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再び釜石へ:Ⅳ

                        大型タンカーのあった場所
%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E5%BE%8C_resize.jpg釜石4日目。

釜石での最終日。釜石での最後の日とあって、どうしても港まで行きたかったので、朝5:30に起床。明るくなって来たのを見計らって6時頃に一人で散歩に出掛けました。

港に行きたかった理由は、釜石ベースキャンプのブログで港に乗り上げていた巨大なタンカーが無くなっている事を知っていたから。6月に釜石に来た時に見ていただけに(7月のブログ参照)、その後、どうなっていたかをぜひ見に行きたいと思っていました。

港近くは瓦礫が無くなっていたり、道路が整備されたりもしているが、やはりまだまだ半壊の建物も多い。ずんずんと歩いていたら、見覚えの無い所に出て来たので、変に思って戻ったら、タンカーのあった所を通り過ぎていました。今では岸壁に大きな窪みが残っているのみでした。

%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%8C%E6%9D%B1%E5%8C%97_resize.jpgそれにしても海が美しい。前日に仮設住宅の方と鎌倉の海の話になり、彼が「湘南の海は水が濁っているよね」と云うので、「確かに夏はそうだけど、冬の海はきれいですよ」と切り返したが、この釜石の海の色は深みがあるのに独特の透明感があり、毎回見る度にその美しさに感動してしまう。この海が、と思うと悲しくなったり...。

7時過ぎにベースキャンプに戻り、朝食にまたお昼のおにぎり作り。一連のミーティングとベースキャンプのお掃除。

この日は昨日とは別の仮設住宅での心のケア。ベースキャンプから歩いて5分程のところにある仮設住宅。

午前と午後に1時間半程ずつ戸別訪問をして、他の時間は集会所でのお手伝い。この仮設住宅の方達は元気で明るい方が多く、前日の仮設住宅とは全然雰囲気が違っていた。やはりコミュニティーによって色があるよう。踊りの先生をしていらした方は、お家の中に招きいれて下さり、こたつに入って一緒に一時間近くお話しました。踊りのお話からご家族の話、そして津波の話。本当に人生の縮図を聞くような濃い一時間でした。

お昼はスタッフと地元の方お一人と一緒に。その方の娘さんが作って下さったという美味しいカボチャのコロッケをみんなで頂きました。

%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E4%BB%AE%E8%A8%AD_resize.jpg午後は喫茶スペースでお茶を出したり、手芸のお手伝いをしたり。
そして、午後2:46になるとサイレンが鳴りました。この日は11月11日。月命日でした。それまで賑わっていた集会室も皆で黙祷。一分間が過ぎるとまた皆で賑やかに話し出しましたが、やはり皆涙目でした。中には「今日だったの忘れていたね、お母さん」と云っていらした方もいたし、「このサイレンはいつまで鳴らすのかね」と訊いていた人もいました。色々と複雑な思いが交錯していて、こちらも色々と考えさせられました。

午後4時には集会所の掃除や片付けも終わらせて、ベースキャンプに戻りました。
心のケアチームで最後のミーティング。

その後お世話になった皆さんにご挨拶して、4時半過ぎにベースキャンプを出発。
皆さんがお見送りして下さって、釜石を後にしました。

今回の旅は本当に色々と考えさせられました。メディアでは入って来ない様々な状況や情報を知る事が出来た事だけでも行った意味はあったように思います。
6月に行った時には全体的な一体感みたいなものを感じましたが、今回はとにかく皆さんがそれぞれに個々のペースがあり、個々のニーズがあるのだという事をひしひしと感じました。
物資や食料等は今でも無料で提供される事が多いが、被災者自身からの「もう無料で提供しないで欲しい」という声もあれば、逆にただで提供されるのが当たり前と思われてしまっている状況もあったり、たくさんの企業が仕事を提供出来るように努め、求人するのだが全然人が来ない等々、鎌倉にいれば知る事の出来なかった事を色々と知る事が出来ました。

時の経過と共に3月11日のインパクトは弱くなりがちだけど、今回再び釜石で過ごした時間や思い、新しく出逢った人達によって被災地への思いは風化しないようにしたいと思っています。

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