Thoughts

印象

前回のブログで書いた「力ずく演奏」は他人事ではない。自分では音や音楽に出来る限りの心配りをしていても実際に出て来る物が予想に反する事が随分と多い。

11月に久しぶりに日本でおこなったリサイタルのコメントに「音が大き過ぎたのでは?」というものがありました。自分の音楽を支えて下さっている方二人からのコメントだったが、意外だったのがコンサートの全プログラムを通して音が大きかったように感じたらしい。

音というのは座っている場所やその人自身の体や心の状態も関係して来るのだが、「音量の問題ではない気がする」と、そのお二人が仰ったように「大きすぎる印象」を与えてしまったという事である。私も実はここ最近、ピアノ・リサイタルを聴きに行くと結構「うるさい」とまで感じてしまう演奏が多いように思う。

楽器をフルに鳴らせるというのは、それはそれで素晴らしい事なのだが幅が足りないと云うことなのだろう。自分は高校生だった時に、発表会で完璧に弾けたと思って意気揚々と観客席で聴いていた母の所に戻ったら「音が小さかった」とひと言だけ云ってその日はもう口もきいてくれないくらいに不機嫌になってしまったという経験があったので、それ以来音の大きさに対してはずっとコンプレックスを持っていた。音の大きさに対しては人並み以上に気にするようになっていたように思うし、いかに大きな音を出せるかが自分の中で目標になっていたように思うがその使い方が上手くいっていないのだろう。

大きな音というのは絶対に必要なのだが、その大きな音に説得力がなければ全く意味がない。ロンドンに住んでいた時に学生のコンクールを友人と聴きに行ったのだが、遅れて行ったのでピアノのふたの真ん前の席しか空いていませんでした。小さなサロンだったのでピアノからの距離は1mもなかったように思う。それなのに、一人の学生が思いっきり激しいベートーベンのソナタ(熱情?)をガンガンに弾いていたのに目の前で爆睡してしまいました(笑)。コンサートで寝る事が滅多にない私なのに!友人に「あんなに大きな音で弾いていたのによく寝れるね〜」とあきれるどころか感心されてしまったのだが、音楽を通り越して、ただの騒音(騒がしい音)になっていたのだと思う。

人が感じる音の大きさというのはまさにその人の「印象」なのだが、その印象もやはり「大きすぎる」と思わせないようにするにはどうすればいいのかも考えなくては、と思っている。「音が大きすぎる」とコメントがあったその場で違う方は「ちょうど良かった」と云う方もいるのでなかなか難しいのだが、しかしこれからの演奏を考える上での要素となっている。

コメントは色々と参考になるので、100%それを取り入れる訳ではないが、やはりもっといい演奏をするためには欠かせないものと思っています。
専門的なご意見も勉強になりますが、やはりコンサートを聴きに来て頂いた方からは、演奏がどうのこうのより、その方がどのように感じたかを云って頂けた時が一番嬉しい。
ちなみに昨年のリサイタルで本当に素敵なコメントを色々と頂いたのですが、一番嬉しかったのは「みほさんの演奏を聴いていると好きな人の所に心が飛んで行く」というものでした。この言葉には私も感激でした。

色々な方から頂いた、たくさんの言葉で今日もピアノに向かっています(笑)。

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