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ボランティア活動:釜石:6月22日

6月22日。鎌倉も梅雨の中休みで久しぶりにくっきり晴れて、気温も朝から相当高い。

午前10時前の横須賀線に乗る予定なので、現地に持って行くタンパク質(焼豚)を買いに、いつも行っている近くのお肉屋さんに9時に行ってシャッターが開くのを待ちました。もう、待っている時点で暑くて汗がじわじわ。大量の焼豚をお願いしたら、「何に使うの?」と訊かれたので「これから被災地に持って行く」と話したら少しおまけしてくれました。「気を付けて行って来てね」と送られました。

鎌倉から東京まで1時間。東京から新幹線で新花巻まで3時間強。福島を通る時は悲しみとあらゆる思いが交錯する複雑な思いで窓から見える風景を見ていました。

新花巻からさらにJR釜石線に乗り換えるのだが、乗り換え時間が7分。すでに新幹線に3時間以上乗っているので、駅で水でも買おうと思っていたが、とんでもない。ホームが離れている上に、階段が相当ありました。駅員さんに「急いで下さ〜い!」と追い立てられ、自分と同じような大荷物を抱えた人、数人がみな荷物を階段で上り下りするのに苦戦しながら、なんとか間に合いました。

この釜石線に乗ってさらに2時間強。2両編成のかわいい電車。それにしても普通だったら数人しか乗らないだろうこの電車も、色々な人が乗っていました。あきらかにボランティアの人(大荷物で分かる)やそれぞれに作業着に身を包んだ方、それから、外国の方も乗っていました。話をし出した方はフィリピンの方で、「災害時における社会的変化について」の研究と共にボランティアにいらしたそう。前に座っていた3人の東京レスキュー隊の人達はず〜っとコピーしてある資料を読んでいましたが、その中に「基礎的フランス語」のような小冊子もあって、きっと現地でフランス人と一緒に働くんだろうな〜と想像していました。
多くの人は「遠野」という駅で降りていました。後で訊いてみた所、終点の釜石は宿泊施設が殆どないために多くのボランテイアや作業に来ている人はこの遠野から通うそうです。

%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%81%A8%E3%81%86%EF%BC%92_resize.jpg釜石で降りるまで、電車の中で色々な人が声を掛けてくれました。「旅行で来たの?」と訊かれ「ボランティアで来ました」というと皆さん「私たちのためにわざわざ来てくれてありがとう」と云って下さいました。緊張しているせいか、その云って下さっている方の事を思うせいか、この一言にも、うるうる来てしまいます。

釜石までの電車の窓から見える風景は本当に手つかずの自然が広がっていて本当にきれいでした。この風景がいつ変わるのかと、どこから地震の被害が見えて来るのだろうか、とずっと身構えていたのだが、ついに着くまで地震の気配を感じる風景は見ませんでした。建物は何もダメージがないままに普通に建っていました。駅もそうです。駅には売店もあり、そして駅のそばにはローソンのコンビにまであって、何もない事を想定していただけにちょっと安心しました。

しかし、ベースキャンプに向かってタクシーで2〜3分も乗らないうちに、急に風景は一変します。こんなにもこの境界線ははっきりしているのか、と本当に胸が詰まります。商店街は一階部分が全部やられていて、めちゃくちゃな状態。瓦礫しか残っていない所もたくさんありました。テレビで見るのと、実際に自分の目の前にそれが延々と存在しているのでは全然感じ方が違います。体中がそれを体感してしまいます。

タクシーの運転手さんに「遠くから来てくれてありがとう。気を付けてね」と送られ、ベースキャンプの釜石カトリック教会に着きました。

電話でお話ししたIさんが迎え入れて下さり、その後はシスターが30分のオリエンテーションをして下さいました。建物内を案内して下さり、一日のタイムテーブルや食事の仕方の説明、作業の時に必ず身に付けるベストや腕章、名札等を渡して下さいました。

この時は、皆さん既に作業から帰って来た後の自由時間でした。皆、何だか我が家のように勝手が分かっていて、勝手気ままにやっている感じです。気さくに声を掛けて下さった方もいたが、こちらは急に予期していなかった疎外感を感じてしまいました。急にこれから過ごす数日間が不安になって来てしまいました...。

しかし、夕食の時間になったら、何となく色々な人と話をし出して少しほぐれて来ました。夕食後は少し周りを散歩して、7:45にミーティング。まずは4つのグループに分かれて、その日の事を分かち合います。そして、その後は全体でその日の報告。
私はこの分かち合いがある事がとても感謝でした。やはり全体に向かっての報告とは違う、その日に自分の感じた事を少人数で話せるのが本当に良かった。この日は自分は作業していなかったが、色々な人が「ありがとう」と声を掛けて下さった事を話しました。

そして、報告の後は次の日の作業を選びます。大きな紙に場所の名前だけが書いてあって、そこに名前を書いて行きます。何が何だか分からないうちにどんどん埋まってしまうので、空いた所に自分の名前を書きました。

後から、「私、橋野って云う所にしたんだけど、何する所?」って訊いたら、「廃校になった小学校で写真の洗浄する作業だよ」と教えてくれました。

9時過ぎになると外から数人の人が帰って来て、皆が「お疲れさまでした」とその方達に云っていました。「どこに行っていたの?」と訊いたら、「避難所に行って皆さんのマッサージをして来たの。「心のケア」だよ。朝、あのバンダナしている人に云えば連れて行ってくれるよ」と云われました。

その後は皆それぞれに寝袋を出して、10時就寝。こんなに早く寝たのはいつだろう...。

それにしても、ボランティアは組織立ったシステムがある訳でもなく、特に私が行った場所は個人で行ける場所なので、入れ替わりが激しい。いちいち一つ一つの事を説明しているわけにも行かないのが、後で考えるとよく分かります。なので、とにかく、自分からどんどんと聞くしかありません。そして、気後れせずにどんどんと動くしかない事が徐々に分かって来ました。

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