それで急に思い出したのだが、大学の弾き合いのクラスの時にKちゃんがショパンの3度の超難度Cのエチュードを信じられないくらいに上手に弾いていたのがフラッシュバックのように甦って来ました。当時もその重音のきれいさに感動していました。

これがきっかけで昔のKちゃんの事を色々と思い出しました。今では毎年大きなプログラムを弾き切るKちゃんだが、人一倍真面目な彼女は大学時代は人前で弾く度に口もきけなくなるくらいに落ち込んだり、時には泣いたりもしていました。いつも本当に一生懸命に音楽と向き合っていました。長年のその真剣さがとてつもない底力となり、今では貫禄たっぷり、お話もとても上手で「凄いな〜」とコンサートに行く度に思ってしまいます。

真剣に、そして誠実に何かに向かい合い続ける事の凄さを思い知らされました。本当に継続は力なり!

追記:大学時代に真面目の代名詞のKちゃんとボン・ジョヴィのコンサートに一緒に行って周りにビックリされたのも思い出しました(笑)。

雪とスカルラッティ

14%3A1Snow_resize.jpg久しぶりの凄い雪!
風も強かったせいか、空から凄い勢いで降っていました。

春のリサイタルに弾くスカルラッティを練習しながら窓の外を見ると、スカルラッティの16分音符が雪の降って来るテンポとピッタリ。雪の凄い勢いに乗って、スカルラッティーも躍動感たっぷり。思いがけない所でインスピレーションが降って来ました。

それにしても雪の降った翌日の夜って何となく寂しい。半分溶け出した汚れた雪だけが道路に残っていて、おまけに人も車の通りも少ないからやけに静か。寂しいというより、侘びしいのかな〜...。

花が開いて

二つのコンサートが終わって一段落。

一つは12月2日のヴァイオリンの小林正枝さんとのコンサート。
正枝さんとは今回、初めてのアンサンブル。正枝さんはベルリンに留学中なので、秋口にコンサートが決まってからはもくもくと一人での練習。コンサート一週間前からの詰めてのリハーサルとなりました。正枝さんの演奏自体聞いた事がなかったので、最初のリハーサルは楽しみな反面、お互いの様子見と云った感じでした。それでも、やはりヨーロッパのいい音楽を吸収している最中とあって、流れは自然でとても合わせ易い。あまりに呆気なく合うので逆に少し拍子抜け。2回目のリハーサルは「少し掘り下げていきましょう」という事になり、お昼を挟んでの6時間近いリハーサル。合わせれば合わせる程、お互いに見えて来る事もあってこんなに長時間に。。。
そして、本番。本当に舞台の上での正枝さんは素晴らしかった。一緒に弾いていて思ったのだが、舞台上でどんどん花(華)が開いて来るようでした。

舞台というのは本当に不思議で、リハーサルでどういう風に弾いていたかが意外と参考にならない。リハーサルと全く同じに弾いてしまう人は意外と少ないと思う。同じに弾かれても面白くないのだが...。

やはり良い演奏家は最初硬くても、どんどんと乗って来て、空気も読んで普段では出せない大きさやエネルギーを発するものだと思うのだが、正枝さんは型にとらわれずに本番で自由に演奏していらしたので、アンサンブルが本当に楽しかったです。
プログラムも今年取り組んで来たシューベルトとラフマニノフが入っていたので、最後を飾るのに相応しいコンサートとなりました。

時間

「時間」というものは誰にとっても大きな「課題」のように思う。
「生」や「死」との向き合い方など根源的なものから、芸術においての永遠性/永続性や宇宙やミクロの世界を知る上でも、人は常に「時間」というものを模索しているようにに思う。

最近,と云っても数カ月前からだが、音楽において概念として持っている「時間の流れ」というのは存在しないのだ、という結論に達してしまった。勝手ながら(笑)。少なくとも,真実の音楽には「進む」とか「横に流れる」という時間の流れはないのではないかと思いだしている。

自分が今まで感動したり、凄いと思った演奏というのは正に時間が止まっている中で動いていたように思う。ホールの空気も時間もピタッと止まってしまう感覚に陥る演奏。私たちが慣れ親しんでいる,拍子の規則的な刻みとは関係なく、一つ一つの音が全く自由なのに音楽の辻褄が合っている、完成された音楽。音楽が進めば進む程,音楽の全貌が分かるのではなく、もう既に一つ一つの音の中に完成された音楽が含まれているのだ。そして、そういう演奏は何年経っても忘れない。音なんて実態がないのに、それを忘れないというのは凄い事だと思う。

自分も常に課題となっていたのが、音楽に対しての自分の立ち位置。ブログにも多分前にも書いたような気がします。なかなか答えが出ないので(笑)。
「自分が出したいと思っている音がはっきりと分かっていないといけない。」と云われれば、出す音よりも前に自分の意思を持っていかなきゃいけないし、「自分の出している音を良く聴いて、聴いた音で次をどう弾くかを判断しなきゃ!」といわれれば、出している音よりも後に自分の耳も意識も持っていかないといけない。おまけに音は次から次へと出て来るのだから、自分の意識を前に持っていったり,後ろに持っていったり、と何とも安定感がない。どちらかに徹底しようとしてもどうもしっくりいかない。
 それが、たま〜に弾いていると、あるフレーズだけ妙にハマったりする時がある。これは自然にハマるのだが、どうしてハマるのかがどうしても分からず、他の所に適用する事が出来なかった。そのフレーズの前後はどんなに不安定でも、そのフレーズに来るとなぜかピタッとはまる、不思議な感覚。おまけに録音をしてみると、やはりハマった所だけが妙に完成されている。

それが、ついにこの仕掛けが分かったような気がします。自分にとっては大発見。
この発見を見付ける大きなきっかけがやはり夏に聴いたA君のチェロリサイタル。
彼の演奏から本当に多くの事を学んでいます。
彼がテクニック的に難しい曲を弾いていた時の手の動きに大きなヒントを貰いました。フレーズの中で実際に音を出す前に既に大きく指を動かして、その音が出るべき時には準備万端で全く間違える気配がないのである。音楽の「流れ」からすると、その手の動きはあまりに早くに準備していたように感じたのだが、「実際の音楽」にとっては必要な動きだったのだ。音楽の流れに自分の体が乗っかっているのではなく、彼自身の中で既に完成された音楽が存在していて,舞台に座った彼はチェロの上に指を置いていっているだけのような感じでした。出て来た音は一つ一つが完成されているから、それを繋ぎ合わせたものは流れとは関係なく完成された音楽なのである。


今まで一曲の中で,数カ所だけがまぐれのようにハマっていたものが(残りはとにかく人口的に音楽的になるように作り上げていた)、今面白いように次から次へとハマっていってくれています。
とにかく、陥りがちな音楽の「流れ」に流されないように、「音楽」そのものを見据えられるように今頑張っています。

プロムナード

「展覧会の絵」。弾けば弾く程、ムソルグスキーの感受性の豊かさに唸らされている。
今まで聴いただけでは気付かなかった発見が多々あってつくづく面白い。

今,特に興味を持っているのが、絵と絵の間に挿入されているプロムナード部分。絵を見終わった後の余韻が残ったまま歩いているんだろうな〜とか、ここはきっと太陽光がサンサンと入る大きな吹き抜けの廊下なんだろうな〜とか、次の絵に向かって歩いている時に、先にある絵がちょこっとだけ目の隅に入ったんだろうな〜とか、弾きながら美術館を歩いている感覚に陥ります。日本の美術館は部屋の内装や壁の色が極力ニュートラルにしてあるが、外国の美術館は部屋の壁や天井に装飾や彫刻がしてあったり、壁の色が赤とか緑だったりもするので、絵と絵の間を歩いている時も何か体全体が刺激されているように思う。その感覚をムソルグスキーが見事に音楽にしていて本当に素晴らしい。主役の絵と同じくらいに、それぞれのプロムナードもそれぞれに感じれるように演奏出来るようにしたいですね。

想像力

もう9月。久しぶりに雨も降り、まだまだ暑いながらやはり夏が終わりに近づいている気配。

この夏は日本でのんびりと。春が異常に忙しかったのと、体調を崩しまくっていたので、とにかく生活と健康を立て直すのに専念しました。家や書類の整理から始まり、溜まりに溜めていたメールや手紙の返事、貸して頂いた本やDVD,CDを聞いて、やっと秋から再スタート出来そうです。

暑いながら、A君のチェロ・リサイタルのお陰でピアノも張り切っています。8月は前から弾きたいと思っていた「展覧会の絵」を練習し始めました。時間的に長い(35分程)曲なので、なかなか手を付けられずにいたが、本気で練習をしだしたら思っていたより譜読みはそんなに大変ではなく、意外でした。弾き込みはこれからなので、これからが大変だと思うが、曲自体は分かり易いし、和声的には難解ではないの暗譜もし易い。ムソルグスキー自身、短期間で書いただけあって、感覚に訴えるところが大きい。それだから入り込み易いのかしら。

ムソルグスキーが展覧会で観た絵を曲にしているのだが、題名も付いているのでとても音楽的に想像しやすい。歳を重ねて、色々と指の柔軟性が無くなったり、無意識の攻めのエネルギーが減っている代わりに想像力がとにかくたくましくなっている気がします(笑)。学生時代の最大の悩みの一つが演奏家としての想像力が無さ過ぎるのではないかだったが、今では苦しんで探さなくても、あらゆるイメージが沸くようになって楽しい。音楽が直接、自分の心や思い、経験や記憶と一致するようになって来ているからだと思う。

それにしても、邦題「小人」と付いている曲は英語だと「Gnome」となっていて、これはよくアメリカやヨーロッパの庭に置いてある赤い帽子をかぶっていて白ヒゲのある、ほのぼのとしたイメージのあの小人です。ムソルグスキーはロシア人なので英語の訳も合っているのか分からないが、それにしても、曲自体は相当不機嫌な人相の悪そうな小人の感じです。ムソルグスキーが実際に観た展覧会の絵は現在残っていないので実際はどんなだったか分からないのだが、この世の中に恨みたっぷりの怖い感じの小人を想像しちゃっています。

元の絵が残っていないだけに、自分で一曲一曲想像出来るのは逆にとても楽しい。おまけに絵ではなく、音楽を通しての感じ方になるので、時間的、空間的な3次元の想像になるので想像力もどんどん幅が広がっています。広がり過ぎかも。。。

凄いコンサート

                            A君とMさん
A%26M_resize.jpg今日は凄いコンサートを聴いて来ました。昨年の夏にもリサイタルを聴きに行った、高校生のA君のチェロ・リサイタル。とにかく「素晴らしい!!!」の一言。(隣に座っていらしたおじさんも「素晴らしい!素晴らしい!」を連発!)
昨年も凄いと思ったのだが、今年は段違いに上手くなっていて目からうろこ。すでに魂に繋がる扉の鍵を見付けている感があり、本当に偉大なる芸術家といった感じです。弾く姿も本当に美しい。こんなにも音楽と一体化している演奏家は珍しいように思う。
昨年は集中力の持続力が少し気になったが、今年は最初の一音から最後の一音まで音楽の緊張感がだれる事がなかった。ピアノのMさん(A君のお姉様)との息もぴったりで本当に素晴らしいコンサートでした。高校生にして恐るべし!
自分ももっともっと勉強しなくては、音楽のもっともっと奥深くまで追求しなくては、と思わせてくれました。音楽の中には凄い世界が広がっていて、それを探し出すのは結局は自分次第。コンサートから急いで帰って来てすぐにピアノに向かいました。音楽の可能性を見せてもらえて自分の目標も明確になりました。明日からの練習が楽しみ!

猛暑の中

昨日、南麻布のセントレホールでランチ・タイムコンサートがありました。
猛暑の中、たくさんの方がいらして下さり、本当に感謝しております。
CentreHall_resize.jpg南麻布まで足を運んで下さり、本当にありがとうございました!

演奏に関しては、自分では相当突き抜けた所と、心がブルーを通り越してブラックになってしまう所の差が激しく、30分と短いコンサートながら自分でも評価の難しいコンサートでした。。。落ち込んでいる暇があったら練習しましょう、と云った心境です。。。

懐かしい音

来週のランチタイムコンサートまで後一週間。
このところひどい風邪をひいてずっと調子が悪かったのだが昨日位からやっと元気になり、練習もバリバリと出来るようになって来ました。今回の風邪は咳がひどく、普段練習の時にいかにお腹に力を入れているかを実感。息が深く出来ないと全然お腹に力も入らないし、馬力も持久力もないので、全然大曲が大曲でなくなってしまう。Centre%20Hall_resize.jpgやはり大きな曲はよっぽど元気じゃないと弾けないんだな〜とつくづく感じてしまいました。考えてみれば、曲中にあるエネルギーは自分が作り出さなくてはいけないので、そのエネルギーが作り出せないと結局スカスカの音楽になってしまって、音は一生懸命弾いていても感じるものが全然違う。風邪をひいていた時に録った録音は本当に演奏の善し悪しとは別に全く腰の抜けた音楽になっていました。元気になって良かった。。。本当に健康は感謝です。

Steinway_resize.jpg今日は南麻布の会場でのリハーサル。1920年代のニューヨークスタインウェイのピアノ。昔弾いていたピアノと形もとてもよく似ていて親近感を持っていたが、今日初めて弾いてみてびっくり。弾いた感触も出て来る音の響きも昔のピアノにそっくり!!懐かしい感じがしました。小さいピアノなのに響きが豊かで、温かでとっても弾きやすい。来週のコンサートがとっても楽しみになって来ました。

日墺文化協会のガラコンサート

                            リハーサル中
Rehearsal_2526_resize.jpg今日は紀尾井ホールでのガラコンサート。
演奏時間が20分と云う短い中で自分を表現するのはなかなか難しい。リサイタルでも、やっと後半から本領発揮するくらいのスロー・スターターなので、終わった今でも本当に何かを表現し切れたのかが今ひとつ実感がない。とは言うものの、収穫もあり、長年引っ掛かっていた音楽的な問題が本番中に解決。本番中ながら、「おぉ、こういう事!?」と喜んでいる自分がいました。

Galaconcert%20program_resize.jpgいくら練習しても、やはりコンサートの本番は感覚的にも精神的にも練習とは全然違う。あの緊張感の中でしか見えないものや感じないものがある。それが裏目に出る事も多いが、それが音楽的成長につながる事も多い。

シューベルトに関しては何回も弾いていながら、まだまだ辿り着きたい所からは遠い。特に今回弾いた3番の即興曲は夢のように美しい曲のはずなのだが、まだまだですね。。。生きている間に自分がイメージしている夢のような美しい音/音楽はいつか人と共有出来るようになるのだろうか...?

内なる答え

ブログがまた滞ってしまった。。。

ガラコンサートまで後1日。シューベルトは何回も弾いている曲とあって、練習は余裕があると思いきや、音楽的な追求は限度もゴールもない。。。クラシックは本当に時間を注ぎ込めば注ぎ込んだ分だけ奥へ奥へと進んで行くような気がする。

それにしても、年をとる程に自分の探している物はもう既に外には存在しないのだと実感してしまう。音楽的な答えはもう自分の中にしか存在していず、それを探求し続けなければならない。その探求が果てしない。。。

ラ・フォルネ・ジュルネ・オ・ジャポン 2012

ゴールデン・ウィーク真っ最中で、東京では「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が開催されています。今年で8年目だそうで、あちこちの会場でクラシック音楽のコンサートが朝から晩まで楽しめると云う音楽祭です。

IMG_2483_resize.jpg昨日は私も丸ビルのオープンスペース「MARUCUBE」でのエリアコンサートをさせて頂ける事になりました。大雨の中、足を運んで下さった方々に本当に感謝です。ありがとうございました。

今年のテーマは「ロシアの祭典」という事で、私もラフマニノフの前奏曲ばかり(今回は6曲)を集めたプログラムにしました。一曲が短いもので2分半、長いものでも6分程の小品ながら変化に富んでいて、弾くのも聴くのも楽しい曲ばかり。一曲一曲が本当に名曲だな〜と思ってしまいます。

今回のコンサートは30分。舞台も広く、オープンスペースといえども、周りの事があまり気にならなかったので、コンサートとしてはやり易かったのだが、最大の反省は不覚にもトーク。久しぶりの大きなパブリック・スペースで、MCの方が緊張してしまいました。今回は何となくシナリオを作っていたのが裏目に出てしまい、変に縛られてしまいました。演奏ももちろん色々と反省点はあるが、よっぽど伝えたい事は伝えられたように思います。トークも自然体で伝えたい事を伝えられるようにしないといけないですね...。

春のコンサート色々

ここしばらく人前で演奏する機会がなかったのですが、5月に入って活動再開といった感じです。今年初めから、コンサートのための練習ではなく、自分の音楽再発見のための練習に励んでいたので、その成果がコンサートでも見られるかが自分でも楽しみです。

コンサートに関しての情報は「インフォメーション」ページにアップ致しました。

集中力

今日はあるプロジェクトのための編集作業を。ここ数カ月越に自宅で録音していたもので、当初は編集無しに作り上げようと思っていたのだが、録音している状態やピアノの状態も変わり過ぎていたので、統一感をもたらせるためにも、最終的にプロの方のお力を借りする事に決めました。

以前から何回かお世話になっているIさんは素晴らしい耳の持ち主で、私でも気付かない事を調整して下さったり、色々と提案して下さるので、想像以上にいいものが出来て本当に嬉しい。今回もまたしても、プロは本当に凄いな〜と唸らされました。

それにしても、1〜2時間で終わるかと思いきや、結局4時間近く掛かりました。Iさんも仰っていたが、やっている内に色々と欲も出て来て、妥協点がどんどん高くなるそう。おまけに凄く集中して聴いているので、時間があっとう云う間に過ぎてしまう。帰りの車の中で疲れがド〜っと出て気分が悪くなる程に...。こんなに集中力を使ったのは久しぶりなのかも(笑)。

正統派

ブログには書いていなかったが、色々とコンサートにも行く機会があり、色々と勉強になったり、考えさせられたり...。つくづくクラシックのコンサートの意味を考えさせられます。
最近はとにかく「上手」な人が多いので、レベルの高さの問題ではなくなっているのだが、残念ながらなかなか「良かった!」と思えるコンサートに出逢えません。上手なのに、不愉快に感じたり、地味〜な演奏なのに心の奥まで響くものがあったり。本当に不思議です。

最近は特に目先の華やかさやエンターテインメントを意識したコンサートが多いので、内容的にがっかりする事もあるのだが、久しぶりに正統派のコンサートに2つ当たりました。

一つは東京文化会館でのイギリス人のピアニスト、John Lill (ジョン・リル)のリサイタル。オール・ベートーベンのプログラム。この方はイギリスでは超有名で、しょっ中しょっ中コンサートをしているピアニストです。私も学生の頃にロンドンで何回か聴きに行きましたが、当時は自分も若かったし、真面目な感じのリルさんは少し面白みに欠けているような気がしていました。しかし最近の傾向である派手な演奏がはびこっている中で、今回20年振りに聴いたリルさんの真っすぐなベートーベンはとても新鮮でした。この人は脇目もふらず、今までの一生を音楽と誠実に向かい合って来たんだな〜とつくづく思いました。全くコマーシャリズムとは関係のない音楽、そしてそこまで潔いその生き方を羨ましいとさえ思えました。

もう一つの正統派コンサートは知人のヴァイオリン・リサイタル。フランスでずっと演奏活動をなさっていらした方だが、音楽解釈がとても深く、一曲一曲をとても丁寧に演奏されるので曲の素晴らしさ、美しさが本当に良く伝わって来ます。

今回はバッハやブラームス、ラヴェル等、超有名どころの曲ばかりだったが、色々と工作せずに真っ正面から音楽と向かいあっている感じで、本当に気持ちのいいコンサートでした。凝った事を何もしていないのに、聴き慣れている曲もつくづく面白い。2時間近いリサイタルを隅々まで堪能しました。

本当に色々な誘惑に負けずに、正直に素直に真っすぐに音楽と向き合えたら良いな〜と思います。簡単なようでいてなかなか難しい...。

ピアノマニア

震災から一年が経ち、少し自分の中でも気持ちの切り替えが出来るようになりました。
どうしてもブログも震災関係以外の事を書くのに気が引けていたが、これから少しずつ自分に出来る支援を模索しながらも音楽の事もないがしろにしないようにしたいと思っています。

なので、今まで溜ってしまった音楽の話を少しずつ。
まずは、数カ月前に珍しく映画館まで足を運んで観た「ピアノマニア」という映画。
超一流のピアニスト達のコンサート会場でのピアノを調律する調律師を追いかけたドキュメンタリー。確かにとってもマニアック(笑)。調律の腕は確かでも相当変わった人だったように思う。

私にとって調律はとても興味のある事なのだが、何しろ知識があまりないので、自分の勘だけに頼っている所がある。どういう調律が好みになのか具体的にいえないのがなかなかもどかしい。コンサートをしていると様々な調律師さんにお会いするのだが、個人的にはもう30年近く調律をしてくださっているKさんに絶対的な信頼をおいています。Kさんは自分の好みに近い状態にして下さるので、後は最終的な微調整をお願いするだけで自分の理想にかなり近い状態になります。ときどき調律した『音』だけで感動出来る程に素晴らしい時があって、それは自分が実際にピアノの近くに行って聞かなくても、隣の部屋で聞いていても「今日は凄いかも」と調律が出来上がる前に分かる時があります。

それにしても、映画の中で、ピアニスト達が好き放題云っているのには相当心を痛めた。自分もかなりKさんにわがままを聞いて頂いているので、思い当たる事がいっぱい。3時間調律して頂いた後に微調整に1〜2時間以上掛かる事もしばしば。。。本当に申しわけないと思いつつも妥協出来ない所がまた困りもの。でも、調律一つで自分の弾く感覚も状態も変わるのでどうしても譲れない所が出て来るのは確か。本当にいつも一生懸命にリクエストに応えようとして下さるKさんを筆頭に調律師さん達に感謝です。

この映画で色々なピアニストがコメントしていたが一番的確と思ったのがブレンデルの言葉。「理想的な調律は音量と音質が全部均一のもの」と云っていた。これは当たり前のようで、意外と出逢えないものです(笑)。何ヶ月か前にピアノを調律して頂いた後に、いくつか気になる音があって、微調整をして頂いているうちに、調律師さんが「海老原さんは音量を均一にしたいんですね」と。あまりにも当たり前の事を云うのでびっくりしました(笑)。音量が均一に出るように調整した上で調律をしているのかと思いきや、意外と「音量」というのは重要視されていないのかも、と新たな発見がありました。音質が違うと、微妙に音量も違うような感覚に陥るので、なかなかその兼ね合いが難しいのだが。

この映画で超ド派手なジェスチャーで有名なランランも登場。音楽というより、そのジェスチャーが気になり過ぎて、あまり今まで好きではなかったのだが、素顔で話して、リハーサルをしているランランは誠実そのもの。好感を持てるようになりました。
これもこの映画の収穫の一つ(笑)。

癒されて

今回の釜石行きを考える時に、以前に一緒に作業したMさんにピアノを弾く事が 一つの目的でした。前回「ピアノ弾いたらみんな喜ぶと思うよ」と云われた時になんで弾かなかったんだろう、とつくづく後になって後悔していたのだが、今回、釜石に向かうローカル線に乗っている時に急に理由が分かりました。被災地に入る時の緊張感だけでなく、気持ちも体も急に萎縮する感覚に陥りました。この時に「こんな状態だったらやっぱり弾けなかったのは仕方がなかった」と思いました。

そして、今回は機会があれば弾こうとは決めていたけど、実際の現地にいる感じは音楽、特にクラシック音楽からはまだ遠い気がします。自分も2日目位から自分がピアノを弾く人間だと云う事をすっかり忘れていました。何のジャンルにしても「音楽」そのものが聞こえて来る事がほとんど無かったように思う。

実はリサイタルが終わってからも、目覚めた瞬間から頭の中で前の日に練習いた音楽が鳴っていて、神経が異常に覚醒し過ぎている感があって困っていたが、これは釜石に行っている間に無くなりました。本当に音楽とは無縁の4日間。

%E6%95%99%E4%BC%9A_resize.jpg帰って来た翌朝(前日の真夜中に帰って来たので)に最初に耳にしたのは、友人が10年以上前に作ったCD。以前から「いいな〜」とは思っていたけど、今回はつくづく癒されました。こんなにもピアノの音が心に染み入るか、という感じでした。こんなに感動すると、「今回は弾けなかったけど、録音して送ろう」なんてまた張り切っちゃうんだけど、やはりこれも離れているから感じる事なんだろうな〜と思ったり...。

心に染み入ると云えば、つい先日、出掛ける前にちょっと教会に寄ってお祈りしようと思ったら教会で親しくしているKさんがオルガンの練習をしていました。陽の光がちょうど窓から差し込んでいて、曲も素敵だったのだが、Kさんの弾き方がまたとても優しい感じでとても癒されました。ご挨拶しようかなとも思ったのだが、あまりに素敵な空間だったので、そのままそ〜っと出て来ました。

最近つくづく音楽の素晴らしさに目覚めているような気がする。自分で弾いていてもそうだし、クラシックだけでなくスポーツクラブで運動をしている時のポップス系の軽い音楽にも感動している自分がいる。何だか今頃になって音楽が体の中に完全に入っていっている感じがする。今、ばりばりと練習している訳ではないが、さなぎ状態で音楽的な大きな変化が起きているように思う。

一から

%E5%AD%A4%E7%8B%AC%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88_resize.jpgリサイタルというのはいつも思うのだが,本当に特殊なもののような気がする。
長い間黙々と孤独な練習を続けた後に舞台に上がり,舞台の上では孤独のようでいて孤独でないのだが、その後がとにかく大勢の人と一気に接する事になる。
今回は特にハードプログラムだったので、2ヶ月近く閉じこもって自分と向き合わなくてはいけない毎日だったのだが、終わった途端にたくさんの人からのフィードバックもあり、この両極端が凄いな〜と思いながら、急に今度はたくさんの人とのコミュニケーションが始まる。

もちろんポジティブなご感想はとても嬉しく、自分の励みにもなるし、次回への自信や頑張りにつながっていくのだが、逆にネガティブなご感想は自分の進歩や視野を広げるためにとても大切なものと思っています。コンサートが終わってすぐにマイナスの言葉を飲み込むのはなかなか難しいのだが、やはり演奏家としてはそれは受け入れなくてはいけない事だと思っている。それをどう解釈するかは別にして、聴いて頂いた一人一人のご感想は本当に貴重なものと思って一つ一つ心に留めるようにしています。

今回のコンサートは日本で初めてリサイタルをしてから10年目に当たるが、とてもラッキーな事に、この10年間、ずっと応援して下さっている方々がいらっしゃいます。本当に感謝な事です。
その中に、私がとても尊敬している方がいらして、今回のコンサートをとても喜んで下さっていました。その方は音楽家でもなく、音楽を専門的に詳しい訳ではないが、人や物事の本質を見抜く事が出来て、人間的に素晴らしいのです。初めてのリサイタルの時も喜んで下さったのだが、その数年後に都内で大きなリサイタルをした時に「いいんだけど、商業的になっちゃったね」と首を傾げながら仰っていました。この時のリサイタルは自分ではその時の自分に出来る限りの演奏は出来たと思うし、自分では満足しているので,何も後悔はないのだが、「商業的」と云われて,「ああ,なるほど」と思い当たる事もありました。
大きなリサイタルをするに当たり,自分の音楽に対する思いよりも、形を作り上げる事に一生懸命になってしまったような気がしないでもない。
そして、その後のコンサートではいつもこの言葉を胸に抱きながら練習に向かっていました。

しかし,今回のコンサートではこの方がとても喜んで下さり「みほさんのあるべき姿がありました。プロの演奏になりましたね」と仰って下さり、私もとても嬉しくなりました。「商業的」と「プロ」の違いさえも分かっていなかった自分が愚かしい。

曖昧にしか理解していなかった「商業的」という言葉でしたが、実はつい先日、知り合いの方がコンサートで弾いていらしたのを聴いてハッとしました。
彼女はまだ若く,これからという面もあったが、とにかく彼女にしかない、彼女の個性がにじみ出ているような演奏でした。全くコマーシャリズムに汚されていない演奏がとても新鮮でした。

私自身、まだまだこれからなのだが、やっと今最初の一歩を踏み出したが気がします。
音楽の道は本当に果てしない.................................................................。

秋晴れ

ずっとすっきりとしないお天気が続いていたが,今日は本当に久しぶりに晴れて、夕方の空がとってもきれいでした。
自分の心をも反映しているようで、ずっと空を見上げていました。

10月10日のリサイタルのご報告が遅くなってしまいましたが、今回は「東日本大震災 芸術・文化による復興支援ファンド」のための募金を会場でさせて頂きました。そして当日ご寄付を頂いた¥22,630を企業メセナ協議会にお送りさせて頂きました。本当に皆様の温かなお心に感謝しております。本当にありがとうございました。

トッパン・ホールでのリサイタル

Toppan%20Hall1_resize.jpg10月10日のトッパン・ホールでのリサイタル。
多くの方に今回も支えられて,そして多く方に来て頂けた事をとても嬉しく思っております。本当にありがとうございました。

いつもの事だが、演奏内容に関してはプラス面もあればマイナス面もあり、これからまだまだ精進しなくてはいけない事もいっぱいありますが、実は今回長年目指していた事で今回初めて舞台上で出来た事があり、自分としてはとても収穫の多いコンサートでした。自分のこれから進んで行く方向性、音楽、コンサートという形で実現したいものを初めて確信出来たように思います。

唐突ですが、昨日、11日は震災から7ヶ月目でした。
今でも被災地では普通の生活に戻るまでの道のりはまだまだ長いです。

リサイタルの最後に弾いたアンコール曲はフランツ・リスト作曲の「コンソレーション(慰め」」という曲でした。実は3月のリサイタルの時に弾こうと思っていたが,弾けなかった曲です。でも今回は6月に被災地でのボランティア活動を一緒にした大槌町のMさんへの祈りを込めて弾きました。

自分の日々の生活や日々の思い,心の動向と実際にコンサートと云う形を通して人と音楽を共有する時間と空間が境界線なく同じ延長線上に存在するようにしたい。
自分の音楽で出来る事は本当に限られているけれども、自分の全てを祈りのように込めれられらるような音楽をこれから目指したいと思っています。

孤独な作業

今日,テレビでジェームス・ディーンの番組をやっていたが、その中でいかに「演技」というのが孤独な作業かという事を云っていた。

今、リサイタル前の最後の仕上げに入っているが,本当にここ数週間つくづく孤独な作業だな〜と感じている。何だか季節的にも人恋しいのだが、遊ぶ訳にもいかないので、生徒のレッスンでの子供達との触れ合いが本当に楽しみである。特にやる気満々だったり、上手に弾いてくれるとさらに嬉しい。

こんな風に書くと、とても暗くなってしまっている感じに取られるかもしれないが、音楽自体とはとても楽しく向き合えているので苦しい訳ではありません(笑)。(2週間前までは確かにちょっと苦しかったけど...。)今は本当に音楽の中の楽しさを追求している作業なので、喜びも大きいし楽しくもあるのだが、やはり一人での作業だから孤独感があるのかしら...?

とにかく、子供達に癒されながら、最後まで追求出来る所まであきらめずに歩みたいと思っています。

南三陸町支援プロジェクトin湘南 チャリティーコンサート

MK%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg9月23日に10月のリサイタルに先駆けて、茅ヶ崎でチャリティーコンサートで弾かせて頂きました。

3月の震災以来、音楽を通して自分なりに出来る事をしたいと思っていたのだが、なかなかそれが形にならずにとても残念に思っていました。

しかし、茅ヶ崎で以前からお世話になっているKさんが、被災地となっている南三陸町名足地区に直接自ら定期的に物資を運んでいるお話をお聞きした時に、その支援となるようなコンサートを考えて下さり、今回のような形を取る事が出来ました。

Kさんのご家族、そして国際ソロプチミスト寒川の皆さんの多大のご協力のおかげで、実現したコンサート。とても和やかな雰囲気で、皆様の温かさに支えられました。本当にこのような形で私も少しでも協力出来た事に感謝しています。

演奏内容に関しては10月のリサイタルに向けてのあまりの気負いと必死さで、反省する点が多く,自分としてはとても残念だったが、翌日に頂いたコメントで大きな発見があり、見失っていた自分を取り戻す事が出来ました。先週までは本当に苦しみながらの練習でしたが、今はとても楽しく音楽と向き合えています。
支援したいと思っておこなったコンサートでしたが、逆にその後に頂いたコメントに救われた思いです。

2011年夏:フランスでのコンサートⅡ

ロンドンからフランスに飛ぶ前にロンドンでのリハーサルは二回。
一回はチェロのLucyとだけで、テンポや全体像の打ち合わせ的なリハーサルでした。実は今回一緒に弾いたBridge Quartet (ブリッジ・カルテット)は数カ月前にこのエルガーのピアノ五重奏を他のピアニストと弾いていたので、カルテットの方としては音楽的な方向性は大体決まっていました。なので、Lucyから大体の感じを教えて頂く、いい機会となりました。

そして、フランスに行く前日に教会で全員でのリハーサル。初めての顔合わせなのに、何だか上手く合い過ぎてちょっと怖い程。第一バイオリンのColin(コリン)が音楽的にもみんなを引っ張っていってくれるので、リハーサルもどんどんはかどる。これも彼が本当に素晴らしい音楽を持っているから成り立つ事で、彼の提案には誰もが納得してすぐに取り入れて行く感じです。もちろんみんなでアイデアは出し合える雰囲気ではあるので、みなそれぞれに気になった事はすぐに修正したり変えていったりもするが、これだけリーダーがはっきりとしていると本当にやり易い。合図やバランスの確認やややこしい所が数カ所あるだけで、後は本当にスムースにいきました。
夕方からリハーサルし始めて終わったのは夜の8時頃。まだ外は明るかったのだが、みんなにお別れを云って、次の日、朝5時出発です!

思い

Gitlis%20Program_resize.jpg今日はバイオリニストのイヴリー・ギトリスさんのコンサートに行って来ました。
80歳を越えた今も精力的に演奏活動をおこなっており、今回は特に震災のためのチャリティー・コンサート、そして被災地での慰問コンサートのために来日しました。

ギトリスさんだけでなく、バイオリニストの木野雅之さん、ピアノの岩崎淑さん、大鼓奏者の大倉正之助さん、そして弦楽アンサンブルと盛りだくさん。プログラムはその場でアナウンスしながらの即興的な感じで、いかにもギトリスさんらしいコンサートでした。圧巻だったのはバッハのバイオリン協奏曲。1回目に弾いたのが気に入らなかったようで、二回弾いたのだが、2回目は大倉さんの大鼓も交えての演奏。最初は違和感を少し感じつつも、徐々に大倉さんの方が音楽を逆に見抜いている感じがして(バッハは予定に入っていなかったようで、その場での即興演奏だったらしいが)他の演奏者が逆に伴奏しているように感じて来た程。クラシック音楽は音階の音がリズムと一緒になって音楽の流れやクライマックスを作るのだが、大鼓奏者はそれをかけ声と鼓の強弱だけで作っているのがよく分かりました。ギトリスさんも空気を読むという事においてはずば抜けていると思うのだが、今日は何だか大倉さんに軍配が上がってしまった気がしてしまいました。ギトリスさんも感心し切っていたよう(笑)。

Gitlis%20%E4%BC%9A%E5%A0%B4_resize.jpgそれにしても、今回のコンサートではプログラムにも被災地への訪問、慰問演奏の模様が書いてあったり、会場に写真が置いてあったり。コンサート内で「色々話したいけど、感情的になっているから後で話す。」と何回もいいながらも結局最後まで地震の事については一言も話さなかった。こんな凄い巨匠と一緒にしてはいけないのかもしれないが、勝手にニューヨークのリサイタルで話をしたら弾けなくなってしまった自分と重なって、救われた思いがしました。(実際は全然違うのかもしれないけど...。)

プログラムの後援のところにイスラエル大使館とカトリック渋谷教会が名前を連ねていました。ユダヤ人のギトリスさんを迎えてのイスラエル大使からのメッセージが書いてあり、そして被災地ではカトリック石巻教会の受け入れがあったお陰で慰問演奏が可能になった事が書いてありました。宗教を越えて、国境を越えて、本当にみなが今とにかく助け合ってこの災難を乗り越えよう、という思いがひしひしと伝わって来ます。政治家も見習って欲しい...。

コンサート・グランド

%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E_resize.jpg先日,秋のリサイタルのピアノ選びをするためにホールまで行ってきました。

コンサート・グランド・ピアノを弾く機会が頻繁にある訳ではないし、友人のピアニストによってはコンサート・グランドは重い、という印象があるらしいので、ホールに行くまで何だか少し気負ってしまったのだが、弾いてみたら弾きやすい、弾きやすい(笑)。そういえば、楽器が大きくなると,音が出やすくなるのを忘れていました。とにかく音が延びるので力まずに音が出る。やはり気持ちがいい。

秋のリサイタル、何となくイメージは出来ているのだが,ピアノを選んだ事でプログラムの最終調整に入っています。ピアノの音色で色々とアイデアが広がって今が本当に一番楽しいとき(笑)。

今ひとつ

先日,テレビで将棋棋士のドキュメンタリーをやっていました。世代交代を象徴する羽生名人と若い渡辺明竜王の二人を取り上げていたが、棋士の思考の仕方や勝負に関して色々と知る事が出来て、将棋をよく知らないながらもとても興味深かった。将棋はやはり真剣勝負だから面白い。最近、テレビ等でよく目にするクラシック音楽は,心地よさや楽しさや癒しを安易に提供してくれるが、本当にクラシックの真髄に迫ろうと思ったら,真剣勝負以外の何ものでもないように思う。なので、将棋の世界はとても参考になります。

色々と面白いと思った事があったのだが、一つは一回間違った、というか失敗した手を打ってもそれで勝負が決まる訳ではない、と初めて知りました(笑)。一回まずい手を打っても意外と挽回出来るらしく、2〜3回はチャンスがあるらしい。私はてっきり一回の失敗も許されないのだと思っていた。

もう一つはやはり棋士によって癖があるらしい。それも打つ手というよりも、攻め方の特徴。「中盤から終盤に追い上げて来る」とか、「終盤で粘る」とか。そして、渡辺棋士はパソコンを使って自分のだけではなく、殆ど全ての勝負のデーターを取り入れて研究しているらしい。

一番「なるほど」と思ったのが渡辺棋士の言葉。羽生名人との勝負で追いつめに追いつめられ、「今ひとつ」の手を打ち続ける羽目に。苦しい中で「今ひとつ」の手を続けていたが、ある時に危険だけど『今ひとつだけど「好きな手」』を打とうと決心。それまでは『今ひとつだけど「嫌いな手」』だったらしい。そしてこの一手がきっかけでこの勝負,結局勝ったとの事。

この言葉を聞いて,自分の今までの音楽もこうだったのではないかと妙に納得してしまいました。今、やっと自分の手から出て来ている音楽が自分がまさにやりたいものに近づいている実感がある。では、今までは何をやっていたんだろうか、と思うと「今ひとつだけど、自分の好きな音楽」ではあったと思う。自分の嫌いな音楽を演奏する事はなかったが、いつも「ちょ〜っと違うんだよな〜」という感覚がぬぐい去れなかった。渡辺棋士の「今ひとつだけど好きな手」が正にそれを言い当てているように思いました。

音楽は自分との戦いだが、勝負の世界から学ぶ事が多い。勉強になります。

追記:昨日、またテレビで渡辺棋士がリーグ戦で会場入りする所を映していたが、赤い靴にバーバリーのコート、そしてコートを脱いだら、ネクタイもワイシャツも素敵でびっくり。顔は地味な感じだけど,オシャレなんですね(笑)。

運命

秋のリサイタルのためにインターネットで色々とアイデアをもらおうと曲探しをしていたら、短いながらも、とてつもなく美しい曲に出逢いました。夜中の静かな時間に一人で大感動(笑)。知らない素晴らしい曲に出逢えてとっても嬉しくなりました。次のコンサート・プログラムには絶対に乗せようと思っています。

それが...。

今日,朝の教会の御ミサが終わって、最後にオルガンの方が送奏をしだしたら,何だか聴いた事のある曲。。。そう、数日前に出逢った,あの曲でした!
つい3日前に初めて出逢った曲なのに!!!
「偶然」という言葉では収まり切れない驚きがありました。運命を感じています(笑)。

曲名は敢えて書かないので,これが何の曲か知りたい方はぜひ秋のリサイタルにいらして下さい!

山あり谷あり

Tascam_resize.jpg練習に集中していたらまたブログが滞ってしまった...。
そしてブログを更新しない間に練習は色々な段階を経て来ました。

削ぎ落としに削ぎ落とす方向で練習を進めていたら、弾いていてもどんどんと曲の骨格が見えて来て余計なものが付かなくなりました。勝手に付けていた「感情」も意識しなくても削がれるようになって弾いていると、まるで自分が弾いていないかのように客観視出来ているような気になって、完全に自分の感情とは関係なく「自分を明け渡している」ような感覚でした。
自分でもこれには大満足で、やっとここまで来れたか、と自分でもハッピーでした。
ちょうどこの時期にグレン・グールドの記事を読んでいて彼がバッハの「フーガの技法」の曲について次のように語っていました。『これらの曲は,果てしなく続く灰色の陰影の世界です。私は灰色が大好きなのです。実は、シュヴァイツァーが素晴らしい事を云っています。『静寂で厳粛な世界、荒涼としていて厳しく、色も光も動きもない』と。」

これを読んで、自分の今の演奏自体も「灰色の世界」,水墨画のようなのかな〜と考えていました。演奏する側としては敢えて、色を付けず、聴き手側の心や想像に任せる感じなのかな〜と、妙に納得してしまいました。

ところがリサイタルも一ヶ月前に近づいて来ていたので、先週位から録音をし始めました。「調子がいい」と思い込んでいたのだが.....。

聴いてみて、愕然........................。

こんな事になっていたとは!!!
水墨画どころか,全く何もない!!!灰色一色の濃淡も何もない音楽になってしまっていた。そのあまりの面白なさ,魅力なさに大ショック。青くなってしまいました。どうしよう...。

しかし、コンサートも一ヶ月後なので落ち込んでいる暇もなく、すぐに改善に乗り出しました。ここからが面白いのだが、削ぎ落としに落としていはいたので,脚色する方はそんなに大変ではなく、逆に今までにないくらいに,楽しい。渋谷の超厚塗りの山姥メークを全部取って、スッピンにした状態に,今度は自分の顔を生かしたメークをするような感じでしょうか。素顔が見とれる程美しければそれが一番良かったのだが、そうもいかなかった(笑)。

昨日は初めての全曲通し練習。録音してみたら、ずっと良くなっていた(ホッ)。面白い事に結構自由に思いの向くままに弾いても,骨組みはしっかりと身に付いているので、音楽が壊れる事がなかった。あそこまで削ぎ落としたのは無駄ではなかった(笑)。

それにしても自分の演奏を録音するのは本当に大切。参考にしかならないが、色々と気付かされたり,考えさせられたりする事は間違いない。録音するのは憂鬱(自分と向き合わなくてはいけないから)だが、覚悟を決めて,録音して本当に良かった(笑)。危ない,危ない...。

進化?

昨日の素晴らしいコンサートに触発されて、今日は超張り切りモード。
今朝練習を始めるのが楽しみでしょうがなかった。最近ずっと調子が良くて練習も軌道には乗っているが、逆に一日一日の進歩は着実ながら、あまりに少しずつしか前に進まないので、少し気持ち的にだれていたように思う。
しかし、昨日のコンサートで急にやる気がモリモリとまた湧いて来た。あそこまで追求しなきゃ、というのと、あそこまで自分の感情を削ぎ落としに落としても音楽は豊かで面白いんだと云う希望を持って今日は練習に励みました。

目指すものを見せて頂いたおかげで、はかどる、はかどる。一晩の間に色々な問題が一気に解決。以前に友人が動物の進化の話をしてくれて、何かのきっかけである種の動物が進化すると、全然遠く離れた所にいる(地球の裏側だったりするらしい)その同じ種の動物も何もきっかけがないのに進化するらしい、と教えてくれました。

今日はまさにそんな気分。練習のおかげではない、自分の中での大きな『進化』があったような気がする。Yさんに大感謝。

人はみかけ?

もう14年程前になるが、イタリアの小さなコンクールを受けに行きました。当時ロンドンに住んでいたので、私はロンドンから行ったのだが、ヨーロッパに留学していた多くの日本人が参加していました。もちろん日本からの参加者もいたので、日本人が結構多かった。小さな街の小さなコンクールで、練習時間も一人数時間しかピアノがあてがわれないので、暇つぶしに街を歩いていると必ず誰かに会う状況です。大きなコンクールとは違ってぴりぴりしている訳でもなく、一人で来ている人も多いので、会えば一緒に散歩したり、お茶したり、食事したり、ととっても雰囲気のいいコンクールでした。この年の課題となった作曲家がブラームスとベートーベン。3次まであるコンクールで、課題曲も多かったので、やはりブラームスやベートーベンをレパートリーとして持っている特殊な傾向のピアニストが多かったように思う。考えてみると他のコンクールをいくつか受けているにも関わらず、コンクールがきっかけで知り合った人と連絡を取り続けているのは、このコンクールで出逢った人達だけです。ブラームスとベートーベンが好きな人は(完全に偏見ではあるが)音楽に対してだけでなく、人間的にも誠実のような気がしてしまう。

コンクールの1次予選、2次予選は非公開で、私は1次でさっさと落ちてしまったので、すぐに気晴らしにコモ湖に向かってこの街を出てしまったのだが、その結果、私はこの時に出逢った他のピアニスト達の演奏を一人も聴かずに帰ってしまった訳です。

11-02-09_21-04_resize.jpg前置きが長くなってしまったが、このコンクールにフランスから参加していたYさんがいました。当たりがとても柔らかく、穏やかな優しい感じなので、初めて街で会った時も気軽に話しかける事が出来ました。私もロンドンを離れてからは音信不通になってしまったのだが、時々日本でのコンサートの宣伝を見たりしていたので、いつか聴きに行きたいな〜とずっと思っていました。

そんな中、全く違う用事でやはりこの時のコンクールで知り合った京都に住んでいるM君と電話で話していたら「今度Yさん東京文化会館でリサイタルやるよ」と教えてくれました。今、自分のリサイタルの練習を最優先にしているので、直前まで迷っていたのだが、今日は練習が意外と効率良く出来たので、行く事にしました。

本当に行って良かった(笑)!!!!!
ここ10年くらいのコンサートのベスト5に入る、本当に素晴らしいコンサートでした。
とにかくびっくり。
舞台に出て来た時は10数年前の印象のまま。とても優しい感じで全く気負いもない。なぜか分からないが、お辞儀がとってもいい(笑)。姿勢がいいせいなのか、偉そうではないのに「立派」(私が書くのも変だが...。)な感じがするし、その上に誠実さが伝わって来る。

それにしてもびっくりだったのが演奏。最初の曲はモーツアルト。これはイメージ通り。音の作り方が丁寧で、和音の響かせ方が美しい。やはりブラームスを弾く人は和音の響かせ方が独特だと思う。

次がベートーベン。段々と本性が現れて来ました(笑)。音楽の追究の仕方が半端じゃない。色々なコンサートに行って最近とにかく気になるのが、安易に音楽を形よく上手に作り上げた演奏が多い事。深く追求する事がないから、みんな同じような演奏になってしまう。20世紀前半の演奏家の演奏を聴くと「同じ曲なのにこんなにも違う解釈なのか」と、驚かされてしまう。音楽的な追求の深さが「個性」を浮かび上がらせていた結果のように思う。

Yさんのベートーベン。とことん正統派なのにとにかく面白かった。曲の骨格がしっかりしているから個性が出ていても鼻につく事がない。ユーモアのセンスもたっぷり。(日本人でユーモアを感じれた演奏家は初めて!)。何回も聴いた事がある曲なのに、次にどう出るかが全く見えない。まるで、新しい曲を弾いているかのようで新鮮な気持ちで聴けました。

次にメシアンの曲、一曲。これはあまりしっくり来なかったが、この後にストラヴィンスキーのペトルーシュカ。これにとにかく唖然。「この人、こんなに凄い人だったんだ...」と驚くばかり。テクニックも凄かったが、魂の奥底から出て来る燃えたぎるような情熱にただただびっくり。ぐいぐいと聴き手を引っ張って行って、素晴らしいの一言。「まだ前半なのに、こんなに全て出し切っちゃっていいの〜〜〜?」と心配になっちゃいました。弾き終わったら、あまりの凄さに思わず唸ってしまいました。隣の人も唸っていたけど(笑)。パワフルな演奏をする人はいっぱいいるけれど、内側から来る情熱的な演奏を聴いたのは本当に久しぶり!!!また、あの穏やかで物静かな印象のYさんから出て来ているのが未だに不思議でしょうがない。凄いギャップだ!

そして後半がムソルグスキーの展覧会の絵。こんな「展覧会」聴いた事ありません(笑)!
何回も聴いている曲なのに、とにかく新鮮。新しい発見がいっぱい。媚びた演奏でもひけらかすような演奏でも自己陶酔の演奏でもなく、本当に誠実に音楽を魅せる「Yさんの展覧会の絵」でした。音楽が大きい。懐が深い。ただただ、感嘆。

今日はとにかく音楽の醍醐味を堪能させて頂きました。音楽を壊す事なく、でも自分を表現し切っていると云う、コンサートのあるべき姿で、大感激でした。

終わって、ご挨拶に出て来たYさんはまた穏やか〜な優しい感じのYさん。本当に人って見掛けでは分からない事がいっぱい(笑)。

余計な事

前回のブログを読むと、何だか曖昧過ぎて怪しい感じかも、と心配になって来たのでもう少し詳しく書く事にしました(笑)。

弾いている時の肉体的な快感と書いてしまったがこれは気持ちがいい、とか心地がいいという事ではなく、楽に音楽の流れに任せて自然体で身体が動けているかどうかを指している。テクニック的な難しさから指を必死に動かそうとするあまり腕や肘、手首に負担が掛かったり(腱鞘炎の原因にもなる)、思い入れが強くて肩や顔に力が入ってしまったりするので、それをいかに脱力して「楽」に弾くかを追求してしまっていたのです。

そして、もう一つの落とし穴だったのが、自分の思いの限りを表現している時や自己実現が出来ていると思っている時に生じる快感。これは発散であったり、充実感/満足感であったりするのだが、これも見当違いな事でした。

音楽の本質が見えて来た今となっては、それは本当に余計な事で音楽とは関係ないところに存在しているものでした。こんなに長い間勘違いしてしまっていた自分が恐ろしい...。

謙遜

毎日規則正しく練習出来ているせいか、日々進歩があり、どんどんとコンサート準備がはかどっている。新年になってからフォーカス出来るようになって心も身体も調子がいい。

「謙遜」という事を意識して音楽に向かうようにしていたら、どんどんと音楽の本質が見えて来ました。いかに今まで自分の感情が音楽そのものの邪魔をしていたかがつくづく分かる。イギリス時代の先生の影響でピアノを弾く時の肉体的な快感というか安定感を追求してしまっていたように思うが、今は全く自分の感情や身体の感覚さえもを削ぎ落としに落として音楽を純粋に追い求めているので、肉体的な快感は全くなくても精神的な快感が相当ある。やっと音楽に辿り着いている気がして、凄く嬉しい。

音楽自体が持っているパワーは自分の感情なんかをはるかに越えているので、音楽に内在している凄い発信力を感じてる。こちらも相当気合いと集中力がいるので、夜になるとくたくたになるのだが、練習から元気をもらっている事も確か。調子のいい今のうちにどんどん前に進まなくては!

透明

前回のブログで「謙遜」と「透明」というのを課題にしていると書いたが、この「透明」という言葉がさらに発展している。

「自分を透明にする」というのはとても曖昧なようだが、自分の中では感覚として音楽に対しての自分の立ち位置というのが定まった気がします。透明な時と透明でない時が良く分かるようになったので、自分で修正出来るようになっているのが大きな進歩です。おまけに「自分を透明にする」という事を目指していたら、音までもが透明になる瞬間があって、実は私はそういう音を目指していたんだったという事を再発見している。中学生くらいの時(自分がまだ純粋だった頃という事だろうか!)にはそれが自分にとっての最大の目標だったのを思い出しました。勿論、今となってはそれだけでは足りなかったという事がよく分かるのだが、自分にとっては大切な「透明度」をすっかり忘れていた事に気付きました。(いい音が必ずしも透明とは限らないのがまぎらわしい。)原点に戻った感があるが、とにかく今練習が楽しい。今まで自分で作っている音楽のはずなのに「ちょ〜っと違うんだよね〜」といつも何だか違和感が残ってしまっていたのだが、やっと今、自分の作っている音楽がしっくり来ている実感がある。

大分前に知り合いの方がある料理研究家の話をして下さった時に、「その方は野菜を茹でていると、野菜が一番美味しい瞬間が分かるんだよ。野菜が透明になる瞬間があるらしい」と云っていたが、私もいつも料理をしている時にこの事は感じていた。ずっとお鍋の側で茹でている人参を見ていれば、透明になる瞬間は素人でも分かる。

自分は今音楽を作っている側だから、こうして色々と考えたりして試行錯誤でこの「透明」を探さないといけないのだが、聴いている方としては感覚的にこの音の違いが分かるはずだと信じて、今一生懸命練習に励んでいます。

謙遜と透明

Christmas%20wreath_resize.jpgキリスト教の暦ではクリスマスは12月25日に始まり1月6日に終わる事になっている。なので、クリスマスの飾りも昨日まで飾ってありました。今回は生徒達のコンサートがあったので、相当気合いの入った飾り付けだったが、片付けながら、「良く頑張ったな〜」と自分の頭を撫でてやりたい思いでした(笑)。どうりで忙しかった訳だ...。

クリスマスとお正月も過ぎて、やっと何だか精神的にも落ち着いて来ています。 クリスマス・カード書きやプレゼント、年賀状、と人との触れ合いが楽しい時期のはずなのに、それが妙にプレッシャーになってしまった昨年暮れだったが、今年はもっと心の余裕を持ちながらその季節を迎えたいものです。

新年になってからは練習も大分軌道に乗り、久しぶりに本格的に音楽を追究出来る心構えになってきました。昨年の暮れに色々と自分の中に新しい風が入るきっかけとなる言葉が二つあり、今はその二つを軸に練習に励んでいます。一つは「謙遜」。これは音楽に対してではなく、全体的な事で私自身の中でバランスが悪いのではないか、と指摘された事でしたが、実生活での自分の動向をどのように変えたら良いのかあまり分からなかったので、一先ず音楽の中で理解しようと思った所、すぐに自分の音楽の中での「傲慢さ」を発見する事が出来ました。いかに音楽の前で謙遜であるべきか。自分でも今まで気を付けていた事だが、自分の感情や心を差し出す事が謙遜と誤解していた事に気付きました。

そして、これと同時進行で大きく共感出来た言葉が「自分が透明になる事」。「透明」という言葉は自分の中からは出て来なかった言葉のように思う。いつも自分をなくす事、(エゴをなくすという事だったと思うが)を考えていたように思うが、それでは「自分」をどう表現したらいいのか、という事と相反していてなかなかそのバランスが取れなかったように思う。しかし、自分が透明であれば、音楽も自分も共存出来るという事で、これも自分にとってはとても大きな発見でした。

自分がどれだけ謙遜で透明になれるかが今の課題です。

イギリスつながり

今日は相当インパクトのあるコンサートに行って来たので、イギリスのブログは一休憩。

先週の半ば程に体調が何となくおかしくなり、あんなに気を付けていたのに熱中症(熱射病?)になってしまったよう。ず〜っと何となく体調が今ひとつ。とても元気に過ごせる時もあるが、波のように急にだるさと体の不具合がやって来てしまう。なので、ここ数日は練習と生徒達のレッスン以外は体力を温存するようにしている。

そんな中、以前にもブログに登場している15歳のチェリストA君のコンサートがあり、ぎりぎりまで体調を見て、今日は何とか大丈夫そうだったので行く事に。

行って本当に良かった(笑)!!!!!噂には聞いていたがここまで凄いとは失礼ながら思わなかった。まず出て来た時から風格がある(笑)。最後に会ったのは一緒に海水浴に行った一年前。背も伸びているし、いつもはTシャツ姿しか見ていなかったので、凛々しい姿がかっこ良くてびっくり。(いつもスッピンで全然おしゃれじゃない自分を見ている人がステージでの私を見てそのあまりの違いに驚いたとよく云われるのだが、こういう感覚なのかな〜と初めて自分で実感出来ました...笑)

おまけにプログラムも凄い。イギリスに留学しているせいか選曲が素晴らしい。リゲッティ(近代)とバッハの無伴奏曲にブラームスとドビュッシーのチェロとピアノのソナタ。センスの良さと情の深さには目を見張るものが。ピアノを弾いていらしたお姉様も素晴らしく、二人とも情熱的なのに音楽に対しての謙虚さが伝わって来て、本当に聴いていて音楽が純粋に聴こえて来ました。私自身思い入れのあるブラームスは人の演奏を聴くと物足りなく感じてしまう事が多いのだが、今回は本当に大満足。この暑いのに、自分もブラームスを凄く弾きたくなりました。

A君が演奏している姿を見ているうちに(全然レベルが違うので一緒にするのも申しわけないのだが)自分の中学の頃を思い出しました。まだ10代の時は自分の思いというのを上手く人に伝えられないものだが、ピアノを通してだけは言葉や態度では伝え切れないものを表現出来ていたように思う。それがピアノが凄く好きだった一つの理由だった気がする。今日のA君を見ていても、「10代にして、もう既にこんなにも自分を表現する手段を持っていて、本当に幸せだな〜」とつくづく思ってしまった。

自分もここから出発していたのに、大人になってからはなかなか自分を表現し切っている実感がないのが最大の悩みだったが、今日のA君の演奏を聴いて(というか見て)何か凄い事を思い出せたような気がします。

家に帰って来てむさぼるように3時間程練習。15歳のA君から受けたインスピレーションで本来の自分の音楽を再発見できるかも...。

色々な段階

お陰さまで、「欧州への旅」のサロンコンサートも大盛況のうちに終わる事が出来ました。たくさんの方に来て頂けた事、そして色々な方のサポートのお陰で無事にコンサートが終了出来た事に感謝しております。

今回は以前から何回か一緒に演奏をしているオーボエのNさんとのコンサート。2ヶ月前から長時間のリハーサルを積み重ねて来て、本当に表面的なものではなく、今の自分たちに出来る限りの音楽追究をして向かえたコンサートでした。コンサートの企画の段階で色々とアイデアを出し合うのは楽しく、色々とイメージが膨らんで行きますし、新しい曲を見るのも楽しいものです。しかし、実際の音楽作りはある程度出来上がって来ると、その音楽内容的な難しさに直面して楽しいとだけ思えるものではなくなって来ます。ここが本当に勝負だと思っているのですが、この壁に当たった時にいかに良いものを作り出して行けるか、そこで妥協をせず先に進めるかが本当に大切だと思っています。
今回は最後の3週間がこの山だったように思います。そして、この3週間の間に実にオーボエとのアンサンブル、そして自分の弾き方も相当変わったような気がします。

曲も弾けて来て、アンサンブルとしての音も合って来ると音楽的な内容の浅ささを実感させられてしまいました。そんな折、オーボエのNさんも色々とご自分の音楽で大きな発見があったようで、私が中国から帰って来た後のリハーサルで音楽ががらっと変わっていました。「置いて行かないで〜」という思いでしたが、たまたまそのリハーサルをした夜に素晴らしいコンサートに行き、自分の中でも変化が起き始めました。それは、バイオリニストのHさんを中心とした室内楽のコンサートでしたが、とにかくこの日はHさんの(音楽と云うより)演奏に感激しました。実は私が小さい時に習っていた先生がHさんとよく一緒に演奏をしていらしたのだが、私がまだ中学生の頃にレッスンで「Hさんは無意味な音が一音もない。みほちゃんもそうしないといけない」と云われたのを急に思い出しました。まさに今回の演奏がそうでした。一音も思慮に欠けた音はないように思われました。本当に素晴らしい演奏でした。

早速帰って来た翌日にこれを意識して練習すると、いかに流れに任せて弾いていた音が多かったかに気付きました。流れがあるのは良いのだが、流れを作っている一音一音に意識がなくてはいけない事に気付きました。

そして、数日後、今度はソロの曲を友人に聴いてもらう事にしましたが、その時に友人も「バイオリンなしの伴奏だけだけど聴いて欲しい」というので聴かせて頂きました。流れがあまり聴こえて来なかったので「旋律を考えながら弾いてる?」と聴いたら「全然考えてなかった。もう一回やってみる」というので弾いたら、あっという間に流れのある素晴らしい音楽になったので、これもとても考えさせられました。人とアンサンブルする時に私自身は逆に「こういう流れでくるのではないか?」と想像し過ぎているのでは、と思い始めたのです。実はオーボエとのリハーサルで録った録音を聴いた時に、とっても合わせるのが難しい所が意外と合っているのに、「ここは誰でもちゃんとオーボエの流れを聴いていたら合わせられるでしょう」という、いとも単純な所が合ってなかったりしたのが不思議でした。自分の中での流れに執着していたのだと思います。

今回のオーボエのNさんはとっても自然な流れの音楽を作るので、自分自身の音楽の流れを考えされました。自分自身の流れ、そしてもう一歩発展してNさんの流れでもない、音楽自身の流れはどこにあるのだろうか、というのを最後探すようにしていました。なので、私でもない、Nさんのものでもないが、この二人のアンサンブルだから見えて来る流れを探そうと目指していたのだと思います。(これは結果として今思っているのですが...笑)。

この発見は自分のソロ演奏にとっても大きな発見で、自分の流れではなく、音楽の流れはどこにあるのだろうか、と探しているうちに自分がどんなにか流れをせき止めていたかに気付かされました。それは、やはり音楽に羽が生えて飛んで行ってしまいそうなのを、こわくなるので押さえ込んでしまっていたのです。それに気付いたら、本当に自由になった上に自分のやりたい音楽がどんどんと見えて来ました。

なので、今回のコンサートの自分の中での目標は「自由」でした。オーボエの音楽を縛らない、自分もこわがらずに押さえ込まずに流れに乗る、そして最終的に音楽に身を任せる。ソロ曲は全然ここまで到達出来なかったのが残念だったが、アンサンブルの曲は相当理想に近づけたのは嬉しい。本当に今回は色々と大きな発見のあるコンサートとなりました。次回のコンサートでさらなるいい演奏が出来ますように。。。

追記:コンサートの感想で「元気な演奏」「飛んでたけど。。。(飛び過ぎを暗示しているのだと思うが)」というコメントがあったがこの自由が反映していたのかな〜とも思う。「自由」の「加減」を次回は出来るようにしなくてはと思う(笑)。

いよいよ

相当作り上げて来たオーボエとのサロン・コンサートもいよいよ明日(今日)です。お陰さまで第一回は完売、第二回も当日券はないと思われますので、今回いらっしゃれなかった方はぜひ次回に!

追記:中国旅行記はコンサートが終わってから書きたいと思っています!

背後にあるもの

今、音楽に関しての発見が毎日のようにあるので、書きたいものは山ほどあるのだが、忙しくてなかなかブログを書けないのがとっても残念。

しかし、今日特に心に響いた言葉に出逢ったので、その感動を忘れないうちに書き留めたいと思い、ブログを書いています。

近所に住んでいらして親しくしているMさんが生け花の花展に招待して下さいました。前にもご招待下さり、生け花の世界を私に紹介して下さった方です。今回はある流派のものだけだったので統一感のあるお花展でとても興味深かったです。

お花がメインの生け花の作品ばかりの中、Kさんは「葉」5枚だけでの勝負で本当に感服しました。削ぎ落としに落とした、勇気のある作品で究極のマイナス美でした。

そして、会場内に展示と共に書いてあった家元さんの言葉。
『目に映るものはただ色や形にすぎない。しかし、人が感動するのは目に見えない背後にある真(まこと)の姿である』

これはまさに音楽に云える事だと思う。特にクラシック音楽なんて世界で何千人(万人?)と同じ曲を弾いているのに、本当に感動する音楽を作っている人達というのは悲しい程に少ない。「真」を見いださない限り、「美しさ」だけでは感動は生まれない。
音楽の背後にある『真』の姿。自分なりに探し求め続けなくては、とつくづく思う。

距離感

季節が良くなって来るのと共に力がモリモリと湧いて来ています(笑)。つくづく冬が苦手なんだな〜と我ながら思う。

6月のコンサート準備に励んでいる毎日。練習もとても調子がいいので全然苦にならないが、新曲が多いのと弾き方が変わったりしているので、やたらと練習に時間がかかる。進歩があるのはいいが、他の生活面にしわ寄せが来ているような気がしないでもない。

この一年色々と考えてきた末に、段々と進むべき道筋も見えて来て、出来る事からやり始めているが、そのお陰で色々と発見がある。

その中で見えて来た大きな発見が音楽との距離感。これがなかなか難しくて20年近く悩んで来た事だと思うが、ここへ来てこの答えが出始めているような気がします。
完全に自分を音楽の中に投入したいと思いながらも、演奏者としては客観的な視点も必要である。この二つをどう同居させるかが自分にとっては最大の悩みだったように思います。

それが、少し前のブログにも書いたように「自分が感動する音、音楽をとにかく追求する」という練習を続けているうちに、答えが見えて来ました。「感動」している時というのは完全に自分が音楽の中に入り込めた時なのだが、その感動している自分を「見極める」という作業は客観視している自分なのである。なので、意図はしていなかったのだが、完全に自己投入している自分と客観視している自分が同時に同居できる状態が可能なのだと確信している。 

中学、高校の頃は自分の世界の中だけで音楽を作っていたので、この事が自然と出来ていたように思うが、大学に入ると外の大きな世界に魅せられて自分の音楽は大きく揺らいでしまったのだと思う。今は外の世界を知っていながら、自分の世界を再発見している感じです。やっと自覚を持った自分の音楽が作り出せそう。

追記:遅ればせながらコンサート情報をインフォメーションページにアップしました。
ご興味なる方はぜひいらして下さい!

トンネルの向こう

やっと抜けました(笑)。長いトンネルを抜けて久しぶりに心が解放された感じです。

気持ちが落ち込んだり、重くなったりしている時というのは一つだけの事が原因ではなく色々な事が重なってしまう事によって起きてしまうのだと思うが、抜け道も同じようにあらゆる事が相乗効果となって気持ちが解放されるのだと思う。

ここ数日、やっと晴天が一日だけでなく連続して素晴らしい快晴となっているのも、もちろん一つの要因。一日だけの晴天とは違って、空気も軽く、光も眩しい。

一つは6月に予定しているコンサートの曲目がやっと全曲、手のうちに入って来たという事。
今回はオーボエとのコンサートだが、一時間プログラムが二つ。ほぼ全曲が新曲なのでこの一ヶ月近くは譜読みがメインの練習。新曲というのは一日二日で出来上がるものではなくじわじわと自分のものになっていくので、ここ一ヶ月は自分のものになっていないものを大量に抱えていた状態。不完全な1時間半分の曲を抱えているのは気分的に相当もやもやします。
 先週、今週とオーボエとのリハーサルがあり、一応全曲を合わせました。初めての曲が多いだけに長時間のリハーサルとなったが、全ての曲の方向性が決まったので、相当自分の中での整理が出来ました。そして、今日は久しぶりの一日練習。今回のコンサートで弾くソロ曲もやっと暗譜をして、弾き込みを始められるところまで来ました。という事で、6月のコンサートの全体像がやっと見えて、もやもやしていたのもすっきり。

最後の決定打となったのが、今ロンドンから来日しているピアノの先生との会話。色々と考えたり、思ったりしている事よりも、今ピアノが弾けるという事に本当に感謝しなくてはという気持ちになりました。

今日、たまたまラジオを付けていたら、書道家の方(武田層雲さんだったと思う)のインタビューをしていたが、彼は何事にも感動すると云う話をしていました。自分も相当の感動屋だと思っているが、この人は比ではなかった(笑)。朝起きた瞬間の布団の感触から、床に足を置いた時の感触、顔を洗う時には水の素晴らしさ等などに感動するらしい。本当に日々の生活の中にもあらゆる感動は存在しているんだ、とはっとしました。

色々と考えたり、思ったりする事も必要だとは思うが、今はそれももう一区切り付けて、とにかく今出来る事、今自分のいる状況に感謝して頑張ろう、と今日の夕方頃(笑)にはっきりとポジティブに思えるようになりました。

バランス

音の大きさという問題は一人でもなかなか難しいのに、アンサンブルとなるとさらにややこしい。演奏者はホールの大きさや響きを考えた上で相当調整はするのだが、やはり本番前には客席で誰かに聴いてもらって意見を云って頂く事が多い。

先日、おこなったヴァイオリンとのコンサートでは、調律師の方がリハーサルを聴いて下さっていらしたのでピアノのふたの開け具合や音量などの感想をお聴きして本番にのぞみました。

そして、実際のコンサート。印象や好みによって感想も本当に様々(笑)。「ヴァイオリンとのバランスが良かった。ピアノがあんまり出過ぎるとげんなりしちゃうのよね〜。」や「ヴァイオリンの音が浮き立って聴こえて良かった。」という意見もあれば、『ベートーベンは「ヴァイオリン・ソナタ」じゃなくて「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」なんだから、ピアノがもっと対等でも良かったんじゃない?」』や「ピアノが伴奏に徹していて物足りなかった」というご感想も。

全ての人を満足させるとことはもちろん出来ないのだが、色々な意見を胸に色々と考えさせられます。

人の感想や意見というのは本当に貴重です。どうでも良い演奏だったら意見も感想も云って下さらないのだろうと考えているので、時間を取って聴いて下さっている人の感想は良いにしても悪いにしても大切にしています。

前回のブログで書いた発表会で弾いた時の母の言葉やその時の情景は今では自分の財産です。子供ながらにショックだったし相当傷つきましたが、それ以来私は日本にしろ、海外にしろ、大きな会場で弾いても一度も「音が小さい」とは人に云われた事がない(笑)。口もきいてくれないくらいに不機嫌になってしまった母の態度も相当なインパクトと影響力はあったと思っているが、高校生の時に云われたその言葉には本当に今では感謝している。

印象

前回のブログで書いた「力ずく演奏」は他人事ではない。自分では音や音楽に出来る限りの心配りをしていても実際に出て来る物が予想に反する事が随分と多い。

11月に久しぶりに日本でおこなったリサイタルのコメントに「音が大き過ぎたのでは?」というものがありました。自分の音楽を支えて下さっている方二人からのコメントだったが、意外だったのがコンサートの全プログラムを通して音が大きかったように感じたらしい。

音というのは座っている場所やその人自身の体や心の状態も関係して来るのだが、「音量の問題ではない気がする」と、そのお二人が仰ったように「大きすぎる印象」を与えてしまったという事である。私も実はここ最近、ピアノ・リサイタルを聴きに行くと結構「うるさい」とまで感じてしまう演奏が多いように思う。

楽器をフルに鳴らせるというのは、それはそれで素晴らしい事なのだが幅が足りないと云うことなのだろう。自分は高校生だった時に、発表会で完璧に弾けたと思って意気揚々と観客席で聴いていた母の所に戻ったら「音が小さかった」とひと言だけ云ってその日はもう口もきいてくれないくらいに不機嫌になってしまったという経験があったので、それ以来音の大きさに対してはずっとコンプレックスを持っていた。音の大きさに対しては人並み以上に気にするようになっていたように思うし、いかに大きな音を出せるかが自分の中で目標になっていたように思うがその使い方が上手くいっていないのだろう。

大きな音というのは絶対に必要なのだが、その大きな音に説得力がなければ全く意味がない。ロンドンに住んでいた時に学生のコンクールを友人と聴きに行ったのだが、遅れて行ったのでピアノのふたの真ん前の席しか空いていませんでした。小さなサロンだったのでピアノからの距離は1mもなかったように思う。それなのに、一人の学生が思いっきり激しいベートーベンのソナタ(熱情?)をガンガンに弾いていたのに目の前で爆睡してしまいました(笑)。コンサートで寝る事が滅多にない私なのに!友人に「あんなに大きな音で弾いていたのによく寝れるね〜」とあきれるどころか感心されてしまったのだが、音楽を通り越して、ただの騒音(騒がしい音)になっていたのだと思う。

人が感じる音の大きさというのはまさにその人の「印象」なのだが、その印象もやはり「大きすぎる」と思わせないようにするにはどうすればいいのかも考えなくては、と思っている。「音が大きすぎる」とコメントがあったその場で違う方は「ちょうど良かった」と云う方もいるのでなかなか難しいのだが、しかしこれからの演奏を考える上での要素となっている。

コメントは色々と参考になるので、100%それを取り入れる訳ではないが、やはりもっといい演奏をするためには欠かせないものと思っています。
専門的なご意見も勉強になりますが、やはりコンサートを聴きに来て頂いた方からは、演奏がどうのこうのより、その方がどのように感じたかを云って頂けた時が一番嬉しい。
ちなみに昨年のリサイタルで本当に素敵なコメントを色々と頂いたのですが、一番嬉しかったのは「みほさんの演奏を聴いていると好きな人の所に心が飛んで行く」というものでした。この言葉には私も感激でした。

色々な方から頂いた、たくさんの言葉で今日もピアノに向かっています(笑)。

0.00%

今日やっと春らしい天気になって少し気分も明るくなりました(笑)。

相変わらず色々と音楽的に考えさせられる毎日ですが、先日電車で見た広告が今色々と思っている事と妙に一致しました。

ポスターには大きく「0.00%」数字。ノン・アルコール・ビールの宣伝でした。なみなみとコップに注がれたビールはとっても美味しそう。芳醇な泡もたっぷり、ガラスのコップも汗をかいていていかにもビール好きだったら飲みたくなりそうな写真です。

この宣伝を見て、最近の自分の演奏もこれに近い物になっていたのでは、という風に思って来ました。ピアノを弾いている年数も長くなっているので、コンサートに向けての準備も自分のペースみたいなものが分かって来ているし、音楽的に何がしたいか、するべきなのかも以前よりは自分の中で明確になって来ていたように思うが、逆に考えると惰性とは思いたくないがコツみたいな物をつかんでいるような気になっていたように思う。「コンサートで演奏をするための音楽」になっていたのではないか。。。もちろん自分は毎回一生懸命のつもりだし、コンサートのためにはいつも全力投球なのだが、0.00%のビールのようになんとなく見た目、香りやのどごし、(ピアノだと聞いた耳(?)、音楽の雰囲気や印象)は本物のようだが、実は肝心のアルコール(音楽だったら魂)が入っていなかったのではないか。。。

自分はあまりお酒が飲めないのであまり分からないのだが、ビールが好きな人というのは味や香りが好きというより、飲んだ時の「気分」が好きだから飲むのではないのだろうか?

音楽もただ単に「耳に心地いいから」とか「コンサートの雰囲気が好きだから」という理由で人は聴きたいのだとは思えない。ビールがただ美味しいだけでなく、アルコールが体内に入って化学反応を起こして自分の気分を根本的に変えてくれるのと同じように、音楽もその時の心になんらかの化学反応を起こす力が潜んでいると信じている。自分の演奏はそれを追求し足りていなかった。0.00%とは思いたくないが、よく考えてみると音楽に魂が入っているかそうでないかに関しては30%とか50%はないように思う。0か100のような気がする。今まではそれが一曲の中で0になったり100にたま〜に一瞬だけなっていたりしていたのだと思うが、これを常に100に出来るようにするのが今の目標となっている。 

何だか、「魂」と書いてしまうととてもおおげさに聞こえるが、結果はとても静かで地味な物です(笑)。自然と同じようにあるがままでありながら、生きているという大きなエネルギーが内在していて、そしてまさに一瞬一瞬に全てが含まれているような。。。

曖昧過ぎるでしょうか(笑)?今日、調べ物をしていてまた素晴らしいレコーディングに行き当たりました。言葉よりもこの演奏が全てを物語っています(笑)。S.チェルカスキーの白鳥です。彼のこの曲のレコーディングは2バージョン持っていて、今まで大好きでもう何百回と聴いているのだが何回聴いても聴き飽きないし、毎回感動します。そして、さらに今日は彼の若い頃の演奏を発見して、またまた驚きつつ感動。5回連続で聴いてしまいました(笑)。本当に素晴らしい。。。(ため息....)夢のよう。。。

追記:レコーディングが古く音質が悪いので、聴く時は音量を小さめにして聴いた方が良いかも。。。素晴らしい演奏は音量を小さくして聴くとさらに美しさが際立つので面白い。ちょっと皮肉ってしまうと今主流の力ずく演奏は音量を小さくすると何も残りません(笑)。


勘違いな自己実現

前回のブログを書いて自分の中でも色々と考えがまとまったり、発見があったり。
その中でなぜ最近落ち込んでいたかの原因の一つが分かったような気がします。

今の練習で追求している事は「感動」する音楽を探し出す事。音楽の中にそれが必ず存在しているから凄いのだが、これはあくまでも「自分」が感動するかしないか。ここ数年の自分の演奏を振り返ると、練習どきに「自分」が感動するかよりも、「こう弾くと感動するように思う」と客観視していたところがあったように思う。今、思えばこれが大きな勘違いで聴いている人も感動するのか曖昧な上に自分も実は本当には感動していない。これが、今回の大きな発見でした。

最近の落ち込みの原因の一つは「自分の心を思いっきり使い切っている実感がない」という事だった。ピアノで自分の心を思いっきり使い果たせる状況を作っていたにも関わらず、何か違う物を追いかけてしまっていました。コンサートと云う場があっても結局、自分の全てを出し切る「自己実現」は100%出来ていなかったのでは、と気付きました。


自分が弾いていて感動をする(これは上手いからとかきれいだからとかという意味ではなく、純粋に音楽に心が動くという意味)という事はきっと自分が完全にその音楽に入ってしまった時に起こるのではないだろうか?

落ち込みの原因が一つ分かって、改善策に今取り組んでいる最中です。
ピアノが良い方向に進みそうだけど、どうなのかな〜...。

色々と...

なかなか春になってくれないせいか、精神的に少し引きこもりがちになっているような気がしないでもない...。昨年から引き続き色々と考えさせられている事が発展していて、大きな発見が色々とある。発見があるのは嬉しい事だが、発見したもの自体が落ち込みの原因になっている事もあったりして、複雑な思い。

ネガティブな発見は書いてもあまり気持ちよくないので、ポジティブな発見を少し。

今年に入って自分の演奏の事で落ち込む事が多く、「自分が演奏している意味が本当にあるのか」と考えさせられている。今までは音楽を通して「これが伝えたい!」という思いが強くて演奏していたが、その思いを伝えきれる演奏を全然出来ていないのではないかと悩んでしまっている。音楽のいいところは人と比べなくてもそれぞれの個性が尊重される所だが、私が演奏している意味が自分にとってもあるのか分からなくなってしまった。

こんな風に色々と思っている事をヨーロッパやアメリカに住んでいる友人達にメールや電話で話しているので、本当に親身になって色々と助言してくれて、支えてくれています。

イタリア人の友人。音楽的な事だけではなく人生の転機の時期でもあると思っているので、今までの自分を振り返り、そしてこれからどうするべきなのか、を色々と悩んでいる事を話したら、古代ギリシアの詩人Pindaroの言葉を教えてくれました。”"O my soul, do not desire the immortal life, but exhaust the field of possible '「我が魂よ。永遠の命を求めるのではなく、自分の全ての可能性を使い果たせよ」というような内容です。「怖がらないで、やりたい事をやってみて。」という事が云いたかったのだと思うが、今ひとつまだ何をしたいのかはっきりしていなかったので何となくまだもやもやとしていました。

昨日はベルギーに住んでいる友人からのメール。彼もピアニストなので同じようなような悩みを何回か経験しているらしい(笑)。彼が「素晴らしいピアニストはいくらでもいるんだから、自分は弾いている意味があるのだろうか?」と自分の先生に話した所、「私たちは音楽と云う大きな大河の一部で一人一人がその流れを作り出しているんだ」と云われたそうです。また「僕たちにとっては音楽はもう魂の一部なんだから選択はもう出来ないんだよ」とも書いてありました。本当にこのメールには勇気づけられました。

そして、先日、たまたまイースターのお祝いを云おうと思ってイギリスの友人の所にスカイプ電話を掛けた所、日本からイギリス留学しているチェリストのA君も遊びに来ていました。A君はまだ10代ながらも既に精神は音楽家。最近受けに行った講習会の話をしてくれたが、それが実に今の自分にとってはつくづく考えさせられる事だった。ある教授がとにかく素晴らしくて感激していたのだが、彼に云われたのが「何がしたいの?」という事だったらしい。これは単純な事なようだが、実は一番難しい。自分が目の前の楽譜を見て、何がしたいかはっきりしたらこれは演奏が80%出来上がったようなもの。しかし、この「何がしたい」というのが意外とくせもので、意外と分からないのだ。おまけに周りに魅力的に上手に弾く人がいるとそれになびいてしまうし、「こう弾くと音楽的に聴こえる」とか「こう弾くと美しい」というコツみたいなものは長年弾いていると自然とやってしまうのであまり追求せずに曲が出来上がったような錯覚に陥りやすい。

A君が話していてもう一つ心に残って色々と考えていたのが、「バッハは自分が弾いている時は難しくてそう云う事がないんだけど、誰かが弾いているのが聴こえて来ると気持ちがいい」という言葉と「バッハをどう弾いたら人を感動させられるのかが難しい」という言葉。

これらを色々と考えているうちに考えがまとまって来ました。まず「自分は何をしたいのか」という事だがやはり自分自身が感動する音楽をしたい。A君がいっていた「気持ちがいい」というのは音楽家にとっては「感動」なんだと自分なりに解釈している。人が何で感動するのかは分かる訳ではないので、まずは自分が感動するものを音楽から探しださなくてはならない。音楽的に弾いたり、きれいに弾く事も必要だが、実はそれだけでは「感動」はしない。この作業が意外と大変。一個一個の音から感動する要素を探さなくてはいけないので、本当に地道な作業。しかし、辛抱強く探せば見付かるのだから音楽って本当に凄いな〜と思ってしまう。

私の大学時代を知っている友人が「えびちゃんはブラームスの最初の一音を作り出すのに3週間掛ける人なんだよね〜」とよくからかうのだが(笑)、今思うとあれは自分でも感動する音を探し出していたんだな〜と納得がいく。ブラームスだけはきっと感動出来る音が自分の中で見付かると信じていたから探し求めていたように思う。

よく仏師が木の中に既に存在している仏像を「掘り出す」というが、その感覚に似ているような気がする。作曲家の武満徹さんも「宇宙に既に存在している音を取り出して曲にしている」いうような事をいっていたが、魂が感動(感じて動く)している時に仏像が見えたり、曲が聴こえたりするのではないのだろうか。

私も自分の演奏に意味はあるかは分からないが、楽譜を目前にしてピアノで音を探して追求すれば感動はする。今はとりあえず自分の中の感動を追求していこうと思う。先に何があるのかは今の所見えていないが、自分自身の魂が感動する音楽を演奏出来れば、それはそれで価値があるかもしれない。

どこまでも

Concert%20Flowers_resize.jpgコンサートをする際にやはり演奏者としてはぜひとも来て頂きたい、という気持ちがあります。日本だと遠慮がちにお知らせするが、来てもらいたい気持ちはとても大きいし、来て頂けないと相当がっかりします(笑)。日々心血注いでコンサートに向かうので、見栄や自慢ではない、上手く云えない違う気持ちなのだが。。。

そんな事をいつもコンサートの時に思うので、友人や知り合いのコンサートにはなるべく行くようにしたいと思っている。いつも(自分の練習含め)音楽と関わっているので、純粋に音楽を聴きたいという気持ちは意外と少ないのだが、やはり仲間として応援したいという気持ちや、どんな風に演奏が変わって来ているのか、その進化に興味を持って行く場合が多い。もちろん、自分の勉強になるというのも理由の一つ。

今週はこの事で色々と考えさせれました。フットワークは軽い方だが、さすがに自分のコンサートがある一週間前は人のコンサートに行くのは控えるようにしている。様々な理由があるが、単純に体調管理と云う面でも大事を取っている所がある。

しかし、今週は火曜日の本番前に関わらず日曜日に春海までコンサートを聴きに行きました。いつもコンサート前に弾き合いをしているMちゃんの第一生命ホールでの大きなコンサート。売れっ子のMちゃんは日本全国津々浦々でコンサートをしているので、聴く機会は色々とあるのだが、今回は相当思い入れがあり「自分が夢に描いていた事がやっと実現出来る!」という話をしていたし、私が2日後にコンサートがある事を知っていても来て欲しそうだったので、体調が良ければ行こうと思っていた。

そして、28日当日、体調はとても良かったし、自分の練習も早起きして順調に終わり、そして天気も良かったので(雨だと濡れて体調を崩す心配も出て来る...) 行く事に決めました。

行って本当に良かった(笑)。とにかくMCからソロ演奏、後半のアンサンブル演奏と素晴らしいステージを見せて頂きました。本当に今までの集大成のようでただただ感心するばかり。新たなエネルギーをもらって、自分の30日の火曜日のコンサートに臨めました。

そして今日もまた知り合いの方のコンサート。ロンドン時代にとてもお世話になった大家さんの歌のジョイント・コンサート。さいたま県の児玉という場所。数カ月前に話を聞いた時にインターネットで検索したらとても遠いので一時は行くのは諦めていたのだが、一ヶ月程前にチラシを送って下さったのでやはり行く事にしました。大家さんのAさんは日本人だがイギリスにもう数十年住んでいて、今でも私がロンドンでコンサートをすると必ず来て下さいます。今までの感謝の思いもあって今日は頑張って行こう、という気持ちになりました。

それにしても遠かった.......。午後2時からのコンサートなのに家を出たのは8時30分!!!途中で1時間半に一本しかない電車の乗り継ぎがあったのでこんなに朝早い時間になってしまった...(笑)。それなのに...!最初の肝心の乗り換えの電車が20分遅れて、その次の乗り換えの特急に乗れない事が判明。Kodama%20Station_resize.jpg車掌さんに相談したら「新幹線に乗れば、次の乗り換えに間に合います」と云われ、急遽新幹線に乗る事に。新幹線に乗らずに済むために朝早く出たのだが、裏目に出てしまった。

しかし、新幹線に乗ったおかげで最終的には児玉駅まで時間内に到着出来たので一安心。あとは駅から地図に書いてある徒歩15分と云う文化会館まで歩けば良かったのだが...。これがまた歩けども歩けどもなかなか辿り着かない...。結局は30分以上掛かってしまったと思うのだが、それまでの電車の疲れと歩いても辿り着かないと云う疲れが一気に出て来て、途中で本当に足が進まなくなってしまった。

%E3%82%AB%E3%83%84%E4%B8%BC_resize.jpg途中で「カツ丼」という無味乾燥な看板があり、お店の周りの植木もきれいに刈り込んであるし、人もぞくぞく入って行っていたので大丈夫だろうと思い、吸い込まれるように入ってしまった。ラーメンやチャーハンなど色々とあったが、思わずカツ丼を頼んでしまった。カツ丼なんて今までの人生で頼んだ事ないと思うんだけど...(笑)。よっぽど疲れていたんだと思う。それにしても、この食堂にいる人達が何とも素朴で温かな感じで感動してしまった。調理場が目前にあるのだが、カツ丼を食べている間の20〜30分に様々な人情劇を見せてもらいました(笑)。もくもくと調理している(手はきびきびと動いているのだが)温和そうなおじさん、笑顔が温かで「ありがとうございました」の言葉に本当に心がこもっているおばちゃん達、お客さんのおじさんが知り合いのおばさんが入って来て色々と話していたかと思うと、自分のお勘定を払う時にそのおばさん達の分もひっそりと払って行ったり...。そして、実はカツ丼もと〜っても美味しかった!なんかあのお店は本当に真心がいっぱい詰まっていたな〜...。

Kodama%20hall_resize.jpg元気をもらってやっとコンサート会場に着きました。何もない所にぽつんと建っていた文化会館だったが中がとても素敵に造ってあってびっくり。そしてピアノも素晴らしいのが置いてあってダブルびっくり。こういう所が日本の凄い所だな〜と思ってしまいます。

大家さんのAさんは3年振りだったが相変わらず若々しくてとってもお元気そう。そしてAさんの家で当時一緒に住んでいたMさんとも会えたので遠路はるばる行った甲斐がありました。

「コンサートに行こう!」という気持ちにさせられるのは本当に様々な理由があると思うが、今日はいつも本当に良くして下さるAさんの心に感謝しての小旅行となりました(笑)。

追記:帰りは文化会館から児玉駅までMさんが車で送ってくれたが、「これを全部歩いたの〜!!!?」と相当同情してくれました(笑)。

花と香りに包まれて

3月30日のコンサートはゲスト出演と云う事で久しぶりに私はコンサート運営の方には全く携わっていませんでした。なので、会場がどんな風になっているか知らなかったので、当日行ってみてびっくり。本当に「花と香りのコンサート」にふさわしく、会場には花と香りが溢れていました(笑)。

自分が主催に関わっているとどうしてもカラーが決まってしまうので、今回はとても新鮮な気持ちでコンサートに向かえました。好み的にどうしても「重い、深い、長い」曲を選んでしまうリサイタルとは違って、今回は本当にヴァイオリンの名曲集の伴奏とあって私も大きな気負いがなく、(ハプニングは付き物ですが...)共演者の方達とも終止楽しく過ごせたので、とってもいい時間となりました。

本当にたくさんの方に来て頂けてとてもいいコンサートになりました。本当に有難うございました。

ホールの響き

Kirara_resize.jpg30日にあるコンサートのために今日はホールでのリハーサル。
小さい時から何回も使わせて頂いているホールなので全く気負いがない。今回のコンサートはヴァイオリンの伴奏だけなのだが、先にホールに着いたので一人で練習。つくづくホールって音が伸びて、気持ちがいいな〜とうきうきしながら練習していました(笑)。

考えてみたら、舞台が相当高くなっているホールで弾くのはとっても久しぶり。最近は少しだけ高くなっている舞台で弾く事が多かったので、今日は音の飛び方に感動していました。

昨年の11月のリサイタルの前に知人の方と話をしていた時に「舞台が低いので見にくいかも知れません」と事前に警告したら「ピアノがあまり高い位置にあるのは違和感があるから舞台は低い方がいい」と云われ、「なるほど。。。」と妙に納得したのを覚えています。云われてみれば、あんなに大きくて重そうな楽器が目線より高い位置にあるのは不思議かも、と思ったりして。

しかし、今日久しぶりに高い舞台で弾く良さも実感してしまいました。音が真っすぐ前にではなく円を描くようにして飛んでいる感じして、ホールで弾く良さがここにあるんだな〜つくづく思ってしまいました。30日もホールを生かした演奏が出来ますように...。

追記:コンサートに関してはインフォメーション・ページをご覧下さい!

新しい世界

昨日のブログで書いたロンドンのオークション。
なかなかオークション・サイトに行っても、友人が添付してくれたブラームスの髪の毛や写真に辿り着かなかったので、メールしたらサイト内での探し方を早速教えてくれました。

それにしてもあらゆるものがオークションにかけられていてびっくり。今までで作曲家のもので一番の高値が付いたものはベートーベンの第九の交響曲の原譜。丸ごと一冊売られているところが凄い...。

やはり私が興味を持つのはブラームスのもの。大好きな大好きなピアノ小品集の0p.118全曲の楽譜が2000年にオークションに掛けられていたのはショック。オークションはオークション前にその実物を見る事が出来るので、買う事は無理でもぜひ手に取って見てみたかった...。人の手に渡ればそれはもう無理な事で...。

それにしても、新しい世界を発見してしまったよう...。このオークション・サイトだけでも延々と見れそう。ただでさえ一日24時間は足りないと思っているのに(笑)。

リサイタル色々:カノン工房

                      鎌倉に遊びに来て下さったSさんご夫妻
%E3%82%AB%E3%83%8E%E3%83%B3%E5%B7%A5%E6%88%BF%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg今回のリサイタルをきっかけにとても大きな出会いがありました。それは『カノン工房』さんというコンサート制作会社です。予想外の展開を救って下さったもうひとかたがこのカノン工房さんのSさん。

リサイタルの準備をするにあたり、様々な方がサポートして下さって、それぞれの役割分担を着実にこなす事によってコンサートに辿り着ける訳だが、私自身の管轄下だった事が出来なくなってしまった時に、助けを求めたのがカノン工房さんでした。

普段から音楽やコンサートに関する情報にはアンテナを張っているので、チラシも素敵なのがあれば、必ず取っておきます。残念ながらクラシックのチラシでセンスがいいものがなかなかないので、大体は演劇やダンスのチラシですが...。そんな中、ここ一年くらいクラシックのコンサートなのにハッと目を引くチラシがいくつかあり、それを手に取ってみると「カノン工房」がデザインしたものと分かりました。

インターネットで調べてみたら、コンサート制作をしている会社と分かったのだが、今回はコンサート制作に関してはスタッフがもう既に揃っていたので、頭の隅にだけ置いていました。

それが、8月の末に急にこちらではまかない切れない事が生じてしまい,藁をもつかむ思いでメールしてしまいました。まず驚いてしまったのが、本当に音楽家の立場、そして自主企画の大変さを本当によく理解した下さっているメールのお返事だった事でした。色々な事がうまくいかず、相当追いつめられていた時期だったので、夜中にカノン工房のSさんからのメールに思わず涙が出て来てしまう程でした。

すぐに会って下さる事になり、そして規格外のお願いを快く引き受けて下さいました。

%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%AF%BA%E9%87%91%E9%AD%9A_resize.jpgこの「カノン工房」さんは本当に音楽家が探し求めていた会社です。マネージメントが全てやって下さる音楽家はほんの一握りです。コンサート一つするには大変な労力が必要なのだが、その大変さから演奏の方が二の次になってしまったり、結局は長続きしなくなってしまったり...。そこを解消して下さるのがこの『カノン工房』さん。コンサートに何が必要かを理解している上で助けて下さるので、とても心強いです。全てをお任せする事も可能ですが、自主企画の場合は、周りにお手伝いをして下さる方がいない訳ではないので、足りない所だけを補強して下さると云うのも本当に嬉しい。
ステージマネージャー、スタッフ、チラシデザインから問い合わせ業務までと、本当にみんなに待ち望まれていた会社だと思っています。

何と云ってもこの会社を立ち上げたSさんが人間的に素晴らしい方で、本当にこのような方が音楽家を支えるお仕事をして下さっているのが感激です。
トラブルがあったからこそ出逢えた「カノン工房」さん。本当に感謝です。

リサイタル色々:Romanceへの誘い

今回のリサイタルには初めて副題を付けました。今まで付けようと思った事がなかったのだが、今回のコンサートの発起人のKさんに付けた方がいいと云われたのがきっかけでした。「ロマン派の曲が多いからそこから何か」と云われたのだが、なかなかしっくりと来るものがなく、相当悩まされた。

コンサートが決まり、早い段階での打ち合わせの時にこの副題について5人で知恵を絞ったがなかなか決まらず...。私は英語の「ロマンス」と云う言葉が持つ意味をぜひ使いたかったのだが、日本語で使われる「ロマンス」と英語で使う「Romance」のニュアンスが全然違う。(当日配った挨拶文にはこの違いをもっと詳しく書いたのだが)「ロマンス」いう日本語はあまり日常的には使われないし、「ロマン」というと「男のロマン」とよく使われるが全然違う方向に進んでしまうという話になり、結局この話し合いをもとに何日間か考えていました。Oさんも提案して下さった「アルファベットにしたら...。」というのは私も考えていたので、結果「Romance」を使う事になりました。

そして、そのあとの言葉も相当2案の間で揺れていました。
「Romanceへの誘い」、そしてもう一案が「Romanceに誘われて」。
「Romanceへの誘い」の方が、作曲家からの直接的な誘いのような感じがするという理由で、最終決定したように思う。

チラシに書かれた最終的な副題。副題と云うのは思わぬ効果があるんだな〜と実感しました。色々な方がこの副題を口にするのを聞くとこの「Romanceへの誘い」が一人歩きしているような、とても不思議な気分に。「Romanceに誘われたいわ〜」と云って下さる方が多く(笑)、半分冗談でも、少し想像力をかき立てられるような要素があるのかな〜と内心副題の威力に感心していました。

そして、コンサート後も色々な方が「Romanceに誘われて幸せな時間でした」「Romanceにどっぶり浸かりました。」と云ってくれたのが凄く印象的です。実態のない音楽のイメージをつかみやすくしてくれているのかな〜とつくづく思う。

Kさんのひと言で付けた副題のおかげで今までになかったコンサートの幅が少し広がったような気がします。

人に支えられて

Flowers_resize.jpg今日はここ数カ月間準備していたリサイタルでしたが、いかに人に支えられているかを実感する日でした。コンサートの実現を可能にして下さった方達,来て下さった大勢のお客様、そして遠くからお祈りをして下さった友人達のおかげで今日のコンサートが可能となりました。本当に感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。

集中力

練習で気力を使い過ぎているせいか、ブログを書く意欲がなかなか湧きません(笑)。

先週の金曜日に今回初の全プログラム通し弾き。春のリサイタル準備を教訓に今回はなるべく、曲の通し練習を避け、細かい練習に徹底していたが、いいように成果が出ているように思う。しかし、縦の集中力が横の集中力に勝っていた事は確かなので、これからバランス良く練習しようとは思う。

それにしても、今やっている練習は集中力を相当使っているようで、一日が終わるとどっと疲れが...。練習している時も、3時間の時点で急にスイッチが切れたかのように急に能の働きが止まってしまうようで、何の練習をしているのか急に分からなくなる瞬間がある。それ以後は意識がもうろうとしてしまっているので、潔く休みます(笑)。練習する気は満々なのだが...。なので、最近は練習を細かく分割。以前は続けて4〜5時間練習したりしていたが、今思うと全然集中力が足りなかったように思う。手と身体を動かす「運動の練習」になってしまっていた。

内田光子さんが確か、練習で集中出来るのは45分が限度と云っていたように覚えているが、3時間でもまだ集中力が続くというのは集中の度合いがまだまだ足りないと云う事なんでしょうね...(笑)。

一日練習

今日は一日練習日。

大分前の事になるが、ロシア人の先生のマスタークラスの通訳をしていた時に練習時間の話になった事があった。もちろん毎日練習する事は当たり前だが、「一日中弾く日を作る事も大切」と云っていたのが印象に残っている。当時、そのレッスンを受けていた子は中学生だったが、すでに学校を休んで、こういう日を週に何日か作っていたらしい。学校のバックアップもあったから可能だったが、当時「この子はピアニストになれなかったらどうなってしまうんだろう?」と余計な心配を内心していた。しかし、ちゃんとその子は数年後に大きな国際コンクールで優勝し、しばし時の人に。テレビでニュースを見た時は本当に驚きよりも「本当に良かった!」といった感じでした(笑)。子供時代と引き換えに手に入れたものは本当に大きかった。

全然レベルが違うが(笑)、今コンサート前なので他の日はギュウギュウに予定を詰めてまでしても、週に2日出来れば3日は練習のためだけに空けておくようにしている。一日中弾いている訳ではないが、とにかく練習が最優先。そして、余計な事しないし、考えない。

今日は特にいい練習が出来たように思ったが、6時間程練習した時点で大きな閃きが。
こういう時にこそ、一日練習の価値があると実感する。やはり長時間練習しないと辿り着かないものも絶対にあるように思う。

今日の閃きで明日の練習が楽しみ♥

フーガ

先日、今度のコンサートプログラムの最初の曲、スカルラッティの事で調べたい事があり、インターネットで探していたら「猫のフーガ」というものを見付けた。曲が聴けるサイトやこの曲に関するコメントが色々と見付かって面白かったが、一同に「猫とは思えない重く、暗い曲」と書いてあった。確かに猫とは到底思えない(笑)。

これに関連して思い出したのだが、あまりクラシックにそこまで馴染みのない方に「フーガってなんなの?」と云われ、凄くハッとしました。小学生の頃からフーガを勉強させられて、当たり前のように何も疑問に思わずに弾いて来たが、確かにフーガと云うのはよーく考えると不思議なもの。

フーガは数学的に、ある一定の法則に従って厳密に作られている。感情や思いとは全く関係ないとさえ思ってしまう構築美はもともと音楽が数学や天文学などの学問と同じ位置にあった由縁だと思うが、他の芸術にはない独特の位置を占めているように思う。

バッハ等は徹底して最初から最後までフーガの法則に従って曲が構築されているが、クラシック後期、ロマン派に入って来ると大きなフーガの後は意外とメロディーラインがくっきりと聞こえるようなシンプルな作りになっているように思う。苦難の末の楽園のような。綿密に構築されたものは緊張感がどんどん増すがために、辿り着く所にはとてつもない解放が待っている事になる。(一番分かりやすいのはベートーベンの第九)
今回のコンサートの最後の曲、フランクのフーガもまさにそう。なかなか辿り着くまでが大変なのだが(笑)。

スカルラッティから始った調べものだったが、辿り着いたのはフランクでした。

陽気な年寄り

今朝は教会に。朝8:00の御ミサだったで、夜型の私としては、相当辛い時間だが、お説教が素晴らしく、朝早くから感動していました(笑)。

今日のお話は「知恵」ついて。
フィリピンの神父様は英語を交えてお話しして下さるので、言葉の微妙なニュアンスや意味の違い等においても考えさせられる事が多い。英語の「Intellegent(頭が良い、利口)」と「Wise (知恵がある、賢い)」の違い。(今、書きながら思ったが、既に「知恵」という字は「知る恵み」と書くんですね...。)

色々と心に残った言葉があったが、いくつか抜粋。(少し使っていた言葉が違うかもしれないが...。)

『「頭のいい人は結果だけを見て喜ぶが、知恵のある人はその結果に辿り着くまでのプロセスに喜びを見いだす」

他人に対しての評価も「その人が何が出来たかを見るのではなく、その人がベストを尽くしたかを見る」

「陽気な年寄りになりたかったら、毎日何かを学びなさい。そして、一日の終わりに今日は何を新しく学んだか、振り返りなさい。これを今からはじめなさい。(これは、神父様自身が若い頃にどなたかに云われた言葉らしい)」』

最後の「陽気な年寄り〜〜〜」に関しては、自分も希望が持てるような気がします(笑)。音楽をやっていると本当に毎日何かしら、学ぶ事がある。目の前には楽譜とピアノしかないが、毎日発見があり、そしてその気になれば、進歩もある。今、調子がいいのでちゃんと練習すれば、確実にそれが次の日には成果となって表れてくれる。しかし逆に意識的に「ここをもっと良くしよう」という気がないままにただ単に弾き込みだけの練習をしていると、次の日は何も「変化」がなく前日と同じ状態でしか弾けない。つくづく向上心がいかに大切かを実感している毎日です(笑)。

音楽の凄い所は一生掛かっても、到達点がないと云う事。進歩する気があれば、いくらでも前に進める。それほどに、クラシック音楽は奥が深い。大変な事でもあるが、一生退屈する事がありません(笑)。

びっくり!!!!!!

JZ%20Brat_resize.jpg芸術の秋にふさわしく、イベントがいっぱい。この10日間は特にクレイジーで、これでも、泣く泣く諦めたものもいくつか...。

クラシックのコンサートが基本的に多いが、日曜日は珍しく、ジャズ。親しくしているN君がライブに出ると聞いていたので、渋谷にあるJZ Bratまで。

高校時代の文化祭で長髪を結んでサックスを吹くN君は、もう既にジャズマンの雰囲気を醸し出していたらしい。ジャズの名門Bに留学して、スイスのモントレー・ジャズ・フェスティバルにも出ていたと聞いていたので、相当上手いんだろうな〜と思っていたが、私が最初に会った頃にはもう既に、「ジャズは趣味」と言い切っていて自分でIT関係の会社を立ち上げ、バリバリと仕事をしていたので、あまり彼のジャズについては深く話した事がなかった。

10年来のお付き合いになるN君に会うのは年に1〜2回。会う度に「全然サックスは吹いていない」というので「そうか、残念...。」と思っていたが、6月に会った時に初めて「今度秋にやるかもしれない」と云っていたので、とっても楽しみにしていた。

そして、日曜日。3人で行ったのだが、私はN君のサックスを見る/聴くのは初めて。他の3人は彼が高校生以来のライブという事だったらしい。

と・に・か・く驚いた!!!あまりの上手さとかっこ良さに!カッコ良すぎ!!!こんなにも凄い才能を持っていたとは!!!おまけにサックスだけでなくフルート含め3つくらい楽器を吹きこなしていた。耳が異常にいいんだと思うが、とにかく歌や他の楽器との音の合わせ方が飛び抜けて上手いし、センスはいいし、リズム感もノリもずば抜けていた。

あんなに凄いのに、全然自慢する事もなく、「音楽は趣味の方が気が楽」と云えるくらいクール。何だか、その余裕がとっても羨ましくなってしまった。

普段のN君とあまりに違うステージ上のN君に大興奮だった日曜日。よ〜く聞いてみたら、2〜3ヶ月に一回はライブをやっているとの事。本当にこれからの楽しみが出来ました。

それにしても、ライブには10人程がステージにいたが、今回つくづく「ジャズマンってなんてカッコいいんだろう!」なんて思ってしまった。全員が全員何ともカッコいい。クラシックはまた違うかっこ良さがあるけど、あのクールなかっこ良さはなかなかないですね...。

いい音

%E5%A4%A9%E7%A9%BA%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg今日は恩師のコンサートを聴きに六本木まで、
34階にある、壁は全てガラス張りの天空のホール。見晴らしが素晴らしい。

今回は弦楽アンサンブルとピアノのサロン的なプログラムでしたが、その中にはラフマニノフの究極のロマンチックな曲の一つである、パガニーニの主題による変奏曲の18番も。ちょうどこの曲を演奏中に舞台の後ろの窓越しに二羽の鳥が戯れ合いながら飛んでいくのが見えました。(その後にも先にも鳥は一羽も飛んでいなかったのに!)おまけにちょうどその34階の高さを保ったままずっと横切って!美しいラフマニノフの音楽の調べにまるで乗っているようでした。あまりにも出来過ぎの光景に大感激。こういう思いがけない素敵なハプニングが日常の中にもあるんですね。

久しぶりに聴くW先生の音は本当に素晴らしく、「ピアノはこういう音がするから私はどの楽器よりもピアノが好きだったんだ!」と再確認しました。とにかく音が「いい」。美しいともまた違うんですね...。もちろん音はきれいなのだが、それだけではない耳にも身体にも、心にも魂にも「いい」音。聴いていて、本当に満たされました。むくむくと益々、リサイタルに向けてのやる気が出て来ました。

辿り着いても...。

%E6%AA%9C%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB_resize.jpg一昨日、ヴァイオリン・デュオと弦楽アンサンブルのコンサートを聴きに真鶴まで。
なぜまた真鶴まで行ったかというと。。。

実は2年程前にCD制作をしようと思い、レコーディングはしたものの、初めてだった事もあり、色々と納得いかなかった事が...。結局、録り直しをする事に。

レコーディングをしようと決めた時に最初に録音技師さんに「響きはどうにでもなるので、とにかく好きなピアノを探して下さい」と云われました。2年前もあちこちのホールを調べては、試弾させて下さるところには出向き、やっとの思いで見付けましたが、直感で決めてしまったピアノは長時間のレコーディングには不向きでした。最初の2〜3時間で録っていたテイクは良かったのですが、時間が立つにつれ、ピアノ全体のバランスが崩れていってしまいました。もちろん、調律の方は付きっきりでしたが、微調整するには限界があると云う事を知らなかった。

なので、それ以来、時間に余裕がある時にはピアノ探しをしています。そんな中、知り合いの方が「真鶴のホールにいいピアノがあるよ」と教えて下さったので5月にホールに行ってみました。お寺が建てた総檜のホール。その名も「檜チャリティーコンサートホール」。檜は香りが素晴らしいだけでなく、見た目も美しい。本当にこんな所によくぞこんな凄いものを建てたな〜なんて妙に感心してしまった。おまけに置いてある楽器にも凄いこだわりが。中古のSteinwayを買って、中身を全部新しくしたという懲りよう。Boesendofer や他にマニアックなブランドの味のあるピアノも置いてありました。

1時間程弾かせて頂いた後に、住職さんとお話させて頂いたが、やはり素人さんは逆に鋭い。上手い下手は、音の美しさ、そして心に響くか響かないかでの評価。結構厳しいご意見やお話を色々と聞かせて下さいましたが、云っている事は的を得ていて、とても楽しかった。住職さんも私の事は気に入って下さったようで、「9月に素晴らしいピアニストが来るからぜひ聴きにいらっしゃい!」と誘って下さいました。

と云う訳で、今回のコンサートに行く事になりました。(前置きが長くなってすみません。。。笑)

数ヶ月振りに訪れたホールだったが、やはり香りが素晴らしい。入り口に入った途端に良い香りが。。。

演奏の方だが、とにかくバイオリンもピアノも音がずば抜けて美しい。おまけにピアニストに関しては、今自分が目指しているものを完成させた形で見せてくれているようでした。しかし、自分が目指しているものを追い求めているうちにハマってはいけないと思っていて注意している「罠」も同時に存在していた。終止、どのようにしたらこの「罠」を回避出来るのだろうか、と考えさせられたコンサートとなりました。

目指しているものまで辿り着くのでさえ大変なのに、辿り着いたとしても尚も心配が。本当にいい演奏までの道のりは長い。。。

一人になる稽古

昨日やっと,自分の中で〆切りと決めていたデスクワークが終わったので、久しぶりのブログです。今,ピアノが自分でもこわいくらいに調子がいい。進歩も一歩進むと次の目標が出て来てしまうので、その一つ一つを記録に残せなかったのはちょっと残念。

ここ数日での大きな発見。とにかく、自分とは関係ない所に音楽は自立していると云う事。本当に音楽は凄いと再発見しています。自分の思いや身につけた事とは関係なく音楽は素晴らしいものとして存在している事を本当に実感しています。

先日、都内での生徒のレッスンが急遽入ったので、行こうか迷っていたダンスの公演をレッスン後に行くことにしました。Karas(カラス)というグループでメインのダンサー/振付け師/企画が勅使河原三郎さんという方。ロンドンで50人程しか入らない小劇場で20年近く前に初めて観て以来の大ファンで、日本で唯一観に行く日本のダンスカンパニー。ダンスももちろん素晴らしいのだが、いつも感心してしまうのが、光(照明)の使い方。プログラムを見たら、照明も勅使河原さんが創造しているらしい。凄い。。。

%E9%8F%A1%E3%81%A8%E9%9F%B3%E6%A5%BD_resize.jpg今回の公演は「鏡と音楽」というものだったが、残念ながら今回はあまり私好みではなかった。それでも、ダンスを観ながら、色々と考えさせられて収穫となった事はあったし、そして、終演後にロビーで売っていた写真集に書いてあった言葉にとても心に響くものが...。

「一人になる稽古をする。そして、次にはその一人をも消す稽古をする。」(2文目がちょっと不確かだが。)

よく、「無になるように」とは云われるが、どうやったら「無になるのか」は誰も教えてくれない。しかし、この「一人になる稽古をする」というのが大きな鍵のように思う。そして、今自分のピアノもこの地点に来ている。今まで、コンサート前の集中した練習で自分を追いつめてしまっていたのは、これをしようとしていたからだと思う。しかし、今まではそれが出来なかったし、自分でも何を追い求めているのかが分からなかったために迷子にばかりなってしまっていた。 

それが今は「一人になる事」がどういう事なのかが明確になって来てる上に、そこまでの経路が出来てきているので、自分を追いつめる事なく、そこに辿り着く事が出来るようになってきた。時々、「一人」の状態になれた時にとてつもない孤独感を感じる事があって、音楽ってこんなにも孤独なものなのか、と愕然とするのだが、その世界は本当に美しい。そして、稀にその孤独の先に行けると、音楽本来の世界が見えて来る。自分自身の陳腐な感情や思いを遥かに越えた世界は本当に素晴らしい。

自分では今確信を持って、納得して追いかけているこの世界。これがどれ位11月のコンサートで出来るか、そして伝わるかが勝負と思っています。

宇宙船

今日はアジア・ユース・オーケストラのコンサートを聴きに東京オペラシティまで。

韓国や中国、台湾、マレーシア、フィリピン、シンガポール、日本等のアジアの国々から選ばれた若者達で結成しているオケで、ユーディ・メニューインが立ち上げたもの。若い時から違う国の人達と交流を持つというのがいかに大切かをつくづく最近実感しているので、音楽を通してそれが出来るというのは本当に素晴らしい事だと思っています。

今日は私の好きな曲ばかりのプログラム。バーバーのアダージョにラヴェルのボレロとピアノ協奏曲、そして最後がストラヴィンスキーの「火の鳥」。

特にラヴェルのピアノ協奏曲の2楽章が大好きで「ピアノの音の美しさ」を表現している曲としては第一位と挙げたい所。メロディーも泣かせるが、途中から完全にオーケストラの付加的存在のピアノ部分が何とも美しい。色とりどりの宝石がキラキラしているようで、オーケストラで演奏しているソロパートのメロディよりも私はどうしてもピアノに耳が行ってしまいます。

今日は最後が「火の鳥」。この東京オペラシティの大ホールはとても美しいホールで天井がとても高い逆ピラミッド型になっている。コンサートによっては教会にいるような気分になったりもするが、今日は全然違いました。今日、気付いたのだが照明のスポットライトが密集して四角く照らしているので「火の鳥」の最終章になった時に急に宇宙船に乗っている気分に(笑)。もうすっかり映画「未知との遭遇」のように宇宙にこれから旅立つ気になっていました(笑)。自分の人生も今周りが大きく動いているので、自分自身にとっても大きな変化を求めている心理状態も手伝って、これから旅立つ宇宙への期待と希望に胸が膨らんでいました。

帰りに新宿駅の人ごみを歩きながら、すっかり現実に戻されてしまったが、自分自身が大きく変化出来るようにしたいと、つくづく思って家路につきました。

秋のリサイタル

DSC_8088_resize.jpg11月のリサイタル情報をインフォメーション・ページにアップしました。

秋はコンサートが目白押しですが、久しぶりのリサイタルですので来て頂けたら幸いです。
ブログでしか接触のない方も多いので、会場でお会い出来れば嬉しいです。

ぶん殴られた方がまし

秋のリサイタルをサポートして下さっているKさんが大分前に送って下さったDVDを、時間が出来たのでやっと観る事が出来ました。

カルロス・クライバー指揮のベートーベン7番やK.テンシュタット指揮のロンドン・フィルのワーグナー、S.チェリビダッケ指揮の「展覧会の絵」など、とっても盛りだくさん。

Kさんはベートーベンの7番がとってもお薦めだったようだが、私が何と云っても感激したのはクライバー指揮の「魔弾の射手」のリハーサル風景。

若い時のクライバーがとにかくカッコいい!!!見た目ももちろんカッコいいのだが、指揮も言葉の一つ一つにも音楽に対するとてつもない情熱が感じられて感動しっぱなし。

色々と心に響いた言葉があったが、特に感激して笑ってしまったのが次のコメント。

「堅実な方向に傾きつつあるようだ。安全地帯で無難に過ごすならぶん殴られた方がまだましなくらいだ。各自が好き勝手に演奏している様に見える中に一つの共通な音楽の核が存在する、そんな風にしたい。」

「ぶん殴られた方がまだまし」という言葉で笑ってしまったのだが、内容的には本当に音楽家としては目指したい事をズバリと言い当てていて感動。日本では「堅実」というのは良い事と思われがちだが、実は音楽の本質からはずれていて、絶対に回避しなくてはいけない事だと思っている。

ソロのピアノでも、アンサンブルでもこの事はいつも意識している。音楽が自由であるためには「音楽の核」なるものを常に自分で探し求め、見失う事なくしっかりと掴んでいなくては、とつくづく思う。

作曲家との相性

先日オール・ロシアものの室内楽のコンサートを聴きに。

前半はそれぞれ、プロコフィエフのヴァイオリン、チェロ・ソナタ。後半がショスタコービッチのトリオ2番。
ロシアものは大好きなのでとっても楽しみにしていたが...。

演奏家と作曲家の相性が合う、合わないがある事をつくづく実感。

ピアニストのNさんは去年の秋にシューベルトのトリオを聴いて、そのあまりのアンサンブルの素晴らしさに大感激したのだが、今回は彼の良さが全部裏目に出てしまったような気がしました。まず、気になってしまったのが音の温かさ。人間味がありすぎた(笑)。ロシアもの、特に社会主義ソビエトを背負っている作曲家は冷たい程までの「厳しさ」が鍵のような気がするのだが...。しかし、そうかと云って音楽が「冷めている」わけではなく、音楽を通してしか表現出来なかった彼らの怒りや悲しみはロマン派とは比べ物にならない程のとてつもない情熱として音楽の根底に潜んでいる。音と構成は鋼鉄のような強さを持っていながら、押さえ切れない溢れんばかりの負のエネルギーがプロコフィエフの魅力だと思っているのだが、それが残念ながら感じられず、相当がっかりしてしまった...。チェロはとても情熱的には弾いていたが、ピアニストのNさんからは情熱も感じられなかった...。

後半のショスタコービッチが心配だったが、予想をよくぞ裏切ってくれた(笑)。

チェロに引っ張られて、本当に素晴らしかった。胸をえぐるような深い悲しみと怒りが、伝わって来る熱演で、音楽の素晴らしさを体感出来ました。この一曲で無性にロシアものが弾きたくなりました(笑)。

コンサートというのは本当に不思議。どんなに好きな演奏家でも、その日の調子や共演者との相性、プログラムとの相性等、さまざまな要素でこちらの観客が感動するかしないかが掛かって来る。それが、実際にコンサート会場で聴くまで分からない訳だから、本当にこれこそがコンサートの醍醐味。

今回は前半で怒りに近いものを感じる程に落胆していたが、後半で大感激。結局は心晴れやかに帰って来ました(笑)。

全体像

昨日は秋のリサイタルのための2回目の打ち合わせ。

Kさん&Kさんに加え、前回のリサイタルでもご協力下さったOさんとHさんも加わって、5人での打ち合わせだったが、終止和やかで温かな雰囲気の中で話がどんどんと進んで行きました。様々な事が形となりつつあるので、全体像がだんだんと見えて来ました。

それにしても、こんなにも良い雰囲気の中でコンサートの準備ができるという事は本当に幸せだと思っています。この温かなサポートにも応えられるように、良い音楽を作れるよう、精進しなくては!

凄い才能

凄い才能といえば、先日アメリカのヴァン・クライバーン・コンクールで優勝した辻井伸行さん。遅ればせながらその凄さに感動しました。

先日、楽譜を買いに銀座のヤマハに行ったら、辻井さんのDVDの宣伝として、そのDVDを店頭で流していたが、時間も忘れて見入ってしまいました。今まで、テレビやCD屋さんでも映像を観ていたが、いつも演奏自体はほんの少ししか映していなかったので、彼の素晴らしさがそこまで分からなかった。しかし、改めてじっくりと、見る/聴くと本当に凄い。ここ数年なかった感動をしました。

何が一番凄いと思ったかというと、とにかく肉体的な壁を全く感じない。一般的にテクニックの限界や身体や精神的な癖というものが演奏に出て来てしまって、本来の純粋な音楽に良いにしても悪いにしてもゆがみみたいなものが出て来るのだが、辻井さんの場合はそれが全くないように感じました。完全に音楽だけが存在している世界が完成されている凄さ。作曲家が楽譜に書き落とす前の作曲家の頭/心の中の音楽を聴いているよう。完全に自由である音楽が羨ましい。おまけに彼自身から溢れ出ている情熱と喜びが音楽を通してこちらにまで伝わって来て、聴いていて何とも気持ちがいい。

日本人である事は誇らしい事かもしれないが、あそこまでのレベルに行ったらそんな事はどうでも良い事のように思う。人間として、あそこまで昇華出来る事が本当に素晴らしい!

豊かな音楽環境

BS%20Concert_resize.jpg今日はBスクールの年度終わりのコンサートを聴き/見に渋谷まで。ピアノの生徒6人が行っている学校なので、午後のレッスンの前に行ってきました。

Bスクールは年に2回、大きなホールでコンサートをしていて音楽が本当に学校内で盛んなのが伝わって来ます。平日の昼間というのに、お父さんも大勢来ていて、さすがだな〜と感心してしまう。

国際色豊かで、最初に素晴らしい和太鼓で始まり、合唱、合奏だけでなくアイリッシュダンスがあったり、ジャズがあったりと本当に多彩。曲もビートルズやミュージカルのママミーヤ、クラシックの弦楽合奏があったり、以前ブログにも書いた、イギリス近代作曲家のラターの曲があったり。合唱曲の歌詞を聞いていると、「世界に必要なのは愛」、とか「世界に手を広げて助け合おう」というメッセージのものが多くて、子供達は意識していないにしても、良い曲だな〜と感心するものばかり。一曲、生徒の一人が作曲したという曲も合唱で歌っていたが、失恋の歌で、相当心が痛んだ(涙)。本当に音楽がみんなにとって授業やお稽古としてではなく、楽しむもの、自己表現できるものとしている事に感動しました。こんなに豊かな音楽環境を作り上げているBスクールが素晴らしい。(おまけにこのコンサートに出るそれぞれのグループは練習が授業のカリキュラムに組まれている訳ではなく、昼休み時間や放課後に生徒の自主出席で練習しているらしい!)

最後に15〜16歳の男の子が合唱をバックにソロで歌ったのだが、抜群に上手かった。彼が歌い出した途端に、ホールの雰囲気も一変。小さい子達も大人も一瞬にしてシーンとなり、彼の声に聴き入っていた。私も思わず引き込まれてしまったが、とにかく上手いだけでなく、魂が込もっていて直に心に届く感じでした。彼もお客さんが聴き入っているのを感じ取っている様子で、さらに嬉しそうに歌っていた。大物だ〜!思わぬ所で凄い才能に出会えて、ラッキーな一日でした。

尊敬

                           人間的にも素敵なIさん
%E5%B2%A9%E4%BD%90%E3%81%95%E3%82%93%E3%80%80%EF%BC%91_resize.jpg昨日のブログに登場したフルートのIさん。私が大学を卒業してすぐの時に紹介され、随分と一緒に仕事をさせて頂きました。音楽に対する姿勢がいつも誠実で、とても尊敬している音楽家の一人です。私が大学を出たてで、場慣れのしていない時期にいつも励まして下さって、相当に勇気づけて下さったり、自信をつけて下さったりしていました。こんなに人間的に素晴らしい音楽家と若い時に一緒に仕事ができた事はとてもラッキーだったと思っています。

そんなIさんが、少し前になってしまうが、久しぶりにコンサートを茅ヶ崎でなさったので、聴きに行きました。舞台上のIさんは十年以上経った今でも音楽が全く荒れる事なく、誠実で真摯な姿勢でフルートを吹いていらして、とても素敵でした。一緒にお仕事をしていた私としてはとても誇らしく、そして同じ音楽家としてとても嬉しかったです。こんなに時間が経っても相変わらず尊敬出来る音楽家である事が本当に素晴らしい。見習いたいものです。

色々なシチュエーション

                            40本の薔薇の花束!
40%20Roses_resize.jpg昨日はオーボエのM先生と某クラブの定例会での30分の演奏。

こういう会の時はいつもがやがやとしている事を覚悟で行くのだが、これはこれで色々と勉強になる事が(笑)。以前によく一緒に演奏していたフルートのIさんは、こういう小さなコンサートに初めて演奏する曲やテクニック的に難しくて、挑戦したい相当大変な曲をわざわざ入れていた。面白い事に全然聴いてくれない方もいる代わりに、本当に一生懸命に聴いて下さる方も必ずいるので、ラフ感と緊張感の混ざった場としてこちらもいつも自分たちがプラスに持っていけるように考えていました。

有名な小品ばかりをリクエストされたり、一緒に演奏する人が「どうせちゃんと聴いてくれないんだから」と準備も適当にされると、私も全然やる気がなくなってしまうのだが、今回はしっかりと内容のある曲も入れていたし、M先生も曲作りに関しては、ホールでのコンサートと同じような姿勢で一緒に準備出来たので、とても楽しかった。

どんなにカジュアルなホームコンサートでも、少々賑やかな場での演奏も、演奏は演奏と思って一回一回が本当に大切です。小さな会の時にいい加減な準備をしていると、どんどん音楽は荒れていってしまうので、どのようなシチュエーションにおいても、音楽に向かう姿勢はいつでも誠実でありたい。

立ち位置

昨日、オーボエとピアノとのバランスで「ゾーン」なるものの発見について書いたが、色々と考えているうちに、実はソロのピアノにも当てはまるのでは、と思い始めて来た。

ここ数年、ソロのピアノにおいても、自分がどのような位置に立って弾くべきなのかというのが最大の課題であった。主観と客観のバランス。感情移入をしながらも自己陶酔に陥る事なく音楽を見失わないようにする事は本当に難しい。

学生時代にブレンデルがマスタークラスではなく、講義に来た事があった。今思えばとても不思議なセッティングだったが、アカデミーのDukes Hall (デュークス・ホール)というかなり大きなホールの舞台に100人程の生徒がオケのようにピアノの前に座っているブレンデルを囲んで座って聞く形を取っていた。

講義のテーマは特になく、生徒がする質問にプレンデルが答えていくものだった。その中にやはり「ピアノを弾く時の主観と客観のバランスはどのように取ったらいいのだろうか?」というものがあった。ブレンデルも「いい質問だ。これは音楽家にとって一生つきまとうテーマ」と云っていた。

内田光子さんも何かのインタビューで自分の半分は観客の真ん中に、半分はピアノの前にいるバランスで聴くようにしていると云っていた。そうしたいのは山々だが、これはなかなか出来る事ではありません(笑)。

ソロのピアノ演奏において、自分は音楽の中にどっぷり浸かり過ぎたり、冷静になり過ぎて、完全に音楽の外にでてしまったり、となかなか音楽に対しての自分の立ち位置と云うのが見いだせていなかった。しかし、今回のオーボエとのリハーサル、そして特に先日聴いた野平一郎さんの完全なる演奏を聴いて多くのヒントを得たような気がします。主観と客観のバランスが見付かりそうな気配。相当大きな前進になるはずなので、楽しみになってきました。

成長

Oboe_resize.jpg今週は火曜日と金曜日にオーボエのM先生とリハーサル。

M先生と一緒に演奏するようになって4年程が経つ。きっかけは、昨日のブログ登場のCさんの紹介なのたが、実は最初は全然興味がなかった(笑)。学生時代にアカデミーで聴いていたオーボエには惹かれるものがなく、全然一緒に演奏をしてみたい楽器ではなかった。そのため、紹介はされたものの、何か形になるように動き出そうとは思わなかった。しかし、数ヶ月後、教会でのチャリティーコンサートでM先生の演奏を聴いて大感激して、今度はこっちから猛アプローチ(笑)。すぐに一緒にコンサートをする計画を立てました。

それ以来、何回か一緒にコンサートをしているが、最初は相当大変でした(笑)。コンサートで聴いてピンと来る演奏でも、実際に一緒に弾くと実は全然違う音楽だった事が発覚する事がある。その違いの発覚があっても歩み寄れる人とは演奏し続けられるのだと思うが、M先生はその数少ない一人となっています。

最初のコンサートでとにかく苦労したのはバランス。それも音量的なことではなく、力関係だったように思う。対等であるべきか、支えるべきか、またはこちらが引っ張って行くべきなのか。ピアノの立ち位置が全然定まらなかったのを覚えている。音楽を一緒に作って行くプロセスは楽しかったが、なんとなく無理矢理に形にした感もないともいえない。

そんな感じで始まったアンサンブルだが、それ以降もいつもこの「バランス」に悩まされ続けて来た。音楽的な相性はいいような気がするのに、オーボエの音に対するピアノの居場所がどうしてもしっくりいっていなかった。

しかし、ついに...!
火曜日もその兆しが見えていたが、今日はついに確信が!
ついにオーボエとのバランスで「ゾーン」なるものを発見しました。そのゾーンに入ると何をしようがオーボエとの音楽的な一体感がある。そしてはずれると違和感があったり怖くなったりするので、すぐに修正出来るようになってきた。今まで何年か越しで悩んで来た事だけに今日の発見は本当に嬉しい。探し求め続けていれば必ず答えは見付かるんですね。

それにしてもM先生。2年前とは全然演奏が違う。2年間ドイツに留学していたので、しばらく一緒に演奏していなかったが、音楽的な豊かさが別人のよう。前に何回か一緒に演奏した曲を今回やっているだけにその違いがよく分かるのだが、本人はあまり自覚がないようで、私がリハーサル中に「思い切りが良くなったね!」だの「音の響きが全然違う」だのと云ってもキョトンとしている。はっきり云って羨ましい(笑)。2年間、ヨーロッパの空気の中で音楽の勉強にどっぷり浸かって来た人とは対抗出来ないが、自分は半分でも成長していたのだろうか、と自問していた所に今日の大きな発見があったので、少しは救われました(笑)。

凄い人

先日、初めてピアニストの野平一郎さんの演奏をコンサートで聴く機会がありました。
あまりの上手さに驚きました(笑)。

有名なのでお名前はよく聞いていたし、あらやる所で写真も拝見していたが、想像していたイメージとは全く違っていた。いつも拝見していた写真は結構色見のない冷たい感じのものだったのと、作曲家でもあるので理屈っぽい演奏なのかと思い込んでいたが、そのあまりの素晴らしさに大感動してしまった。

コンサートは前半がヴァイオリンとチェロとピアノのトリオにヴァイオリンとピアノのソナタ、そして後半は弦楽四重奏という室内楽のコンサート。実はヴァイオリンのHさんが一番の目的だったが、演奏が始まると野平さんの音しか聴こえなくなってしまった。

まず、驚いたのが調弦のために弾いたラの一音。あまりの美しい音にすでに演奏が始まる前に「凄い人かも!」と思わされてしまった。そして、弾き出すとこの直感に間違いはなかった。とにかく音が美しい。考えずに弾く音はもちろん、勢いに任せて音楽から飛び出てしまう音が一音もなかったように思う。そうかといって、おとなしい演奏では決してなく、内なる情熱を終止感じさせる流れがあった。作曲家だから当然といえば当然なのだが、構成も素晴らしく、曲を完全な形で見せられた感がある。音も間も、楽章間の譜めくりに至るまでもが本当に完成された音楽となっていた。

日本にこんなに凄い人がいるんだな〜と嬉しくなりました。自分の演奏も全然違う角度から見れるようになって、新たな発見が次から次へと出て来ていて、練習が楽しい。こんなにピアニストから刺激を受けたのは本当に久しぶり。今、とっても張り切ってピアノに向かっています。

プログラム

火曜日に秋のリサイタルの打ち合わせ。いつも大きくサポートして下さっている、Kさん&Kさんと3人でのランチ。皇居が目前に広がる素敵な場所での打ち合わせとなりました。

実は、今回のリサイタルは計画段階で色々な迷いが出て来てしまったので、中止する事も考えていたのだが、なかなか取れないはずだったホールが運良く押さえられたので、やる方向で今事を進めています。逆に迷いがあったために、色々と考えた末に自分の中で様々な事が整理できたので、今度のリサイタルは自分の中でも大きなけじめとなりそうです。

今回は自主企画となるため、チラシ/プログラム作成から人員集め、プロモーション方法等について打ち合わせ。そして、やはり一番メインはプロブラム。

コンサートをする時に結局一番大変なのはお客さん集めなので、プログラムはパッと見、親しみのわくものにする傾向が強い。春のヘレフォードのコンサートもそのようなリクエストで考えたプログラムでした。

今回のプログラムに関してはここ数週間なんとなくずっと考えて来ていたのだが、どうしても自分が一番しっくり来るプログラムは渋くて、あまり有名どころでない曲名が並んでしまっていた。なので、誰でも知っている曲目を2〜3入れたものも二案作って、合計三案を作ってみました。

プログラムのご相談をする時に、ポピュラーなものの入った二案を先にお見せしたのだが、最後に恐る恐る第3案をお見せした所、お二人とも声を上げて「これがいい!これがいい!」と急に盛り上がって下さったのには驚いた。自分が一番弾きたかったプログラムをこんなに応援して下さる方がいるという事は本当に幸せだと思う。

と云う事で、秋のリサイタルは結構渋いプログラムとなります(笑)。しかし、自分にとってはどれもが自分自身がとっても弾きたい曲だけでなく、思い入れのある曲ばかりとなりました。色々な迷いから始まった今回のリサイタルですが、本当に楽しみになってきました。自分を励まして下さって、そして自分の音楽を本当にサポートして下さっているKさん&Kさんに本当に感謝です。

仲間意識

%20Home%20Concert%20Flowers_resize.jpg日曜日に生徒達の発表会。発表会という言葉が嫌いなので、必ず「コンサート」と云う事にしている。発表会で自分の曲だけさっさと弾いて、他の人の演奏を聴かないと云うのはどういうものかといつも思っているので、毎回子供達にはピアノを弾くだけでなく、音楽を聴く場だと云う事を強調している。

今回は家でのコンサートで出演者は総勢15人。ピアノだけでなくヴァイオリンやフルート、そして友情出演での連弾やオーボエ演奏。メンバーは増えてはいるものの、あまり変わらない事もあり、仲間意識が芽生えているためにお互いの演奏や成長振りには子供ながら感心があるよう。Home%20Concert%20Flowers_resize.jpg終わった後に褒め合ったり,前回に他の子が弾いていた曲やどんな風に弾いたかを覚えている子さえもいる。生徒達の親も、他の子達の成長振りをわが子のように喜んでくれるので、本当に皆が大きな家族のよう。二時間近いコンサートだが、静かに最後まで一生懸命聴いてくれているのは凄い事だと思う。

ピアノを弾く楽しさだけでなく、音楽を聴く楽しみを本当に知って欲しい。それが,仲間であれば感心も持つだろうし、上手な演奏であれば感動したり、刺激にもなる。ピアノが上手になる事ももちろん目標だが、「音楽は身近なもの」そして「人生を楽しく豊かにしてくれるもの!」と云う風に子供達が自然に思えるようになったら本望です。

黒鍵の音

今日、一年近く振りにピアノの調律、調整をして頂きました。比較的新しいピアノなので、楽器がまだ落ち着いていない事もあり、頻繁に調律を入れたくないのが本音だが、あまりにひどく狂っていたので、生徒達に対しても申しわけない程になってしまっていた。

調整もして頂いて大満足だったが、気になる音が2、3。直して頂いても、尚も気にしていたら調律師の方に「黒鍵の音なんですよね」と云われ、「え〜っ?」と思わず笑ってしまった。

鍵盤は白黒別れてはいるが、ピアノの中を見れば分かるように弦やアクションは同じなので、このコメントにはびっくり。まさか、白鍵と黒鍵に違いがあるとは思わなかった。白鍵は長くて黒鍵は短いのだが、てこの支点が変わるために(少しは中で調整しているらしいが)白鍵と黒鍵とで音色が違って来るらしい。

気になっていた音は黒鍵だったが、詰まる感じの音色が気になっていた。しかし、この説明をされると全ての黒鍵の音が白鍵と比べると詰まった感じに聴こえて来てしまったから不思議。ここまでマニアックになってくると、過敏になり過ぎて何も弾けなくなってしまうので、程々にしないといけないとは思うが、こんなに長く付き合っているピアノなのに、まだまだ知らない事があるんだな〜、と今日の新たな発見に嬉しくなりました。

イギリス旅行記:コンサート

HT%20Piano_resize.jpgいよいよコンサート。

Woebley Church (ウエブリー教会)のためのチャリティー・コンサートだったので、ウエブリー教会の牧師さんBobの紹介でコンサートがはじまりました。控え室に「もう始めていい?」と呼びに来て下さったのもBob(笑)。3年振りの再会だったので、懐かしさで少し気持ちがほぐれました。自分の教会の神父様よりも親しい(笑)。

ヘレフォードはそれほど大きな街でないにもかかわらず、残念な事にこの同日にコンサートが3つも重なってしまい、「お客さんが凄く少ないかもしれない」、と事前にいわれていたのだが控え室から出てびっくり。教会のベンチ席は全て埋まっていました。これは、本当に友人の手腕によるものだが、こんなに遠くの知らない地でこんなにたくさんの人が聴きに来てくれた事には感激。

2時間のコンサート。本当に聴衆が集中して聴いてくれていたのには、こちらも感動してしまいます。子供も多かったのに(おまけに結構前の方に座っていたので大丈夫かな〜と心配していたのだが)水を打ったように静かに聴いていてくれていました。音ではなくて、音楽に心を傾けて聴いて下さっているのがこっちにも伝わって来るので、本当に弾きやすい。毎回思うのだが、聴衆のレベルの高さを実感します。

アンコールも終わると、女の子が花束を渡しに来てくれましたが3年前にコンサートをした時にもお花を渡しに来てくれた女の子でした!成長して大きくなっていたが、お礼のキスをしたHay-On-Wye%20print_resize.jpg時のはにかみ方が全く同じで、フラッシュバックのように3年前に戻ったようでした(笑)。

そして、最後に牧師さんがご挨拶。お礼の言葉と共にウエブリー教会の信者さん達一同から、という事でヘレフォードの隣町、私の大好きなHay-on-Wye (ヘイ・オン・ワイ)の素敵な水彩画のプリントを贈って下さいました。

自分の住んでいる所からこんなにも離れている場所なのに、何だかとても深い繋がりを感じます。音楽を通して、色々な人と出会い、音楽をともに分かち合えるのは本当に幸せです。

それにしても、今回のコンサート会場はHoly Trinity Church (聖三一教会)。しかし、コンサートの主旨はWoebley Church(ウエブリー教会)のための資金集め。おまけにこの聖三一教会の牧師さんも聴衆として聴きに来ていたのに、ウエブリー教会の牧師さんが前に立って挨拶しても全然オッケーという所が面白い。全然関係のない教会同士なのに、懐が深いな〜と思う。


Wonderful Tonight

生徒の一人がイギリスのグレード試験を受けるので、いくつかある選択曲の中から「Wonderful Tonight」というのを選んでいた。よく楽譜を見たら、エリック・クラップトンの曲でびっくり。このグレード試験はクラシック曲1曲、ロマン派一曲、そして近現代から一曲選ぶのだが、その近現代にE.クラプトンが入っていた。さすが、イギリス...(笑)。

この「Wonderful Tonight」は私も大好きな曲だが、生徒に「エリック・クラプトンって知ってる?」と訊いたら名前さえも聞いた事がなかったそう。ジェネレーション・ギャップに相当ショックを受けながらも、「ちょうど、私のIPodに入っているかも」とかばんの中からIpodを取り出して、二人で一緒に聞きました。久しぶりに聴き直すと「いい曲!」と再確認。生徒も気に入っていました。

そんな訳で、帰りの電車の中で、久しぶりにエリック・クラプトンのベスト・アルバムを聴き直した。好きな曲はいっぱいあるが、その中でも「River of Tears」を聴きながら、思いは今弾いているモーツァルトへ。この「River of Tears」は何度も同じ言葉を繰り返し歌っているのだが(ロック/ポップス系は大体そうだが)、その同じ言葉は聴いていていて飽きる事もなければ、しつこいと思ったり、わざとらしいと思う事もない。その言葉の裏にある、その時々の感情や思いに嘘や偽りがないからだと思うのだが、どうにか、これを自分のモーツァルトの変奏曲で同じように表現出来ないものかと考えさせられました。心から直に出る表現の仕方がないものかと、模索しています。

スタジオ エスポワール

                              華やかなNさん
%E6%9C%9B%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg3月1日にスタジオ・エスポワールでコンサート。ピアノ・ソロの他に歌のリート曲を2曲。友人でもあるNさんとの共演でした。

残念ながら、冷たい雨の日曜日となってしまいましたが、35人程入るサロンにはお雛様も飾ってあって、とっても素敵な雰囲気。「春」がテーマのコンサートだけにとても華やいだ気分になりました。

プログラムは、スカルラッティ、モーツァルト、ブラームス、そして最後にショパン。間にトークを交えてのサロン・コンサートでしたが、プロとして司会もしていらっしゃるNさんにはただただ脱帽(笑)。お客様も巻き込んでのトークには横で聞いている共演者の私もすっかり引き込まれてしまいました。お客様をリラックスさせるのがとても上手で、見習いたい事がいっぱい(笑)。横で感心してしまっていました。

March%201st%20Concert%201_resize.jpg自分の演奏に関しては「まだまだまだまだ」という事が多々あって、「がっかり」してしまった所もあったが、音楽的には相当やりたい事は出来たような気がします。音楽的に守りに入らなかった事は自分に評価してあげたいところです。コンサートで弾く事によって、発見も色々とあったので、次のコンサートに向けてのワンステップと思っています。

Teatime_resize.jpg演奏の後は来て下さった方達とのティータイム。この時がとっても楽しいし、嬉しい(笑)。色々な方の感想やご意見が聞けるので、とても貴重な時間と思っています。自分の中ではやはりマイナス面ばかりが気になってしまいがちだが、聴いて下さった方からの温かな言葉を頂くと本当に励まされます。そして、それこそが次のコンサートに向けて「また頑張ろう!」という気を起こさせてくれるのです。

イギリスでのコンサートまであと4週間弱。今回のコンサートのお陰で、共演者のNさん、そして聴きに来て下さった方から頂いた勇気でまた張り切って練習に臨めます!

勢い

昨日、また友人(今回はSちゃん)にコンサートプログラムを聴いてもらう事に。ちょうど、一週間後にサロン・コンサートがあるので全プログラムをシュミレーション。歌曲も2曲あるので伴奏のみ(笑)も含めての1時間強。

最近は自分でもまめに録音するようにしているが、やはり一人でも観客がいると演奏が全然変わってしまう(笑)。この「変わる事」に慣れるために、コンサート前に出来るだけ人前で弾く場を設けるのだが...。

スカルラッティ、モーツァルト、モーツァルト歌曲2曲、ブラームス、そしてショパン。
録音を聴き直して、意外とモーツァルトが良い方向に進んでいてちょっと安心。まだまだやる事はいっぱいあるが...。

今回の通し弾きで驚いたのが、ブラームスとショパン。独りの練習では出ていなかった勢いが想像以上に出て来て、演奏としては良かったものの、内心振り回された感じに(笑)。特にブラームスは16曲のワルツを続けて弾くのだが、流れがやけにスムースにいったがために相乗効果で曲が進むに連れて、曲の中のエネルギーがどんどん大きくなっていた。自分でもそのエネルギーの大きさに怖くなってしまったりもしたが、曲の本質が見えた気がするので、これからはとにかくこの勢いも自分のものにするのが課題。

ショパンも、午前中に部分練習している時に大きな発見があり、午後に通して弾いた時の効果が想像以上に大きくて、これにもビックリ(笑)。良い効果にはなっていたので、これからは全体像をもっとはっきりと持てるようにするのが課題。

最初のコンサートまであと一週間。あと一頑張り!

意図

今日もまた友人のMにリサイタル・プログラムの数曲を聴いてもらう事に。ベートーベンの月光ソナタと小品2曲。合計25分足らずのプログラム。

先週、あまりに予想外の事が色々と起きてしまったので、準備万端の状態からはほど遠く、相当気が重かったが、色々な状況で弾く事も勉強になるので、今日は強行突破する事にしました。

弾き終わった後に相当自己嫌悪に陥ってしまったが、それでもMはアドバイスと共に色々といい所を見付けては、コメントしてくれました。「よくゴミの中から、いいものを拾い集めてくれるね〜。」なんて苦笑いしながら聞いていました(笑)。

しかし、面白いもので、あんなに自分の中で何もかもがしっくり行っていない感じだった演奏も、帰り道すがらレコーディングを聴いてみたら、意外と伝えたい事、意図している事が音に出ている事が多かったので、驚きがありました。今、音楽的に進んでいる道が間違っていない事が確認出来たのは確か。まだまだ弾き込みが足りず、それも音に出てしまっていたが、方向性は間違っていなかったのでこのまま後は猛突進するのみ。今日の演奏は50点くらいしか自分にあげられないが、逆に勇気づけられたのも確か。今の時点では「頑張らなきゃ!」というのと「楽しみ!」がちょうど50/50です。

前半

今日は3月末のリサイタルのプログラム前半を録音。スカルラッティ、モーツァルト、そしてベートーベン。40分弱の前半。

今回のプログラムは新曲が多く、先月に録音した時は「剥き出し」の音が相当耳障りだったが、今日の録音では大分音がまろやかになっていた。曲が大分身体に馴染んで来てくれているので、「鍛錬」されてきた音になっているのだと思う。

その反面、音楽的内容に関しては「いい加減どうにかならないものだろうか」とあきれてしまった(笑)。やはりモーツァルトが難しい...。色々と表情を付けている所が嫌みに聴こえ、淡々と弾いている所は何ともつまらない、というダブルパンチ(笑)。

こうなったら想像力を豊かにするあらゆる手段を使わなくては....!

一生懸命

先日、友人のTとの電話でまた色々と考えさせれる事が。

演奏のスケール感からこの話になったと思ったが、ピアノの巨匠「ホロヴィッツ」が今では有名なピアニストM.ペライアに『若い時はとにかく「一生懸命」弾かないといけない。一生懸命にならないと弾けない大曲もいっぱい弾かないといけない。そうしないと、歳を取って、エネルギーがなくなったら何も残らない演奏になってしまう』というアドバイスをしたそうだ。

自分の知っているホロヴィッツはいつも楽々と弾いている印象があるので、これは意外な言葉だったが、本当に日々、自分よりも大きな曲に向かっていかない事には、どんどん自分のスケールが小さくなって行くのが目に見えている。

そして、大曲に挑む時だけでなく、やはり小曲を弾く時でも一生懸命弾かなくては、と今日の練習で実感しました(笑)。今、曲が結構形になって来ているので、音楽が自然に流れるように、いかに脱力するかが練習の大きな部分を占めているが、脱力が「楽をする事」になりかねない事を発見。脱力して,音楽が自由に流れるようになっても、気は抜かないようにしなくては!

地味な作業

練習というのは面白いもので、その日どれくらい良い練習が出来るかというのはピアノの前に座るまで分からない事が多い。やる気満々なのに、大したいい練習にならない日もあれば、とてつもなく疲れているのに、やけに練習がはかどる時もある。

今はコンサート前なので、出来るだけ生徒達のレッスンはまとめて、練習だけをする日にちを週に2日(運がいい時は3日)取るようにしている。今週は火曜日がその一日で、朝から「今日は〜の練習」と、とても張り切っていた。身体も元気な方だったと思ったのだが、なかなかやりたいと思っていた事が上手く身に付かず、充実感のない練習になってしまった。それでも、相当集中していたようで、9時に始めた練習だったが、気づいたら2時になっていた(笑)。その後も休憩を取りながら練習していたが、相変わらず地味〜な作業で一日が終わってしまった。

そして、今日(木曜日)も一日練習の日。水曜日は一日朝から外に出てしまっていたので、本当に久しぶりに全くピアノに触らなかった。しかし、昨晩からもう既に今日の練習モードに入っていて、ブラームスをどういう風に弾くかを色々と考えながらの就寝。そして朝も目覚めた時から、ブラームスが頭の中で鳴っていた(笑)。

よくピアノの前に座っていない時に、音楽的な解決を見いだしたりするが、昨晩から色々と考えていたお陰で、今日の練習はやけにはかどった。次から次へとやりたい事が形になるだけでなく、そこからさらに違うものも見えて来て、今日は大きなブレイクがあった。「左手をちゃんと弾く」という”超”基礎的な事なのだが(笑)、色々と苦労していた所がまとめて魔法のように弾けるようになり、相当満足感のある練習となった。

張り切っていた火曜日の練習ははかどっていないように見えたのに、今日は相当大きく前進した実感がある。火曜日の練習は今日の準備段階のようなものだったんですね。本当に音楽作りというのは、地道な作業の積み重ねだな〜と思う。

センス

昨日観たイギリスのロック・ミュージックのドキュメンタリーで、いかにも反社会派バンドの「The Smiths」というバンドがいつもプロコフィエフの音楽を使ってステージに登場していたと解説していて、その映像が映し出された。私も大好きなプロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」でした。なんてセンスがいいんだろう(笑)。

なので、今日は小沢征爾指揮、ボストン交響楽団のこの「ロミオとジュリエット」のお気に入りCDを聴きながら夕食のクラム・チャウダーを作りました(笑)。

絶対評価

昨日のブログと少し関連していると思うが、人の評価と自分の評価の違いについて、つくづく良く考えさせられる。

先日、電話で話したTともその話題になった。お互いにとっても尊敬しているFさんはコンサートをしょっ中しているので、同じ曲を続けて何回か聴く機会があり、その評価の話になった。Tが云っていたのは『Fさんが「昨日より今日の方がよかった!」と凄く上機嫌だった』そうだが、Tとしては前日の方が音楽的にずっと良かったそう。結局、この両日は弾いた本人と聴いていたTの評価が逆になってしまったのだが、『Fさんが「上手く弾けた!」と満足そうにしていた演奏を僕も「素晴らしい!」と思った事もある』というので、「結局全てのバージョンがあるんだよね」、という事になった(笑)。

ピアノは特に独りで進歩していかなくてはいけない楽器なので、いつも自己評価する事が必要だが、これがなかなか難しい。絶対的な尺度というものが自分の中に存在するはずだが、それが見えなくなったり、勘違いだったりもするので、本当に困ってしまう。このぶれない絶対評価をしっかりさせたい。

何が良くて、何が悪い

新聞の雑誌に載っていた落語家、柳家三三のインタビュー記事を読んだが、つくづく共感する事が多かった。

15年間弟子入りした師匠からはひとつも落語を教えてもらえなかったそうだが、一度だけ差し向かいで兄弟子に教わった落語を聞いてくれた時の話が書いてあった。
しゃべってみろといわれ、最初から始めたが...。
「ご隠居さんこんちは」「誰かと思ったら八っつあんかい」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「それだ。もう一回」
「ご隠居さんこんちは」
「やっぱり違う」


それだけで一時間。何がいいのか悪いのかさっぱりわからぬままおしまいだったそう。
これは、私自身とロンドン時代の先生との数年間の関係を凝縮しているような気がして胸が痛む。

アカデミー時代についていたW先生はとにかく音楽が素晴らしく、今聴いても魅了されてしまいます。しかし、今思えば、W先生の音楽は自分の音楽とは系統は同じでも、やはり全然違うもので、それを一心に追いかけてしまったがために自分の音楽が見えなくなってしまったような気もします。自分の音楽ではないので、やはり先生が良いと思うものも100%把握し切れる訳がありません。自信満々にレッスンに曲を持っていっても、先生は全然不満足という事もあれば、自分では全然良くなかったと思った演奏をやたらと褒めてくれる時もあって、いつもこのギャップをどうにか無くしたいものだといつも悩んでいた。何が良くて、何が悪いのかが分かっていない訳です。

そんな先生を2度だけ唸らせた事があって、今でもとても印象に残っています。一回は試験前に他の生徒さんとの弾き合いのクラスで弾いた時の事。ベートーベンのソナタ第31番Op.110を弾いたのだが、最初の音から相当感激してくれたらしく、今でもその褒め言葉が楽譜に書き残されていて、見る度に弾き終わったときの光景を思い出します。先生、驚きの表情と共に無言でした(笑)。しかし、翌日の試験(先生も試験管)では、そこまでいい演奏ではなかったらしく、「今日も良かったけど、昨日は特別だったね」といわれました。自分では全然違いが分からなかったので、何がそこまで凄かったのか今でも分からないのが残念(笑)。

もう一回はブラームスのラプソディーを弾いた時の事。「自分も音楽的な事を色々と盗ませてもらうよ」と先生にいわれ、相当嬉しかったのを覚えている。今まで習って来た事をいつも念頭においているが、このブラームスは、先生の音楽や音質音色を全く意識して弾いている訳ではなく、自然と自分のものになっている感がある。先生から受け継いだものの蓄積と自分の音楽が上手く融合した数少ない演奏だったのではないかと思っています。

今の課題は、とにかく今まで追いかけて来た先生の音楽ではなく、自分の音楽を見つける事。練習が今、軌道に乗っていて、この「自分の音楽」が段々とクリアになって来ているような気がしているが、「どうかこれが勘違いではありませんように!」と祈っています。

鎌倉に遊びに来てくれたT
Tomoaki_resize.jpgMちゃんとの弾き合いで俄然、練習内容が充実。本当に音楽仲間がいる事で自分の音楽が支えられている事を実感します。

そんな音楽仲間の一人、オーストラリアに住んでいるピアニストのTも相当自分の日々の進歩に携わっている。暮れに久しぶりに電話で話したが、彼自身が経験している事でも、自分が何となく思っていた事だったりするので、自分の中の思いや考えがまとまって、違う道でありながらも進歩を共にしている感がある。

昨日のメールではウィーンでおこなったリサイタルの事が書いてあったが、自分でも思い当たる事ばかりで笑ってしまった。「リサイタル前、準備があまりに調子良くて、最初に決めていた目標の山に向かってズンズン登り始めたら、目標が見えなくなってしまったが、それでも調子がいいからそのまま進んだら、自分では全然登ろうと思っていなかった違う山の頂上に辿り着いていた!」と書いてあった。私はこれを20年間やってしまったような気がします(笑)。全然見当違いの山を一生懸命登っていた気がするが、やっと昨年頃から自分の山がまた見えて来ました。自分の山がやっと再発見(若い頃はしっかり見定めていた山があった)出来たので後は登るのみ。この「自分の山」と思っているものが勘違いでない事を信じて...。


練習

%E5%BC%BE%E3%81%8D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B_resize.jpg年末からお正月に掛けては練習三昧。いつもそうだが、生徒のレッスンのない春と夏のお休みにはいつも海外に出てしまうので、実はこの冬休みが一番家で落ち着いて練習出来る時期。それなのに...。

先日、Mちゃんと3月のリサイタルに向けての2回目の弾き合わせをしました。12月にするはずだったのが、色々な事情でずれ込んでしまったので、予定よりも曲をもう一曲増やす事にしました。今回はプログラムの残りの新曲、スカルラッティのソナタ2曲、モーツアルトのキラキラ星変奏曲、そしてショパンのスケルツォ。
 
 年末年始は相当の練習時間を注ぎ込んでいたが、自分で録音したのは弾き合わせの2日前。「なぜもっと早くに録音しないのだ!」と毎回思うのだが、練習している時点でなかなか辿り着きたい所に辿り着いていないと、全然録音する気にならないのです。しかし、人に聴いてもらうからには、そうも云っていられないので最終的には嫌々ながらする事に(笑)。

 録音してやはりショッキングな事が多く...(笑)。スカルラッティとショパンはあまりにもあっさりと表面をかすっている印象だったので、もう少しじっくりと弾き込む事に。一番困ってしまったのがモーツアルトの変奏曲で、あまりのつまらなさに自分でも愕然。生徒達のレッスンも始まっているが、残りの一日半をかけて、寸暇を惜しんで必死の修正。

そして、冷たい雨の日に弾き合わせ。「進歩は振り子のよう」と云われた事があるが、正にそれを体験してしまいました。振り子が今度は反対側に振り過ぎてしまいました。

 モーツアルトに関しては「色々と盛りだくさんすぎて聴く方は混乱しちゃうかも」といわれ、「逆に曲が本来持っている変奏のキャラクターの違いがかき消されているから、そんなにいじくらなくてもいいかもね」というコメント。不自然にならずに変奏を生かすアイディアを色々と提案してくれました。スカルラッティとショパンに関しては「いつもとは違って随分と落ち着いた演奏だね」と云われ、「2日前にレコーディングしたら勢いしかなかったら、今日はそれを狙っていた」といったものの、帰り道の電車の中で録音を聴いて、またもや愕然(笑)。あまりの緊張感のなさにびっくり。落ち着きどころかダレにダレまくっていて何とも締まりのない内容でした。

Mちゃんの様々なコメント、それから彼女の演奏や自分のレコーディングの事を考えて、今日は大きく練習を修正。急に「コンサートで弾くための練習」がどういうものかを思い出したかのようにエンジンが掛かった。
 音の立ち上がりから、流れや勢いに対しての緊張感が全くなかった事を痛感。このお正月、いかに中身の薄い練習をしていたかを反省。しかし、今気づいただけでも本当に良かったと思っている。あの怠惰な練習があったから、逆に今すぐ切り替えが利くのだが...。
 
 それにしても、Mちゃんの存在に本当に感謝。しばらく大きなコンサートをしていなかったので、自分の演奏スタイルを忘れていたが、彼女のお陰で思い出した。
今日はほぼ一日中練習していたが、やっといい練習をしたという実感がある。これでやっと3月のコンサートに向けての軌道に乗れそうです。

チャイコフスキー交響曲第五番

08-12-19_01-27_resize.jpgせっかく楽しみにしていたチャイコフスキーの交響曲第5番だったが、自分としてはコンサートでは少し期待はずれだったので、家に帰ってからお気に入りのCDで耳直し。E.ムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団のチャイコフスキー。Wフィルの演奏があまり良く感じられなかったのはこのCDのせいのように思う。この曲を初めて聴いたのがこのCDで、初めて聴いた時から大感激してしまったためにイメージが出来上がってしまったのは確か。考えてみると、ライブで何度もこの好きな第五番を聴きにいっているが、このレコーディングを越える演奏にはまだ出会っていない。名盤と云われているらしいが、ライブをも越えるレコーディングって云うのは本当に凄いと思う。

一時は毎日のように聴いていたCDだったが、今回のコンサートをきっかけに聴き直したのは何年かぶり。改めてその素晴らしさにも感激するが、意外と記憶に残っていたテンポよりも遅かったり、それぞれのソロパートがあっさりしていたりと色々と新たな発見が。このレコーディングが凄いと思うのがオーケストラという全体で作り上げる全体の流れ。これはもう指揮者の手腕としか言いようがないように思う。それぞれのパートは思いっきり歌わせるでもなく、淡々と流しているのに、全体としての響きは軽くなる事なく、大河のように見た目は穏やかでも、常に大きなエネルギーを含んだまま音楽が流れて行く。特に一楽章の情感の深さ、そして四楽章の緊張感と勢いの持って行き方には何度聴いても感動するし、ワクワクしてしまいます。

このレコーディングの素晴らしさを再確認して、最近は電車の中でしょっ中聴いている。生徒のレッスンから帰る満員電車の湘南新宿ラインでギュウギュウに押しつぶされながらも、目を閉じてこれを聴けば一気に広大なロシアに連れて行かれます。目を開けた時のギャップが凄いが(笑)、音楽の素晴らしさを本当に実感します。

Wフィル&Berlinフィル

「演奏家はいい音楽を聴かないと...!」と云って、自分では絶対に手の出せないコンサートに招待して下さる方がいます。意外とクラシック音楽のコンサートは、友人や知り合いのコンサートに行く事があまりに多いために、自分で何か調べてチケットを取るという事が殆どないので、本当に感謝な事と思っています。

今秋のハイライトは何と云ってもWフィルとベルリン・フィル。Wフィルは相当前にプログラム内容を聞かされて、「どっちがいい?」とプログラム選択もさせて頂きました。選んだのはチャイコフスキーの交響曲5番の入ったプログラム。交響曲6番の「悲愴」の方が一般的にポピュラーだが、私は断然5番の方がお気に入り。大好きな曲の一つです。Wフィルの上に大好きな曲とあって本当にとっても楽しみにしていました。

コンサートの前半はロッシーニとストラヴィンスキーの「妖精の口づけ」というバレエのための交響組曲。まずはやはり音の美しさに感激。とにかく調弦にとてつもない時間を掛けて仕上げた音は異常な程に純粋。あんなに大人数で弾いているのに、その透明感には驚いてしまいます。曲の演奏中も神経質な程に弦もパーカッションも音程調整をしきりにしていたのが印象的でした。本当に聴いているこちらも身体が浄化されていくようでした。

しかし、ストラヴィンスキーになった時にちょっと嫌な予感が。あまりに音が澄み切り過ぎているのと、R.Mの指揮もテンポが遅く、重いためにストラヴィンスキーに必要不可欠な火花が散るような激しさが全く感じられなかった。お上品な思慮深いストラヴィンスキーになってしまって、全然曲の良さが伝わって来ませんでした。ここで休憩でしたが、チャイコフスキーがどうなるのかちょっと不安に。

そして、その嫌な予感が当たってしまいました。指揮者は重厚さを追い求めていたように思うが、Wフィルの音は軽やかで、テンポと音質がどうにも一致していなかった。そして、何と云ってもロシアの壮大さ、スケールの大きさ、そしてそういう大国から感じられる底力が全然伝わって来なかった。選曲がどうにもオケとは一致しない残念なコンサートだったように思いました。

超一流のオーケストラといえども、こういう事があるかと思いきや、圧倒的に感激したのはベルリン・フィル。曲もブラームス、交響曲1番、2番とプログラムとオケとの組み合わせも文句なし(笑)。ドイツの凄さを見せつけられました。

Wフィルの音程の一致の凄さが耳に残っていただけに、ベルリン・フィルの調弦が意外と雑に感じられました。オーボエの出していた音程調整のための音もヴィブラートが掛かっていると思うくらいに揺れていたし(笑)。(実際に隣に座っていたフルートのE.パユが少しそれをからかっていたように見えたけど...笑)。しかし、圧倒されたのは、とにかく全体のアンサンブルとしてのそれぞれのパートの位置感のわきまえ方と、情熱の一致感から来る一体感。特に木管と金管がずば抜けていたが、ソロの時に吹く時の音の飛ばし方とオケの中に溶け込まなくてはいけない時の音の使い分けが凄くて本当にびっくりした。音質はもちろん、音量もpppppからfffffまで10段階以上ありそうな感じでした。フルートもオーボエも良かったが、何と云ってもホルンが素晴らしかった。もともとホルンは大好きな楽器だが、ラデク・バボラークのホルンにはただただ驚くばかり。今までに聴いた事のないホルンの音と音楽で、コンサートが進むにつれて、ホルンがソロで弾いてくれないかとホルンばかりに気がいってしまっていた。

面白いなーと思うのが、20年程前に初めてベルリン・フィルをロンドンで聴いた時に、弦の凄さには感激しながらも、管が皆あまりにもボロボロで「これが天下のベルリン・フィルなの?」と結構がっかりしたのを覚えています。、あの時も確かブラームスの交響曲2曲だったが、管があまりにお粗末だったためにコンサートとしての印象はあまり良くなかった。それが、今では弦の魅力が全くかすれるくらいに管が素晴らしくなっているのだから、やはりオーケストラも時代時代によって変化があるんですね。

重厚でありながら、情熱的なブラームスが聴けて本当に幸せなひとときでした。演奏が終わって、隣に座っていらした、招待して下さった方の顔を見たら、空を見たまま「参りました...。」の一言だけ。本当にこの一言に全てが凝縮されたコンサートでした。

120%

昨日のブログで書いた大活躍だったE君。終わった後に色々と試合の話をしてくれたが、「今日は86%くらいだった。もっと頑張れた。」と自己評価をしていた。チームは優勝、そして最優秀選手賞までもを取りながら、喜んでいるだけでなく、冷静に自己分析をしていて感心してしまった。スポーツでも音楽でもそうだが、周りにとらわれず、自分の中での目標というのはいつでも持たなくてはと思う。

この「86%」という微妙な数字が何を意味しているのか気になったが、あまり突っ込んで聞く雰囲気でもなかったのでそのままにしておいた(笑)。自分もよく、その日の演奏評価をするが、意外ときっちりした数字を出す事が多い(笑)。

この%だが、私がまだ小学生だった頃だったと思うが、音楽家だった母から「コンサートでの演奏は普段の演奏よりも20%はマイナスされる事を覚悟しなくてはいけない。100%を出そうと思ったら普段から120%を目指さないといけない」といわれ、今でもそれは深く心に刻まれています。特に子供の時というのは場慣れもしていないし、観客の引き込み方も分からないし、柔軟性も全くないので、これは本当に良いアドバイスだったように思う。
 
今では、本当に調子が良ければ逆に普段では出せない150%〜200%の秘めた力さえも舞台上で出せる事を学んで来たが、やはり普段から120%を目指すのは本当に重要な事と思っています。

 よくアンサンブルのリハーサルでうまくいかないと「本番でなんとかなるよ」と云う人がいるが、本当にがっかりしてしまいます。練習でこれ以上いい物を作れない所まで持って行って、本番では緊張感や聴いて下さっている方とのコミュニケーションでそれをさらに次の段階まで引き上げるのが理想です。今は同じような思いの音楽家としか一緒に演奏しないのでがっかりする事もないのだが、人と一緒といえども、一緒に120%を目指せる同士がいる事は本当に感謝な事と思っています。

宇宙の鼓動

先日、トッパンホールでのKさんのリサイタルへ。オリヴィエ・メシアン生誕100周年記念コンサートで「幼子イエズスに注ぐ20のまなざし」の第2回目のコンサート。この曲は全20曲からなり、第1回目に最初の10曲、そして、今回は後半の残り10曲。難曲の上、超大曲なのでこのプログラムに挑むだけでも、凄いのだが、それだけにとどまらず、本当に音楽の核心にせまった素晴らしい演奏でした。

十曲のうち、一曲以外は初めて聴くものばかり。それぞれの曲には副題が付いていて、この時期にぴったりの「ノエル(降誕祭)」、「予言者、羊飼いと東方の三博士のまなざし」などの曲が聴けるとあってとても楽しみにしていた。解説にも「ノエル」では鐘の音が鳴り響くと書いてあり、つい先日友人が貸して下さったノートルダム寺院のクリスマスCDで聴いた静かな純粋な鐘の音を想像してしまったが、実際は全然違っていた(笑)。地が揺れ動くかごとくの不協和音の嵐だった。しかし、考えてみたらクリスチャンにとっては、神様がこの地上に幼子イエズス・キリストとして降り立って来る事(降誕)は天をも揺るがす出来事なのだから、すぐに自分の先入観をかき消す事が出来ました。

唯一、知っていた曲が第15曲の「幼子イエズスの口づけ」。これは和音が静かに進行しながら奏でられ、20曲の中でも一番旋律的で耳に優しい気がします。
 
大学の時の教授の薦めでメシアンは他にも小曲を何曲か弾いているが、この曲は大学時代に校内のコンクールで弾くために勉強した曲。和音が好きなので、この曲も最初から好きだったが、やはり現代曲なのでとにかく譜読みに苦労しました。夏休み中に相当頑張ったのを覚えています。大変な曲なので、当時、生徒同士の弾き合いのクラスで弾くと、暗譜しているというだけで褒められていた。その時は複雑な思いで聞いていたが、今回この曲を聞いて「よく頑張って暗譜したな〜。」なんて思ってしまいました(笑)。コンクールでは結局三位かなんかに入賞出来たので、いい思いのある曲だが、一から見直すのが大変なのでなかなかコンサート・プログラムに入れられずにいます(笑)。

それにしても、今回のコンサートを聴き終わって思ったのが、音楽を聴いて来たというよりも、「音」を聴いて来たような感覚だった事。人間的な音楽というよりも、宇宙の脈や鼓動みたいなものをメシアンは体現しているような気がします。そしてクリスチャンであるメシアンにとってはその広大なる宇宙も神の意思によって司られているのだという、その信仰の大きさを目の当たりにしたように感じました。

アドバイス

昨日のブログで書いた「Do They Know it's Christmas?」のドキュメンタリーで色々と感動した事があったが、一つ驚いたのがレコーディング・スタジオでそれぞれの歌手がコーチングを受けていた事。音楽プロデューサーだったのか分からなかったが、言葉の発音の仕方や音程の持って行き方等を事細かに指導していた。また驚いた事に当時のスター達が素直にそのアドバイスに従って練習しては「これでいい?」と訊いていた。あれだけ売れに売れているトップスター達なのだから、エゴも凄いのだろうという偏見を持っていた事を大反省(笑)。大物はやはり懐が深い。

これを観て思い出したのが、十年以上も前に観たにソプラノ歌手キャスリーン・バトルのレコーディング風景をドキュメンタリーにした番組。オーケストラー、そしてトランペット奏者のウイントン・マルサリスを従えてのヘンデル作曲の「輝けるセラフィムよ」。歌い終わった後にレコーディングを聞き直す場面が印象深い。「素晴らしい!」と私も思いながら聴いていたし、バトル女史自身、プロデューサーも指揮者も満足そうだったのに一人バトル女史の歌のコーチと思われる人だけが渋い顔。「もっと輝きを表現出来るはず」と的確にアドバイスをし出した。そして、次のテイクの時にそのアドバイスに従って歌うと本当に彼女にしか表現出来ないような格段に良い「輝きに満ちた」ものになっていた。自分の中にある未知なる才能はなかなか自分では引き出せないのでは?と考えさせられました。信頼出来る人のアドバイスというのは本当に貴重だし、有難いものです。

音楽

最近、やたらと短いスパンの中で音楽に関するテレビや映画を観ているせいで、自分の中での「音楽」というものの定義が大きく変わって来ている気がします。

ピアノが好きで、音楽もジャンルを問わず好きで、音楽の素晴らしさや音楽の秘めている力を今まで知っているつもりだったが、自分が思っていた以上に、本当に音楽は凄いのではないかと、意識変革が起こっています。自分がピアノで表現していた音楽を基準に「音楽」を定義付けしていたように思うが、それをここ数日間でことごとく覆されています。

本当に人間として生きている素晴らしさを伝えるような音楽になりたい...。

弾き合わせ

相変わらず大曲に挑戦のMちゃん
Midori%20playthrough_resize.jpg10月の中旬くらいにはもうハイドンのソナタは来年のリサイタル・プログラムには入れられない事が分かったので、キリを付けるために、友人のMちゃんに聴いてもらう事にしました。曲を寝かせる事はとても良い事だが、新曲はやはり一度人前で弾いた方が身に付くので11月の頭に弾き合わせをする予定を立てました。

ピアノは一人で黙々と練習する楽器なので、知らず知らずのうちに詰めが甘くなりがちです。おまけに一生懸命やっていても、全然見当違いな方向に一心に進んでいってしまう事さえあるので、やはり尊敬出来る人に聴いてもらうという事はとても大切な事です。聴いてもらう日を決めると途端に練習が締まってきます。

プログラム

ブログが見掛け上(私なりの一貫性はありますが、笑)、音楽と関係のないものばかりになってしまっているが、そんな間にも来年のイギリスでのコンサートが決まりました。この一ヶ月間、どのようなプログラムにするか随分と悩んで来たが、やっとそれも決まり、今は張り切って練習に励んでいます。

プログラムを決めるのは楽しみの一つでもあるが、いつも相当の時間を掛けて考えていっています。一度決めてしまえば、後は練習するのみですが、決まるまではあらゆる事を考えなければいけないので、なかなか決まらないものです。基本的にプログラムの1/3は弾き込んである持ち曲、1/3は比較的最近取り上げた曲、そして1/3は新しい曲とするのがいいとされています。こうすれば、比較的安心して弾ける曲と新たに挑戦する曲のサイクルが出来て、常にレパートリーを増やしていける訳です。(やはり新しく手がける曲というのは弾き込んである曲より相当精神的に大変なのです。)

夏:ラターとイギリスの光

昨日、鎌倉芸術館で合唱の演奏会に行きましたが、イギリス人作曲家のJohn Rutter(ジョン・ラター)のレクイエムがメインのプログラム。このラターの名前はイギリスでは良く耳にしていた作曲家だったので興味津々でしたが、透明感のある情緒豊かな素敵な曲でした。

Holland%20park%20_resize.jpgこの曲を聴いている途中でふとイギリスの風景を思い出したのだが、その思い出した場所というのが、昨日のブログで書いたLizの家へといつも歩いていく道。とにかく、歩道が広く取ってある並木道で少し坂になっているために相当先まで見えるようになっている。Lizの家にはコンサート前に練習に行く事が多かったので、相当精神的にも充実/集中している状態でこの道を歩く事が多く、目に入って来る物も相当クリアに見えていた気がします。風が吹いている感じや、光の射し具合、そして車の通りも激しい道なので、その喧噪までもがこのラターの曲と一致した感じがしました。(ラターは現代に生きている人なので、近代的な感性に共感したのだと思うが...)

ノッティングヒルに近いその通りは、何と云っても大きな木の間から差し込んで来る光が美しく、ラターのその曲はその木漏れ日の中にいる錯覚に陥りました。ラターのレクイエムは7曲からなっているが、この錯覚に陥った曲の題名をすぐさまプログラムで見たら「永遠の光を」というものでした。音を通して、「光」を感じれるなんて本当に素晴らしい。

小さな幸せ

先日、生徒さんのご家族と一緒に楽しい時間を過ごした帰り道、車の中で「今、どんな曲が好きなの?」という話に。ポピュラーなものは以前はラジオからの情報が多かったが、最近は生徒さんや友人のお子さんから訊く方が印象に残るので、覚えやすい。色々と今のお気に入りを教えてくれたが、その中の一曲の歌詞がいいという事で「どんな曲?」と訊くと姉弟で歌ってくれました。楽しかった一日の終わりに真っ暗な車の中で、二人のかわいい綺麗な声で歌ってくれて(おまけにハモったり、掛け合ったりしていた!)、なんともいえない幸福感に満たされました。

以前にイギリスのヘレフォードの友人を訪ねて、何日か滞在した後に友人がお母様と一緒に駅まで送ってくれる時に、イギリスの教会で歌われる聖歌の話になり、「テレビで毎週日曜日の朝のミサの番組で凄く綺麗な歌があるんだけど...」と曲名が分からず尋ねてみたら、次から次へと「これ?」とお母様と一緒に歌ってくれました。ウエールズの綺麗な山々を横目に二人の美しい声で聖歌を聴きながらのドライブは本当に感動しました。滞在中、色々と楽しい事をしましたが、この駅に帰るまでの道中が一番の思い出となりました。

人の歌声は本当に心にしみます。自分のピアノの音もそうでありたい。


頂いているもの 与えられているもの

%E3%81%8A%E5%9C%B0%E8%94%B5%E6%A7%98_resize.jpg今日は本当にいい一日でした。

ピアノを弾く事が好きで、ピアノの前で楽譜を通して同じ時代に住んではいない作曲家を音楽を通してダイレクトに知り得る事が出来るというのは本当に幸せです。そしてコンサートでは音楽を通して言葉では伝え切れないものを人と共有出来るというのも、責任は重いながらも、とても感謝な事と思っています。

しかし、弾く事とは別に、ピアノを教える事によって本当に自分の生活や人生が豊かになっている事は自分でも予測していなかった事でもあり、自分の思いの及ばない所での働きかけがあるように感じます。

安心感

%E7%BE%8E%E9%A6%99%E3%81%95%E3%82%93_resize.jpg先日、ロンドンから一時帰国しているピアニストのMさんと一緒にプリンで有名な「Marlowe (マーロウ)」でランチしました。彼女は私がアカデミーでついていた先生が鎌倉に来た時にレッスンを受け、それがきっかけとなってイギリスに留学する事になり、もう今年で5年目だそうです。当時、先生の通訳をしていたので、Mさんと最初に出会ったのも6〜7年前。もうすっかり見た目も考え方も大人になっていて頼もしい限り。イギリスで得たものがとても大きかったようで、とても嬉しい。

実はMさんは4月にロンドンでやったトリオのコンサートの時に譜めくりをして下さいました。ロンドンにいた時はコンサートの事で頭がいっぱいだったので、ゆっくりとお話しする余裕もなく、さっさと私は日本に帰って来てしまい、申しわけなく思っていました。なので、今回はお礼を兼ねてのランチでした。

室内楽のコンサートをする時にピアニストにとっては必ず必要な譜めくり(楽譜のページをめくる人)。コンサートの日にちや場所が決まるとすぐに連絡するのがこの譜めくりです。普段、ピアノは暗譜で弾く事が多いだけに楽譜を見ながらの演奏は違う意味で色々と緊張します。余計な心配が増えては困るので、譜めくりの人は絶対に信頼出来る人でなければなりません。

ピアノの音程

先日Mちゃんのおばあちゃまがいらした時に、音楽の話を色々としました。Kさんはご自分では全然音楽をしない人だが、子供5人のそれぞれのピアノだのチェロだの、フルートだのの、レッスンに子供達が高校になるまで全てのレッスンに付いて行ってノートを取っていたそうです!!!なので、私よりも色々と詳しいくらいで、本当にはっとさせれる事が多々ありました。

 その中の一つが、音程の話。弦楽器は一個一個の音を自分で探し当てて作らなくてはいけないので一生涯音程との戦いと誰かに訊いた事があるが、鍵盤を押せば音が出るピアノはそういう心配がないと思われがちです。
 

音の美しさ 音楽の美しさ

昨日のブログの続きです。カラヤンと自分の事を同じブログに載せるのはあまりにも気が引けたので、二日に分けました(笑)。

カラヤンが云った「もっと美しく」。人に自分の思っている通りの美しい音、美しい音楽を作らせるというのがカラヤンの指揮の凄い所だが、では、自分の思い通りに音や音楽を作れるはずの自分のピアノはどうなのだろうかという聴点で聴き出したら、何と美しくない音の多い事か(笑)!!!「音楽において、美しさというのが当たり前すぎて...」と昨日のブログで書いたが、これはどういう事かというと、楽譜通りに弾けば音楽自体が美しいので、何となく美しく聴こえてしまうのです。私は、音楽を通して何を伝えたいのか、そしてどういう風に伝えたらそれが一番人に伝わるのか、という事ばかりに焦点が行ってしまっていたがために、「美しさ」の追求が全くと云っていい程、御座なりになっていた事に気づきました。本当に今まで何を聴いていたんだろう、と反省したが、その気になると大分自分の中で「美しい」と思える音が出て来るようになってきました。

 

もっと美しく

再放送だが、指揮者H.V.カラヤンのドキュメンタリーを連日放映していた。
朝の中途半端な時間だったので、いつも途中からだったり、電話が掛かって来て断片的にしか見れていなかったが、やはり人を惹き付けて止まない魅力を放っていた。

 一昨日観た一断片で、彼がリハーサル中に執拗にオーケストラを止めては云っていた「もっと美しく!もっと美しく!」の言葉。彼の声や、その思い入れの伝わって来る横顔で、私はこの2日間相当、色々な事を考えさせられている。

緊張の壁

Flowers%201_resize.jpg6月1日に生徒達のためのコンサートをしました。いわゆる「発表会」ですが、この発表会という言葉から来るイメージがどうにも嫌なので、敢えて使わないようにしています。自分の発表の場だけでなく、どのようなレベルにしろ、音楽を楽しむ場にしたいので、いつも「コンサート」といっています。

自分のピアノの生徒だけではなく、知人、友人のお子さんや一緒に演奏した音楽仲間のお弟子さん等、多様なコンサートになるように心掛けています。特に、小さい子供達には色々な楽器や音に親しんでもらいたいので、弾くだけでなく、聴く楽しみを知ってもらえたら、という願いがあります。今回はピアノの他に、ヴァイオリンとオーボエそして、口笛奏者(!)の演奏もありました。


巨匠

Paul%20Lewis_resize.jpg今日はイギリス人の実力派ピアニスト、ポール・ルイスのリサイタルに。
イギリス、ヨーロッパではブレンデルが後押ししている事もあり、もう既に相当有名だが、日本では今回のリサイタルが初来日。私は2年前にイギリスの友人がクリスマスにCDをプレゼントしてくれたのがきっかけで知ったのですが、一耳惚れしました(笑)。

2年間CDだけしか聴いた事がなかったので、前半は持っていたイメージとのギャップに戸惑いましたが、とにかく30代にしてもう既に巨匠の風格。あまりの音楽パワーの凄さに圧倒されて、ぐったりして帰ってきました(笑)。

リズム

                           メシアンのインドのリズム表
Rhythm_resize.jpg昨日聴きに行ったKさんのリサイタル。前半はO.メシアンの「火の鳥」の演奏とKさんと作曲家・音楽学の丹波明氏との対談でした。丹波さんはメシアンの直弟子だったという事で、とても興味深い話を色々として下さいました。やはり音楽家としてではなく、実生活での話を聴くととても親近感が湧いてきます。

メシアンの音楽観の話もとても面白かったのですが、その中の一つがリズムに関するものでした。メシアンが日本に来日した時に、あらゆる地方の鳥の鳴き声を録音して収集していたというのは聞いていたが、実はインドでは色々な場所で使われている「リズム」を収集したという事です。そして、その集めたリズムの種類の数が120種(!)。
                             

尊敬

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O.メシアン(1908〜1992)はフランスの作曲家で近現代音楽に属します。とても信仰深く、音楽にそれが存分に反映されています。今日のプログラムの後半も「幼子イエズスに注ぐ20のまなざし」という20曲にもなる大曲の最初の10曲でした。


出発

明日,ロンドンに出発です。一人でずっと黙々とトリオの準備をしていたので、もう三人で弾くのを待ち切れない思いです。準備段階でも色々と裏話があって,書きたい事もいっぱいあるが、変に気が散ってはいけないので、また帰って来てからゆっくり書こうと思っています。
ロンドンでどれくらいブログの更新が出来るか分かりませんが,本当に良いコンサートになるように、そして28日に今までの積み重ねを全て出せるように、と祈っています!

ピアノの前にいなくても

hand_resize.jpg身体と精神/心が一致して動くようになってきてくれている。今までは,頭/心でやりたいと思っていた事を,無理をしてでも手や指を動かすようにしていたが、曲が身体に染み込んで来て、自然と動くようになってきた。いかに脱力するかが今の練習の主体となっているが、脱力出来れば出来る程,どんどん音楽が自由に、自然に流れてきます。
今朝,驚いた事に寝ている状態から、はっきりと目覚めるまでの間のまどろんでいる時に、ラヴェルの脱力の仕方を手を動かして,模索している自分を発見。ちょっと,自分でも呆れてしまったが(笑)、ピアノに触っていない時でも、進歩があるのは嬉しい事です。

人と人

大忙しの一日だったが、最後はファゴットのHさんのコンサートに。オーボエとファゴット、そしてピアノとのアンサンブルでのプログラムでした。私も何年か前にHさんと一緒に同じ編成のコンサートをしましたが、それはそれは楽しいコンサートでした。リハーサルからコンサートに対する思い入れが三人ともに一致していたので,本当に充実した準備期間、そしてそれによって作り上げた信頼関係で遊ぶ余裕がありながらも、隙のない本番だったように覚えています。

今日のコンサートでは,一緒に演奏したフランセのトリオも入っていたので楽しみにしていました。とても,音が良く解け合っていて,耳に優しいアンサンブルでした。同じ曲、そして演奏者も一人は同じなのに、こんなにも違うものができるのだな〜と、改めて曲の懐の深さを見せつけられました。

進歩

River_resize.jpgコンサートまであと2週間強。精神的に一番充実している時期です。弾き込めば弾き込む程に音楽的な進化/進歩がある。コンサートが近くなると、練習量を減らす人もいるが、私は逆のパターン。とにかく,今は勢いに乗っていくらでも良くなってくれるので,このチャンスを逃してはなるまいと一分でも多く練習したい所です。手を壊さないようにだけ気を付けながら,最後のラストスパートになります。
                                                                   家の近くを流れる滑川→

ヨーロッパの香り

Duo%20Concert_resize.jpg今日は知人のピアノ・デュオのコンサートに。モーツアルトからシューマン,ドビュッシー、ドヴォルザークと幅広いプログラム。ピアノ・デュオ(連弾)はアンサンブルの中でもとっても難しいと思っているものです。同じピアノで隣り合わせで弾くと,一人一人の個性が顕著に際立つので,一つの音楽を作るというのは至難の業。しかし、今日のお二人の演奏は音がとてもよく合っていらしたので、逆にそれぞれの個性が生かされて、楽しく聴く事ができました。
 先日,ロンドンから来日していらした、私の大学時代のF先生のレッスンを受けていらしたそうだが、随所にF先生の音色やフレージングを聴き取る事が出来て、とても嬉しくなりました。
 日本の日常生活ではなかなか感じられない「色香」が漂っていて,ヨーロッパの華麗さを思い知らされました。自分が今作り上げているプログラムの足りない所を見せつけられた思いです。ピアノの調子はとってもいいので、新しい課題が出来て、明日の練習が楽しみです。

外部から内部に

音楽の中にいる実感がある。

エミネムとプロコフィエフ

%E9%AB%98%E5%B9%A1%E4%B8%8D%E5%8B%95%E5%BD%B1_resize.jpg今日は高幡不動での仕事があったので、朝早くから電車に乗っての、2時間以上の通勤。久しぶりの新宿駅のラッシュにびっくりした。人の流れの交通規制をしているんですね(笑)。

電車に乗っている間はIpodを聴いています。普段、練習している時間が長いのであまりクラシックをわざわざ聴く事はありません。クラシックを聴くと、どうしても「勉強(分析?)」したくなってきますし(笑)。前は良くラジオを聴いていたので新しい曲もどんどん情報が入って来ていたが、最近は生徒が教えてくれる曲をチェックしてはダウンロードしています。インターネットで視聴も(1分程度だが)出来るので、自分の好きな曲だけを拾い集められるようになって本当に便利。

片付け

million%20trio_resize.jpg旧暦に従ってお雛様は4月まで出していても良いというのをお聞きしているので、今まで飾ってありましたが、さすがに明日から4月なので今晩、片付ける事に。
 音楽室に置いてあるので、レコード(LP!)を聴きながら片付けようと思い、J.ハイフェッツ、A.ルービンシュタイン、G.ピアティゴルスキーの「百万ドルトリオ」といわれた3人でのラヴェルのトリオのレコードを掛けました。1950年に録音されたものです。
 

ラヴェルのトリオ

Ravel_resize.jpg4月のロンドンでのコンサートはヴァイオリンとチェロと一緒のトリオ・コンサート。残念ながら、私は一週間前にしか現地入りしないので、3人でのリハーサルはその一週間に集中してする事になります。
 しかし、昨日、ヴァイリンのRobertとチェロのLucyが初リハーサルをしたとのファックスが入りました。私もちょうど今週初めから、ヴァイオリンとチェロの音に慣れるために、CDを使っての練習を始めた所。二人がどのように弾いても対応出来るように...。

練習日和

今日は小春日和で楽しそうなお誘いもあったのだが、先週あまりにもチラシ作りに時間を取られてしまったので自粛して練習優先の日に。
 それにしても、先週友人のYさんがリサイタル・プログラムを聴かせて下さったおかげで、自分の練習内容が良い方にガラッと変わりました。Yさんの演奏だけでなく、練習の取り組み方について話した事からも色々とヒントを得る事が出来て本当に感謝。自分の音楽を見る角度が変わって、発見がとにかく多い。同じような練習をずっとしていただけに、新たな視点から曲に取り組めるのが嬉しい。せっかく天気がいいのに遊びに行けなかったのは残念でしたが、中身の濃い練習日となりました。

 当のYさんは無事にリサイタルも終わったようで、その晩に晴れ晴れとした感謝メールが届きました。芸術は与える側も受け取る側も得るものがあるのが素晴らしい!

丁寧な音楽作り

Ysan%20Piano_resize.jpg14日にリサイタルを控えている友人のYさんが、コンサートの練習として弾きに来て下さいました。
 Yさんは力強い,どっしりとした演奏で、レパートリもドイツものや近現代ものと、自分と似たタイプのピアニストのような気がします。いつも大曲を弾かれますが、音楽作りがとても丁寧で全ての音,フレーズに意味を持たせていて、本当に勉強になります。私も大きな曲、大きな音楽が好きなのだが、どうしてもスケールの大きさ,流れに焦点が行ってしまうためにおおざっぱな音楽になってしまう傾向があるので、Yさんの今日の演奏をお聴きして,少し反省しました。明日からの練習はもう少し丁寧な音楽作りを目指さなくては!
 

高い山

いつもインターネット電話で話しているロンドンの友人が最初に『調子はどう?』と訊いてくれるが、最近「まあまあ」と応える事が多かった。しかし、昨晩久しぶりに『とても良い!』と云えました。
 この『とっても元気/調子がいい』と云える時というのはピアノの調子がいい時です。こういう時に,自分はつくづく音楽に振り回されているな〜と思うのだが、ピアノの調子がいいと、他の全ての事,悩みにしても人間関係にしても、すべてポジティブに考える事が出来るのです。しかし、逆にピアノが調子悪いと全てがマイナス思考になって、凄い勢いで自信喪失していきます。(この「ピアノが調子悪い」というのはやる気が出ない時の事をいいます。やる気がなくても、練習はもちろんしますが、そのギャップに苦しむ訳です。)
 
4月に大きなコンサートを控えていながらなかなかエンジンが掛からず、自分でもどうしたものかと、考え倦ねていたが、先週急にスイッチが入ったように、俄然やる気が出て来た。そして、練習もやっと軌道に乗ってきました。
 やる気が出なかった時に友人にその愚痴をこぼしていたら『登らなきゃ行けない山がとてつもなく大きいから、なかなか最初の一歩が踏み出せないんだよ』と慰めたくれたが、今は勢いも出て来て「その大きい山を登ってやろうじゃないの!」と思えています。チャイコフスキーとラヴェルのトリオ。どこまで登り詰められるかが楽しみになってきました。

マタイ受難曲

St.Matthews%20Passion_resize.jpgサントリーホールでバッハのマタイ受難曲を聴きに。演奏は聖トーマス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団。2〜3年前にゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートを聴きに行った時に、ツアーの最終日だったせいか全然やる気のない演奏で憤慨して帰って来たのを覚えているのであまり期待していなかったが、今日は本当に素晴らしかった。最初の音から本当に音が美しく,瞬時に音楽の中に引き込まれました。
 マタイ受難曲はイエス・キリストが民衆によって自分が犯していない罪のために十字架に掛けられて死に、お墓に安置されるまでを語った聖書の言葉を基にして音楽を付けたもの。バッハの音楽は信仰心から来ているので、マタイ受難曲はとてつもない思い入れのあった曲だったと想像出来る。
 

音楽的財産

昨日、本との出会いについて書いたが、音楽との出会いも思わぬ所にあります。曲ももちろんそうだが、演奏家に関してもコンサートを通しての出会いも様々。
 私が最も好きなピアニストとの出会いも不思議でした。ロンドンに行くまで、殆どコンサートに行く事はなかったのだが、行った途端にせきを切ったように母が連れ回していました。そんな時に、ホールで何十枚とチラシが置いてある中から、シューラ・チェルカスキーというピアニストの地味な白黒の写真のチラシが遠くから見えて、恐れながらも『上手そうだな〜』と何となく思い、自分で一人分のチケットを買いました。Cherkassky_resize.jpg
ホールの一番後ろで聴くのが当時好きだったので、3階の一番最後列の真ん中の席に。コンサートは満席ではなかったので私の前が何列も空いていたのですが、逆にとても音楽に集中出来ました。そして、本当に今までにない感動を味わいました。音楽がここまで人を幸せに出来るものなのかと、本当に驚いた。自分の目指すものをここで見付けました。そして、今でもその時の音と音楽と体中に感じた感動は忘れられません。
 チェルカスキーは日本にも毎年来ていましたが、本当にいつも楽しみに待っていました。そして、コンサートに行くと、いつまでも終わって欲しくない、本当に他では味わえない感動をおぼえていました。
 10年程前に彼は亡くなってしまいましたが、彼の演奏の話を聞く事もなければ、人に薦められた事も後にも先にもありません。彼の音楽との出会いは導かれたものとしか思えません。本当にあのような素晴らしい演奏を生で何回も聴けた事は自分にとっては音楽的財産です。本当に感謝です。

先生

Frank_resize.jpgロンドンのピアノのF先生が日本に来ているので,今日は一緒にディナー。前回鎌倉にいらしたのが11月だったのでそんなに久しぶりではないが、やはりお会いして近況を色々と聞けるのは嬉しいものです。今日は特にお元気で、とても溌剌としていらっしゃいました。初めてレッスンに伺ってからもう20年近くになりますが、今でも最初のレッスンを鮮明に覚えています。太陽の光がサンサンと差し込んでいるアパートでまず挨拶を交わしたあとの最初のひと言が「紅茶,飲む?」でした。(今思えば,イギリスらしい!)いつも過剰な緊張でお腹を壊しながらレッスンに行っていた私にはF先生のリラックス度が衝撃的でした。音楽的にも人間的にもとてもおおらかで、個人的に大変だった20代の様々な場面で助けて頂きました。
 今では、お会いするとレッスンを受けるとき以外はあまり音楽の話はしませんが、今日は4月に弾くラヴェルのトリオの話に少し触れました。バリバリと何でも弾けるF先生が「あの曲は何度弾いても怖い」と仰ったのを聞いて変な安堵感を覚えました。怖いと思っているのは私だけではないんですね(笑)。

偉大なる芸術家

Tchaikovsky%20Trio_resize.jpg4月にコンサートする事が決まり、チャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出に」というピアノ・トリオの曲を練習している。50分近い長い曲で楽譜にすると90ページ近くになる。ニコライ・ルービンシュタインという音楽家の死を偲んで書いた曲なのだが、チャイコフスキーのルーピンシュタインに対するとてつもない尊敬と亡くなってしまった無念さがひしひしと伝わってくる。
 あの広大なロシアで偉大なチャイコフスキーが偉大と思っている芸術家に思いを寄せて作られた曲は時間的にも長大なのだが,とにかく音楽的なスケールが大きい。普通は練習して、曲を手中に収めていくうちに曲が短く感じられていくのだが、この曲は弾き込めば弾く程、曲が広がっていってしまい、改めてその壮大さを知らしめられる。日本に住んでいる普通の人間があのスケールまで自分を持っていくのは至難の業。
 おまけにテクニック的にも相当難しく、常に自分の能力の100%以上を要求されているような気がします。練習しながらいつもハリソン・フォード主演の「逃亡者」という映画を思いだしてしまう。次から次へとH.フォードに災難が降り掛かっていたように、これでもかという難関が次から次へと待ち受けているのです(笑)。

心の一致

Feb%2021%20%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%B3_resize.jpgMちゃんのコンサートを聴きに。前回も超絶技巧を駆使した曲を並べていて、すごいと思っていたが、今回はさらにそれに加えて40分のドヴォルザークのピアノ五重奏曲を含めた休憩なしの一時間プログラム。本当に凄すぎます(笑)!

コンサートは6:30から。ビジネスビル内にあるホールなので、仕事帰りの人を狙ったコンサートでしたが、ホールはほぼ満席。限られた人だけでなく、クラシックを身近に感じてもらおう、というプロジェクトが色々とあるのは本当に嬉しい事です。

大人の落ち着いた聴衆だったので、Mちゃんの演奏もじっくりと聴かせるものとなっていました。同じ曲でも観客から受ける空気で音楽も本当に変わってきます。特にサン・サーンス/ゴドフスキー編の「白鳥」がとても良かった。聴衆もどんどんと入って行けるように、ゆったりとした演奏でした。「ラ・カンパネラ」は用心深そうに弾き出していたが、段々と自由になって最後は私が聴いてきた誰の演奏よりも速いテンポで勢いに乗り切っていた。この難曲2曲が既に自分のものになりつつある所が凄い!

 後半の五重奏は色々と考えさせられました。心をどこまで許し合って信頼し合えるかが勝負所となるので、5人で一つの音楽を作るというのはなかなかに難しい。人と人との心の一致は音楽上でも本当に稀です。

音楽事典

New%20grove_resize.jpg今日は調べものをするために芸大の図書館へ。英語でしか分からなかった曲名の日本語名を調べるためだったが、ニュー・グローブの音楽事典に知りたいものは全て載っていました。大分前にイギリスでヘンリー・パーセル(イギリス人のバロック時代の作曲家)の曲ばかりのコンサートをした事があり、そのプログラムをウェブサイトのコンサートページに載せたかったのだが、インターネットで調べても限界があり困っていた。しかし、この事典にはパーセルの700曲を越える歌曲の英語名が全て訳されていました。おまけにとても調べやすいように整理されていて、探していた4曲を10分の間にあっという間に見付けられました。このニュー・グローブ事典は本当に凄い。そして、これをまた全部和訳してくれた人達がいたというのも凄い!大感謝!

ゾーン

NHKでやっている爆笑問題の「日本の教養」。本当に毎回面白くて,真剣に見入ってしまいます。今日はスポーツ心理学の第一人者との対談。音楽はスポーツと共通するところが多く、ロンドンにいた時から、色々な人からスポーツトレーニングに関する本等を薦められて読んだり、コンサートに向かう精神的な準備を試合やレースに置き換えて考えさせられたりしているので,今日の番組は本当に共感する所が多かった。
 

バッハ

 BACH_resize.jpgバッハを練習していると,こんなにもこの人の心の奥深くまで入って行ってしまっていいのだろうかと思う時がある。信仰心から来ているバッハの音楽は神様に向けらているもので、常に希望と喜びに溢れているが、内省的な曲では本当に無防備に魂の全てをさらけ出していて、弾いているこちらの方が土足で上がり込んでいる気がして申し訳ない気持ちになったりします。
 長い間、バッハが公の場で弾かれなかったというのも何となく理解出来ます。というのも、人に聞かせる音楽というよりも、神様に聞かせる音楽のような気がするからです。本当に一切の媚びも虚栄もない、まさしく「祈り」そのものです。バッハの音楽を弾く時は本当に自分自身、謙遜な態度で向かわなくては全然見当違いの音楽になってしまいます。純粋な信仰心と天才が合わさったバッハの音楽は本当に美しい。

ソナタ21番 D.960

                               シューベルト
Schubert%20jpg_resize.jpg先日、オーストラリアに住んでいる友人のTと電話で話していたら「次のコンサートでシューベルトの遺作のソナタを弾きたい」と云っていた。自分が何年も前に練習していた曲だったので「懐かしいな〜」なんて話していたら、今日ラジオで流れていた(笑)。ちょうど遠出をする車の中だったので珍しく全曲じっくりと聴いたが、本当に良い曲。40分近くある大曲なので、最初は純粋に音楽だけに集中していたが、長いので色々とこの曲を練習していた時の事を思い出してきた。

スランプ

今日、友人に『スランプとかってないの?』と訊かれ、『しょっ中だよ!!!』と即答。すぐに『小さなスランプじゃなくて、大きなスランプも?』って訊かれて『音楽は大きなスランプがあるのは当たり前』と答えたが、友人と別れた後に色々と考え始めた。確かに、最近泥沼にはまったようなスランプにはなっていないような気がする。

テンポ

Jan%2026%20A-kun_resize.jpg今日は受験を控えているA君の伴奏部分だけ(ソロなしでピアノだけ)の録音をしました。実は、昨日も録音していました(笑)。立て続けに2回通して録ったのですが、あまりにすんなり行ったので自分でもびっくり。昨年からレコーディング続きで、少しトラウマになっていたのですが...。あの独特の緊張感に慣れてきたのかな〜。それにしても、あっという間に録れたレコーディング。聴いてみて、がっくり。音楽的にはそんなに問題なかったのですが、テンポ(速さ)が揺れて、揺れて。これでは、ソロの支えになるどころか、邪魔する事に。なので、その後はメトロノームでの練習、そして今日は改めてメトロノームをそばに置いての録音。(もちろんメトロノームの音は出しませんが、光で拍子を刻むように設定しました)

感動はどこから?

jan%2024_resize.jpg今日は都内でヴァイオリン、チェロ、ピアノの室内楽のコンサートを聴きに。音楽自体はとても美しいのですが...。残念ながら演奏は心に響きませんでした。きれいに演奏していたので、心地よいと云えば心地よいのですが、22度にずーっと保たれた無菌室にいるような気分に。コンサート中、なぜ心が動かされないのか、一生懸命考えてしまった。温度変化もなかったように思ったが、それ以前に体温みたいなものを感じなかったからだろうか、と考えたり。
 そんな、もやもやした気持ちで電車で帰って来て駅に着いて空を見たら、空気が澄み切っていて素晴らしい月が出ていました。本当に月はいつ見ても感動します。ずっと月を見ながら帰って来たら心がすっかり満たされました。本当に感動はどこから来るか分かりません(笑)。

シューベルト

Kanno%20Lesson%201_resize.jpg今日は菅野潤さんのレッスンを受けに茅ヶ崎まで。菅野さんはフランス在住のピアニスト。昨秋、浜離宮ホールでザルツブルガー・ゾリステンとの室内楽のコンサートでシューベルトのピアノ五重奏曲『ます』を演奏されていたのですが、本当に素晴らしくて大感激。これぞ、室内楽!という演奏でした。とにかく、シューベルトのスタイルを保ちつつ、一人一人の演奏者がとても自由に弾いていました。皆が好き勝手に弾いているという事ではなく、その場で作られている音楽に反応してその瞬間にしか作り得ない、即興に近い自由という意味です。これは、お互いの音と音楽をとても良く聞いていて、それを尊重してまた自分もそれに応える、という理想図です。しかも5人がそれぞれとっても自由なのに、五重奏としてのまとまりは崩れる事がありませんでした。本当に掛け合いが素晴らしく、聴いていてとても楽しかった。
 この演奏に感激して、ぜひシューベルトのレッスンをして頂きたいと思っていました。

素晴らしい!!!

jan%2020%20Midori%20_resize.jpg
今日は友人のMちゃんの演奏を聴きに三鷹まで。地域創造の活動として、いくつかの学校を訪問した後の集大成としてのコンサート。「子供達に学校という日常生活の中で音楽に触れる機会を作り、音楽を身近に感じてもらう事によってホールにも来て頂こう!」という素晴らしい事業。
  今日はピアノ・ソロだけでなく、チェロとピアノのデュオと木管五重奏もあって盛りだくさん。仲間の手前味噌で申し訳ないけど、Mちゃんが本当に素晴らしかった。彼女は私とは全然レパートリーもスタイルも違うピアニストだが本当に凄いなーといつも関心してしまいます。全ての音に主張があり、威厳がある。音が立っていて、本当に音楽が明確に聴こえてきます。なので、聴いていて絶対飽きる事がない。

静かな一日

Piano%26Music%EF%BC%93%2008-01-13_01-10_resize.jpg今日は久しぶりに意外と静かな一日。
朝は生徒のHちゃんのレッスン、そして午後は教会に行きましたが、それ以外は風邪気味という事もあり、家でおとなしく。こういう日こそ練習に集中出来ます。
 基本的に練習は毎日するようにしていますが、よっぽど、意識して時間を取ったり、時間を空けたりしないと「集中した」練習時間というのは取れないものです。コンサートがある時は練習が最優先となりますが、演奏機会がない時でも音楽を育てるために練習は大切にしたいものです。音楽家としては当たり前の事ですが...。しかし、これがなかなか色々と誘惑があって難しい...。
 

ブラームスさん

若き頃のブラームス かっこいい!
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今日はコンサート2本立て。朝は茅ヶ崎でピアノのジョイント・リサイタル。夜は虎ノ門でヴァイオリンやハープ等の色々な組み合わせのアンサンブル。色々な演奏家で、種々多様な楽器で様々な作曲家の音楽を聴いて来た一日だったけど、一番心に刻まれた事といえば、やはりブラームスの素晴らしさです。「素晴らしい」という言葉しか浮かばないのが残念。今日聴いたプラームスはピアノ四重奏曲第一番。情熱と愛に溢れた音楽は聴いていて、本当に幸せになります。
 バッハもベートーベンも大好きですが、バッハは神への愛(賛美)、ベートーベンは人類全体に対しての愛、というのに対して、ブラームスはもっと個人的な愛のような気がします。尊敬して止まない、ロベルト・シューマンの妻、クララ・シューマンへの切なる思い...。女性としては、聴いていても、弾いていてもクララに対しての思いではなく、「私」に対しての思い、と錯覚してしまいます(笑)。そして、こんなにも人を愛する事が可能なのか、と感動してしまいます。 私はぜひともブラームスさんにお会いしたかった。クララしか眼中にないブラームスを一生追い続けて、きっと凄いストーカーになっていたと思うけど...。

一歩前進

生徒のレッスンへ行く道
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昨日に引続き「音の膨らみ」を意識して練習。昨日も何となく違う視点から色々な事が見えて来て驚きもあったが、今日は具体的な手応えが。去年から取り組んでいるシューベルトの即興曲でいくつか抱えていた音楽的な問題が一気にあっけなく解決出来て、こんな所からまさか答えが出てくるとは思わなかった、と妙に感心してしまった。昨年あんなに悩んでいたのに...。jan%209th%20No.3_resize.jpg壁を一つ越えた実感があって相当嬉しい!長く一つの事を追求していると、意外と探している答えというのは自分の手中にあったりする。昨日書いた「音の膨らみ」に関しても、自分では無意識に時々は使っていたわけだけど、無意識なのでコンスタントではない所に色々と問題があった。音楽に限られた事ではないが、意識を持つだけで、見方や感じ方が変わったりするものです。 それにしても、こういう新たな発見があって直に演奏に反映出来る時は本当に嬉しくなります。今日は一日中上機嫌!
                           生徒のレッスンからの帰り道

音の膨らみ

昨日のMちゃんとの音楽談義で相当二人で引っ掛かったのが『音の膨らみ』。
音を膨らませるという事は、ピアノ以外の楽器は音楽を作る上で、当たり前のように使っているテクニックの一つだが、ピアノにとっては理論上出来ない事の一つとなっている。管楽器や弦楽器は息の使い方や、弓や弦に掛けるプレッシャーを変える事で出続けている音を自由に操作できます。しかし、例えばピアノは、「ド」の音の鍵盤を指で押して、押し続けると「ドーーーーーーー」と音が出ますが、最初に音の出る瞬間が一番強く出るのであってその後は音量的には小さくなっていく一方です。なので、ピアノで一度出してしまった音は膨らまないはずなのです。
 しかし、私の中で音の膨らみを利用するという事は当たり前のように存在していて、昨日話題に上がるまで気にしていなかった事です。Mちゃんに「膨らむって具体的にどういう事?だって一度弾いた音は減衰するしかないよね」と云われてからは相当色々と考えだした(笑)。

友人達に励まされて

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先日友人のMちゃんが勉強会でコンサートに乗せるプログラムを弾くというので吉祥寺まで聴きに行ってきました。演奏だけを聴いて、その後は用事があったのでほとんど話をせずにお別れ。色々と感想を聞きたさそうだったので記憶が新鮮なうちに今日は一緒にランチする事に。ソロ・ピアノの場合はもくもくと一人で練習する事が多いので、音楽的に信頼出来る人に聴いてもらうというのは、とても重要な事。私もMちゃんにはよく聴いてもらっていて、本当にいつも感謝しています。信頼関係がしっかりしているので、お互いの演奏に対して云う事は相当辛辣だし、厳しい。しかし、それは、もっと良い音楽を作りたいという同じ思いのもとに言い合っている事なので、一緒に問題を探して、一緒にそれを解決していくという感じです。彼女の演奏に対しての感想は、結局自分の演奏をも分析する事になり、自分の演奏を考えさせられる結果に。自分一人だけの枠に捕われがちなピアノだが、こういう同志がいる事で本当に演奏の幅が広がります。
勉強会では、大曲ばかりを弾いていた彼女。大きな事に挑戦している姿を見ているだけでも、『私も頑張らなきゃ!』と勇気づけられます。

心の余裕

08-01-03_15-05_resize.jpgお正月三ヶ日はゆったり過ごせたので気分もすっかりリフレッシュ。3日間の最後の〆は湘南の海を時間に追われずゆっくりとお散歩。これからの一年にしたい事や目標にしたい事を色々と思いながら、とってもきれいな冬の海を満喫できました。こんな心のゆとりを忙しい時でも持ち続けたい、というのも今年の目標の一つ!
音楽的な目標も毎年何となく決めています。どういうコンサートをして行きたいとか、演奏法を違う方向から攻めていきたいとか、こういう人(楽器)と一緒に演奏したいとか、多岐に渡るので『今年の音楽的な抱負』と一言で云うのはなかなか難しい。

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