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もっと美しく

再放送だが、指揮者H.V.カラヤンのドキュメンタリーを連日放映していた。
朝の中途半端な時間だったので、いつも途中からだったり、電話が掛かって来て断片的にしか見れていなかったが、やはり人を惹き付けて止まない魅力を放っていた。

 一昨日観た一断片で、彼がリハーサル中に執拗にオーケストラを止めては云っていた「もっと美しく!もっと美しく!」の言葉。彼の声や、その思い入れの伝わって来る横顔で、私はこの2日間相当、色々な事を考えさせられている。

 まず、この「美しく」というのは当たり前過ぎて、見落としてしまう事が多い。というか、大して追求する事でもなくなってしまう事の一つのような気がします。
 おまけに、この「美しく」というのは考えてみるととても曖昧な表現です。人によって美しさというのは千差万別のような気もするのだが、そうでもないのかと思ったり。月を見て、美しくないと思う人はいるのだろうか...。無関心な人はいると思うが...。この月と同じで、音楽も普遍的な美しさというものが存在するのだろうかと考えたり...。

 実際にカラヤンが「もっと美しく!もっと美しく!」と要求すると、確かにどんどん美しくなっていた。という事は、オーケストラの団員一人一人が「美しさ」を理解し、その気になれば美しく出来るという事になるのだが...。また、それに感動出来る聴衆も、その美しさを感じるキャパシティーがあるという事でもあるが、カラヤンの凄い所は、どこまで美しさを追求出来るか、そしてその辿り着くべき究極の美しさを知っていた事なのではないだろうかと思ったり。
 
トップオーケストラばかりを指揮していたわけだから、もともと出て来る音楽はすでに美しかったと思うのだが、それをさらに「もっと、もっと」という所が偉大なる由縁の一つなのでは、と思っています。

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