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音の美しさ 音楽の美しさ

昨日のブログの続きです。カラヤンと自分の事を同じブログに載せるのはあまりにも気が引けたので、二日に分けました(笑)。

カラヤンが云った「もっと美しく」。人に自分の思っている通りの美しい音、美しい音楽を作らせるというのがカラヤンの指揮の凄い所だが、では、自分の思い通りに音や音楽を作れるはずの自分のピアノはどうなのだろうかという聴点で聴き出したら、何と美しくない音の多い事か(笑)!!!「音楽において、美しさというのが当たり前すぎて...」と昨日のブログで書いたが、これはどういう事かというと、楽譜通りに弾けば音楽自体が美しいので、何となく美しく聴こえてしまうのです。私は、音楽を通して何を伝えたいのか、そしてどういう風に伝えたらそれが一番人に伝わるのか、という事ばかりに焦点が行ってしまっていたがために、「美しさ」の追求が全くと云っていい程、御座なりになっていた事に気づきました。本当に今まで何を聴いていたんだろう、と反省したが、その気になると大分自分の中で「美しい」と思える音が出て来るようになってきました。

 

 しかし、この「美しさ」を追求する事で起きる危険があるのも確かです。
活躍中の日本人のピアニストの演奏をテレビで見た時の事。最初はその音の美しさに驚き、そして大いに感動しました。しかし、10分もして来ると、残酷な事にその美しい音に耳も慣れて来てしまい、そして段々と退屈してしてきて、あっという間に飽きてしまったのです。その後、友人から、そのピアニストがインタビューで「音の美しさにだけに興味があり、ひたすらそれだけを追求している」ような事を云っていたという話を聞き、「なるほど」と納得してしまいました。音の美しさだけでは、音楽の本質は伝えられない事を実感した出来事です。

 カラヤンのように並々ならぬ才能と教養、そしてヨーロッパに生まれ育った環境から来る文化の豊かさが背景にあるからこそ、美しさを求めてもそれが意味を持つのだと、思っています。

 本当に偉大な音楽の本質、核心に迫る事は大変難しい。しかし、全てではないにしても「美しさ」の中にもその本質が含まれている事を再確認している最中です。カラヤンの一言は一冊の本を読むよりも意味のあるものとなりました。

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