Thoughts

時間

「時間」というものは誰にとっても大きな「課題」のように思う。
「生」や「死」との向き合い方など根源的なものから、芸術においての永遠性/永続性や宇宙やミクロの世界を知る上でも、人は常に「時間」というものを模索しているようにに思う。

最近,と云っても数カ月前からだが、音楽において概念として持っている「時間の流れ」というのは存在しないのだ、という結論に達してしまった。勝手ながら(笑)。少なくとも,真実の音楽には「進む」とか「横に流れる」という時間の流れはないのではないかと思いだしている。

自分が今まで感動したり、凄いと思った演奏というのは正に時間が止まっている中で動いていたように思う。ホールの空気も時間もピタッと止まってしまう感覚に陥る演奏。私たちが慣れ親しんでいる,拍子の規則的な刻みとは関係なく、一つ一つの音が全く自由なのに音楽の辻褄が合っている、完成された音楽。音楽が進めば進む程,音楽の全貌が分かるのではなく、もう既に一つ一つの音の中に完成された音楽が含まれているのだ。そして、そういう演奏は何年経っても忘れない。音なんて実態がないのに、それを忘れないというのは凄い事だと思う。

自分も常に課題となっていたのが、音楽に対しての自分の立ち位置。ブログにも多分前にも書いたような気がします。なかなか答えが出ないので(笑)。
「自分が出したいと思っている音がはっきりと分かっていないといけない。」と云われれば、出す音よりも前に自分の意思を持っていかなきゃいけないし、「自分の出している音を良く聴いて、聴いた音で次をどう弾くかを判断しなきゃ!」といわれれば、出している音よりも後に自分の耳も意識も持っていかないといけない。おまけに音は次から次へと出て来るのだから、自分の意識を前に持っていったり,後ろに持っていったり、と何とも安定感がない。どちらかに徹底しようとしてもどうもしっくりいかない。
 それが、たま〜に弾いていると、あるフレーズだけ妙にハマったりする時がある。これは自然にハマるのだが、どうしてハマるのかがどうしても分からず、他の所に適用する事が出来なかった。そのフレーズの前後はどんなに不安定でも、そのフレーズに来るとなぜかピタッとはまる、不思議な感覚。おまけに録音をしてみると、やはりハマった所だけが妙に完成されている。

それが、ついにこの仕掛けが分かったような気がします。自分にとっては大発見。
この発見を見付ける大きなきっかけがやはり夏に聴いたA君のチェロリサイタル。
彼の演奏から本当に多くの事を学んでいます。
彼がテクニック的に難しい曲を弾いていた時の手の動きに大きなヒントを貰いました。フレーズの中で実際に音を出す前に既に大きく指を動かして、その音が出るべき時には準備万端で全く間違える気配がないのである。音楽の「流れ」からすると、その手の動きはあまりに早くに準備していたように感じたのだが、「実際の音楽」にとっては必要な動きだったのだ。音楽の流れに自分の体が乗っかっているのではなく、彼自身の中で既に完成された音楽が存在していて,舞台に座った彼はチェロの上に指を置いていっているだけのような感じでした。出て来た音は一つ一つが完成されているから、それを繋ぎ合わせたものは流れとは関係なく完成された音楽なのである。


今まで一曲の中で,数カ所だけがまぐれのようにハマっていたものが(残りはとにかく人口的に音楽的になるように作り上げていた)、今面白いように次から次へとハマっていってくれています。
とにかく、陥りがちな音楽の「流れ」に流されないように、「音楽」そのものを見据えられるように今頑張っています。

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