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何が良くて、何が悪い

新聞の雑誌に載っていた落語家、柳家三三のインタビュー記事を読んだが、つくづく共感する事が多かった。

15年間弟子入りした師匠からはひとつも落語を教えてもらえなかったそうだが、一度だけ差し向かいで兄弟子に教わった落語を聞いてくれた時の話が書いてあった。
しゃべってみろといわれ、最初から始めたが...。
「ご隠居さんこんちは」「誰かと思ったら八っつあんかい」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「違う」
「ご隠居さんこんちは」
「それだ。もう一回」
「ご隠居さんこんちは」
「やっぱり違う」


それだけで一時間。何がいいのか悪いのかさっぱりわからぬままおしまいだったそう。
これは、私自身とロンドン時代の先生との数年間の関係を凝縮しているような気がして胸が痛む。

アカデミー時代についていたW先生はとにかく音楽が素晴らしく、今聴いても魅了されてしまいます。しかし、今思えば、W先生の音楽は自分の音楽とは系統は同じでも、やはり全然違うもので、それを一心に追いかけてしまったがために自分の音楽が見えなくなってしまったような気もします。自分の音楽ではないので、やはり先生が良いと思うものも100%把握し切れる訳がありません。自信満々にレッスンに曲を持っていっても、先生は全然不満足という事もあれば、自分では全然良くなかったと思った演奏をやたらと褒めてくれる時もあって、いつもこのギャップをどうにか無くしたいものだといつも悩んでいた。何が良くて、何が悪いのかが分かっていない訳です。

そんな先生を2度だけ唸らせた事があって、今でもとても印象に残っています。一回は試験前に他の生徒さんとの弾き合いのクラスで弾いた時の事。ベートーベンのソナタ第31番Op.110を弾いたのだが、最初の音から相当感激してくれたらしく、今でもその褒め言葉が楽譜に書き残されていて、見る度に弾き終わったときの光景を思い出します。先生、驚きの表情と共に無言でした(笑)。しかし、翌日の試験(先生も試験管)では、そこまでいい演奏ではなかったらしく、「今日も良かったけど、昨日は特別だったね」といわれました。自分では全然違いが分からなかったので、何がそこまで凄かったのか今でも分からないのが残念(笑)。

もう一回はブラームスのラプソディーを弾いた時の事。「自分も音楽的な事を色々と盗ませてもらうよ」と先生にいわれ、相当嬉しかったのを覚えている。今まで習って来た事をいつも念頭においているが、このブラームスは、先生の音楽や音質音色を全く意識して弾いている訳ではなく、自然と自分のものになっている感がある。先生から受け継いだものの蓄積と自分の音楽が上手く融合した数少ない演奏だったのではないかと思っています。

今の課題は、とにかく今まで追いかけて来た先生の音楽ではなく、自分の音楽を見つける事。練習が今、軌道に乗っていて、この「自分の音楽」が段々とクリアになって来ているような気がしているが、「どうかこれが勘違いではありませんように!」と祈っています。

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