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リサイタル色々:あらゆる方面から

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練習の調子がやたらと良かったので、当日もあまり緊張する事なく本番。
これが完全に裏目に出ました。
練習が調子良かったと云うのは音楽的な追求で、本当に次から次へと閃くのでどんどんと音楽的な内容に関しては発展していたように思うが、それは誰かに聴かせると云う事を意識した練習から遠ざかっていた。内容は良くてもピアノを弾きこなさなくてはいけないわけで、練習の甘さが発覚。ピアノは音楽的な内容だけでなく、当たり前だがテクニックも必要で、あらゆる地道な作業を怠っていたのが露呈してしまった。おまけにスカルラッティとブラームスでそれを痛感して、フランクで汚名挽回とばかりに凄い熱演をしたら、コンサート後に尋常でない疲れが止まらない勢いで出てしまった。これからラストスパートをかける時なのに...。本当に自分でも心配になってしまった。フランクで全てを出し切ってしまったために、それまで保っていた2ヶ月近い緊張感が一気に流れ出てしまったのだと思う。

それでも身体に鞭を打って練習。リズム練習から理論分析まで、基本に戻っての練習。コンサートは木曜日だったが、やっと疲れが取れてフルに身体も頭も機能するようになったのは日曜日。

練習もがらりと変わったが、やはり人前で弾く必要も痛感したので、最後の2週間は出来るだけ人に聴いてもらうようにしていた。おまけに大きな空間で慣れないピアノで弾く必要も感じたので、急遽鎌倉のホールを借りました。そして、この時も友人に聴きに来てもらいました。前回のように疲れがまたどーっと出てしまうのが怖かったので,最初はプログラムから抜粋して弾こうと思っていたのだが、結局全曲弾いてしまった。

しかし、面白い事に当日はさすがに疲労感はあったものの、翌日に引きずる事なく最後の追い込みにすぐ入る事が出来ました。大きな空間での響きや慣れないピアノでの対応、全プログラムを弾いての自分の体力/精神力分配、そして聴衆がいる上での音楽作りを身体が経験出来たので、急遽決めたホールでの練習だったが収穫は大きかった。

音楽作りと云うのは本当に難しい。自分の中に存在する音楽を追究するためには周りの事を全て排除していかなくてはいけないのだが、最終的にはそれを人と共有するのがコンサートの場。自分の音楽がしっかりしていれば,音楽追求だけしていればいいのだろうが、私はまだまだ人が一人聴いているだけでもそれが崩れてしまう。揺るぎない音楽が早く自分の中に根付くようにしたい。

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