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すす払い

今日の爆笑問題の「日本の教養」は憲法学がテーマ。色々と思う所もあったが,先週書き損なった『美学』を研究している教授との対談の方が印象に残っている。いつも番組の最後に予告編をやるのでこの『美学』についてどのように追求しているのかとても楽しみにしていたが、あまり新しい発見がなくて、かなりがっかりした。
 人が何を美しく感じて、そしてなぜそう感じるのか。美しく感じるというのがどういう感情なのか不思議です。黄金率や音楽の上でも美しく感じるものが追求されているが、では、なぜそれが美しく見えたり,聴こえたりするのかというのをぜひ知りたい。
 常日頃音楽の美しさを伝えたいという思いで練習するわけだけど、その根本にある感情が何なのか分かればもっと人が感動出来る音楽が作れると思うのだが...。おまけに「美しい」というのは、「綺麗」とは異なるもので汚いものでも美しくなり得る所が誤解を生みやすい。一番分かりやすいのが、例えば「怒りや憎しみ」という感情も音楽で表せば美しく感じる事が出来る時もある。分かりにくいものの例えで云えば、イギリスで見たテレビ番組で紹介していた、人が嘔吐しているだけのビデオ映像をアートとして表現していたもの。その展示を見た人が、「まさか吐いている人間が美しく感じれるとは思わなかった!」と云っていたが、実際に映像を見ると確かに私も美しいと感じた。

 しかし、音楽上では最近「美しい(音楽的)」という定義が画一化しているような気がしてならない。
 爆笑問題の太田さんがいっていた事で色々と考えさせれた事がある。伊勢神宮が何年か毎に完全に建て直しをしたり、大仏様のすす払いをしたりするのは人が知らず知らずのうちに付けてしまっている「思い入れや固定観念のような付加価値みたいなもの」を落としていて、そういうものが着いている事に気づいているからではないかという。
 私はこれは長い歴史を持つクラシック音楽にも共通のデメリットがあるように思う。演奏者としては、バッハはこういう音楽、ベートーベンはこういう音楽、という風にそれぞれにそれぞれのスタイルがあり、それらの中にある真実を伝えるためにはそれを学んだ上での演奏をしなければならないが、音楽が受け継がれてきた過程であらやる『付加価値みたいなもの』は付いて来ていると思う。その時代の傾向にも左右されているとも思うし、つく先生によっても全然違う音楽になります。そして、最近の傾向として気になるのは楽譜を読まずに音から覚えて弾くという学び方。どうしても真似事になりそうな気がするのだが...。「ベートーベン」の音楽ではなく「誰々の弾いたベートーベン」になってしまうのではないのだろうか。
 また、人の演奏をCDにしろテレビにしろ、あまりにも「聴く」機会に恵まれすぎていて、洗脳されて自分の個性を自覚出来なくなっているようにも思う。個性的な演奏に巡り会う事が本当に少ない。
  演奏家として作曲家に近づける一番の近道はやはり楽譜だと思う。その作曲家の歩んだ人生を知る事も重要だし、役に立つとは思うが、事実関係以外の人間模様は参考にするくらいの方が良いように思う。こういう書物も、「付加価値」がいくらでも付いていそうだし..。
 付加価値を出来るだけそぎ落としてこそ、初めて作曲家と自分自身の個性が向き合えるのではないでしょうか。

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