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意識/無意識 2 (ゴールドベルク)

最近自分の中で、この「意識/無意識」について考えさせられている。先日の舞踏を観ても、人によっての無意識のレベルの違いを目の当たりにしたのだが、自分一人の中でも無意識は色々なレベルで存在しているのでは、と考えている。

大きなコンサートの前に、(自分ではそんなに自覚していなくても)やはり緊張状態にあるために起こるのだと思うが、寝ている時に、脳が睡眠と覚醒の間にいる時がある。うまく説明出来ないのだが、身体は寝ている実感があるし、脳もくっきりと目覚めている訳ではないが感覚的に「起きている」感じがするのである。エジソンがよく眠りに入る瞬間に閃いた、と読んだ事があるが、この状態なのかな、とも思っている。

そして、最近興味深い事があって、これも様々な意識/無意識がある事を実感した一つ。

秋のリサイタルの本格的な準備に入る前にどうしてもバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を手中にしたかった。なので、ここ数週間はこのバッハと格闘している。30変奏もあって、50ページ近い大曲なだけでなく、難曲なので今まで何度も挑戦しては途中でギブアップしていたが、ようやく全ての「譜読み」は出来るようになりました(笑)。「譜読み」というのは演奏とはほど遠いので自慢出来る事では全然ないのだが、とりあえず曲の全貌が見える最初のステップは踏み出せたという事で自分にとってはアチーブメントです(笑)。

やっと全曲を知る事によってとても面白い発見が。今回は第1変奏曲から順番に練習していたのだが、弾いている感覚というのは第29変奏まで同じような感じでした。バッハは大好きだし、弾いていて和声の変化等、本当に美しいと思うのだが、あまりに「完璧」過ぎて無機質な感じがしないでもない。それが、第30変奏でがらっと変わる。弾いている時の感覚が他の29変奏とは全く違う。何だかやっと心の休まる「人間味」のある音楽となっているのです。

この事を、リサイタルでお世話になっているOさんとのメールでのやり取りで書いたら、やはり聴いている人もそのような感覚になると聞いて感激。実際にそれまで、規則に従って発展していた変奏がこの最後の最後で例外的に当時流行していた歌遊び「クオドリベット」の変奏曲となっている。それまでは人間の手には及ばない宇宙の法則に従っていたものが急に通俗的になるような気がします。バッハは人間の内に存在する様々な意識/無意識を自由自在に駆使していたのだと、つくづく感動。

普段の生活の中では体感出来ない色々な意識のレベルを音楽を通して実感出来るというのは本当に素晴らしい。それが、弾いている方も聴いている方も実感出来るのだから、それを可能にしている作曲家に本当に感謝です。

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