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ヴァロットン展

都内でのレッスンの前に丸の内でやっているヴァロットン展に行ってきました。名前も聞いた事もない画家でしたが、宣伝のポスターがとにかく魅力的でずっと行きたいと思っていました。

期待を裏切らない,素晴らしい展覧会でした。宣伝文句は違う切り口から彼を売り込んでいるが、まず、とにかく美しい。油絵ながらも独特の質感と色彩感がたまらない。水といい、シーツといい、お尻といい、どれもが感覚として伝わって来る。水の温度とか、シーツの柔らかさとかお尻のなまめかしさとか。そして、幻想的なのに、異常にリアリティーがあるので、絵の前に立つと瞬時にしていかにも自分がその世界に「いる」感覚になる。ユーモアもあって、それでいてミステリアスで、とにかく魅力的な絵がいっぱい。版画も多く,デザインの斬新さと大胆さに目を見張る。色々な感情や感覚が満たされて帰って来ました。

絵自体とは関係ない事だが、ヴァロットンが初期の作品で目立つ所に目立つ色で、そして時には大きくサインをしているのが凄く不思議で気になっていたのだが、展覧会が進むに従って、後期の作品になって来ると、どんどんサインが小さくなって、相当目を凝らして探さないと分らない程になっていたのがとても興味深い。勝手な解釈だが、作品自体に「自分」が全て注ぎ込めていれば、そこにサインする必要さえもなくなっていくものではないのかな〜と思いました。若いときはまだ自己主張しないと不安と云う事なのかな。

今,自分が音楽に関して開眼したり,発展したりしている大きなきっかけが、昨年の仏師さんとの出逢いでした。彼の仏像をお寺さんに見に行くと、今まで考えた事も無かった事だし、当たり前の事なのだが、仏像には彫った人の名前というのはどこにも書いていないのだ。(その後に行った興福寺の展覧会もそう。仏像には年代は書いてあっても彫った仏師の名前は記録に残っていない事が多い。)でも、その仏像に向かってたくさんの人が手を合わせていて、そしてお祈りをしていました。私はその背後にいらっしゃる仏師さんの事を思いながら、その光景を見ていたのだが、これこそが究極の芸術の形なのだ、と思いました。全ては仏像で完成している。誰が彫ったという事はもう重要ではない。

ヴァットロンも全ては「絵」で完成されていると実感出来たから、どんどんサインが小さくなっていたんじゃないかと、勝手におもっている。

自分も音楽で完結できるようにしたい。

ヴァロットン展、三菱一号館美術館で9月23日まで開催です。

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