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謙遜と透明

Christmas%20wreath_resize.jpgキリスト教の暦ではクリスマスは12月25日に始まり1月6日に終わる事になっている。なので、クリスマスの飾りも昨日まで飾ってありました。今回は生徒達のコンサートがあったので、相当気合いの入った飾り付けだったが、片付けながら、「良く頑張ったな〜」と自分の頭を撫でてやりたい思いでした(笑)。どうりで忙しかった訳だ...。

クリスマスとお正月も過ぎて、やっと何だか精神的にも落ち着いて来ています。 クリスマス・カード書きやプレゼント、年賀状、と人との触れ合いが楽しい時期のはずなのに、それが妙にプレッシャーになってしまった昨年暮れだったが、今年はもっと心の余裕を持ちながらその季節を迎えたいものです。

新年になってからは練習も大分軌道に乗り、久しぶりに本格的に音楽を追究出来る心構えになってきました。昨年の暮れに色々と自分の中に新しい風が入るきっかけとなる言葉が二つあり、今はその二つを軸に練習に励んでいます。一つは「謙遜」。これは音楽に対してではなく、全体的な事で私自身の中でバランスが悪いのではないか、と指摘された事でしたが、実生活での自分の動向をどのように変えたら良いのかあまり分からなかったので、一先ず音楽の中で理解しようと思った所、すぐに自分の音楽の中での「傲慢さ」を発見する事が出来ました。いかに音楽の前で謙遜であるべきか。自分でも今まで気を付けていた事だが、自分の感情や心を差し出す事が謙遜と誤解していた事に気付きました。

そして、これと同時進行で大きく共感出来た言葉が「自分が透明になる事」。「透明」という言葉は自分の中からは出て来なかった言葉のように思う。いつも自分をなくす事、(エゴをなくすという事だったと思うが)を考えていたように思うが、それでは「自分」をどう表現したらいいのか、という事と相反していてなかなかそのバランスが取れなかったように思う。しかし、自分が透明であれば、音楽も自分も共存出来るという事で、これも自分にとってはとても大きな発見でした。

自分がどれだけ謙遜で透明になれるかが今の課題です。

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