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ボランティア活動:釜石;6月23日

%E4%BA%88%E5%AE%9A%E8%A1%A8_resize.jpg朝5時起床。前日に早く寝ているのと緊張しているせいで自然に目が覚めました。外は雨。

6時に食事。和食も洋食も揃った充実した朝食。食後は作業場にもって行くおにぎりを作って。

朝のミーティングの時間まで荷物の整理をしていたら、大きな地震が。津波の後を目の当たりにしているだけに、前とは違う緊張感が走る。津波警報のサイレンも鳴り、不安を仰ぐ。しかし、次第に警報も解除され、心配もなくなる。

朝のミーティングで今日の作業の確認。雨で作業変更も。神父様が最後にお祈りをして下さり、皆を送り出して下さいます。

解散後それぞれの出発時間までベース内の掃除。皆、あっと云う間に散って、てきぱきと掃除機を掛けたり、トイレの掃除をしたり、ゴミをまとめたり。。。掃除用具があっという間になくなってしまい、何だか置いてきぼりに。。。シスターに「掃除する所がないんだったら、ここら辺の物を片付けたりして」と云われ、大した事をしていないのだが、忙しく掃除をしている振りにだけなってしまったような気がしてしまいました。

8:10にベースキャンプを出発。本当は出発前に夜に避難所に行く「心のケア」の人に自分も行きたい事を伝えたかったのだが、担当の方が見当たらなかったので、断念。

YさんとKさんの車に乗せて頂きました。まずは釜石駅近くにある釜石ボランティアセンターに。他の5人と合流してここでその日のボランティアの登録をします。ワッペンを貼って頂き、保険もここで加入。

%E6%A9%8B%E9%87%8E%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%91_resize.jpgここからはKさんと二人で車で作業場の橋野小中学校まで。海沿いの道もたくさん走るので、津波の後の光景を見ながらの移動。北海道からいらしていたKさんとは色々とここに来るまでの不安や着いてから色々と思った事を共有出来て大分心が軽くなりました。

作業場の橋野小中学校は山の中にある廃校。津波跡から拾われた写真を洗浄する作業です。入った時にアルバム、写真の多さに圧倒されました。アルバムは腐食していたり、まだ湿っていたりするので、室内は空気が悪く、マスクと軍手をしての作業。

%E6%A9%8B%E9%87%8E%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%92_resize.jpgアルバムから一つ一つ写真を剥がし、砂をブラシで払い、除菌ティッシュで腐食を起こしているバクテリアを取り除き、乾かしてきれいなアルバムに入れて行きます。
作業をしている同じ場所にはまだ、これからきれいにしなくてはいけないアルバム、きれいにしたアルバムが長机にズラーッと並べられていて、作業している横で人が写真を探しに来ます。なので、作業もとても気を使います。指導して下さったYさんは「判明出来なくなってしまった物はそ〜っと捨てて下さい」と皆に説明していました。

作業は結構、皆話さずに黙々としています。
写真を一つ一つきれいにする作業をしながらも、探しに来ていらした方を見ても色々と思う事が。60代くらいのご夫婦はずっと奥様がご主人様のシャツの裾をにぎったまま一つ一つを二人でじっくりと探していました。一人でいらしたご年配の方は、校舎に飾ってあったお孫さんの写真を見付けられて、作業している私たちに「全国大会で記録を出したんだ。」ととても嬉しそうに話していました。皆、手を止めて一生懸命に耳を傾けていました。
おじいさんが帰られてから「あの子が生きているといいね」と...。

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お昼は近くの休憩所に6人で(他のボランテイア・グループも合流していたので)。水車がある場所で周りの自然が本当にきれい。山の緑が清々しく、滝もあって本当に美しい。「癒されるよね」と皆口々に。

午後も数時間作業して午後3時前に引き上げ、帰りはまたYさんとKさんと3人で。YさんとKさん、二人一緒になるとなんだか漫才をやっているみたいで、私は終止後部座席で笑っていました。二人のハイテンションも自分の笑いも何だか止まらなくなってしまうのは、この深刻な状況の反動なのかな〜...。

釜石のボランティアセンターに戻り、作業報告をして4時過ぎにベースキャンプに戻って来ました。

港に行きたいと思っていたのだが、「銭湯に早く行っておいで」と云われ、銭湯優先になってしまいました。帰って来ても、やはり港に行きたいと思い、Yさんに云ったら「じゃ、X君に車で連れってもらいな」と云って下さり、車で連れて行って下さる事になりました。(前日に歩いて行こうと思ったら、周りが全て瓦礫で人っこ一人歩いていないので、さすがにちょっと怖くなって途中で引き返してしまいました。)

瓦礫を相当見て来たが、さすがに陸に乗り上げた巨大なタンカーはショッキングです。というか、どういう風に感じているのかも分からなくなってしまいます。X君が色々な事を説明して下さったので一緒に行けて本当に感謝でした。途中で見た事もないような凄いカメラを持ち出したので、「凄いカメラだね」と驚きのあまり云ったら「俺、カメラマンなんです」と。カメラマンはどういう気持ちでこういう場所を撮るのだろう...。それにしても、ズタズタになった魚市場の目の前には緑の山々が広がり、霧が掛かっていて、海もとっても静かで荘厳な感じで美しいと思ってしまえます。起こってしまった事とこの目の前の風景のギャップが本当に悲しい。

6時15分頃にベースキャンプに戻り、お皿に夕食を取っていたら「今日、心のケアで避難所に行きたいって云ってなかったっけ?」と云われ「何時から?」と訊いたら「6時半だよ!」と云われ「え〜っ!もう間に合わないかも!」と云ったら「かき込んで行けば間に合うよ!」とあっさり云われ、5分で食べて、出掛けて行きました。


この避難所の心のケアというのは、皆さんに声を掛けてマッサージをするものです。車の中でどのように皆さんと接したらいいかざっと聞いて最初の避難所になっている体育館へ。最初の体育館はそんなに人数も多くなく、ご年配の方が多かった。おばあちゃんに声を掛けて、マッサージをして最初は身を任せて無言だったが、その内少しずつ話をしだしました。思う存分話をして頂きたい思っていたら、もう次の避難所に行く時間になってしまいました。
担当の方に「思う存分話してもらいと思ったら、一人しか出来なかった」と云ったら「それでいいよ」といってくれました。

次の避難所は相当大きな体育館でここは老若男女が交じっていました。ここでは数人のマッサージをする事が出来ました。あるおばあちゃんは脈がとても早かったり、おじいちゃんは息がとても浅かったり。避難所に3ヶ月というのはお年寄りにとっては本当に辛い事だと実感しました。若い人は若い人で凄い脱力感で辛い話をぽつぽつと小さな声で話してくれたり...。

最後の避難所が一番大きな体育館。人も多く、逆にちょっと賑やかな感じでした。若い人が多かったからでしょうか?何だか皆とても仲の良い感じでそれぞれの区切り越しに声を掛け合って話していました。それでもやはりマッサージをするとそれぞれに皆さんとても身体が硬くなっていて、本当に大変な生活を送っているのが伝わって来ました。

体育館にいる時にも余震があり、私はこのとき、朝にあった大きな地震の時よりもずっと怖かった。やはり大きな建物というのは逃げ場がないので全く無防備だし、出口までが相当遠いのでとても心細い。避難所でたくさんの余震を経験してきた皆さん、特に子供達の事を思うと本当に心が痛みました。

時間を少し超過して9時過ぎにベースキャンプに戻って、そして10時消灯。
だんだんとここでの様子が分かって来ました。
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上の写真:左が乗り上げたタンカー。手前の水が張っているような所は実は港。地盤沈下で満ち潮になると水に埋もれてしまう。

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