年末だけど
クリスマスに追われていると思ったら今度はお正月の準備でバタバタの毎日。
ハプニングのあったコンサートを引きずって、なかなか気持ちの切り替えが出来ない中、それも忙しい合間を縫っての練習はしばらくあまりいいものではなかったが、ここ数日やっと意思を持ってピアノに向かうようにしていたら、思いがけないところから大きな閃きがありました。
毎日長時間ピアノに向かっていると実際のピアノの音は慣れ過ぎて聴かなく(聴けなく?)なっているのかもしれない。それがここ最近、忙し過ぎるのと、なかなかやる気が出ないので、練習時間が極端に少なくなっていたのだが、ある時久しぶりに大きな曲を練習し出したら、自分の音がうるさい、というか、あまりにも大きすぎると感じたのだ。バリバリ弾いている時期ではないので筋肉もマックスではないし、いつもよりは音は出ていなかったのだと思うが、耳が逆に慣れではない「本当の音」を聞いたように感じました。そこから色々と考えも発展して、音もそうだけど、音楽の大きさというのが「先ず」存在していて、それに自分を合わせていけばいいだけの事ではないのかと、思えるようになりました。いつの日からか、「音楽の大きさは自分次第」と思い込んじゃっていたのだが、音楽は作るものではなく、在るべきもの、という自分の信念とも相反していたし、そもそも自分で何かをしようとすればする程、どんどんと音楽がぎこちないものになっていくのが本当に悩みでした。やっと、そのぎこちなさや音楽的な不自然さから抜け出す答えを見付けたような気がします。
今年は本当に映画でも小説でも「そんなのあり得ないよ」というようなハプニング続きで、精神的にも心情的にもやけに振り回された一年だったけど、こんな年末の忙しない時期に、思いがけずまた大きな発見が今年最後にあったのは嬉しい。音楽の道は大変だけど、他では得られない喜びも多いし、大きい。本当にこの一年も音楽に携われた事、ピアノを弾いていられる事に感謝です。
Merry Christmas with LOVE!
子供は成長するにつれて、知識が身に付けば付く程、現実の世界は広がっても、その子自身が持っている世界はどんどん制限されていくような気がします。レッスンに来ている小さな生徒さんも実は身に付けたものではない内在している音楽を既に持っている事が多く、それを絶対に殺さずに、引っ張り出して広げて、それこそを成長出来るようにしなくてはいけないといつも心掛けている。クラシック音楽はテクニックも小さい頃から身につけなくてはいけないので、なかなか両立が難しく、テクニックを追っているうちに、その子が本来持っている音楽が殺されがちなので、そのバランスが本当に難しい...。
鎌倉らしいと云えば、お寺でのコンサートでしょうか。
先週末の円覚寺さんは畳の広い部屋で、まさに立派な仏様の前でのヴィオラとハープのコンサートでした。昨年初めて聴きに行ったヴィオラの川本嘉子さんに感動して今回行く事にしたのだが、ハープの吉野直子さんがまたとっても素晴らしくて大感激のコンサートでした。吉野さん、バッハのパルティータを編曲無しに装飾音や長いトリルまで入れて弾いちゃっていました(笑)。驚きの連続!それも余裕しゃくしゃくで弾く姿が美しい!見習う事がとにかくいっぱいでした!
そして、円覚寺さんでのコンサートの翌日は長谷寺でお知り合いの仏師さんの仏像教室の展示会に行ってきました。生徒さんの作品も素晴らしく、その作品と一緒に書いてある感想がとても興味深かった。とても印象に残っているのが(言葉はそのままではないが)「こだわりすぎて、胸が貧弱になってしまった」というコメント。考えてみると木は彫り過ぎてもだめだし、足りなくてもいけないのが顕著に出てしまう。自分も練習をしているとこだわり過ぎて、全然違う方向に行っちゃったりするので、とても心に響いた言葉でした。(前にレコーディングの準備をする時にあまりにのめり込み過ぎて迷子になってしまった事があり、数カ月前に録音したものを聴いてみたら、時間を掛けて仕込みに仕込んだよりもずっといい音楽がそこにあって愕然とした事があった。こだわりもほどほどにしないといけないとはつくづく思うのだが、自分でなかなか潔く踏ん切りがつかないところが自分の弱点のような気がする。)