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心はどこに?

                             楽譜を買いに銀座に
Wako2_resize.jpg生徒のレッスンの帰りの電車の中で、竹内薫さんという科学作家/科学博士の書いた「脳の不思議」という雑誌の記事を読みました。とても面白く、分かりやすく書いてあったので本当に楽しく読めました。色々と発見があったのだが、その中の一つに、人間は手先が非常に発達していて、手から得た情報で使う脳の領域がとても大きいというものがありました。おまけに指一本一本にそれぞれ対応する脳の割当があるのです。私はピアノを弾く時に、他の指に比べて人差し指があまり云う事を聞いてくれないのだが、脳の「人差し指」部分がうまく働いてくれていないのだろうか、と考えたり(笑)。
 そして、私が一番興味を持ったのが、心は「脳」にあるのだろうかという疑問。(この記事は、赤瀬川原平さん、画家/作家が書いていた。)私もこれはいつも考えている事。

%E5%85%AD%E6%9C%AC%E6%9C%A8%E3%81%8A%E8%8A%B1_resize.jpgBC5世紀にヒポクラテスというギリシアの医者は「心は脳によって支配されている」と考え、BC4世紀のアリストテレスは「心は心臓に宿る」と説いたそうです。結局これは答えは出ていないようだが、日本語でも、英語でも「心」(heart)と「心」臓(heart)が同じ言葉で表されているのが不思議だと思っています。心と心臓が全く違う言葉になっている言語はあるのだろうか?
 赤瀬川さんは「心は脳ではなく、内蔵のどことは特定出来ないが、物を食い、呼吸し、生命活動をする臓器、だけでなく、生命に繋がる自然環境にも一部散在してあるのかもしれない」と書いていて、妙に納得した。
 大学時代に音楽表現をするために、W先生に「とてつもない怒りや悲しみを感じるのはどこ?」と訊かれてその時は答えられず、先生が「お腹だよ」と教えてくれたが、人生経験があまりに少なく、全然ぴんと来ませんでした(笑)。%E5%85%AD%E6%9C%AC%E6%9C%A8%E6%A1%9C_resize.jpg しかし、今ではそれが良く理解出来ます。そして、確かにその感情はお腹が発信源だが体中が「心」になってしまう感覚もあるのだという事も知っています。 
 赤瀬川さんが仰っていた「生命に繋がる自然環境にも一部散在している」という発想はとても新鮮だったが、良く考えてみれば自然環境というのは人間も含まれる訳で、人と共感出来るのはその心が実は相手の中にも存在しているからなのかもしれない、と勝手に考えが発展してきました。このブログを書きながら、確信に近くなってきました(笑)。

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           鎌倉の桜はまだです...。

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