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ピアノの調律は本当に難しい。自分で出来ないだけに人の技術に頼るしかない。一時は調律の学校に行ってみようかな、とさえ思ったのだが、調律に気と時間を使ってしまったら、演奏にまで辿り着かない気がするし。。。

先日、来てくださった調律師さん。6時間も掛けてピアノを診てくださった。私が子供の頃からずっと懇意にしていた調律師さんも4〜5時間は掛けていたが、6時間は記録である。中学の頃から懇意にしていたその調律師さんとは本当に相性が良く、調律自体に感動することがあった。職人ではなく、アーティストと思える調律であったが、やはりアーティストのように素晴らしい時もあれば、そんなに良くない時もあり、良い時に褒めまくると「今日は調子が良かった」と仰っていた。何よりも有難かったのは、調律が終わった後に、私が気になったところを嫌な顔ひとつせず、最後まで一生懸命に私の要望に応えてくれました。数年前にその調律師さんが亡くなられて、本当に色々な意味で悲しい。私の音楽家としての成長を見守ってくださった大切な人でした。。。

今回の調律師さんも、調律が終わった後に私が色々と気になるところを修正して頂いたのだが、私が「色々とうるさくてごめんなさい」と謝ると「いや、一緒に音を作っているようで楽しいです」とまで言ってくださった。本当にありがたい。

つい先日、遅ればせながら、何年か前に話題になった「羊と鋼の森」を読み終わった。今回の調律師さんにこの本についてどう思ったか訊いてみたのだが、だいぶ言葉を濁していらしたので、現実はまた違うんでしょうね。でも、「音」の表現の仕方がとても繊細で的を得ている気がして、自分が探している音楽も結局、「音楽の森」のような気がしてきました。友人と音楽の話をしていた時に音楽を聴いている時は目は自分の目の前にあるのものをもう見ているのではなく「音楽の中を見てるんだよね」と言ったのがとても印象深い。結局、「音楽の森」の中を歩いている感覚なのである。なので、良く知っているクラシックの曲を聴きながらの運転は時々危険だな、と思う(笑)。
私が大好きな映画の一つにカズオ・イシグロ原作の「Never Let Me Go(私を離さないで)」があるのだが、これを観た時に、最初の場面で一瞬にしてその世界に引き込まれたのが忘れらない。それは、作家と監督が共同で作り上げた世界観(森)だと思うのだが、調律もピアノも音楽も芸術は皆、自分の「森」を探しているのでは、という気になっています。ピアノはたまたま多くの木を使っているのだが、木とは別に「森」という表現がとても好きです。

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