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透明

前回のブログで「謙遜」と「透明」というのを課題にしていると書いたが、この「透明」という言葉がさらに発展している。

「自分を透明にする」というのはとても曖昧なようだが、自分の中では感覚として音楽に対しての自分の立ち位置というのが定まった気がします。透明な時と透明でない時が良く分かるようになったので、自分で修正出来るようになっているのが大きな進歩です。おまけに「自分を透明にする」という事を目指していたら、音までもが透明になる瞬間があって、実は私はそういう音を目指していたんだったという事を再発見している。中学生くらいの時(自分がまだ純粋だった頃という事だろうか!)にはそれが自分にとっての最大の目標だったのを思い出しました。勿論、今となってはそれだけでは足りなかったという事がよく分かるのだが、自分にとっては大切な「透明度」をすっかり忘れていた事に気付きました。(いい音が必ずしも透明とは限らないのがまぎらわしい。)原点に戻った感があるが、とにかく今練習が楽しい。今まで自分で作っている音楽のはずなのに「ちょ〜っと違うんだよね〜」といつも何だか違和感が残ってしまっていたのだが、やっと今、自分の作っている音楽がしっくり来ている実感がある。

大分前に知り合いの方がある料理研究家の話をして下さった時に、「その方は野菜を茹でていると、野菜が一番美味しい瞬間が分かるんだよ。野菜が透明になる瞬間があるらしい」と云っていたが、私もいつも料理をしている時にこの事は感じていた。ずっとお鍋の側で茹でている人参を見ていれば、透明になる瞬間は素人でも分かる。

自分は今音楽を作っている側だから、こうして色々と考えたりして試行錯誤でこの「透明」を探さないといけないのだが、聴いている方としては感覚的にこの音の違いが分かるはずだと信じて、今一生懸命練習に励んでいます。

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