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もの悲しい

今日ずっと考えていた事があったので、それを書こうと思っていたのだが、今、東田直樹さんのブログを読んで急遽変更。ちょっと東田さんにハマり過ぎな気がするけど(笑)。

今日の東田さんのブログは次のように書いてありました。(こういう引用って、版権はどうなっているのかしら?)


『僕は、必ず秋になると、考えることがあります。

それは『もの悲しい』という言葉の意味です。

「はっきりとした理由はないけれど、悲しい」という

気持ちは、心があるから感じる感情というよりも、

誰もが持って生まれた感性のような

気がします。

気の毒な人を見ると、助けずにはいられない

気持ちとも似ています。

人間に必要だから、備わっているものなのでしょう。』


鋭いな〜とも思うし、東田さんの心の美しさも伝わって来ます。
これを読んで、普段自分がいつも不思議に思う事をまた考えさせられました。
「感動する」という言葉はよく使われるし、自分でも「感動」する事が多いのだが,その感情が「悲しい」感情と凄く密接な関係があるような、というか、限りなく近い気がしてならない。誰でもあまり悲しい思いはしたいとは思わないとおもうんだけど、「感動」は多くの人が求めていて、だから音楽を聴いたり、芸術に触れたり、映画を観たり、本を読んだり、スポーツを見たりするんだと思うんだけど。

アメリカに住んでいた子供の頃(6、7歳くらいだったと思うが)にクリスマス時期に窓の外から人の家の中のクリスマス・ツリーや暖炉、家族が見えると何とも云えない「悲しい」気持ちになっていて、それを最近友人に話した事があったのだが、話しながら、それは実は「悲しい」んじゃなくて、「感動」してたのかな、と40年後の今になって思いました。

「感動」って、本当に何なんだろう。

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